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吹っ飛ばされた 2

「ヴェルガ! よかった、起きたのね!」

「……ぅ……」


 目を覚ましたヴェルガが一番最初に見たのは、ぱぁっと顔を輝かせる婚約者の姿だった。視線をずらせば、ほっと表情を緩めている三人の親友達の顔も見える。どうやらここは保健室で、気を失ったヴェルガはベッドで寝かされていたようだ。


「お、俺は……一体……?」

「ディンヴァード様が召喚した風の精霊に吹き飛ばされたのよ。ほら、今日の発展召喚は、生徒同士の模擬試合だったから」


 発展召喚。正式名称は「召喚の法術・発展演習」という科目で、選択科目ではあるが召喚の法術を得意とするヴェルガにはほぼ必修と言っていい履修科目だ。リディーラも同じ授業を取っているので、当事者であるヴェルガ以上に詳しくその時の状況を語れるのだろう。

 ディンヴァードというのは、(くだん)の転入生の姓だった。彼の名前に様をつけてヴェルガを呼び捨てにするのは、それだけヴェルガに気を許しているというあらわれだ。


「ディンヴァード様の精霊は、貴方の召喚した炎の精霊をかき消したのよ。そこまではよかったんだけど、ディンヴァード様の精霊の勢いが止まらなくて、貴方まで吹き飛ばされて……。グラート先生が風と土の精霊を召喚してなんとか貴方を助けようとしたんだけど、間に合わなかったの」


 わたしに力があれば、とリディーラは悲しげに目を伏せる。全属性の精霊を召喚できる発展召喚の担当教諭グラートとは違い、リディーラが召喚できるのは光と水の精霊だけだ。だが、彼女に非があるわけではないし、彼女が気に病む必要はないだろう。リディーラを慰めつつ、ヴェルガは忌々しげに呟いた。


「俺の精霊は、あいつに負けたのか」


 これで何度目の敗北だろう。あの転入生、カイル=ディンヴァードが現れてから歯車が狂ったような気さえする。

 ヴェルガが転入生カイル=ディンヴァードの名を初めて強く意識したのは、始業式のことだった。その日は新たな一年が始まると同時に、春休み中に行われた実力テストの結果が貼り出される日だ。去年はずっと、ヴェルガが選択している科目における学年一位の座にはヴェルガがいた。それにふさわしい努力をしたのだから当然だ。だが、二年生になって初めてのテストで、ヴェルガは自分の上に他人の名前があるという衝撃を味わった。

 学院には、自由七科と呼ばれる必修科目と、技芸六科と教養八科と呼ばれる選択科目がある。自由七科は全科目、技芸六科は六つの分野から一つ以上、教養八科は八つの分野から四つ以上選択していく決まりだ。それぞれの分野の中には分野に沿った科目があり、卒業するまでの三年間で選んだ分野に属する科目から規定数を履修しなければならない。

 その規則にのっとり、二年生になったヴェルガはクラスごとに毎年度受講する自由七科を除いて十五の教科を履修することにしていた。そのほとんどが一年では基礎とついていたもので、二年では基礎の文字が発展に変わるものだ。発展の字がつく科目は、先に基礎の字がつく科目の履修を前提としている。基礎を履修していなくても選択することは可能だが、単位を取るのは難しいだろう。ヴェルガは当然基礎を履修済みだ。

 一般的な知識を深める学年共通の自由七科、やや専門性のある技芸六科、貴族としての品格を養う教養八科。どれも一年の間の積み重ねがあるし、何より初めてのテストなのだからさほど難しいものではない。ヴェルガは余裕をもって、しかし油断はせずにテストに臨んだ。

 結果、ヴェルガはどの科目でも満点に一歩及ばなかったものの、ほぼ最高点に近い成績を叩きだし――――ほぼすべての科目で二位を取った。二位だ。十分優れた成績ではあるはずだが、常に一位を取っていた男が二位になったというのに学院は少なからず震撼した。彼を抑えて一位になった生徒が、この春編入してきたばかりの転入生なのだからなおさらだ。

 ヴェルガが一位を取れたのは、作法の発展演習とカイルが履修していない科目だけだった。カイルと被っている科目は、作法の発展演習を除いてすべてカイルが一位でヴェルガが二位だ。二人より下の者達の順位にはさほど変動はないし、何よりヴェルガの得点は一年だった時と大して変わっていない。カイルのほうがヴェルガよりも頭がよかった、ただそれだけなのだ。

 学年主席、すなわち自由七科の合計点による総合一位もカイルだった。去年の学年主席はずっとヴェルガだったにもかかわらず、だ。

 生徒一人一人で受講する講義に違いがあるため一概には言えない順位だが、全科目の点数を合計したものであってもカイルに一歩及ばなかった。次席の座に甘んじることは、ヴェルガにとって初めての経験だった。学院に入学して以来、ずっと学年主席の座を守っていたというのに。

 これには少なからずヴェルガも驚いた。他の科目ならまあ仕方ない、自分の努力が足りなかったのだろう。若干の悔しさはあるが、素直に相手を称賛できる。だが、あろうことか法術系の科目ですらも後れを取るとは何事か。技芸六科のテストには筆記の他に実技もある。それですらカイルに負けたとは、にわかには信じられなかった。

 その時のヴェルガは、カイル=ディンヴァードという男子生徒をよく知らなかった。カイルは二年の春に転入してきたばかりだし、クラスも違ったからだ。しかしどうやらカイルが転入したのはアディンのクラス(ブレイラブル)だったらしく、アディンから話を聞くことができた。

 アディンいわく、カイルは不思議な男らしい。さほど力があるわけでもなければ土地すら持たない田舎の男爵家の長男なのに、不思議と知識と魔力はあるのだと。しかし、そのくせ貴族社会の常識には疎いようだ。カイルのほうでも自分の下にぴったりとくっつくヴェルガ=アルフェンアイゼ=エスティメスの名に関心はあったようだが、ミドルネームについたアルフェンの名がこの国の王族を示すというのを知らないという非常識っぷりだった。クラスメイトに教えられて初めて知ったそうだ。

 そもそも彼は、自分の学年に王族がいたことすら知らなかったらしい。これについては転入したばかりだからと仕方ないと言えるが、それにしたって家の者は何も言わなかったのだろうか。その程度の情報すらも掴めない家の生まれなのに、曲がりなりにも王子のヴェルガを凌駕する知識と実力を備えているのは奇妙の一言に尽きた。

 おおらかで人当たりがよく、争い事を嫌う性格からカイルはすぐにクラスには溶け込めたそうだが、上級貴族の中には無遠慮なカイルをよく思っていない者も多いという。特に女子生徒がカイルに甘いというのも、彼らの不興を買っている一因だろう。

 新学期が始まって早々、ヴェルガはアディンに会おうと彼の教室を覗くついでに、アディンのクラスにいるという謎の転入生を見てやろうと思った。さりげなくアディンにカイルの所在を尋ねると、アディンは目線で誰がカイルなのかを教えた。

 彼の視線の先にいたのは、複数の女子生徒に囲まれる金の髪がまばゆい少年だった。はつらつとした笑みはその髪に負けず劣らず輝いていて、軽快な話術でも披露しているのか少女達もきゃっきゃとはしゃいでいる。自分とは一生関わり合いになることはないような人種だな、とヴェルガは心の中で呟いた。

 それで初めての邂逅は終わった。同じ教室で同じ講義を受けることも多いだろうが、なにぶん受講する教室が広いのでめったに顔など合わせない……はずだった。


「よっ、ヴェルガ。俺、カイル=ディンヴァードって言うんだ。よろしくな」

「……」


 カイルがヴェルガに話しかけてきたのは、アルフェニア史の初回講義が終わった直後だった。ヴェルガの近くで講義を受けていたロランの顔色がさっと変わる。教材をしまおうとしていた手を止め、ヴェルガは無言で声のするほうを見た。

 アルフェニアの貴族において、ファーストネームを呼んでいいのは親しい間柄の相手だけだ。普通はラストネームかミドルネーム、あるいはそれらを組み合わせたもので呼び合っている。ミドルネームがない者もいるが、省略しているだけで本当はミドルネームもある場合が多い。そのため、同じ名字の者が複数いても困ることはあまりなかった。

 たとえばリディーラやアディンは、"イヴ"と"ロア"というミドルネームがあるが、普段は省略している。二人にはきょうだいがいないからだ。区別する対象が両親だけなので、学院に通っている間はミドルネームを使う必要がほとんどないので、省略していても問題はなかった。

 しかしヴェルガはそうもいかない。きょうだいがいるし、王族である限りアルフェンの名は名乗り続ければならないからだ。学院を卒業してリディーラと結婚すればヴェルガ=アイゼ=レヴィアと名を変えることになるだろうが、それまでヴェルガの公的な場での名前は"アルフェンアイゼ"だった。

 この学院においても、ヴェルガは普通アルフェンアイゼと呼ばれている。敬称はつけなくても構わない。今この教室にヴェルガの血族はいないので、姓であるエスティメスという呼びかけでも許容範囲だ。だが、こともあろうにカイルはヴェルガをファーストネームで平然と呼んだのだ。それも親しい友人に呼びかけるように、ひどく気安く。

 この学院でヴェルガをファーストネームで呼ぶのは、ヴェルガの派閥にいる者達ぐらいのものだった。ヴェルガも彼らをファーストネームで呼んでいる。しかし、それは相応の絆があるからだ。ほぼ初対面と言っていいカイルがヴェルガの名を呼んでいい道理はない。

 なによりヴェルガは王族の端くれだ。一応学院ではすべての生徒は実家の爵位にかかわらず平等だとされているが、それが建前だというのは誰もが知っていた。ここは貴族社会の縮図であり、いずれ出る社交界の練習場だ。建前がある以上多少砕けた態度を取るのは仕方ない面もあるが、初対面でここまで馴れ馴れしいと王族でなくても眉をひそめる者のほうが圧倒的に多い。個人的に親しい仲ならともかく、距離感というものをないがしろにしていいはずがなかった。


「何か用か、ディンヴァード」


 無礼なカイルに、ヴェルガは絶対零度の眼差しをもって応えた。ちなみにこの時のヴェルガの心中は、(うわっ、なんか話しかけてきた……こわ……)である。目付きが悪いのは、カイルの軽薄そうな笑顔がまぶしすぎて直視しづらかったからだ。こう、いかにも「人生を全力で楽しんでます!」と言わんばかりの人種にはいささか気後れしてしまう。

 そこにはカイルという人間に対する劣等感や驚き、あるいは恐怖はあっても、礼儀をわきまえないことに対する不快感はない。ヴェルガ自身はこうした行為を無礼なものだと理解しているが、他人にとって自分はそれほど敬意を払う相手ではない、と思っているからだ。つまり、カイルのこの行いも自分を下に見ているがゆえの当然の行為なのだろう、と認識していた。

 成績で負けてしまっているし、存在の認知すらされていなかったようなので、カイルが自分を侮るのも仕方ない……というのがヴェルガの考えだった。もっと自分に自信を持っていいのに、とロランをはじめとしたヴェルガの親友達は常々思っている。


「え? いや、用ってほどじゃねぇんだけどさ。お前、これから帰りだろ? よかったら俺達と一緒に遊びに行かねぇか?」

「……」


 あっけらかんと言い放ったカイルを、ヴェルガは異形の生命体を見るような目で見つめる。ロランが咳払いをしてくれなかったら、きっとヴェルガはこのまま固まり続けていただろう。


「申し訳ありません。アルフェンアイゼ殿下のお時間は、すでに私達がいただくことになっているのです」


 ロランは口調こそ丁寧ではあるが、ヴェルガをファーストネームを呼び捨てで呼ぶし、普段の会話でヴェルガを殿下などと呼んだことがない。そんなロランが、珍しく余所行きの笑みを浮かべながらカイルを見ている。

 様づけぐらいならよくあるが、まさか校内で在校生に殿下などとつけられて呼ばれるとは思わなかった。校内でそういう振る舞いをされるのは、学校関係者以外の大人がその場にいるときぐらいしか経験がない。少なくとも、友人同士のやり取りで使われたことは一度もないはずだ。

 きっとロランなりに、カイルに自身の過ちを気づかせようとしたのだろう。しかしその意図は伝わらず、カイルは首をかしげただけだった。


「あるふぇんあいぜ? 誰だそれ」

「……今、お前の目の前にいる。お前にとっては、覚えるに値しないもののようだが」


 あまりのことに、さすがのヴェルガも口を出さずにいられなかった。いくらなんでもそこまで侮られていたと思うとショックだ。ぷるぷると震えながら尋ねたヴェルガに、周囲の無関係な生徒達でさえも顔を青くする。ロランの笑みは完全に凍りついてしまっていた。


「あー、そういえばそうだったな。悪い悪い、俺って人の名前覚えるの苦手でさ。てか、この国の奴って、みんな名前が長くねぇか?」


 空気が変わったことに気づかないのはカイルと、それからヴェルガぐらいのものだ。からからと笑うカイルについていけず、ヴェルガは顔を背けて小さな声で呟く。


「……もう限界だ」


 その言葉に、何人かがひっと息を飲んだ。ロランは可哀想なものを見る目でカイルとヴェルガを交互に見ている。どちらに対してもそう思っているのだろう。


「誘いは断る。俺は忙しい。お前に割いている時間はない」


 これからヴェルガは部活に勤しむ予定だった。カイルの言う“俺達”が他の誰なのかは知らないが、知らない連中と遊びに行くなんて恐ろしいことをする気はない。

 ヴェルガが部長を務める部の部員は、全員ヴェルガの身内のようなものだ。慣れ親しんだ仲間達と過ごす居心地のいい空間を手放してまでカイルに割く時間はなかった。

 これ以上この男とかかわりたくない。その一心でヴェルガは机の上に出したままだった教本とノートを手早く鞄にしまった。

 ロランもそれにならう。カイルの顔など見られないまま、ヴェルガはがたりと立ち上がった。カイルがまだ何か言っていた気がしたが、ヴェルガは耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいになりながら教室を出ていった。 


「あー、行っちまった。……エレナになんて説明しようかなぁ……」


 カイルが軽々しく呼んだ少女の名前が一学年下のヴェルガの異母妹(おうじょ)のものであることに突っ込める人間は、もうこの場にはいなかった。 

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