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ロランの申し出

 夕食を終え、ヴェルガはロランとともに自分の部屋に戻る。リートの姿は消えていたが、闇の導きの書(カノン)は机上に置かれたままだ。それを手に取りリートを呼ぶと、数秒とおかずにリートが現れた。


「おや、君は……ロラン=グレイ=トゥードリックか。出会いの神(エンティカ)がもたらしたこの縁に感謝を。ここにいるってことは、ヴェルガから事情を聞いたのかな」

出会いの神(エンティカ)がもたらしたこの縁に感謝を。私のことをご存知なんですね。さすがは精霊といったところでしょうか」


 ロランの深紅の瞳から猜疑心が薄れる。リートが自分の力を少し解放しているせいもあるだろう。神に近しいものへの畏怖を感じながら、ヴェルガとロランは目配せをした。


「毒の神ギゾンと指嗽(しそう)の女神ティチエーテが君に祝福を与えているからね。闇の神の庇護下にある者のことは全員知ってるよ」


 毒の神も指嗽の女神もケルハイオスの眷属神だ。リートな言葉が確かなら、リートは第二ダンジョン探索部の面々なら紹介しなくてもわかるのだろう。みな、数や神の違いはあれど闇と混沌の神の眷属神からの加護を得ていたはずだ。

 リートとロランの顔合わせが終わったので、ヴェルガはロランにことのあらましを説明する。補足としてかリートもちょくちょく口を挟んできたが、どれもヴェルガが聞いた範囲の事柄だ。ロランは黙って聞いていた。


「お話はわかりました。……この身がどれほど役に立つかはわかりませんが、私も協力いたしましょう。中立の陣営とはいえ、戦力は一人でも多いほうがいいでしょう?」

「いいのか?」


 ヴェルガは驚いてロランを見る。秘密を打ち明けようとは思ったが、協力まで申し出てくれるとは思わなかった。それに、邪神の器と言われても今すぐなすべきことが山積みになっているわけではない。他者の助力を得てもいいのかわからず、ヴェルガは視線をリートに移した。


「ケルハイオスにも眷属がいる。彼らはケルハイオスの配下であり友人であり、悪くない協力者だ。だから、ヴェルガが一人ですべてこなす必要はないんじゃないかな。もっとも、君の仲間はケルハイオスの眷属とは違って中立の掟に縛られないと思うけど」

「そうか。それならありがたく頼らせてもらうぞ、ロラン」

「ええ。私で力になれることがありましたら、何でも言ってくださいね」

「さて、と。じゃあ、そろそろ続きを話してもいいかな。導きの書(カノン)についてなんだけど」

「ああ、頼む」


 リートがヴェルガの持っていた闇の導きの書(カノン)を指差す。ヴェルガが頷くと、リートは楽しげに笑った。

 

導きの書(カノン)は全部で十二冊あって、それぞれ十二の主神と対応してるんだ」


 雷と勝利の神サウィンダー。光と秩序の神ルドルリヒト。闇と混沌の神ケルハイオス。森と平和の女神レスピス。月と美の女神シェーン。太陽と運命の女神エイソル。大地と希望の女神イアドラ。星と時の神シャイツァイト。風と自由の神ルカント。水と幸運の神クラターウォ。炎と正義の神ティスアイファス。天空と名誉の神スカナ。リートは十二の主神の名を一柱ずつ挙げていく。導きの書(カノン)はどれも対応する神の属性を頭に冠しているらしい。


導きの書(カノン)を手にするには、資格のある者が祭壇に祈りと供物を捧げればいい。それはヴェルガも経験済みだろう?」

「そうだな。祭壇は、あのダンジョンにあるものでなければいけないのか?」

「ダンジョン……そうか、確かにあそこはそんな場所だね」


 ヴェルガの疑問に、リートは小さく呟いたのちに首肯した。あそこの祭壇は特別だからね、と付け加え、リートは再び喋りだす。


「資格っていうのは、導きの書(カノン)と対応した属性のすべての神から祝福を受けていることだよ。たとえば闇の導きの書(カノン)を手にするにはすべての闇の神からの祝福が必要だし、光の導きの書(カノン)を手にするにはすべての光の神からの祝福が必要なんだ」

「私は光の全神加護持ちですが、私でも導きの書(カノン)を手にすることができるんですか?」

「もちろんさ。ただし、制約がある。導きの書(カノン)の原典は一人につき一冊までしか所有できないし、同じ属性の原典は同じ時代に一冊ずつしか存在できない。もう所有者がいるなら、条件を満たした別の人物がいても祭壇に導きの書(カノン)が現れることはないんだ」


 所有者が死ねば、導きの書(カノン)はあるべき場所へと還ってまた別の誰かが手にすることができるようになるという。導きの書(カノン)の生前譲渡自体は可能だというが、その場合でも新たな所有者は資格を満たしていないといけないらしい。資格のない所有者の手に渡った場合、やはり導きの書(カノン)はあるべき場所へと還ってしまうという。

 導きの書(カノン)の力は原典にしか宿らず、写本はただの神話集に過ぎないそうだ。ヴェルガが借りてきた他の神の本はすべて写本なので、本当の意味での導きの書(カノン)とは呼べないらしい。


導きの書(カノン)があれば、人の身であっても神の領域への扉を開くことができるんだ。……導きの書(カノン)を所有することは、人間が魔王の封印を解く、あるいは封印ごと魔王を滅ぼすための大前提でもある。神の領域に封じられている魔王と接触を図るには、神の領域に近づかなければいけないからね」


 導きの書(カノン)を正しく使えば神の領域に導かれるという。身体そのものが神の領域に足を踏み入れるのか、あるいは精神だけ神の領域に飛ばすのかはわからなかったが、どちらにせよ魔王の封じられた果ての谷には行けるのだろう。


「いずれにしろ、善悪の均衡を乱そうとする者は導きの書(カノン)を所有する必要があるんだな。なら、すべての導きの書(カノン)をあらかじめ手中に収めておけば、そういった輩を牽制できるはずだ」

「そうですね。問題は所有資格ですが、光の導きの書(カノン)、風の導きの書(カノン)、炎の導きの書(カノン)、そして月の導きの書(カノン)なら私達で入手できるはずです」


 ある一つの属性のすべての神々から祝福を受けることは、高位の貴族……特に古くから続く家柄の出身者としてはあまり珍しいことではなかった。ヴェルガのようにすべての闇の神から加護を受けることは彼らの中でも稀とされているが、他の十一の属性からなら、一つぐらいすべての神々から加護を受けている属性があることもある。そういった者は全神加護持ちと呼ばれていた。

 珍しいのは、それが二つ三つと重なっている場合だ。目安にすぎないものではあるが、神の属性には相性がある。主となる祝福を与えてくれた神の属性が、異なる属性の神が与える別の祝福の量やその属性に影響するので、属性同士が噛み合わなければ加護を得るのが難しくなるのだ。これはあくまでも祝福の傾向の問題で、それぞれの祝福の強弱や有利不利を示しているわけではない。単純に、主神同士の関係から属性による相性というものがあるだけだ。いわばこれは主神間の仲のよさであり、相性のよしあしは神話で語られている。

 たとえば"闇"が主となる祝福の属性なら、すべての属性の祝福を受け入れることができる。しかし他の属性が主となるなら、"闇"からの祝福は弾かれやすくなるのだ。"光"が主となるならその限りではないというが、それでも他の属性神のものよりかは祝福の数が減るという。

 もし"炎"が主となる属性なら、"光"や"天空"からの祝福は受けられるものの、"太陽"や"風"からの祝福は得難くなるだろう。一方で、"森"が主となる属性ならば"太陽"と"光"からの祝福が受けやすくなり、かわりに"炎"、そして"月"からの祝福を遠ざけてしまう。

 それこそ善神の器などという規格外でもない限り、多くの属性からまんべんなく加護を得るのは難しい。相性の関係で、どうしても属性ごとに数のばらつきが生まれてしまう。

 だが、導きの書(カノン)を取得するには一つの属性のすべての神から加護を受けているだけでいい。一人ですべてを担う必要がない以上、貴族社会でも特に珍しい複数属性の全神加護持ちを探さなくてもいいのだ。

 幸いなことに、ロランはすべての光の神、アディンはすべての風の神、ティリカはすべての炎の神、そしてリディーラはすべての月の神からの加護を受けている。単純に数えれば、五冊の原典はこちらで押さえられるはずだ。他の条件さえ満たしていれば、だが。


「図書室にある写本は、天空の導きの書(カノン)、水の導きの書(カノン)、風の導きの書(カノン)の三冊だった。いつごろ置かれたものかはわからないが、風の原典が入手できる可能性は低いだろう。……だが、それでも導きの書(カノン)を複数冊所有できるのは強みだな」

「明日は森ノ日……ちょうど一週間のうちでもっとも参加者の少ない探索部の活動日ですね。アディン達を誘って、さっそく明日神の間を巡ってみましょうか」


 第二ダンジョン探索部には、委員会に従事している者はもちろん純粋な部活動を兼部している者もいる。第二ダンジョン探索部の活動日は週三日だが、全員揃うことが多いのは三日のうちの二日目である空ノ日ぐらいのものだ。昨日は空ノ日だったので、全員で活動できていた。

 他の二日は予定が合わない者も多く、ヴェルガも部活動自体は強制しているわけではないので、全体的には自由参加ということにしている。決められた日にやりたい者が集まり、ダンジョンに潜るというのが基本的なスタンスだ。部員全体のやる気は高いのだが、他にやるべきことがあるならそっちを優先しろ、無理に予定を合わせなくても構わない、とヴェルガが言っているので、集まる日と集まらない日が明確にわかれていた。部長のヴェルガや中心人物のロラン達は、ほぼ毎回活動しているが。

 明日、森ノ日に部活に顔を出すのは待機組を含めて二十人前後といったところだろう。そのうち探索組は十人ほどで、今回の導きの書(カノン)取得に無関係な者は五、六人ぐらいしか来ないはずだ。彼らの目を盗むにしろ堂々とやるにしろ、神の間を回ることに支障はないだろう。

 残念なことに、他に全神加護持ちの当てはない。彼らに導きの書(カノン)の取得を頼むことはできないし、話を大きくされるとやっかいだというロランの判断で、リディーラ、アディン、ティリカ以外に深い事情は打ち明けないことにした。


「決まりだな。三人には明日の……そうだな、昼休みにでも詳しい話をしよう。いつもの場所なら落ち着いて話ができるはずだ。それから、暇なときに図書室に寄って、写本がいつ寄贈されたかメイフェル先生に確認を取るとするか」

「そうしましょう。それで構わないですよね?」

「……」


 ロランがちらりとリートを見る。ずっと黙っていたリートは、ロランから視線を向けられてもぽかんとした顔のままで、喋りだそうともしなかった。


「どうした、リート。……まさか、これは越権行為に当たるのか?」


 不安になって尋ねる。ようやく気づいたのか、リートははっとして取り繕うような笑みを浮かべた。


「あ、いや、そういうわけじゃないよ。導きの書(カノン)を手に入れること自体は、善にも悪にも片寄ってない。問題はそれをどう使うかだからさ。そもそも、ヴェルガ以外に中立の掟は適用されないし、入手できる導きの書(カノン)を手分けして集めるのは決して悪くない」


 でも、と言葉を区切り、リートはヴェルガをじっと見つめた。あの飄々とした態度が消え失せ、底冷えするような視線が向けられる。自分の顔であって自分ではないその顔は、他人に向けるそれよりも威圧感を感じられるだろう。態度の温度差が大きいのだからなおさらだ。少なくともロランは、直接リートに見られているわけでもないのに身構えた。

 リートは自身の力を解放したわけではない。ヴェルガと同じ顔で、ヴェルガと同じ温度で、そのアイスブルーの瞳を細めただけだ。しかしたったそれだけで、ヴェルガを見慣れているロランでさえもその迫力にたじろいだ。

 しかしヴェルガは動じない。自分と同じ顔をした人間が目の前にいる不気味さも、鏡か何かと思えば受け入れられないこともない。鏡に写る自分は基本的にこの無愛想な顔だ。むしろリートのようににこにこ笑っているほうが不気味だったかもしれない。

 だが、ヴェルガがリートの眼差しを正面から受け止めたのは恐怖心がないからではなかった。そもそもヴェルガは鏡を直視するのがあまり好きではないし、人の視線を浴びるのが苦手なのだ。ヴェルガは、動かないのではなく動けないだけだった。


「君の友達は、理の掟に縛られない。善悪に対して中立でいる必要がない。……君を裏切らない保証はないんだよ?」


 自分と同じものだという話以前に、突然鋭く見据えられて驚いてしまい、ろくな反応をする間もなく固まってしまった。それが動じないヴェルガの真相だ。だが、リートの一言が緩衝材になる。一拍おいて冷静さを取り戻したヴェルガは、改めて同じ瞳でリートを迎え撃った。


「それがどうした?」

「どうした、って……」

「ロランがいる場所でする話ではないと思うが、はっきり言っておくぞ。ロラン達には、導きの書(カノン)を悪用する理由がない。魔王を滅ぼす理由がない。そしてなにより、俺と敵対したところで勝つのは俺だ。リート、お前の心配はなんの意味もない」


 自分に自信のないヴェルガにしてはきっぱりと言い切ったが、これには理由がある。彼が自信を持てないのは、自分の人格と存在についてだけだ。法術、つまり戦う力において、彼は別人にも思えるような傲慢さを発揮する。

 才能と人格はまったく別のものだ。世界的な天才であっても人間の屑かもしれないし、凡人ではあるが人格者かもしれない。ヴェルガは自分のことを、法術の才能ぐらいしかとりえのない社会不適合者のように思っている。周囲から存在を全否定され、法術だけを心の支えにしていたせいで、そんな考えを持つようになったのだ。

 だから彼は自分に対しては卑屈になるが、法術の才能だけは否定させようとしなかった。否定する者がいれば烈火のごとく怒ったし、実力を見せつけて黙らせた。その自尊心すら踏みにじられれば、自分に残るものはなくなってしまう。だから決して踏みにじられないよう才能を磨き、それに伴い自己評価も高くなった。カイルの登場によりその誇りはぽっきり折られたが、カイル以外の者には負けたことがない。まだ自信は地に落ちてはいなかった。

 ヴェルガの自信に満ちた言葉にロランは一瞬目を丸くした。しかしすぐに、ふ、と笑う。


「貴方のそういうところ、好きですよ。そんな貴方だから、私は友情と忠誠を誓ったんです。……ヴェルガの言う通り、私達が彼を裏切ることは絶対にありません」


 深紅の瞳がまっすぐにリートを見定めた。リートの返事をヴェルガとロランは黙って待つ。沈黙を裂いたのはリートの笑い声だった。


「いいねいいね、つまらなくない! 世界が定めた厳格な掟も、人の感情の前では塵芥に過ぎないんだ。掟を破ってでも人は醜くない輝きを放ってくれるし、掟なんかなくても人は醜くない輝きを見せてくれる。それは時に理すらも覆すだろう。僕はそれが嫌いじゃない。憎んでいないと言っていいほどにね」


 もう先ほどまでの冷徹さはない。子供っぽくはしゃぐリートの表情は決してヴェルガが見せないもので、やはり同じ顔でも別の存在だというのがよくわかる。


「この言葉が適しているかはわからないけど、あえて贈ろう。合格だよ。君達は、僕が憎んでやまなくない人間そのものだ」


 これからよろしく。そう言って、リートはロランに手を伸ばす。ロランが戸惑いがちにその手を握ると、リートの笑みがますます深まった。リートはヴェルガにも握手を求める。ヴェルガがぎこちなく手を伸ばすと、リートはその手を掴んでぐっと自分のほうにヴェルガを引き寄せた。よろめくヴェルガを空いた手で支え、リートは彼の耳元で囁く。


「友達は大切にね。どうか君は、僕のようにはならないでくれ。あんな美しくないものは、君に味わわせたくない」

「それはどういう、」

「おっと。名残惜しいけど、そろそろお別れの時間だね。今宵も眠りの神(リフス)の導きで夢の神(レヴリーム)のもとに辿り着けますように。また明日、出会いの神(エンティカ)が僕らをきっと引き合わせてくれるだろう」

「お、おい!」


 ヴェルガの追及に答えないまま、リートは就寝の挨拶と同時に消えてしまった。闇の導きの書(カノン)に向けていくら呼び掛けてもなんの反応も返ってこない。


「どうかしましたか?」

「去り際に妙なことを言われてな。……次に会ったときには、必ず意味を聞き出してやる」


 そう言って、ヴェルガは闇の導きの書(カノン)を軽く睨んだ。

日曜=雷ノ日(休日) 

月曜=風ノ日 

火曜=光ノ日 

水曜=空ノ日 

木曜=炎ノ日 

金曜=森ノ日

土曜=星ノ日(休日)

です

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