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吹っ飛ばされた 1

(今……何が、起きた……?)


 ヴェルガ=アルフェンアイゼ=エスティメスは滞空しながら青空を眺めていた。


 彼はここアルフェニア王国の第四王子だ。兄が三人、姉と弟が一人ずつ、そして妹が二人いる。総勢八人の王の子供達のなかで、ヴェルガと同腹のきょうだいはたった一人だけだった。

 ヴェルガの父、国王エルドムントには三人の妃がいて、ヴェルガは二番目の妃の子だ。彼女は三人の妃の中でもっとも格下の、美貌ぐらいしかとりえのない妃だった。

 母の血のおかげかヴェルガも見目麗しい少年へと育っていたが、母の出自と四番目の王子という立場から重要視などされていない。せいぜい、有力者の娘と縁づくことを期待されるだけの駒という扱いだった――――はずだった。

 生まれた順で与えられる継承権の順位など目安に過ぎない。行いや才覚、あるいは有力貴族からの後援で王位への距離は変わっていく。そして幸か不幸か、ヴェルガは優秀だった。それこそ上の兄達を押しのけて立太子できるぐらいには。

 召喚と呪詛、二つの法術を使いこなす潤沢な魔力。王族でなければと学者達が悔しがる明晰な頭脳。若干の冷たさを漂わせているきらいはあるが、天上の女神も目をくらませるような怜悧な美貌。そして何より、兄達とは比べものにもならないほどの数の神の祝福。祝福の多さは王の証に直結する。成長と同時に彼を脅威とみなす宮廷人は増え、いつしかヴェルガは立場どころか命さえも危うくしていた。

 生まれた時からきょうだい達との仲は最悪と言っていいものだった。ヴェルガの才能が目立ってくるにつれ、その仲の悪さに拍車がかかったのは言うまでもない。

 慌てたのはヴェルガの母だ。彼女は我が子の命を守るため、ヴェルガを臣籍に下らせるよう王に進言し、王はそれを受け入れた。王は、ヴェルガに与えられた祝福の中に悪神からのものが混じっていて、なおかつその加護が他の善神のそれよりも強かったことを理由に、ヴェルガを王太子にすることはないと明言したのだ。

 そのせいか、優秀なヴェルガを王位から遠ざけても反発の声は上がらなかった。それはそうだろう。十二の主神の中で唯一“悪”を司る邪神、闇と混沌の神ケルハイオス。主神である彼を含め、そのすべての眷属神からの祝福(のろい)をヴェルガは受けていたのだから。たとえその“悪”が形式だけのものとはいえ、不吉なことに変わりはなかった。

 十一年後の成人の儀を迎えたら、ヴェルガは王族ではなくなるのだ。この時、ヴェルガはわずか九歳だった。王の命に逆らうことのできない幼い王子は、掴めたかもしれない輝かしい未来の夢を見ることすら禁じられた。

 そのすぐ後、ヴェルガに婚約者ができた。もちろん彼と相手の少女が望んだものではない。婚約者の名はリディーラ=レヴィア。彼女はレヴィア公爵家の一人娘で、ヴェルガは成人と同時に臣籍に下りてレヴィア家に婿入りすることが正式に決定した。

 ここまですればもう対外的にヴェルガを害する理由は失われ、それどころかヴェルガを害せばレヴィア公爵の不興を買う。表向きだけではあったが、ヴェルガに対する悪意は鳴りを潜めた。こうしてヴェルガは、自身の将来の決定権と一人の少女の未来と引き換えに命の保障と自由を手に入れたのだ。

 半ば強引に婚約したヴェルガとリディーラだったが、話してみればなかなかどうして打ち解けられた。恋情を育むにはまだどちらも幼く、若い男女が持つような色恋沙汰の関心などはなかったが、二人はお互いの存在を好意的に受け止めた。周囲の大人達も、この様子ならいずれ二人はよき恋人、よき夫婦になるだろうと思い、ほっと胸を撫で下ろした。

 王への道は阻まれたヴェルガだったが、それで彼が憎悪を燃やしたかというとそうではない。あっさりと引き下がる程度の切り替えの早さはあった。そもそも彼は、王になる野心が強かったわけではなかった。「貴方なら王になれるだろう」……そう囁かれ、言われるがままその言葉を受け取っていただけだ。

 王になろうとすると命がおびやかされるなら、まあならないほうがいいのかもしれない。そう考えるだけの怠惰で臆病な性質がヴェルガにはあったし、無用な争いをしたくないという平和的な願いもあった。

 無理に王になりたいわけではないし、たとえ臣籍に下るとしてもリディーラが一緒なら、まあいいか。冷たい外見とは裏腹にのんびりとした気性の王子は、近い将来自分が王族でなくなることに若干の不安は覚えたものの、父王と母妃の行動を特に憎みはしなかった。

 しかし、そんなヴェルガにもただ一つ譲れない点があった。それは自身が持つ法術の才だ。

 すでに臣籍に下ることが決定した以上、どれほど優秀なところを見せても誰にも咎められない。それどころか、この力を磨けば王の優秀な側近と認めてもらえる。もはや競争相手ではなくなったのだから、きょうだい達ともうまくやれるかもしれない。これだけの力があるなら次期レヴィア公爵にふさわしいと、父にも未来の義父にも褒めてもらえるに違いない。

 法術そのものは魔力がないと扱えないが、法術を用いて作られた道具は日常生活を送るうえで欠かせないものだ。それに、優秀な法術師は大きな戦力になる。法術は、国を豊かにする技術だった。だからヴェルガは頑張った。いずれ王族でなくなるとしても、王族に生まれた者として少しでも国の役に立ちたかった。

 結果、ヴェルガが得たのは冷たい眼差しだけだった。まだ王になろうとしているのか。法術の使えない異母兄に対する嫌みか。それほど強くなって何をする気だ。誰もがそう言ってヴェルガを責めた。

 母妃さえヴェルガの努力を否定した。あなたはいずれ王子でなくなるのだから、それほど頑張らなくてもいいのですよ――――自分が何をしてもあらゆる火種が生まれることを、ヴェルガはようやく悟った。たとえ生を許されたとしても、もはや生きているだけで気に食わないと思われてしまう人種がいる。それこそが自分なのだと。

 だが、それで引き下がるほどヴェルガはおとなしくはなかった。こと法術にかけて彼は怠惰で臆病である以上に傲慢で、負けず嫌いだったのだ。

 王になれないのは構わない、だが何故自分から法術すらも取り上げるのか。才能を褒めてほしいだけなのに。努力と実力を認めてほしかっただけなのに。王になる以外に新たな生き方を見つけたのだと、法術の道を極める夢があるから王位などには興味がないと、わかってほしかっただけなのに。

 だからヴェルガは決意した。いいだろう、お前らが気に食わないならそれで結構。俺は俺で勝手にやってやる。王になりたがろうとなりたがらなかろうと俺を否定するなら、いっそ俺はお前らの求めるような理想の王の器を手に入れてやる。それでも俺は絶対に王にはならない。もし王が俺より見劣りする奴だったとしても、俺はあくまでも側近として、お前らが()()()王を支えるだけだ。あの時俺を認めなかったこと、必ず後悔させてやる! ――――そんな若干歪んだ決心のもと、ヴェルガはいっそう己の力を磨いていった。

 いつしかヴェルガは人を信じることをやめ、人の言葉に耳を貸すことをやめた。それがヴェルガにいいものをもたらしたことなどなかったからだ。ありもしない悪評を立てられ、届きもしない野心を吹き込まれるのはもううんざりだった。

 そうしているうちに生来の怠惰さは失われた。のんびりしたところも影を潜め、臆病さなど見る影もなくなり、ヴェルガは徐々に苛烈で棘のある少年になっていく。

 いや、本質的なところは何一つとして変わっておらず、むしろ人と必要以上にかかわることを恐れて引っ込み思案な性格に磨きがかかったのだが、虚勢で本質を覆った結果の彼は幼少期の彼とは似ても似つかないような性格になっていたのだ。


 十五歳になり、貴族の子女達が通う学院に入学したヴェルガは、そこでもめきめきと頭角を現した。学年一位の成績、王子の身分、白皙の美貌、優れた法術の腕。傲慢さは時にはカリスマにもなり、冷たさはたまに見せる優しさを際立たせるスパイスになる。

 学院の生徒は、いずれ臣籍に下る有能な第四王子を慕う者と煙たがる者にわかれた。どちらかといえば煙たがる者のほうが多く、また我関せずと遠巻きに眺める者も多かったが。

 ヴェルガは強く、賢かった。彼が操る召喚の法術はすべての属性の精霊を()ぶことができたし、彼が囁く呪詛の法術の前ではどんな屈強な戦士も赤子同然だ。彼の知識は多岐に渡り、どんな難問も彼に尋ねればたちまち答えが導き出せた。そんな彼に取り巻きが生まれるのはごく自然のことで、他の派閥の主に比べれば数こそ少ないが信奉者の忠誠は抜きんでていた。

 ヴェルガの派閥は、彼の三人の友人と婚約者のリディーラを中心にしていた。トゥードリック公爵家のロラン、ラバイオ子爵家のティリカ、ユース伯爵家のアディン。みな変わったところはあるが、身分を抜きにしてもヴェルガの大事な親友達だ。

 特にロランとは学院に入学する少し前からの仲で、系統は違えど同じ法術を使う者同士馬が合っていた。ヴェルガは召喚と呪詛、ロランは治癒と守護。得意な系統が違うからこそ互いの視点は参考になり、いい刺激になる。ヴェルガとロランは切磋琢磨できるライバルでもあった。

 そんな友人を得ることはヴェルガにとって思ってもいなかったことだったので、ロランは得難い存在だった。

 ロランも同じように思っていてくれたら嬉しいが、もし違ったら怖いので決して確認はできない。友人と口に出して呼んでいいかすら迷っていた。自分は彼らを友人と思っているが、彼らは何らかの事情で仕方なく自分の派閥にいるだけだったらどうしよう、と。

 心の中ではいくらでもそう呼ぶが、ロランはおろかティリカとアディンに対しても、ヴェルガが彼らを親友どころか友人と称したことはおそらく一度としてなかっただろう。当の三人はヴェルガを親友と公言してはばからないにもかかわらず、だ。

 ヴェルガのほうからも冗談交じりで尋ねればさっさと解決しそうなこの難問だが、根本的に人を信じきれない彼はどんな返事が返ってきても安心できなかった。ヴェルガは頭こそいいが馬鹿だった。学問で解決できない問題には対応できないのだ。

 幼少期に色々とこじらせてしまった彼は、人間としてつまずいていた。法術に関しては発揮される自信も、彼個人の性質についてはその影すら見せない。少なくとも人間関係については、以前よりずっと臆病になってしまっていた。そう、虚勢を張らなければまともに人と会話できないぐらいには。

 幼いヴェルガを本当の意味で受け入れてくれたのは、婚約者だったリディーラだけだった。彼女以外のすべてからは否定され、嘲笑され、拒絶された。周囲の人間から人格すらも受け入れてもらえなかったヴェルガがすがれるのはリディーラと、自身がもつ法術の才能だけだ。

 しかしリディーラはあくまでもリディーラ=レヴィアという一人の少女であり、彼女の心を永遠にヴェルガに留めておくことはできない。リディーラが心変わりしてしまえば、ヴェルガはよすがを失ってしまう。リディーラの心を意のままに操ることなどできなかったし、リディーラが一生自分の傍にいてくれる保証はなかった。

 けれど法術だけは自分を裏切らない。だからヴェルガにとって法術は、自分が自分でいられる唯一の証明だった。

 自分のことは、もう自分しか認めてくれない。でも、法術という目に見えるわかりやすい力があればいつか大勢の人が自分を認めてくれる。だから、法術の才能さえあればいい。

 自分がどんな人間であっても、この力さえあればきっと――――そんな強迫観念にも似た思い込みは、一個人として人と接することに対する自信を失わせると同時に、法術師としての自己評価を限りなく高いものにさせた。それがヴェルガの、卑屈な自信家という複雑な人格が確立した理由だ。

 そんなヴェルガではあったが、幸か不幸かその卑屈さはリディーラと三人の親友以外の誰にも悟られなかった。ヴェルガが張ることにした虚勢、強気な態度のおかげだろう。

 それに、彼と本当に親しい者がうまく話を合わせてくれたおかげでもある。リディーラはヴェルガが何も言わなくても彼の心が読み取れるような稀有な少女だ。ヴェルガ限定で発揮されるその察しのよさは、ヴェルガと周囲の溝を埋めて橋渡しをするのに役立っていた。さすがにヴェルガの対人能力に対する根本的な解決には至らなかったが。

 リディーラ達もどこまで手を貸していいのかわからず、下手に手を出してヴェルガが今以上の駄目人間になったらどうしようという危惧から、今以上のことをしていない。よって、ヴェルガはただのコミュニケーションが苦手なチキンだというのに、周囲からはクールでかっこよくて俺様な王子という目で見られていた。

 寡黙気味なのは多くを喋ると噛んだりどもったりするから。人付き合いが淡白なのは他人と接することが苦手だから。冷たいのは他人と必要以上にかかわることを恐れているから。かっこいいのは見た目だけ。態度が強気なのは、そうでもしないと誰も話を聞いてくれないと思っているから。長所はときに短所にもなりえるが、どんな欠点も好意的に解釈すれば美点になるものだ。ヴェルガの評判も、言い換えてしまえば真実はこんなところだった。

 リディーラはもちろん親友三人はヴェルガの本性を知っているので、その評価については苦笑いするしかない。ヴェルガとしても本当の自分を知られるのは恥ずかしいので、噂は流れるままにしておいている。そういう噂のおかげか、人は必要以上自分に近づこうとしないからだ。たまに遠巻きに注がれる羨望の眼差しには困惑するが、目をそらしていても大丈夫そうなので放置しておいた。

 「人は自分の見たいものを見たいように取るものですから、貴方は好きにしていて大丈夫ですよ」というのはロランの言だ。その言葉はヴェルガも身に覚えがあったのでそれに甘んじている――――もし誰かが自身の見たものを一方的に決めつけることをしなければ、法術の勉強と王への野心は別物だとわかってもらえたかもしれないのに。

 なにはともあれ、ヴェルガの学園生活はおおむね良好だった。生まれた誤解も彼に都合のいいように働いているし、成績も安定している。まだどこかで遠慮してしまう節はあるが、少なくとも心の中では親友と呼べる友人もできた。婚約者は今日も変わらず隣で微笑んでくれている。これ以上望むことがあるだろうか。

 しかし、そんな彼の平穏な生活は、二年目を迎えてから若干の陰りを見せるようになった。卒業した下の実兄と入れ替わるようにして上の異母妹が新入生として入学したと同時に、ヴェルガの学年に奇妙な転入生が現れたのだ。


 そして今日、ヴェルガはその転入生に吹っ飛ばされた。走馬燈すら走った。青空を眺めながら、ヴェルガはこれまでの人生について振り返っていたのだ。

 何が起きたのかも理解ができないまま咄嗟に防御したものの、それすら気休めにしかならない。恐るべきスピードで吹っ飛ばされたヴェルガは、体感にして一時間、しかし実際のところは数秒ほどの間滞空したののちに地面に叩きつけられて意識を失った。

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