07
「おたくも会社のひと?」
警官が僕に言った。
「い、いえ……。すみません、あの横柄なのは父でして――」僕も〝実父云々〟を語ろうとはしない。「たまたま居合わせた僕は運転手に引っ張り出された次第なんです」
「そうか、面倒見のよさそうなひとだね」
「はっきり〝お節介〟と言ってもらって構いませんよ」
「ははは。しかしまあ――」警官は笑い、次に周囲を見回した。「よくもまあ、こんな場所でバーベキューをする気になったもんだな」
5メートル左にはカラスの死骸が転がっており腐肉を漁るように羽虫が群がっている。警官が言ったのはそのことだろう。場所取りに苦労する休日ならともかく、今日はウィークデイだ。同様の疑問を僕も抱いたが、それはすぐに氷解する。カラスだけではなかった。種々雑多な鳥の死骸が10メートルか15メートル間隔で転がっており、それは広い河川敷を浸潤する悪性腫瘍のようにも見える。
パチン!
警官は半袖の制服からのぞく腕を叩いた。
「その上、この大量の蚊だ。ビールの酔いが回る前に場所を移ろうとは思わなかったのかな」
警官の掌には黒い染みが、そして腕には血が滲んでいた。暑い季節、澱んだ水はぼうふらの温床になりやすい。この河原にもそんな自然のくぼみが数多く点在していた。
「タク! 行くぞ」
父が大麻裕美さんの肩を抱きかかえるようにして立っていた。
当たり前だが、大麻さんの自宅を僕は知らない。PJマウンテニアのハンドルは父が握っていた。
「以前から訊こうと思ってたんだけど」僕は父の節くれだった手を見て言った。「新製品のデモで自動車ディーラーを回ることはしょっちゅうだけど、工場長がツナギを着ている営業所なんて父さんの居たところぐらいのもんだぜ」
「別にいいじゃねえか、俺がなにを着ようと」
「母さんが言ってた。なんで工場長になってまでツナギの洗濯をしなきゃいけないんだって。あの頃はどういう意味かわからなかったけどね」
「工場長風情が偉そうに事務所でふんぞり返っていられるような大会社じゃねえんだ。オイル交換くらいすることだってあるさ。ワイシャツに飛沫でもつけて帰ったら真梨子はもっと怒ったはずだぞ」
「だったらなんで――」
「あなたのお父さんはね」後部座席から声が上がる。蒼白だった大麻さんの顔に血の気が戻っていた。「若いメカニックたちにゆっくり昼休みをとらせてあげたかったんですよ。そうですよね? 元マネージャー」
「なっ、なに言ってんだ。違う、違う!」
ルームミラーのなかの大麻さんに、父は手を振って否定する。
「どういうことですか?」
僕は振り返って訪ねた。さっきの警官同様、蚊にでも刺されたのか、彼女のふくよかな二の腕は赤く腫れていた。
「お客様のなかには電話で予約をしてくださる方もいれば、時間が空いたからと急に来店される方もいらっしゃいます。それがメカニックたちの昼休みだったとしてもお客様は待たせられない。だからマネージャー、いえ、あなたのお父さんは脇原所長が止めろと言ってもツナギを着続けていたんです。空調もない現場で頑張るメカニックたちを少しでも休ませてあげたかったんでしょうね」
「たまたまだよ、たまたま。オフィスで脇原の辛気臭い顔を眺めてるよか、現場に行ってるほうが楽だっただけのことさ」
「そうそう、フロントの杉山さんが言ってました。以前いた中央店のマネージャーはクレームが出るとその責任を全部現場に押し付けてきたのに、柘植マネージャーは工場スタッフ全員で問題の再発防止にあたろうとする。こんなひとばかりなら辞めていくメカニックの数ももっと減っただろうに、って」
「へーえ、いいとこあるじゃないか」
「そんなんじゃねえ!」
「怒らなくたっていいじゃないか、褒められてるんだぜ」
「勝手に言ってやがれ!」
照れると怒り出すのも、父は昔のままだった。
「マネ――、あの……柘植さん」僕と父の遣り取りを微笑んで見ていた大麻さんは真顔に戻って言った。「所長以下、営業スタッフ全員が食中毒なんかになっちゃって明日からうちの営業所はどうなるんでしょう」
「さあな、タヌキがなんとかするだろうさ」
「タヌキ?」
この街に住んでいた頃、川向こうの山から降りてきたのが道路で轢死体となっているのをたまに見かけたが、よもやあれに事態収拾能力があるとは思えない。
「タヌキってのはな」きょとんとしている僕に父が言った。「営業本部長のことだ」