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 脱いだ防護服を父が振ると大量の水しぶきが飛ぶ。張り付いたワイシャツが地肌を透かせ、乾き始めていた髪は塩を噴いていた。

「腹にポリタンクを抱えて両脇には長いノズル、悔しいがおまえの見立て通りだ。なにかを散布するんでなきゃあんなヘリは使いやしねえ。あ……、おい! 俺はいまとんでもないことを思い出したぞ」

「なんだ」

「先週、北陸でも食中毒で死者の出た事件があったろう」

「ああ、確か焼肉店の……」

「立ち入り検査のシーンをニュースで見ていたんだが、保健所職員が着ていたのはディスポーザブルの白衣とナイロンキャップだった。ところが今回、河川敷に来た連中は、原因もよくわかってない状況で原発作業員みたいな防護服を着てやがった。皮膚の露出にあそこまで神経質になるのは病原体がなんだかを知っていたからだとは思えねえか?」

「ふむ、そうかもしれんな」

 矢貫氏はさして驚いたふうでもない。

「そうかもしれんなって、悠然と構えてる場合かよ。さっきの副署長に電話して、これこうなんですとかなんとか報告したらどうなんだ」

「そんなことをしてなんになる」

「なんに……って、おまえ、あのタンクから毒でもめっかってみろ。容疑者が見つかったも同然じゃねえか!」

「そのヘリにせよおまえの言う防護服にせよ、状況証拠に過ぎん。運よくヘリから毒物が発見されたとしよう。入院した連中がなにに感染したのかさえ、まだわかってないんだぞ。それが同一のものだとどうやって証明する」

「鳥が大量に死んでいたから鳥インフルエンザとか」

「それは大塚も医師に訊ねた。だが鳥インフルエンザでひとが死ぬようなことはないと言われたらしい。それに動機はなんだ。死んだのがたまたま脇原と近藤だっただけで狙われたのは別人かもしれんだろう。そんな不確かな情報で警察が動くと思うか」

「だったらなんで俺にヘリ探しなんか行かせたんだよ」

 父は拗ねた子どものように口を尖らす。

「確認作業といったところだ。食中毒騒ぎを人為的に起こせるか否か、それを知っておく必要があった」

「おまえがなにを考えなにをやろうとしてるのか、俺にはさっぱりわからんよ」

「知りたいか? 教えてやってもいいが、その場合、途中下車は許さん。目的を達成するまでとことん付き合ってもらうことになるぞ」

「上等じゃねえか。だけど俺に協力を頼んだせいで不時着することになっても知らねえからな」

 父がぐいと身を乗り出し、矢貫氏はふっと笑う。

「庄司がシティクルーザーに乗っていたのは知ってるな」

 サンライズ自動車製の小型SUVのことだ。

「ああ……。きっともうバッテリーも上がってる頃だな」

「あれの扱い店であるサンライズサニーにバッテリー交換依頼の電話があった。親戚を名乗る女の声だったそうだ。車はもう庄司宅のガレージにはない」

「さっき身寄りはないって言ったじゃねえか」

「うちの親会社伊能ホールディングスの傘下には情報サービス専門の企業がある。そこの調査によれば亡くなった庄司の両親に兄弟はない。そして庄司はひとり息子、これを世間では身寄りがないと言わないか」

「まあ……、言うかもな」

「三枝紀子という名の旧家のひとり娘がいた。女子大に通っていた頃、妻子ある男と不倫関係になって子どもを産んでいる。娘の心情より家名を重んじた父親剛毅は産まれてすぐの赤ん坊を里子に出す。使用人夫婦に多額の金を持たせ、できるだけ離れたところで生活するよう命じた」

「なんだか昼メロみたいな展開になってきやがったな。読めてきたぞ、その赤ん坊が庄司だったってことだな」

「うむ」

「うちの会社はそんなところまで調べるのかよ」

「あいつは問題行動が多かったからな。脇原が試乗車でショールームに突っ込んだ件、あれも庄司の仕業だろう」

「知ってたのか……」

「メーカーが開発した制御プログラムにバグを見つけ出すような男だ。そのくらいできて不思議はないさ。話を戻すぞ、これは想像でしかないが、四十路を前に結婚もせず独りでいる息子を不憫に思った戸籍上の母親が、臨終の床で出生の秘密を語ったのではないかと思う」

「おまえなんか五十にもなってひとりもんじゃねえか」

「おまえもな」

「ぎゃははは、おあいこか。それで庄司は逢いに行ったのか? 本当のおふくろに」

「ああ、ところが――」

「待て、河岸を変えよう」

 サッカーコートには放課後の少年たちが増え、あちこちで黄色い声が上がり始めていた。

「喫茶店でする話ではないぞ」

「堤防の反対側にコンビニがある。そこで車を停めて話そうぜ。なんだか無性に喉が渇いてきやがった」

「おい、まさか、おまえ……」

 矢貫氏の表情が翳る。

「よせやい、裕美ちゃん……大麻君だって入院しちまったんだぞ。なにかに感染したのなら俺だってとっくに寝込んでらあ」

「それもそうだな。よし、移動しよう」

 父の歯の本数を知らない矢貫氏は提案に同意した。


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