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灰皿が着いてないベータでの喫煙を矢貫氏に咎められ、父は車を降りた。大急ぎでタバコを一本吸うと鼻から紫煙を吐きながら車内に戻る。
「それで?」
「庄司が実のおふくろに逢えたのかってところだったな」矢貫氏は迷惑そうに煙を手で払う。「逢えたようだな、結果的には」
「なんだ、その奥歯に物の挟まったような言い方は」
「考えても見ろ。体面のために実の孫を里子に出すような祖父だぞ。三枝家を訪ねた庄司は何度も門前払いを喰らっていた。使用人夫妻が去ってすぐ鶴舞県に嫁いでいた娘の居所を教えれば先方にわざわざ波風を立てさすようなものじゃないか」
「じゃあ、どうやって庄司は実母の居所を突き止めたんだ」
「庄司には種違いの妹がいた。池田里佳子二十九歳だ。武蔵市にある厚労省の研究機関に勤務していたが、都会での独り暮らしを心配した両親は紀子に実家に住まわすことにした。母親の房子は糖尿病の悪化で視力を失って入院中、剛毅の面倒を見させるにもうってつけだった。ある日のことだ。里佳子は何度門前払いを喰わされても訪ねてくる庄司を追いかけて事情を訊いた」
「庄司の存在を知らされてなかったのか」
「俺もその場に居たわけじゃないから正確なことはわからんが、里佳子はひどく驚いた様子だった、と調査員報告にある」
「ってことは、妹が母親に逢わせてくれたのか」
「そのようだ」
「お涙頂戴のシーンってわけだな」
「ところが庄司は紀子に歓迎されなかった。むしろ煙たがられたと言っていい。旦那は地方銀行の副頭取。何不自由ない生活を謳歌していたところに、四十年近く経って突然あらわれた息子は、自分を妊娠させ捨てた男の面影を宿していた。当然と言えば当然の反応かもしれんな。旦那が帰ってくる前に、と庄司はさっさと追い帰されることになる。だが、そんなあいつを気の毒に思った妹とは交流が深まっていった」
矢貫氏が父に見せたのはプロポ――ラジコンの操縦機――を手に、仲睦まじい恋人のように語らう男女の写真だった。父の眉がぴくりと動く。
「これが里佳子か?」
「そしてこれだ」
写真に続いて矢貫氏がアタッシェケースから取り出した紙片には、新聞記事の切り抜きと、3センチ×4センチ程度のテレビゲーム機で使うメモリーカードみたいなものがセロハンテープで貼りつけられていた。
「なになに、二十五日午前十時半ごろ、北区扇の首都高速道路で死亡事故? なんだこりゃ」
父は切り抜きをひらひらと振った。
「いいから読んでみろ」
「乗用車の男性運転手(64)は病院に搬送されたが、外傷性ショックで死亡した。
警視庁第六方面交通部によると、現場は首都高速道路本線上の大きなカーブで、上り車線を走っていた乗用車は降り出した雪でスリップしたと見られ、ガードレールに激突して追い越し車線に弾き出されたところ、後続の大型トラックやバスが次々に追突したと見られる。トラック運転手は、乗用車はカーブを目前にして急に速度を上げたように見えた、と証言しており、乗用車の運転手がアクセル操作を誤った可能性も考えられている。この事故の影響で、首都高速上り線は新川橋、扇間で四時間に渡って通行止めに――って、読んでもわかんねえぞ」
「死んだのは国立感染症研究所の所長、藤澤徹。認知してはいないが庄司の父親だ。往時、厚生省の役人だった藤沢は出向先の大学で三枝紀子と知り合っていた」
「不倫関係ってくらいだから、そん時にはもう藤澤は結婚してたんだよな? でもって女子大生に手を出すたあ、ふてえ野郎だな」
矢貫氏は無言で父を見る。「あ、いや……その、なんだ」自らを省察したようで父は頭を掻き毟った。
「近年、露骨な天下りは世間の目がうるさい。厚労省の高級官僚だった藤沢は、民間で二年間のクッションをおいてそこの所長に就任した。驚くなよ、国立感染症研究所には主任研究員として池田里佳子が働いていた」
「なんとも奇妙な偶然だな」
「そして藤澤が運転していたのは自家用車のベータだ」
「なんだと? そいつはおかしいぞ」
「どこがだ」
「ベータにはプリクラッシュセーフティシステムが搭載されているんだぞ。ミリ波レーダーがガードレールを感知した時点で予備制動がかかってこんな事故にはならねえはず――あっ!」
父はなにか思いついたような顔になる。
「どうした?」
「降雪がレーダー自体を覆っちまえば働かねえか……」
「さすがは柘植、ブランクを感じさせない鋭さだな。販売店に調査を依頼されたメーカーでも同様の見解を示したそうだ。だが、天候など関係なかった。これがなにかわかるか?」
矢貫氏は先ほどのメモリーカードみたいなものをつまみ上げる。
「プログラムカートリッジみたいに見えるが……、ラベルがないな」
「正解だ。庄司のデスクを整理した者が引き出しの裏に貼り付けられていたのを見つけた。走り書き一枚残さずに死んだ庄司の遺書だと考えた俺はメーカーに調べてもらうことにした。五日後、HVシステム開発課、モーションコントロール制御グループのトップがすっ飛んできたよ」
その気になれば任意の地点でブレーキとハンドルを効かなくすることだってできる――父の脳裏を過ったのは庄司さんの言葉だったのではないだろうか。エアコンをかけっぱなしの車内で、一度は乾いたはずの父の背中はじっとり汗をかいていた。




