第二十二話
学食に到着すると、適当に席に着く。
「じゃあとりあえずいただきましょうか」
「うん。いただきまーす」
いろいろ時間をとられてしまった。何はともあれ、食事をしなければ昼休みが終わってしまう。亜子も弁当箱を開くと、おかずに端をつけた。
「そういえばさっき誠也に話しかけていたけど、何してたの?」
いきなり口を開いたのは隼人だった。教室の外から見ていて、気になったのだろう。
「あぁ、確かに。あたしも気になった。笹原も誘ってたの?」
「うん。誘ったら来てくれるかなって思って」
歩美は笑顔で答えるが、その笑顔にいつもの勢いがない。今回のことは、多少堪えたのかもしれない。
「で、脈ありな感じだった、わけないよね。その様子じゃ」
「うん。驚いてはいたけど、取りつく島もないって感じだった」
「そっか……。あたしたち嫌われちゃったのかな?そんなに無理強いしたつもりはなかったんだけど、笹原はそんなに嫌だったのかな?」
嫌がってはいた。どんなに都合よく考えても乗り気だったとは思えない。それでも最後まで付き合ってくれたのは、自分自身で言った言葉に対するけじめだろう。隼人が一人前と認められた今、そのけじめをつけた、というだけの結果を残した。これで誠也は大手を振ってファンクラブから足を洗うことができた。
一度は止めることができた。それを思いとどまらせることができたのは、誠也のけじめによるところが大きい。それがなくなった今、誠也をファンクラブに留めることは難しいだろう。
しかし、今回はただ昼食に誘っただけ。それなのに拒まれた理由はなんだろうか、と考えているのかもしれない。
「一緒に昼食べたら、またしつこく勧誘されると思ったんじゃないの?」
これが必ずしも真実とは思っていないが、亜子自身はそれほど深く考えていなかった。
「わ、私、そんなにしつこかったかな……」
「気にする必要ないって。それより何で笹原の話してんのよ。今日はそのために集まったわけじゃないでしょ」
若干気落ちした雰囲気だった歩美と絵里がはっとした表情をした。
「あぁ、確かにそうだったね」
「しっかりしてよ。主催者でしょ」
「はいはい。すみませんね」
適当に謝り、絵里がいつもの調子を取り戻す。最近みんな誠也のことを気にしすぎである。隼人に興味がない亜子のことを言えないと思う。
「今日の趣旨って何?」
一人、集まった理由を知らない隼人が疑問を呈す。
「うん。今日は親睦会だね」
「親睦会?」
「そう。これから四人でやっていくわけだから、もっと仲良くしようっていう話」
隼人が一瞬呆ける。昼食食べているところに、いきなり呼び出されてそんなことを言われたら、しょうがないと思う。ましてや、
「主に斉藤と、亜子がね」
こんなことを追い討ちのように言われてしまっては、状況が理解できないだろう。とはいえ、『亜子があんたに興味なくてね』と説明されても困ってしまうのだが。
「俺と、あ、亜子ちゃんが仲良く?」
「そうそう。あんたは、いわば亜子の親衛隊隊長なわけ。二人にはもっと信頼関係を築いてもらわないと、ファンクラブとしても困っちゃうわけよ」
「二人が仲良くないと、みんな不安になっちゃうしね」
ノリノリなのは絵里と歩美だけだ。とはいえ、亜子がここで憮然としていては隼人が不振がるだろう。亜子も何か言わないといけないと思い、
「そういうこと。あたしとあんたの関係は、まだ知り合いどまりなの。これからステップアップする必要がある。少なくとも周りが認めてくれるくらいには、ね」
「……えっと」
二の句が継げなくなってしまっている。いきなり言われても呆気にとられてしまう気持ちも分かるが、何か言ってもらいたい。
「そういうことだから。これからはもっとあんたに話しかけるから」
これは半分自分にも言い聞かせていた。
「え、あ、はい!こちらこそ、よろしく!」
ようやく返事をした隼人は喜色満面だった。何がそんなに嬉しいのだろうか。隼人は、誠也とは違った方向で理解できない。こうして素直に自分の感情を表現して、そして驚くほど張り切りだすのだ。影武者を頼んだ時もそうだった。しかし、今日に限ってそうはならなかった。
「………」
口角泡を飛ばさん勢いで返事をした直後、なぜか隼人は黙り込んだ。
「どうしたの?」
うつむいている隼人の表情を覗き込む。何か思いつめたような顔をしていた。そして、
「亜子ちゃん、昨日放課後どこにいた?」
顔を上げ、口を開いた時には、何かを決意したような表情になっていた。
「昨日?ファンクラブの会場に写真お願いしに行って、そのあとはぶらぶらしてたけど、何で?」
「会場の最寄駅の喫茶店にいなかった?誠也と一緒に」
「え?」
何で隼人がそんなことを知っているのだろうか。
「いたけど、あんたもいたの?」
「え?何、あんた、ちゃっかり笹原と逢引きしてたの?」
真剣な様子の隼人とは打って変わって、思い切り楽しそうな雰囲気で絵里が割り込んできた。これは面倒なことになってしまった。しかし、きちんとした言い分がある。
「してないって。逢引きとか言うな!」
「じゃあ何で笹原とそんなところでお茶してたのかな?」
「たまたま会っただけだって」
「たまたま会った?あの駅で?そりゃ都合よすぎじゃないかい?」
「うん。それにたまたま会っただけならお茶する必要なかったんじゃないかな?」
歩美が絵里を援護する。相変わらず触れられたくないところを突いてくる。自分で言っていても嘘くさく感じてしまうのはなぜだろうか。しかし、これは本当のことだ。お茶した理由もしっかりしている。
「本当だから。それに忘れたの?」
「何を?」
「絵里と歩美が、笹原説得しといて、って言ったんでしょ。喫茶店に入ったのはそのため」
「え?あぁ、そういえば……」
「そんなこと、言ったような言ってないような……」
やはりそこまで確固たる意志を持って頼んだわけではなかったようだ。話半分に聞いといてよかった。話を真に受けて、誠也を本気で説得していたらバカを見るところだった。そうせ説得できなかったと思うし。
「で、あんたがどうして知ってんのよ」
亜子は盛大にため息をつき、話を元に戻す。
「あんたもあの場にいたの?」
「いや、俺が見たのはこれだよ」
隼人はおもむろに自分のケータイの画面を見せた。ケータイを受け取ると、亜子はその画面を見た。それはどうやら写真のようだが。
「あぁ、これ……」
一目見て、すぐに思い当った。
「ここに写っているの、亜子ちゃんと誠也だよね」
「え?どういうこと?あたしにも見せて」
亜子から素早くケータイを奪い取ると、絵里も画面に表示されている写真を見る。
「あー、本当だ。二人で何しているの?勉強?」
まさしくその通りだ。写真には亜子と誠也が写っている。二人は向かい合って座り、テーブルの上に広げられた本だかノートだかを見ている。写真では分かりにくいが、当事者の亜子は一瞬で理解できた。
「これ、何?」
短い言葉で隼人に質問を投げかける。
「これは俺がファンクラブのホームページで見つけた」
「掲示板に上がっていたの?」
「うん」
「アップしたの誰だか分かる?」
「次に見たときには消されていたよ。名前まではちょっと……」
アップされていた時間はどれくらいだろうか。これは昨日の放課後の話。夕方から夜にかけての時間帯が、一日の中一番ネットを見る時間といっても過言ではない。どれだけの会員がこれを見ただろうか。
「…………」
正直油断していた。見られるかもしれない、とは考えていたが、まさかホームページの掲示板にアップされるとは考えていなかった。
「うーん、そんなに気にしなくて大丈夫じゃない?」
楽観的な発言をするのは、絵里からケータイを受け取った歩美である。
「正直これだけじゃ個人を特定することはできないでしょ。画像も粗いし、亜子ちゃんも笹原君も横顔でしかもうつむいているし」
「確かに、二人と知り合いのあたしたちなら分かるかもしれないし、言われてみればそうかな、って思うけど、そこまで鮮明な画像じゃないと思うよ」
歩美の発言を受け、絵里も賛同する。二人が言うなら、少しは信じてみてもいいかもしれない。
「あんたはどう思う?」
亜子は当事者だ。これを客観的に見ることはできない。実際にネット上で見つけた隼人はどう思っているのだろうか。ある意味、隼人の発言が一番生の声に近い。
「確かにあまり鮮明な写真じゃないけど、」
と言葉を区切ってから、
「写真をアップした人物は間違いなく亜子ちゃんだと確信していると思うし、ファンならこれで分かるかもしれない。誠也のほうも、一時期噂になったし……」
至極もっともな話である。過去に何度か噂になっている。その度に否定し、回避してきたが、この写真を見てまず思い浮かぶのは誠也のことだろう。
「とりあえずあたしも警戒してみる。まずはアップした人物を特定してみるよ。あと、またアップされることがないように注意する」
「うん、そうだね」
過ぎたことに対して、深く悩んでも仕方がない。これからどうするか、考えることに意味がある。今後何が起こり得るか。起こったことに対して、どう対処すべきか。今はそれを考えよう。
「しかしまあ、ファンという連中は本当に厄介だね。ファンクラブ作って大人しくしてたと思ったら、幹部を発表しろ。幹部発表したら今度は恋人探し。挙句ストーカーまがいのことまで。面倒な連中だね」
「ごめん、迷惑かけて」
「悪いのは亜子じゃないでしょ。それにしてもこれじゃいつになったら亜子も恋ができるのやら……」
「あたしは当分恋なんてするつもりないけど」
「それじゃダメでしょ。あんた、今は華の女子高生なんだよ。今青春しないで、いつするのよ」
話がずれてきている気がするけど、迷惑をかけているという罪悪感から強く出ることができない。おそらく亜子がそう感じていることを踏まえて、あえて軽い雰囲気を演出しているのだと思う。
「そうだね、せっかく気になる人もできたのに」
「ちょっと歩美?何の話しているの?」
「もちろん、亜子ちゃんと笹原君の話だよ」
気遣ってくれるのはありがたいが、こっちの話題のほうが面白くない。
「あのね、あたしと笹原はそんな関係じゃないから」
「じゃあ何で勉強してたのよ。あれはどういう意図があったの?どうせ、亜子から言い出したことなんでしょ」
どうせ、などと言われると、無性に腹が立つ。間違っていないところも、さらに腹が立つ。まあ、誠也がそんなことを言っているところは、亜子にも想像できない。逆の立場だったら、亜子も同じに考えていただろう。
「別にやましいことなんてない。ただ、あたしはあいつに借りを返したかっただけ。あいつ、数学苦手とか言ってたから……」
歯切れが悪くなるのは、亜子が無理矢理言い含めたから。最終的には、もはや脅迫といっても過言ではない状態だった。ただ、それを言ってしまったらますます亜子の立場がなくなるので、間違っても言わないが。
「へえ、亜子が笹原に勉強教えてあげてたんだ」
「そこまで行くと、噂もあながち否定できないかもね」
「だから、やましい気持ちは一ミリもないんだって」
苦しい言い訳のようになってしまうのはなぜだろうか。これは本心だ。誠也も言っていた。あくまで亜子と誠也の関係は貸し借りでしかない。仲がいいわけでも、建設的な関係を築こうとしているわけでもない。
「あの、」
どんどん話が逸れ、それにつれてテンションが上がる姦しい二人の間に割って入ってきた隼人。こんな下らない会話をしているにもかかわらず、未だ真剣な表情をしているのが気になる。
「何よ」
「誠也は何か言ってた?」
「何か、ってたとえば何について?」
もし、昨日の勉強会についてだったら、非常に答えたくない。亜子が無理矢理勉強教えていた、なんて事実が分かったら、絵里と歩美は今以上に食いついてくるだろう。今でさえエンジンがかかり始めているというのに、しかし、
「えっと、亜子ちゃんとの噂について」
どうやら隼人の聞きたいことは別のことだったららしい。とりあえずほっとしたが、今度は亜子が気になることがある。
「その質問に答える前に、聞きたいんだけど、」
「な、何?」
「何で笹原本人に聞かないの?」
「え?」
これは当然の質問である。隼人は以前から亜子とは話しづらそうにしている。今では多少ましになったが、それでも絵里や歩美と比べて、まだ緊張した素振りが見える。そんな亜子に聞くより、誠也本人に直接聞くほうがはるかに聞きやすいだろう。そのほうが信憑性も上がる。
「えっと、それはほら、亜子ちゃんに言った言葉が知りたいんだよ。直接はもう聞いているから」
「なるほど」
それは盲点だった。ただ、なぜ直接と間接、両方の意見を聞く必要があるのか、今度は別の疑問が降ってわいた。隼人がここまで気にする理由はなんだろうか。
「えっと、あー、あいつはかなり気にしていたわね。相席した瞬間、かなり嫌がっていたから」
「嫌がっていた?笹原君が?」
「へえ、意外。あいつならそんな噂全く気にしないと思ってた」
亜子もそう思っていた。誠也が周りの目とか世間体とか気にするような人間には見えなかった。だから、誠也が噂になることに対して敏感だったことは、少なからず驚いた。その理由も聞いてみたが、最終的にはぐらかされてしまった。結局答えは分からずじまい。もしかしたら、隼人なら分かるのだろうか。
「あんた、どう思う?」
「そうだな、誠也ならそうだろうと思ってたよ」
やはり付き合いの長い隼人には理解できる行動だったらしい。しかし、
「でも、今となってはちょっとよく分からないな。どれが、誠也の真意なのか」
たった今肯定したことを否定した。二人の間に何かあったのだろうか。二人は今日昼食を共にしていなかった。それも関係しているのだろうか。おそらく、どちらに聞いても答えてくれないだろう。
「で、あんたは何が聞きたかったわけ。あたしに笹原の反応を聞いた理由は?」
「あぁ、えっと、亜子ちゃんは誠也と距離を置いたほうがいいんじゃないかな?少なくとも噂が消えるまで。いや、噂は何度も出たり消えたりしているから、しばらく誠也と関わらないほうがいいのかも」
「はあ?」
「ほら、こうして誠也との写真がいろいろ問題のタネになっているでしょ。誠也もどこか迷惑がっているようだし、少し関係を見直したほうがいいんじゃないかな?噂が出るたび隠していると、周りもどんどん疑うと思うんだよね。二人は何かあるんじゃないか、ってね」
「…………」
一理あるのかもしれない。確かにこれ以上、誠也に迷惑かけるのは避けたい。誠也が嫌がっているならなおさらだ。誠也はファンクラブをやめた。だから、意識的に会わなければ自然と接触は減るはず。亜子と誠也の思いが一致するなら、それはほとんどゼロにできる。しかし、
「笹原と接触を控えるのは全然構わないけど、あんた、何でそんなに必死なのよ」
隼人の態度が気に入らなかった。亜子のためでも誠也のためでもない。他の何かのために必死になっているような感じがした。今の二言は、隼人と会ってから一番長いセリフだったと思う。
「え、お、俺は二人の身を案じて……」
「ちょ、ちょっと亜子ちゃん落ち着いて」
その不信感を拭い去るべく、さらなる追及をしようとしたとき、歩美に割って入られた。
「そうそう。亜子、ちょっと怖いよ。斉藤だって怯えている」
「いや、でも、」
「べ、別に怯えてないよ」
「とにかく、今は親睦会なんだ。いがみ合うのはやめよう。笹原との関係は亜子に任せよう。あたしはそこまでしてファンクラブをたてる必要はないと思ってる。有名人と違って、ファンに支えられているわけじゃないし」
それはそう思う。ファンは、亜子にとって正直迷惑でしかない。だが、絵里や歩美を巻き込むこととなれば、話は別だ。二人が迷惑をこうむるようなら、ここは黙って大人しくしようと思う。むろん、誠也や隼人に対しても、だ。
「一先ず、この話は終わり。時間もあまりないけど、会食しましょう。もちろん、普通の話題でね」
またしても誠也と距離を置くことで、話はついた。しかし、もう何度目になるのだろうか。結局この策は一時的なものでしかない。それこそ誠也と縁を切らなければ。噂されるのは、今回で三度目。いいたとえではないが、『三度目の正直』というし、大ごとにならなければいいのだが。