02 結婚式の闖入者
礼拝堂から出ると、空は綺麗に晴れ上がっていた。空気が澄んでいて、遠い山の稜線までくっきりと望むことができる。
緑の丘陵地には白い点がいくつも集まって見えた。ここに来た時に、あれは羊だと教えてもらった。
あの羊毛から作った毛糸はどんなものだろうと、ラウラはわくわくしたものだった。
そんなラウラの背中を押すように鐘が鳴る。
結婚を祝福する特別な鐘だ。結婚した者の身分によってその回数は異なり、領主のそれともなれば鐘の音は永遠に続くかのように打ち続けられる。
式に参列した人々は、顔を引きつらせつつもラウラに祝いの言葉をくれる。
新郎が欠席しているのだからそれも当然か。もっとも従姉妹のヘレナなどは、なんて哀れな花嫁だろうとさっきから嬉々として泣き真似をしている。
泣いているのに喜んで見えるというのもおかしな話だが、長い付き合いなのでラウラには彼女がどれほど上機嫌でいるのか手に取るように分かった。
一歩間違えばここに立っているのはヘレナだったのだ。心なしか彼女の両親も、本当の娘を嫁がせなくてよかったと安堵しているように見える。
「その結婚、待った!」
そんな中、ラウラを囲む参列客がにわかに騒ぎ始めた。
騒ぎの発端はどうやら、この祝いの席に思わぬ闖入者があった様子だ。
見ると、人垣が割れてきれいに道を作っていた。何人かの貴婦人が悲鳴を上げて倒れこむ。
そこに現れたのは、黒い騎獣に乗った黒衣の騎士だ。そして彼がまとう鎧には、べっとりと赤黒い血がついている。ラウラのまとうドレスとは対照的な、恐ろしい存在感だ。
これにはさすがのラウラも息をのんだ。
新郎なしの結婚式をなんとかこなした彼女にも、さすがにこの展開は予想外だったのだ。
騎士がこんなところに何の用だと思うが、思い返してみれば彼は先ほどこの結婚に待ったをかけなかったか。
ラウラは思わず相手を凝視する。
騎士は参列客の動揺にも構わず落ち着いた動作で騎獣から降りると、鎧の重さなどないかのように足早にラウラに近づいてきた。
その姿はまるで、人の命を刈り取る死神かのようだ。
逃げることもできず、ラウラはごくりと息をのむ。
そして血の匂いがありありと感じられるほど目の前までやってくると、男はおもむろに兜を脱いだ。
現れたのは、白い肌に印象的な金の目を持つ、黒髪の男だった。顔の造形は驚くほど整っていて、まるで絵画から飛び出してきたかのようだ。
だが絵画と言っても、正体が血まみれの騎士ではたちまち怪奇物になってしまう。
見覚えのない相手にラウラが反応できず固まっていると、参列客からは驚きの声が上がった。
「ジークヴァルト様!」
その名前は、知っている。先ほど調印した結婚契約書に、あらかじめ記されていた名前だった。
つまりこの血まみれの騎士こそ、ラウラの結婚相手であるジークヴァルト・シュトラウスに違いなかった。
男たちは集まり、反対に女たちは恐れおののいて逃げたり気を失ったりしている。
にわかに騒がしくなった人垣の中心で、ラウラは自分こそ気を失ってしまいたいとちょっと思った。
血まみれの新郎が登場したことにより一時場は騒然となったが、シュトラウス家お抱えの騎士団長という人がやってきて、嫌がるジークヴァルトを無理やり回収していった。
一体何が何やらという感があるが、その場にいた人々はとりあえず落ち着いたように見える。
「あの血はなに? 本当におそろしかった」
小動物よろしく、ヘレナはお気に入りのドレスを着てぶるぶると震えていた。
その姿は庇護欲を誘うらしく、彼女は参列していた若い男性たちに囲まれていた。
たくましい彼女なら、親の紹介などなくても自分で結婚相手を見つけてきそうだなと、ちょっと思った。
そんな彼女のバイタリティを、少しは私も見習うべきかもしれない、とも。
私ももう、二十一歳になる。
世間的には行き遅れと思われても仕方のない年齢だ。
ずっと趣味のアクセサリー作りに夢中になっていたが、伯父に無理やりにでも結婚させられたのはある意味よかったのかもしれない。
「何をそわそわしているの」
その時、話しかけていたのは式に参加していた母だった。
父は仕事が忙しく来られなかったが、母はこの結婚式に参列するため辺境伯領まできてくれたのだ。
そんな母の顔には、娘に対する哀れみと呆れがないまぜになっていた。
「ねえラウラ。今からでも、本当に嫌だったら……」
どうやら先ほどの一幕を見て、この結婚に不安を覚えたらしい。
周囲の人間を気にしているのか、声を潜めて言う。
何を今更。貴族同士の結婚がそう簡単になかったことになるはずがない。
「どうにもならないわよ。相手は貴族様なんだから」
自分でも思っている以上に、平気そうな声が出た。
よかった。これならなんとか母を納得させられそうだ。
「でも……」
「母さんは、私が追い出されないか心配しておいた方がいいわ。なにせさっき初めて会ったんだから。私なんかをお気に召すかどうか」
わざとおどけて言うと、母は困ったように笑った。
「もし追い出されたら、遠慮なく帰ってきなさい」
そうささやいて、母は離れて行った。
一応養子に出された娘なので、必要以上に関わって本家筋の不興を買うのは避けねばならない。
それでも最後の一言は、母なりの私への励ましだろう。本気にして帰ったりしたら絶対面倒なことになるのに、それを分かっていても声をかけてくれたのは正直ありがたい。
でもだからこそ、そんな母に甘えることはできないなと思う。
私は私なりに、与えられた環境で頑張るしかないのだ。
更に付け加えると、私はこの結婚をそれほど悲観してはいなかった。
なぜなら初めて見たジークヴァルトの姿に、興奮を覚えたからだ。
彼の鎧は血で汚れていた。その量や色から見て、おそらく人間の血ではない。辺境に棲むという魔獣の血で間違いないだろう。
母がそわそわしていると評したのは、真実だった。さすが実母としか言いようがない。
私はジークヴァルトがなにがしかの魔獣を仕留めた後なのだと気づき、興奮したのだ。それはさっそく狩られた魔獣の素材を見ることができるかもしれないという喜びからだった。
ずっと王都暮らしで辺境での魔獣の出没頻度が分からなかったのだが、こっちにきてすぐに討伐があったということは、魔獣とはかなりの頻度で出没するものらしい。
勿論そんな土地に暮らすのは大変だろうと理性は言うのだが、私の本能は早く狩られた魔獣から素材を物色したいと叫んでいた。
今ならまだ、解体される前の魔獣が見られるのだ。
魔獣は個体ごとにそれぞれ特徴を持つという。中には死ぬと血が固まって宝石になる個体までいるというのだ。
ジークヴァルトが騎士団長に引きずられていったのは、ある意味幸運だったかもしれない。
そうでなければ、私は大勢の前で彼に詰め寄っていただろう。今魔獣の死骸はどこにあって、どこで解体されて領内ではなにを利用しているのかまで詳しく。
その衝動をこらえて、参列客に向けて必死に笑顔を向ける。
さすがにそんなことをしたら、周囲にドン引きされてしまうだろうという分別くらいは私にもあるのだ。
結局挨拶を終えるまで多くの人から同情の視線を向けられたが、私は何とか本性を晒すことなく結婚式を終えることができた。




