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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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最終話 観察は終わらない


王城は、いつ訪れても静かだった。


高い天井。


磨き上げられた大理石の床。


窓から差し込む午後の日差しが、長い廊下へ柔らかな光を落としている。


私はアルベルト様の隣を歩いていた。


少しだけ緊張している。


それは、この城へ来たからではない。


陛下が、


「話しておくべきことがある」


そう書いてきたからだった。


案内された部屋へ入ると、国王は一人で待っていた。


豪奢な玉座ではなく、小さな応接室。


王ではなく、一人の老人として私たちを迎えてくれる。


「よく来た。」


私たちは礼をする。


「面を上げよ。」


陛下は穏やかに笑った。


「今日は堅苦しい話ではない。」


そう言うと、紅茶を勧め、自らも椅子へ腰掛ける。


「リリアーナ。」


「はい。」


「ずっと疑問だったであろう。」


「なぜ、お前だったのか。」


私は静かに頷いた。


男爵令嬢である私が、公爵家へ嫁いだ理由。


王命で結婚させられた理由。


その答えが、ようやく聞ける。


陛下はアルベルトを見た。


「アルベルト。」


「覚えておるか。」


「十年前の戦を。」


アルベルト様は静かに頷く。


「あの頃のお前は、勝つことしか考えておらんかった。」


「……はい。」


「だから皆はお前を英雄と呼び、同時に恐れた。」


陛下は小さく息を吐く。


「だが、わしは知っておった。」


「お前は冷たい男ではない。」


「優しすぎる男だ。」


部屋が静まり返る。


「優しい者ほど、自分を責める。」


「守れなかった命を、いつまでも抱え続ける。」


アルベルト様は何も言わなかった。


「そのままでは、お前はいずれ壊れる。」


陛下は私を見る。


「だから、必要だった。」


「勝たせる者ではなく。」


「救う者が。」


私は驚いて顔を上げた。


「私は……。」


「何も特別なことは。」


陛下は笑う。


「しておる。」


「お前は嘘を暴く。」


「だが。」


「人を裁くためではない。」


「人を救うために。」


私は言葉を失った。


そうだったのだろうか。


私はただ、観察していただけだと思っていた。


人を見て。


話を聞いて。


嘘の向こう側にある本当の気持ちを知ろうとしていただけだ。


「アルベルト。」


陛下は静かに言う。


「今なら分かるであろう。」


アルベルト様は私を見た。


その視線は、初めて会った日の冷たさとはまるで違っていた。


柔らかく、穏やかで、どこか照れくさそうだった。


「……ああ。」


短く答える。


「分かります。」



王城を出た頃には、夕日が街を黄金色に染めていた。


帰り道。


私たちは馬車ではなく、城から屋敷までの道をゆっくり歩くことにした。


風が心地よい。


石畳を並んで歩く。


言葉は少ない。


それでも、不思議と沈黙は苦にならなかった。


やがてアルベルト様が立ち止まる。


「リリアーナ。」


「はい。」


私は振り返る。


「一つ。」


「謝らなければならない。」


私は首を傾げた。


「何でしょう。」


アルベルト様は、少しだけ空を見上げた。


「結婚した日。」


「私は言った。」


『君を愛することはない。』


その言葉が、静かな夕暮れへ溶けていく。


「私は。」


「君を傷つけないために言ったつもりだった。」


「期待を持たせないことが誠実だと思っていた。」


私は黙って聞いていた。


「だが。」


アルベルト様は苦く笑う。


「間違っていた。」


「君は傷つかなかった。」


「その代わり。」


「私自身が、その言葉に縛られた。」


私は何も言えなかった。


「君は。」


「毎朝笑って。」


「猫を見つければ私を呼び。」


「屋敷の者を笑わせ。」


「私まで笑わせた。」


「気付けば。」


「君がいる毎日が当たり前になっていた。」


風が吹く。


木々が静かに揺れる。


「だから。」


アルベルト様はまっすぐ私を見た。


「訂正させてほしい。」


その声は震えていた。


戦場で恐れられた公爵が。


今は、一人の男として立っている。


「私は。」


「君を愛することはない。」


「そう言った。」


「……あれは嘘だった。」


長い沈黙。


私は胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


「本当は。」


アルベルト様は照れたように笑う。


「もう、とっくに。」


「愛している。」


私は思わず瞬きを繰り返した。


何と言えばいいのか分からない。


観察ノートにも、この状況は書いていない。


しばらく考えて。


ようやく口を開いた。


「アルベルト様。」


「何だ。」


「観察結果が出ました。」


アルベルト様が吹き出す。


「最後までそれか。」


「はい。」


私は真面目に頷く。


「大型猫だと思っていましたが。」


「違いました。」


「違うのか。」


「はい。」


私は少し笑う。


「優しい旦那様でした。」


その一言に、アルベルト様は目を丸くした。


旦那様。


私自身も言ってから気付く。


「あ……。」


頬が熱い。


言い直そうとした瞬間。


アルベルト様が、そっと私の手を握った。


「そのままでいい。」


私は小さく頷いた。


「……はい。」


夕焼けの中。


二人でゆっくり歩き始める。


もう観察対象ではない。


私の隣を歩く、大切な人。



数日後。


私は机に向かっていた。


革張りの観察ノート。


最初のページには、


『観察対象 アルベルト・フォン・ローゼン公爵』


と書かれている。


私はペンを取り、少し考えた。


そして、その文字へ一本の線を引く。


新しく書き直す。


『観察対象』


ではなく。


『家族』


少し違う。


また線を引く。


考える。


そして、最後に書いた。


**『愛する人 アルベルト』**


私は満足してノートを閉じた。


観察は終わったのだろうか。


いいえ。


たぶん終わらない。


好きな人は、昨日と今日で少し違う。


今日と明日でも、きっと違う。


だから。


これからも新しい発見は続いていく。


最後のページへ、小さく書き添える。


---


**最終観察記録**


観察対象は、観察対象ではなくなった。


理由。


好きになってしまったから。


なお。


好きな人の観察は、一生終わらないらしい。


追加観察を要する。


永遠に要する。


---


春風が窓を揺らす。


庭では白猫が気持ちよさそうに伸びをしていた。


私は笑って席を立つ。


「アルベルト様。」


返事はすぐに聞こえる。


「どうした。」


「猫さんです。」


「……行こう。」


二人で庭へ向かう。


並んで歩くその背中を、屋敷の使用人たちが微笑ましく見送っていた。


長かった観察の日々は終わり、新しい毎日が始まる。


けれど、その毎日はもう、孤独ではない。


――完――


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