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冷徹公爵の観察日記をつけていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 冬眠前


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第1話 「君を愛することはない」と言われたので、観察することにしました


「君を愛することはない。」


結婚初日の第一声としては、なかなかに衝撃的だった。


私は目の前に立つ夫――アルベルト・フォン・シュタイン公爵を見上げた。


銀色の髪。


氷のような青い瞳。


整った顔立ち。


そして、まるで感情を置いてきたかのような無表情。


王国北部を守護する若き公爵にして、社交界では『氷の公爵』と呼ばれる人物。


そんな人が、今日から私の夫になる。


もっとも。


「愛することはない」と宣言した本人が、どう思っているのかは分からないけれど。


少なくとも私は、そこまで傷ついてはいなかった。


「そうですか。」


「……驚かないのだな。」


「驚きましたよ?」


「そうは見えない。」


「表情に出にくいだけです。」


本当は少しだけ出ていたかもしれない。


でも、それ以上に。


私は別のことが気になっていた。


彼は先ほどから、一度も私と目を合わせていない。


視線が微妙に右へ左へと動いている。


私の肩の辺り。


後ろの壁。


窓の外。


そしてまた壁。


……なるほど。


私は一つ頷いた。


「何だ?」


「いえ、少し考え事を。」


「そうか。」


短い。


返事が驚くほど短い。


会話を終わらせたい人の返答である可能性が高い。


私は心の中で整理した。


――観察記録その一。


・目を合わせない。


・返事が短い。


・表情の変化が少ない。


考察。


人付き合いが苦手な可能性が高い。


嫌われているというより、単純にコミュニケーション能力の問題かもしれない。


「……何を考えている?」


「公爵様のことを少々。」


「私の?」


「はい。」


アルベルト様の眉が、ほんの少しだけ動いた。


おそらく驚いたのだろう。


表情変化は極めて小さいが、ゼロではない。


興味深い。


「それで、何か分かったのか。」


「今のところ、極度の人見知りの可能性が高いですね。」


沈黙。


部屋の空気が止まった。


アルベルト様も止まった。


まるで時が止まったように。


やがて。


「……は?」


とても珍しいものを見た。


氷の公爵が、間の抜けた声を出した。


これは貴重な観察結果である。


「違うのですか?」


「違う。」


即答だった。


「私は人見知りではない。」


「そうなのですか?」


「そうだ。」


「なるほど。」


私は頷いた。


「では、恥ずかしがり屋なのですね。」


「違う。」


今度は少し早かった。


反応速度が上がっている。


感情が動いている証拠である。


「では、なぜ目を合わせないのでしょう?」


「……。」


「……。」


「……見ている。」


「今も窓を見ていますよ?」


アルベルト様は初めて私を見た。


三秒。


いや、四秒。


そして視線が逸れた。


――観察記録その二。


・意識すると目を合わせられない。


・否定は早い。


・図星の可能性あり。


「……君は変わった人だな。」


「よく言われます。」


「普通、この状況でそんな反応はしない。」


それはそうだろう。


結婚初日に夫から愛することはないと言われているのだから。


泣くか。


怒るか。


あるいは絶望するか。


普通はそのどれかだ。


「期待していなかったので。」


「……。」


「政略結婚ですから。」


父は男爵。


相手は公爵。


釣り合うはずもない。


王命による結婚。


それだけの話だった。


「君は、怒らないのか。」


「怒る理由がありません。」


「だが――」


「ただ。」


私は少し考える。


「少し暇になってしまいましたね。」


「暇?」


「夫婦仲を深める努力が不要になったので。」


アルベルト様がこちらを見た。


今度は五秒。


新記録である。


「……努力するつもりだったのか?」


「もちろんです。」


「なぜ。」


「夫婦ですから。」


当然のことを言ったつもりだった。


しかし、アルベルト様はなぜか黙ってしまった。


変なことを言っただろうか。


「まあ、仕方ありません。」


私は立ち上がる。


「代わりに別の趣味を始めることにします。」


「趣味?」


「観察です。」


「観察?」


「はい。」


私はにこりと笑った。


「公爵様を観察しようと思います。」


「……は?」


本日二回目の間の抜けた声だった。


記録更新である。


「なぜそうなる。」


「面白そうだからです。」


「私は面白い生き物ではない。」


「それは観察してみないと分かりません。」


「分かる。」


「分かりません。」


「……。」


「……。」


アルベルト様は深いため息を吐いた。


どうやら疲れているらしい。


結婚式は大変だったから。


「好きにするといい。」


「許可をいただけるのですか?」


「構わない。」


「ありがとうございます。」


「ただし。」


アルベルト様は真面目な顔をした。


「後悔するかもしれない。」


「何をですか?」


「私は退屈な男だ。」


私は少しだけ考えた。


そして。


「それを決めるのは観察者です。」


そう答えた。


アルベルト様は何も言わなかった。


ただ少しだけ。


本当に少しだけ。


困ったように笑った気がした。


気のせいかもしれない。


気のせいではないかもしれない。


これは継続観察が必要である。


私は机に向かった。


新品のノートを開く。


そして、最初の一ページに書く。


『冷徹公爵観察記録』


第一観察記録。


・目を合わせない。


・返事が短い。


・否定は早い。


・意外と変な声を出す。


・笑ったように見えたが未確認。


考察。


冷徹公爵というより、大型の警戒心が強い猫に近い生態と思われる。


今後も継続的な観察が必要。


その時だった。


コンコン。


扉が叩かれた。


「失礼いたします、公爵様。」


入ってきた執事が一礼する。


「何だ。」


「庭園にまた来ています。」


アルベルト様の眉がぴくりと動いた。


「追い払え。」


「既に三回目です。」


「……。」


「本日は窓の外からこちらを見ております。」


私は窓を見る。


そこには。


花壇の陰からこちらを見ている白と茶色の猫がいた。


猫。


見事なまでの猫である。


すると。


アルベルト様が小さく呟いた。


「……また来たのか。」


声が少しだけ柔らかい。


私は見逃さなかった。


「公爵様。」


「何だ。」


「今、声が優しかったですね。」


「違う。」


否定が早い。


「猫が好きなのですか?」


「違う。」


さらに早い。


「では嫌いなのですか?」


「……嫌いではない。」


「なるほど。」


私はペンを走らせた。


追加記録。


・猫関連の話題で声が柔らかくなる。


・猫は嫌いではない。


・むしろ好き寄りの可能性大。


アルベルト様は私のノートを見た。


「……それは書く必要があるのか。」


「非常に重要な情報です。」


「そうか。」


「はい。」


私は窓の外を見る。


猫はまだそこにいた。


アルベルト様も見ていた。


五秒。


十秒。


十五秒。


「……。」


「……。」


「行くぞ。」


「はい?」


「猫を追い払う。」


そう言って部屋を出て行く。


私は少し迷ったあと、その後ろを追いかけた。


観察対象が移動した以上、観察者も移動する必要がある。


これは仕方のないことである。


非常に仕方のないことなのである。


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