元男爵令嬢、行き倒れる
「ヨウカイ?」
「そう、妖怪」
聞き慣れない言葉を口にする男の黒曜石の様な瞳から目を逸らし、ミランダは冷や汗をかいた。
(どうしましょう…変な宗教勧誘に捕まってしまいましたわ…)
ミランダ・カーリングは元男爵令嬢である。
籍は外されたらしいので、今はただのミランダかもしれない。
数ヶ月前の事である。ミランダの両親カーリング夫妻が、不慮の事故でこの世を去った。
残されたのは一人娘のミランダだけ。
そこへ心配して駆け付けてきてくれた叔父家族を、ミランダが家へ迎え入れるのは当然の流れだった。
それが数日前、突然家から追い出されたのだ。
王都にあるタウンハウスに滞在中の事であった。
ミランダが悲しみに打ちひしがれている間に、叔父夫妻は父の書斎から様々な書類を探し出し、男爵家の後継引き継ぎ人をミランダから自分へと変更していたのである。
追い打ちをかけるかのように、助けを求めて訪れた同じくタウンハウス滞在中の婚約者の家で、叔父夫妻の娘のミシェルがミランダの婚約者とキスしている場面を目撃したのだ。
婚約者のカイルは、ミランダに見つかっても悪びれることもなく
「君は男爵令嬢じゃなくなったんだろう?婚約は解消されたんだ。今日からミシェルが新しい婚約者なんだってさ」
とミシェルの肩を抱き、ミシェルも意地の悪い笑顔でカイルの胸に顔を寄せてミランダを嘲笑った。
こうしてミランダは、必要最低限の荷物を詰め込んだボストンバッグ一つを持って家を放り出されたのである。
そこそこの小金持ちであった男爵家で、貴族令嬢として蝶よ花よと育てられたミランダは、世間知らずである。
いつもは付き添いの侍女が持つ荷物を自分で持つのは、ミランダには重労働であったので…全財産が入ったボストンバッグを地面に置き、ベンチに座って一休みしたのだ。
どうぞ自由にお持ちください状態である。
ミランダは知らなかったが、下町ではスリはありふれた犯罪なのである。
こうしてミランダは無一文になった。
「お腹が…空きましたわ…」
トボトボと力なく歩くミランダは、ポツリと呟いた。
丸2日、何も食べていないのだ。
王都へは何度か来たことがあったが、移動は馬車、案内は侍女に任せていた為、土地勘は皆無である。
今いる場所が何処なのか、ミランダには見当もつかなかった。
なんだか先程から人通りも少ない気がする。王都の端まで来てしまったのかもしれない。
フラフラと歩いていると、ふと見慣れない建造物が視界に入った。
この辺りでは珍しい木造建築である。
2階建てのそれは、入り口こそ一つだが、同じような大きさの窓が規則的に並んでいた。
(アパートかしら?)
回らない頭でぼんやり考えると、アパートの柱に縦型の板が打ち付けてあった。
そこに刻まれた文字は…
(ヨウカイ…荘?)
そこでミランダの意識は途絶えたのであった。
ペチペチと頬を柔らかいもので叩かれている。
ミランダはその刺激にゆっくりと目を開けた。
枕元で、3歳くらいの男の子がぷくぷくとした手のひらでミランダの頬を叩いていた。
ミランダが目を覚ますと手を止めたので、どうやら起こそうとしていたらしい。
ミランダがゆっくりと身体を起こすと、男の子がグラスに入った水を渡してくれた。
「まぁ…ありがとう」
ニッコリとミランダが笑いかけると、男の子もニコリと笑って部屋を後にした。
渡された水を飲むと、まだそれはヒンヤリと冷たくミランダの意識をハッキリとさせた。
寝かされていた部屋は、ミランダが見たこともない内装をしていた。
一番驚いたのは、寝かされていたのがベットではなく床に直接敷いた布団であったことだ。
それに床も…木の板ではない。
薄緑色の床からは、草原に似た青い匂いがする。
(草…かしら。それを編み込んで板状にしたものを敷き詰めているのね)
コンコン、と先ほど男の子が出ていった扉が叩かれ、一人の女性が顔を出した。
この辺りでは見かけない黒髪の若い女性だった。
「あぁ、やっぱり起きてたんだね。体調はどうだい?」
そう言いながら部屋へ入ってきた女性は、見た目にそぐわない古風な話し方、そして何より不思議な格好をしていた。
ドレスの様に長い裾。
綺麗な柄の生地で、一枚布を身体に巻き付けているような構造だ。
ウエスト辺りで、幅広の布を使い形をきっちりと固定している。
先ほどの男の子も、似たような格好をしていた。
「あの…ここは…」
ミランダが尋ねようとした時
グゥゥゥキュルゥゥゥ
と大きな音がミランダのお腹から鳴った。
「あっはっは!お腹が減ってるのかい?元気な証拠だよ!」
そう言って、女性はミランダにお皿を差し出した。
真っ白くツヤツヤした粒を三角に固めた物と、薄茶色のスープだった。
「おにぎりと味噌汁だよ。“コチラ側の人”には馴染みがないだろうけど、美味しいから食べてみな」
その言葉にミランダはコクコクと頷き、おにぎりと呼ばれた白い固形物を口にする。
ソレは口の中でホロリと崩れ、程よい塩気が粒の甘さを引き立てる。
2日ぶりの食事であるのも相まってか、今までの人生で一番美味しいとミランダは思った。
味噌汁と言う名のスープも、芳醇な出汁の香りがして心も体も温まる絶品であったので、ミランダはあっという間に完食したのだった。
「私の名前は、お妙だよ。こっちのチビはヨシって名だ」
ミランダが夢中で食べている間に、いつの間にか戻ってきていた男の子を指さしお妙が言った。
「オタエさん…私の名前は、ミランダです。助けていただきありがとうございます」
「構わないさ。それに、直接助けたのは…あっ痛いったら、ヨシ!やめとくれ!」
ミランダと話すお妙の後ろ髪を、ヨシがグイグイと引っ張っている。
不満そうな顔は、何か抗議している様だった。
「コレッ!本当にやめとくれ!これ以上引っ張ったら…」
ボトンッ。
と音がして、先ほどまでミランダの前にあったお妙の顔が消えた。
「……えっ」
頭のあった位置、そこから首だけが見える。
異様な長さの、首。
ほとんど思考停止の状態で、ミランダはお妙の襟元から首が続く先を目線で追った。
長い首が床まで伸び、お妙の顔に行き着いた。
「だからやめとくれって言ったんだ。昼間は制御が利きにくいんだから」
その状態で何でもないように言うお妙は、両手で頭を持ち上げると「ヨイショ」と言って頭を元の位置に戻す。
「まったく!言いたいことがあるなら、もっとほかの方法があるだろうに、ねぇ、ミランダ…ミランダ!?」
お妙の言葉を聞きながら、ミランダは本日2度目の失神をした。
ペチペチと柔らかいもので頬を叩かれ、ミランダの意識は浮上する。
目を開けると、枕元にヨシがいた。
「気がついたか」
足元の方で低い男の声がして、ミランダは飛び起きる。
お妙と似たような格好をした黒髪の男が、そこに座っていた。
「……お妙が、驚かせてすまないと言っていた」
無表情でそう告げる男に、ミランダはコクリと頷く。
謝られたと言うことは、先ほどのアレは現実だったのだろうか?
先程の恐怖が蘇り、ミランダは早くここから立ち去りたいと思った。
「あのっ、私、ミランダと言います。助けていただきありがとうございます。それで、その、そろそろお暇しようかと…」
ギュッと左腕に抱きつく温もり。ヨシがミランダにしがみついているのだ。
そして、ふるふると一生懸命首を横に振っていた。
まん丸の黒い瞳から、涙がポロポロと流れ落ちる。
すべすべのぷっくりした頬に、くりくりした瞳。小さな鼻と口。
こんな事態でなければ、可愛いと存分に撫でくり回したいくらいに愛らしい。
「当てはあるのか?」
男の問いに、ミランダは言葉が詰まる。
当てなどある訳がない。
ここを出ても、また何処かで行き倒れるのが関の山である。
「お前、お妙が視えるんだろう?ヨシもだ」
その問いには、流石に首を傾げる。
「えぇ、もちろん。しっかり見えますわ」
ミランダはそう答えた。視力には自信があるのだ。
「そうか。なら、住み込みで俺の助手として働け。衣食住は保証してやる」
「えっ?」
突然の提案だが、悪い話ではない。とミランダは思った。
世間知らずのミランダは、美味しい話にはすぐ飛びつくのだ。
「その…助手って?お仕事の?」
「そうだ」
「どんなお仕事なんですの?」
「怪異討伐」
「カイイトウバツ?」
「主に妖怪を使役して討伐する。俺は妖怪使いだからな」
「ヨウカイ?」
「そう、妖怪」
ミランダは男の目をじっと見た。黒曜石の様な漆黒の瞳は、何の感情も映さない。
ミランダは、冷や汗をかきながらそっと男から目を逸らした。
(どうしましょう…変な宗教勧誘に捕まってしまいましたわ…)
意味の分からない単語で相手を煙に巻き、洗脳して金品を巻き上げる。
そういう悪質な宗教があると、ミランダは聞いたことがある。
これが、きっとそうなのだとミランダは確信した。
「せっかくのお話ですけれど…私には少し荷が重い内容かもしれませんわ」
目を逸らしたまま、ミランダが答える。
しつこく勧誘されるかと身構えていたが、男は
「そうか」
と短く答えただけだった。
「あの、そろそろお暇いたしますわね。本当に助けていただいてありがとうございました」
しばらくの沈黙の後、ミランダはそう言って立ち上がる。
グイグイと腕を引くヨシを優しく振り切ろうと奮闘するミランダに男が再び問いかけた。
「出ていくのはいいが、今日泊まる場所はあるのか?この地域は治安が良くないぞ」
「………」
「無理強いはしないが、もうすぐ日が暮れる。外に出るのはお勧めしない。昨日も女性が暴漢に襲われたと聞く」
「………もう少しだけ、こちらにお世話になってもよろしくて?」
そうミランダが気まずそうに聞くと
「好きなだけ居て構わない」
と言って男は部屋を出ていった。
その場にペタリと座り込んだミランダの膝に、ヨシがよじ登り抱きついてきた。
「そういえばあの方、お名前は何とおっしゃるのかしら?」
ヨシの頭を撫でながらミランダは呟いたが、当然誰も答えてはくれなかった。




