第17話 安息日
川の水が足先を撫でて穏やかに流れていく。冷たさが心地よい。初秋の空は雲一つなく、青々としてどこまでも続いていくようだ。中天に燦と輝く日が目に眩しい。腰かけた川辺の砂は、仄かに熱を伝えてきた。
川の中程では、二人の少女が水を掛け合いはしゃいでいた。片や腰まで伸ばした黒髪と吸い込まれるような漆黒の瞳、片や肩口で切り揃えた銀髪と愁いを秘めた紫の瞳が印象的である。黒と銀のコントラストが美しい。
黒髪黒目の少女は、桜、という。長い月日を経て意識を持った、大樹の神だ。見た目は子どもだが、中身は年経た老婆──いわゆるロリババアである。
一方、銀髪の少女の名前はリリアという。尖った耳は彼女が妖精種族、ハイエルフの一族であることを示していた。彼女もまた、5000年の歳月を生きるロリババアだ。
僕の名前は豊野いろは。僕は、ロリババアを愛している。ロリババアを愛する、その思いだけを胸に、僕は地球からこの世界に転生してきた。
桜お姉ちゃん。リリアさん。僕の愛する人たち。その二人が、眼前で無邪気に水浴びをしている。微笑ましい光景に、心が温かくなるのを感じた。ロリババアを求めて、この世界に転生してから。虚弱体質のせいで何もないところで死にかけたり。桜お姉ちゃんに凌辱されたり。リリアさんの昔話を聞いたり。神を信仰してみたり。やっぱり桜お姉ちゃんに凌辱されたり。戦争神に殺されかけたり。戦争神を薬漬けにして倒したり。そんなちょっとしたハプニングもあったけれど、こうして二人の楽しそうな顔を見ているだけで、苦労も吹き飛んでしまう。
『それはちょっとしたハプニングとは言わないと思うぞ……』
不意に、頭の中に声が響いた。左隣を見やる。
少女が一人、呆れた表情で僕を見つめていた。赤みを帯びた金髪、炎のように燃える深紅の瞳。幼い顔立ちは、見た目に似合わない慈愛を感じさせた。彼女も僕と同じく、川辺に腰掛け、靴を脱いで足だけ川に浸している。
彼女はローザ。この世界で出会った神の一柱だ。勿論、ロリババアである。
「ローザも混ざってきたらどうですか?」
言って、微笑みかけたが、ローザはかぶりを振った。
『遠慮しておこう』
彼女の視線が僕を越えて、僕の右隣に座っている人物に注がれた。
つられて、右に目を向ける。そこにいるのも、また少女だった。褐色の髪を割るようにして伸びた猫耳、そして七本の猫の尾が目につく。僕の隣にあぐらをかいて座り、その顔はムス、と不満げに歪められていた。
『別に見張ってなくても、手を出す気はないにゃ』
ローザとは別の声が頭に響いた。鬱陶しそうに、少女──フウがヒラヒラと手を振った。
彼女もまた、この世界の神の一柱だったが、故あって今は神の座を辞し──というか僕が無理矢理そうさせて──、獣人の体に宿っている。今でこそ僕に従っているが、はじめは僕に悪意を持って近づいてきた敵だった。ローザとは因縁もあって、非常に仲が悪い。
『どうだか』
鼻を鳴らして、ローザが言う。
苛立ったように、フウが頬をピクリ、と動かした。一転して、ローザに向けてにっこりと微笑んだ。
『ねえ、親愛なる友よ。ボクはね』
形だけの微笑を浮かべながら、フウの金の瞳が暗く燃える憎悪の炎を宿した。
『昔っから、君のことが大嫌いだったよ』
『奇遇だな。我も汝を好きになれなかった』
僕を挟んで、二人は睨み合う。やがて、揃ってソッポを向いた。
どうしても遺恨はあるようだ。それはやむを得ないことだけれど。それでも──。
両手を伸ばす。右手でフウの、左手でローザの手を、それぞれ握った。怪訝そうに、四つの瞳が僕を見据える。
『……何笑ってるのさ、気持ち悪いな……にゃ』
「いえ。案外、似た者同士なのかな、と思って」
『はあ? 君、それは目が腐ってるとしか言いようがないにゃ』
『訂正を要求する。この女と同類と見なされるのは甚だ不本意だ』
同時に言って、同時に舌打ちをした。僕は苦笑を漏らした。
「仲良くしろなんて言わないですけれど。あんまり喧嘩しないで下さいね。無暗に魔術を打って、核爆発で辺り一面消し炭、なんて困りますから」
『ならば、連れて行かねばいい』
『全くだよ。君の思考は理解しかねる』
口を尖らせる二人の顔を交互に見やり、
「僕の思考? そんなのシンプルですよ。つまり──ロリババアが好きだ! ロリババアに愛されたい! これだけです」
僕の宣言に。フウは呆れた顔で。ローザは最早全てを諦めたような達観した表情で、僕を眺めた。
『……ローザ。コレはいつもこんな調子なのかい?』
『……まあ、そうだ』
『それは吉報だ……これから先、退屈しないですみそうだよ』
呆れを通り越し、白けた表情で、フウが言った。ローザが半笑いを返した。
振り払われるかと思ったが、フウは僕の手を握り返して、ぼんやりと川の流れを見つめ始めた。ローザも、無言でそれにならう。三人手をつないだまま、不思議な空気に身を委ねた。
横目でフウを見ながら、僕は思う。彼女は多くの悪事を犯してきたし、それを償って欲しいという気持ちはあるけれど、別に僕は正義感からそう思っているわけではない。
僕には信念がある。年月を重ねたものは、老成して愛と慈悲を持たなければならないという信念が。フウは、1万年の時を生きた神だったけれど、子供じみた残虐さ、奔放さが目に付く。僕は、彼女に老成した精神を持ってほしいと願っているのだった。
フウは魂が抜けたように、茫洋とした瞳をしていた。肉体で過ごすことに慣れていないのかもしれない。
僕は数時間前、フウ──炎を司る神にして戦争を象徴するもの、魔炎のイズラ・フロウを倒した後のことを思い返した……。
**********
魔炎のイズラ・フロウとの戦いの後。僕たちは荒野で、これからの予定について話し合っていた。あぐらをかいて座り込むフウを囲んで、桜お姉ちゃん、リリアさん、ローザの三人が、立ったまま彼女を見下ろしていた。僕はフウの隣に並んで正座し、上目遣いに三人を見た。フウのふさふさの耳を撫でながら、おずおずと口を開く。
「ねえ、フウを連れて行ってもいいでしょう? ちゃんと餌もあげるし、散歩にも行かせますから」
「駄目じゃ! そう言って世話しないのは目に見えておるわ。さっさと捨ててくるのじゃ!」
「……二人とも何の話をしているのですか……?」
ジト目でリリアさんが突っ込みをいれた。フウも、しゃー! と威嚇してきた。猫か。猫だけど。
「まあ冗談はさておき。どう見る、リリア?」
「私見を言うならば」
桜お姉ちゃんの問に、リリアさんは腰の剣の柄を撫でた。
「即刻、斬り捨てるべきです。生かしておいてはなりません。不死なる神としての名前を捨てた今なら、肉体に囚われ定命のものとなった今なら、イズラ・フロウを殺せます」
隣で、フウが牙を剥きだして笑うのが見えた。ぴり、と空気が緊張を帯びる。動じた様子もなく、リリアさんは冷ややかに見下ろした。
「……ですが、イロハが彼女を生かしておくと言うのなら、私は従います」
「ふうむ。ローザは、どうじゃ?」
問いかけに、ローザはかぶりを振った。
『イズラ・フロウに思うところはあるが。名前を奪った今、それ以上は望まぬ。殺すのも詮無いこと。更正させるというのなら、それもよかろう』
真紅の瞳を揺らめかせ、遠くを見つめるような顔をした。
桜お姉ちゃんは腕組みをして唸った。
「……甘すぎると思うがのう。腐った性根はそう簡単には直らんぞ」
「そうでしょうか?」
首を傾げる僕をジロリと見やり、桜お姉ちゃんが言う。
「……いろはの嗜好が矯正される未来が想像できるか?」
その言葉に。
『む……』「まあ、ないですね……」
ローザとリリアさんが妙に納得したような声を漏らした。
……まあ納得できるけれど。しかし矯正という言い方はないだろう。それだとまるで、僕がごく一部にしか受け入れられないようなアブノーマルな嗜好を持った異常性愛者みたいじゃないか。
「そう言っとるんじゃ」
「……心を読まないで下さい」
「そんなもん読まんでも顔つきで分かるわ」
それはそれで怖いんですが。
桜お姉ちゃんは肩を竦めた。
「……実際問題、殺すという選択肢はとれんな。殺しても転生するだけじゃ。こいつをこのまま野放しにするわけにはいかん」
しばらく眉間に皺をよせて悩んだ後、ふう、と息をひとつ吐く。
「まあ、いろはがどうしても連れて行きたいと言うなら、仕方ないかの。こいつが更正できると信じてやろう」
に、と笑った。何だかんだで、桜お姉ちゃんも結構甘──。
「フウには術を仕込んでおいたからのう。いろはを傷つけようとしたら体中の骨を粉砕して軟体の肉塊に変える術。更に、いろはに逆らおうとしたら体中の抗体を壊死させて病原菌やウィルスへの抵抗を奪い取る術」
……甘くなかった。どんだけえげつない術かけてるんだ。そしてそれは信じてるって言わないと思う。
冷や汗を流す僕をよそに、フウはせせら笑いを漏らした。
『ふん。ボクを打ち負かしたイロハになら従ってやってもいいけれど、君たちに従う義理はないよ……ないにゃ』
冷ややかな口調だが、語尾のせいでいまいち締まらない。いやまあ、僕がやらせているんだけれど。我ながら悪ふざけが過ぎた。素直に従うフウもどうかと思うが。
「打ち負かしたって、僕は大したことはしてないですよ……。桜お姉ちゃんとリリアさん、ローザのおかげです」
『何を言ってるんだい? 君は自分の無力を理解し、その上で他人を上手く利用したにゃ。凡俗の人間の身で、この魔炎のイズラ・フロウを倒した君に、ボクは敬意を払うにゃ』
仏頂面で、到底敬意を持っているようには見えないが、フウはそう言った。……何と言うか、変なところで律儀だな。戦争を象徴する神だけに、勝者に従うみたいな信念でもあるのだろうか。
次いで、フウは眼前の三人を見回して、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
『それに比べて君たちはどうだい? 威勢がいいのは口先ばかり、いろはにお膳立てしてもらわなけりゃ、碌に戦う気概も持てない、弱く卑しく創られた腰抜けばかりじゃないか! ボクの一番嫌いなタイプだにゃ。君たちに従うなんて、例え死んだって御免だにゃ』
苛烈な憎悪の表情で、フウは毒を吐いた。見下ろす三人は──変な食い物でも食ったような、何ともいえない微妙な表情だった。
「語尾が……なあ」
「やっぱり気になりますよね……」
『真面目な話をしてるはずなのだがな……』
『……』
フウがぴくぴくと頬を引き攣らせた。……正直、すまないと思っています。
こほん、と一つ、桜お姉ちゃんが咳払いした。
「……まあ、儂らとしてはいろはさえ傷つけなければ構わん」
リリアさん、ローザも頷く。……僕としてはこの三人を傷つけないで欲しいんだけどなあ。
「それはそれとして、この後どうします?」
リリアさんがさっさと話題を切り替えにかかった。フウが「え、終わり?」みたいな、ちょっと寂しそうな表情になった。不憫な。
『行く当てはないのか?』
「僕は特にないですね」
「折角じゃから、骨休めできるようなところがよいのう。ここのところ、真面目ぶってばかりで疲れたわい」
「それなら、少し遠いですが、ここから北に行ったところにあるラカシュの街に行きませんか? 温泉に入れますよ」
「温泉か! 悪くないのう」
『うむ。では、行くか?』
「そうですね。ラカシュに行くには、森を抜ける必要があります。今日は森の入り口まで行きましょう。明日、森を抜けて、昼過ぎには着くと思います」
話はまとまった。例のごとく、リリアさんの鎧の上に乗り、ローザは翼を展開する。
「じゃあ、行きましょう。……ほら、フウも」
『扱いが雑すぎじゃないかな……。ボク、高等神なのに……。温泉のほうが大事なのか、そうなのか……』
いじけた様子で地面に指をこすりつけていたフウを促す。体育座りで、妙に哀愁が漂う。僕は冷や汗をたらり、と流しつつ、
「……い、いや、ほら、皆疲れてるんですよ。フウが強敵でしたからねー……」
『……ふふ。媚薬に負けたけどにゃ。ふふ……』
……結構面倒くさいな、この人。なんだろう、凄く噛ませ犬臭がする。最初の大物感はどこへ行ってしまったのか。
結局、フウを説得するのに時間がかかってしまったが、出発までこぎつけた。鎧で先導するリリアさんに、飛行するローザと、足で走るフウが続く。
……アイルの街で見たときも思ったけれど、単純な脚力だけで自転車なみの速度で走り続けられるって凄まじいな。技術の発展を阻害しそうな気もするけれど。
そんなこんなで、森の入り口に着くころには昼になっていた。
夜まで時間が余ったので、今日はのんびり過ごすことにしたのだった。森の近くに川を見つけ、桜お姉ちゃんとリリアさんが水浴びを始め、現在に至る。
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ほどよい日の光の温かさの中、フウ、ローザの二人と両手をつないで座っていると、かすかな眠気を覚えた。目をしぱしぱ瞬かせていると、
「ん? 子供はもう寝る時間かの?」
いつの間にか川から上がった桜お姉ちゃんが、笑いながら言った。
「まだ昼過ぎですよ。て言うか服、着てください」
「今更何を恥ずかしがっとるんじゃ。儂の体の隅々まで舌を這わせおったくせに」
「桜お姉ちゃん!」
顔を真っ赤にして怒鳴ると、彼女はクク、と喉の奥で笑った。ぼそ、と何か呟くと、桜お姉ちゃんの体が金の光に包まれ、光が収まった後には、桜お姉ちゃんは見慣れた着物姿となっていた。
「便利ですね、それ」
「お前も習得してみるか? 百年ほど修行する必要があるがのう」
「……遠慮しておきます」
リリアさんはごく普通にタオルで体を拭いた後、服を着た。今日の服は緑と白を基調とした上着とズボンだ。腰にはいつものように帯剣している。
「少し、休んだほうがいいかもしれませんね。気を張って疲れたのでしょう」
「リリアさんこそ休んでくださいよ。僕と桜お姉ちゃんは鎧の上で眠れましたけど、リリアさんは寝ていないでしょう?」
「まあ、そうですね」
リリアさんは少し考えた後、桜お姉ちゃんの方をちらり、と見た。桜お姉ちゃんはこくり、と頷きを返す。……何だろう?
「桜さんとローザさんは、食べられる野草や木の実を探してきて頂けますか?」
「うむ」
『よかろう』
「フウは狩りを」
『……』
頭の後ろで手を組み、フウはリリアさんを睨みつけた。
「僕からもお願いします、フウ」
『チッ。仕方ないにゃ』
忌々しそうに言って、フウが跳躍する。見る間に、その姿は森の中に消えていった。やれやれ、とリリアさんが額をおさえた。
僕に向き直って、手を握ってきた。
「休むなら、いいものがあります。森に入りましょう」
「森に?」
「ええ」
リリアさんと連れ立って、森に入る。少し進んだところで、リリアさんが立ち止まった。
「この辺でいいでしょう」
「何をするんですか?」
「ふふ。これですよ」
言って、リリアさんが取り出したのは──。
「ハンモック、ですか」
「ええ」
手慣れた様子で、周りの木々に縄を引っかけ、ハンモックを固定した。
木によじ登って、ハンモックに乗ってみる。僕の体重を受けて、微かにハンモックかたわんだ。乗ってみると、思ったより広い。二、三人は入れそうだ。僕の隣にリリアさんが寝転ぶ。僕もならって、寝転んだ。
森の中は静寂に包まれていた。日差しは遮られて、いささか涼しい。風に葉がざわめいて、時折、サアー……と音を立てる。マヌケリュウモドキが何匹か、連れ立って歩いているのが目についた。グア、グア、と鳴き声を上げる。
中々、心地いい。
「短い間に、色々なことがありましたね」
リリアさんが顔の前に掌をかざした。
「神と殺しあうなんて、私の人生の中でも一度しかなかったですよ」
「……一度はあったんですね」
「ええ。剣神と。初見では、何とか不意打ちして首を刎ねて殺したんですが、それ以降妙に気に入られてしまいましてね」
……何気に凄まじいこと口にしてるな。
「あのころは、若かったな。肉体を殺しただけでは神を殺しきれないと知ったのもあの時でした」
苦く述懐するリリアさんを横目で見やる。鋭く引き締まった身体、皮の厚くなった掌、その一つ一つを丹念に観察した。本当に、凄い人だな。僕の心にわきあがってくるのは、歳月が磨き上げた技術と力に対する尊敬だった。同時に、こんな凄い人が僕を愛してくれていることが、どうしようもなく嬉しかった。
「こうしていると故郷を思い出します」
ポツリ、とリリアさんが言った。
「ハイエルフの街ですか」
「街と言うか、村ですね。ハイエルフは寿命が長いかわりに、個体数がとてつもなく少ないですから」
「環境の変化にすごく弱そうですね」
「ええ。ただ、防御機構として、周りに同族が少なくなると、季節に関わらず繁殖期に移行するという特徴があります」
きゅ、と手を握られた。……ん? 微妙に嫌な予感。
「こ、故郷はどんなところだったんですか?」
「特色と言うほどのものはないですね。森の奥深くで狩りや採集をしつつ、ひっそり生きていました。小さな畑を作るときもありましたね。……そうそう、私たちハイエルフは大抵家というものを作らず、このようなハンモックで寝ることが多いんですよ。子供を作ったり、育てたり……。私たちにとっては森が家であり、木々の間に渡した布が寝床なんです。特に秋は、ハンモックが大活躍します。何しろ──一斉に繁殖期に入りますから」
リリアさんの指が、腹を擦り合わせるようにして僕の指を這う。あ、う、と僕は視線を惑わせた。
「は、はは。ほ、哺乳類は一般的に秋から冬にかけて繁殖期に入るんですよ。越冬して、食料の多い春に子供を産めるように……」
動揺して的外れなことを口走ってしまった。リリアさんは気を悪くした様子もなく、「へえ、そうなんですか? じゃあ、丁度いいですね」と意味深なことを呟いて、空いている手を僕の胸元に這わせた。
「その……、り、リリアさん。ものの喩えなんですが、年を取ったら動物にしたって、繁殖期にそんなに……その、元気になることはないんじゃないかな、て」
「なるほど。ところで、ものの喩えなんですが」
リリアさんの手が着物の衿をのけて侵入してくると、僕の胸を直接撫で始めた。ぞくぞく、と甘い快感が背中を走った。
「若葉より枯れ葉のほうが、燃え上がりやすいんですよ?」
する、とリリアさんが足を絡めてきた。脇腹に密着して、リリアさんの吐息と体温を感じる。食われる。その確信が僕の胸に芽生えた。
「あ、う……。や、そ、そう言えば! リリアさんはイズラ・フロウとの戦いでお腹を蹴られて気絶してましたよね! ひょっとしたら見えない不具合があるかもしれないですし、あんまり激しい運動はできないですよね! ね!?」
必死で言いつのると、リリアさんは顎に手を当てて、ふむ? と考え込むような仕草をした。
「一理、ありますね」
「な、なら……」
リリアさんが身を起こす。と思った瞬間には、僕に覆い被さっていた。凛々しい顔が上気して、凄絶な色香を放っていた。人間離れして整った顔立ちは、まさに妖精と呼ぶにふさわしい。
「子供を作るために重要な器官ですからね。確認しないといけませんよね……?」
リリアさんの四肢が僕を完全に捕らえた。体はハンモックに縫い付けられでもしたかのように動かない。
「フウとは、どこまでやったんですか? 私が気絶している間に」
紫の瞳が僕を覗きこむ。
「最後まで?」
「い、いえ。指でちょっと……しただけですよ……」
「本当に?」
「ほ、本当です! いや、だって、フウは房中術も使えますから……。真っ正面からやったら、逆に食われるのは分かりきっていましたし……」
謎のプレッシャーを前に、必死で言う。リリアさんはにっこりと笑った。
「なら、いいんです。最初の約束、忘れないで下さいね?」
……約束?
「世界で三番目に幸せにしてくれるんでしょう?」
ああ……。
「桜さんには譲りますけど。他は絶対、ダメですからね?」
ニコニコとした笑顔の裏に、有無を言わさない圧力を感じて、僕はコクコク頷いた。
「さあ、イロハ。二つ目の約束も守ってもらいますよ。……私に、愛を教えてください」
吸い込まれそうなくらい澄み切った紫の瞳に、僕の動揺した顔が映った。す、と唇が近づいてきて──。
キス、を──。
不意に、脳裏に桜お姉ちゃんの言葉が浮かんで、「いや……!」と僕は顔を背けた。「あ……」と、リリアさんが寂しそうな声を漏らした。
「あ、いや……ち、違うんです、その……。リリアさんのことが嫌いなわけじゃなくて、いやむしろ大好きで、これは……」
「分かっていますよ、イロハ」
切なげに、リリアさんが微笑んだ。その表情に、胸が締め付けられるような痛みを感じる。
「体は許しても心は許さない──。そういう愛人プレイをしたい。そういうことですね?」
「……。……。……。……。……。……。……。……。……。いやいやいやいや! 違います全然違います! 何一つ分かってませんよ!? そもそも体も許してませんし!」
「あっ」
「え?」
不意にリリアさんが上を指差した。釣られて、見上げる。その瞬間、目にも止まらぬ速さでリリアさんの右手が動き、僕の口に小さな何かが投げ込まれた。思わず、飲み下してしまう。
「な、何ですか今の!?」
「毎度お馴染み、ローザさん印の媚薬です」
「はいぃいい!?」
力技で来たよこの人! って言うかまたこの展開か!
「普通にできないんですか普通に!? 僕はもっとこう、デートを繰り返してすれ違いながらも愛を確かめ合って、愛が最高潮になった時期に最高の景色の中で……みたいなのがいいんですよ! ……何着物脱がそうとしてるんですか聞いてくださいよ!」
「何を言っているんですか」
リリアさんのお腹が僕のお腹に直接重ねられた。
「私のあなたへの愛は既に最高潮で、森の中は私の最も愛する景色ですよ。私は本気であなたと子供を成したいと思っています。何も問題はないですね」
「や、その」
「イロハ」
常になく甘えるような声音で、リリアさんは囁いた。
「……愛しています。私を連れて行ってください。最も高いところへ……」
「あ……」
お腹を直接揺さぶられるような、甘い疼きが走って──。
**********
風が体を撫でて行く。僕自身が立てる荒い吐息が、風を僅かに乱した。頭には、溶けそうなくらい熱い体が押し付けられている。リリアさんは、僕の頭をかき抱くようにして、ハンモックの上に身を横たえていた。
「これは、中々……。思ったよりも、ずっとイイものですね」
弛んだ表情でリリアさんが独白した。愛しくてたまらないとでも言うように、僕の額に何度も口付けをした。
「イロハ、イロハ、イロハぁ……!」
「ま、待って……! も、ダメ、ですからぁ!」
また火が付き始めたリリアさんを必死で押しとどめる。体ががくがくと震えて、言うことを聞かない。これ以上は冗談抜きで死ぬ。リリアさんはなおも名残惜しそうにしていたが、す、と身を離した。
「……ふむ。そうですね。自重しておきましょうか。節度は重要ですからね」
済ました顔で言ってますけど、媚薬飲ませて何回も搾り取るのは節度も何もあったもんじゃないと思いますよ?
薮蛇になりそうだから言わないけれど。
「私は少し、風に当たってきます。イロハは休んでいてください」
服を着なおして、ハンモックから飛び降りる。何事もなかったかのように、森の入り口へと歩みだした。
「全く……もう……。体力の差というものを考慮してくださいよ……」
手の甲で汗を拭い、乱れた服を直した。寝そべったまま、かすかに揺れるハンモックに身を委ねる。そうして呼吸を整えていると──。
「どうじゃった、いろは?」
「わあ!?」
突然上から桜お姉ちゃんの声が降ってきて、びくりと身を竦ませた。見上げると、樹の枝に腰掛けて脚をぶらつかせる着物姿が一つ。ひらり、と身を翻してハンモックに乗っかる。ぐらり、と大きく揺れた。
「危ないですよ! て、い、いつから見てたんですか!?」
「勿論、最初からじゃ。野外というのも、乙なものじゃのう」
にやにや笑う桜お姉ちゃんに、背中を冷や汗がだらだらとつたった。
「や、あの、これは……」
「リリアとするのは、了承済みじゃ。大体、今更じゃろ。ハーレム作ろうなんぞとぬかしておるくせに」
僕の上にのしかかって、桜お姉ちゃんが顔を近づけてくる。
「それより、どちらがよかったんじゃ? リリアと──儂と?」
「や、その……ええと」
顔が近い。目が全然笑っていなかった。イズラ・フロウに絡まれた以上に身の危険を感じる。
「答えられんか? ならば──身体に聞くしかないのう?」
「や、ちょ、待……!」
「待てるか。こっちも……限界なんじゃ!」
「ん!? む、う……」
唇を強引にふさがれた。熱い舌が僕の口を割って侵入してくる。桜お姉ちゃんの潤んだ瞳に、愛しさがこみ上げてきた。ぼやけた頭で、無心に舌を絡めあう。
「ん、……はあ、あ……」
長い接吻を終えて、桜お姉ちゃんが唇を離した。唾液がかすかに糸を引いた。
「いろは」
桜お姉ちゃんの言葉と共に、天地が逆転した。気付けば、桜お姉ちゃんを組みしくような形になっていた。ごくり、と自分の唾を飲む音がやけに大きく響いた。
彼女の足が僕の腰に巻きつけられた。痛いほど強く抱きしめられる。桜お姉ちゃんは顔を真っ赤にして、かすかに目線を逸らしつつ、
「一番は、儂じゃからな?」
その言葉は。僕の心に再び火をつけるのに、十分なものだった……。
一芸に秀でた人間は美しい。ロリババアへの愛は、研ぎ澄まされた技術に対する尊敬という側面もあると思っています。ただあんまりその手のロリババアを見ないんですよねー。




