親方、休みを取らされる
カーラに怒られた。
「あんた、最後に丸一日休んだのいつさ?」
「……覚えてねえ」
「覚えてないくらい前ってことでしょ。——今日は休み。現場に出るの禁止」
「お、おい!」
「ダメ、禁止。ガルドにも言ってある。親方が現場に来たら追い返せって」
「俺の現場で俺を追い返すのか?」
「そうよ」
朝のコーヒーを飲みながら、空を見た。よく晴れてやがる。現場日和だ。こんな日に休むなんざ勿体ねえ。コンクリートの乾きが最高にいい天気なのに。
だが、カーラの目が本気だった。あの目で「駄目」って言われると、ドラゴンより怖え。
* * *
仕方がねえから市場をぶらつくことにした。
買い物なんざ普段しねえ。資材の調達はセオがやってくれるし、食い物はカーラが仕切ってる。俺が市場に来るのは、下手すりゃ半年ぶりだ。
歩いてすぐ気づいた。市場の通路の敷石が一枚浮いてる。歩くたびにカタカタ鳴る。下の砂が流れて空洞ができてるんだ。いずれ石がひっくり返って誰か転ぶ。
……直してえ。
だが今日は休みだ。我慢しろ。
八百屋の前を通った。店の柱が微妙に傾いてる。二度。いや三度。仕口が甘いんだ。ほぞ穴が緩くて、荷重で広がってる。楔を一本打ちゃ直るんだが。
……我慢しろ。
魚屋の排水溝を見た。勾配が逆だ。水が溜まってる。臭え。排水口の位置を五センチずらすだけで——
我慢できなかった。
「おっちゃん。この排水、勾配が逆だぞ。水が流れてねえ」
「ああ!? 誰だお前——って、棟方の親方!? 何でこんなとこに!?」
「休みだ」
「休みの日に排水溝見るのか!?」
「まあ……癖みてえなもんだ」
排水口の石を一個動かした。五センチ下げただけだ。溜まってた水がさーっと流れ出した。魚の臭いが引いていく。
「おおっ!! 流れた!! 石を一個動かしただけで!?」
「水は高い方から低い方に流れる。出口が入口より高かったら溜まるに決まってるだろ」
「すげえ! 親方、うちの店もうちょい見てくんねえか!?」
「休みなんだが……」
「頼むよ! カウンターの柱がぐらぐらするんだ!」
見た。仕口が緩い。ほぞ穴に楔を一本叩き込んだ。ぐらつきが消えた。三十秒の仕事。
「直った!! 半年ぐらぐらしてたのが!!」
楔一本だぞ。半年も放置すんなよ。
* * *
市場を歩くたびに捕まった。
パン屋の竈の煙突が詰まってた。煤が溜まって吸いが悪い。棒で突いて落とした。黒い塊がぼとぼと落ちてきて、竈の火がぼうっと勢いを増した。パン屋のおばちゃんが「火の通りが全然違う!!」と叫んでた。煤掃除しろ、定期的に。半年に一回でいいから。煙突ってのは放っておくと煤が溜まって、最悪火事になる。あんたのパンがうまいのは知ってるが、煙突の面倒くらい見てくれ。
鍛冶屋の床が傾いてた。金床がずれて打ちにくいらしい。入った瞬間に分かった。金床の脚が床に均等に接地してねえ。鍛冶師が毎日ここでハンマーを振ってるのに、足元のずれに気づいてねえってのは逆にすげえ。基礎石の下に薄い石板を一枚噛ませて水平を出した。「打ちやすくなった!!」。だろうな。水平じゃない床で鍛冶やるの、腰にも悪いぞ。
仕立屋の雨漏り。屋根に登ったら瓦が三枚ずれてた。瓦の下に枯れ葉が詰まって、瓦を押し上げてた。葉っぱを掻き出して瓦を戻した。「三年漏ってたの!!」。梯子があれば五分で直せたのに三年放置すんなよ。雨漏りは放っておくと壁の中に水が入って、柱を腐らせる。
靴屋の壁にヒビ。地震のやつだ。幅二ミリくらい。構造に影響はねえが、ここから雨水が入る。モルタルを練って詰めた。靴屋のおやじが「地震からずっと怖かったんだ!!」と涙ぐんでた。怖かったら連絡くれよ。何のためにご安全にって挨拶を広めたと思ってんだ。
気がつくと昼過ぎだった。七軒直した。腹が減った。腰も痛え。休みの日に腰が痛くなるってどういうことだ。
飯屋に入った。
席について、天井を見た。
梁が一本、反ってる。荷重が偏ってるんだ。上に重いもんが乗ってるか、仕口が片方だけ効いてないか。放置すると梁が折れる。
「……」
「お客さん、何にします」
「飯。あと、あの梁な」
「梁?」
「反ってる。上に何か重いもん置いてねえか」
「あー……二階に本棚があるんだけど。嫁が本好きで、山ほど積んでて——」
「本棚を南側に動かせ。今は北の壁際に寄ってるだろ。梁の真ん中に荷重が集中してるから反るんだ。南側に動かせば壁が荷重を受けるから、梁が楽になる」
「……動かすだけでいいんですか?」
「動かすだけでいい。——ちなみに本棚は何冊くらい入ってる」
「二百冊くらい。嫁が集めてて——」
「二百冊はでかいな。本ってのは見た目より重い。木の棚に二百冊載せたら、大人三人分くらいの重さになる。それが梁の真ん中に乗ってりゃ、そりゃ反る」
「大人三人分!? 本ってそんなに重いのか!?」
「紙と革の塊だからな。——まあ、南側に動かしときゃ当面は大丈夫だ。心配なら梁の下に柱を一本足してもいい。学院の学生に頼みゃやってくれるぞ」
「頼みます!! ——あ、お代いらないですよ親方!」
「いらねえわけねえだろ。飯の代金と修繕は別だ。——ちゃんと払う」
飯が来た。穀物飯と汁物と焼き魚。魚の焼き加減がいい。皮がぱりっとしてて身はふわっとしてる。——竈の火加減が上手い証拠だ。飯を作る腕はあるのに梁の修理は三年放置ってのは、まあそういうもんだろう。自分の専門外のことは後回しになる。だから専門家がいる。
マルタさんの顔が浮かんだ。あの人も最初は壁のヒビを何ヶ月も放置してた。俺が来て「直すぞ」って言うまで、どうしていいか分からなかった。——小さい困りごとこそ、声に出してもらう仕組みがいる。
飯屋を出たら、外にマルタさんがいた。噂をすれば何とやらだ。
「ムナカタさん、今日は休みじゃなかったのかい」
「休みだ」
「市場中であんたが直して回ってるって噂になってるよ。——休めてないじゃないか」
「……俺も困ってる」
「困ってるって。自分で直しに行ってるくせに」
何も言えねえ。
* * *
学院に帰ったら、カーラが腕を組んで待ってた。
「テツ。今日何してた」
「休んでた」
「嘘つかないで。市場で七軒直して回ったって、ガルドが報告してきたわよ」
「直したんじゃねえ。散歩してたら目についただけだ」
「それを『直した』って言うの。——あんた、ほんっとに休めない人ね」
カーラがため息をついた。だが怒ってる顔じゃねえ。呆れてるが笑ってる。
「明日も休みにしようか」
「勘弁してくれ。休みの方が疲れる」
「なんでよ」
「気になるもんを直さないでいるのが辛えんだ。傾いた柱を見て知らんぷりできるか。水が溜まった排水溝を素通りできるか。——できねえよ。土方だからな」
「……あんたらしいわね」
ガルドがコーヒーを持ってきた。
「親方。休みの日にこんだけ働くなら、普通の日と何が違うんだ」
「普通の日はでかい仕事をする。休みの日は小さい仕事をする。——それだけだ」
「それ休みじゃねえだろ」
「いいんだよ。小さい仕事の方が楽しいこともある。排水溝の石を五センチ動かすだけで、魚屋の前が臭くなくなる。楔を一本打つだけで、柱が真っ直ぐになる。でかい仕事にはでかい達成感があるが、小さい仕事には——なんつうか、手触りがある」
「手触りか。——分かる気がする」
「お前も休みの日に街を歩いてみろ。気づくことがある」
「……今度やってみるわ」
風呂に入った。今日一日で七軒直した。全部小さい仕事だ。石を動かす、楔を打つ、煤を落とす、瓦を直す。どれも三十分もかからねえ。
だが市場の住民は半年も三年も困ってた。プロが三十秒で終わることを、素人は何年も放置する。「連絡くれりゃ直すのに」と思うが、連絡するほどのことじゃないと思ってるんだ。小さすぎて。
——学院の二期生に、市場の巡回をやらせるか。月に一回、学生が市場を歩いて、小さい困りごとを見つけて直す。実習にもなるし、街との繋がりにもなる。差し入れも増えるだろう。住民も「こんなことで頼んでいいのか」と悩まなくて済む。向こうから見に来るんだから。
ガルドが風呂の順番待ちしてた。
「親方。休みの日の方が楽しそうだったぞ」
「楽しくはねえ。——いや、ちょっと楽しかったかもな」
「素直じゃん」
「うるせえ。湯加減はどうだ」
「最高」
コーヒーを飲んだ。休みの日のコーヒーは、いつもよりちょっとだけ苦い。——いや、ちょっとだけ甘いか。分からねえ。疲れてるんだ。
明日からまた仕事だ。腰が痛え。四七歳の腰は、休みの日でも容赦しねえ。
朝の体操、もうちょい念入りにやるか。




