表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蓮の檻   作者: echo
2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/35

31話

重厚な城門をくぐり抜けた瞬間、目に飛び込んできた光景に、俺は思わず息を呑んだ。


「すごいな。これが、王都か」


視界を埋め尽くすのは、整然と並ぶ白磁のような石造りの建物。道行く人々の服装も、ラシェルで見かける質実剛健なものとは違い、絹のような艶や鮮やかな染め色が多用されている。行き交う馬車の数も、路地から漂う香料や焼き菓子の匂いも、すべてが圧倒的だった。ラシェルの街がまるで小さな村に思えてしまうほどの、暴力的なまでの活気と洗練。


先ほどまで、不安に顔を曇らせていたロロアも、今は子供のように窓の外へ身を乗り出していた。


「見て、裕真! あの建物!あんなの、見たことない」


彼女の瞳は宝石のように輝き、王都の景色を一つも漏らさず飲み込もうとしている。ロロアにとっても、王都はほとんど縁のない場所だった。ここに来るまでの道中で彼女を苛んでいた、心に打ち込まれた楔から延びる鎖の重さも、一時的にでもこの華やかさに塗り替えられているのを見た。


やがて馬車が速度を落とし、大通りから一本入った閑静なエリアへと滑り込む。そこで止まったのは、ひときわ格式高い佇まいの建物だった。ルフィリアの屋敷も相当な広さと美しさを誇っていたが、ここはそれとは毛色が違う。建物の随所に施された細かな彫刻や、門前に控える制服姿の係員たち。


「ルカさん、ここは?」


「今回お二人に宿泊していただく宿となります。王都でも指折りの高級宿で、お二人にはここで移動の疲れを癒やしていただくためにと手配させていただきました。」


並走していた騎士のルカが軽やかに馬を降り、慇懃な動作で馬車の扉を開ける。

案内された内部に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように消えた。踏みしめるのが躊躇われるほど毛足の長い、深紅の絨毯が廊下の先まで続き、壁には歴史の重みを感じさせる絵画や、銀細工の調度品が整然と並んでいる。


ロロアとは部屋が分かれていたため、一度そこで別れることになった。


「じゃあ、また後でね」

「ああ」


割り当てられた自室に入り、まずは大きな荷物を置く。部屋は一人で使うには広すぎるほどで、窓からは王都の美しい街並みが一望できた。しかし、俺の心はまだその贅沢を素直に受け入れられずにいた。


ルフィリアが言っていた言葉が、頭の中で何度も反芻される。

化け物の死体を前に、王都の騎士たちはそれを回収していった。そして今、それを専門的に調査している。いったい何を聞かれるのだろう。


慣れない高級なベッドの端に腰掛け、漠然とした不安を抱えながら、天井を見上げていると、不意に部屋の扉が二回、軽やかにノックされた。


「裕真ー、いる?」


聞き慣れた声。ロロアだ。

扉を開けて招き入れると、興味深そうに室内をキョロキョロと見渡した。


「ここ、本当にすごいのね! あたしの部屋も信じられないくらい豪華だったけど、この部屋も負けてない。この部屋一つで、ラシェルの街に家が一軒建つんじゃない」


「全くだ。……正直、一晩でいくら請求されるのか怖いくらいだよ。」


俺が苦笑いしながら現実的な心配を口にすると、ロロアは可笑しそうにクスリと笑って、俺の隣にすとんと腰を下ろした。


「もう、裕真はすぐそうやって堅苦しく考えるんだから。せっかく用意してもらった最高級の場所なんだから、楽しまなきゃ損じゃない。」


彼女の屈託のない笑顔と、からかうような明るい言葉。それに当てられるうちに、胸の奥に溜まっていた重苦しさが少しずつ解けていくのを感じた。

そんな会話をしていると、廊下からルカの落ち着いた声が聞こえてきた。


「小林様、ロロア様。お支度はよろしいでしょうか。」


いよいよか、と俺は小さく息を吐いた。

立ち上がり、扉へ向かおうとする俺の様子をじっと見ていたロロアが、わざとらしく顔を覗き込んできた。


「もしかして、裕真。まだ緊張してる?」


「……隠せそうにないな。 難しい質問をされて、答えに詰まったらどうしようかと思ってさ」


「ふふ、大丈夫よ。相手はただ、あの日あたしたちが何を見てたのか、ありのままを言えばいいのよ。それに……あたしが隣にいるんだから、安心して」


ロロアはそう言って、俺を和ませるように悪戯っぽく微笑んだ。

彼女にそう言われると、確かに不思議と勇気が湧いてくる。俺は「そうだな」と短く返し、少しだけ背筋を伸ばした。


部屋を出ると、廊下ではルカが微動だにせず、彫像のように直立して俺たちを待っていた。

彼に導かれ、宿の重厚なエントランスを抜けて再び外へ出る。先ほどまでの華やかな大通りとは少し雰囲気が変わり、静かで重厚な石造りのエリアへと歩みを進める。


「ルカさん。これから会う相手について、もう少し詳しく教えてくれませんか?」


歩調を合わせながら尋ねると、ルカは前を向いたまま、一点を見据えて淡々と答えた。


「はい。これからお会いいただくのは、この界隈では名の知れた研究者です。生物全般に深い造詣を持ち、王都でも右に出る者はいないと言われる亜神様です。今回の調査においても、全権を委任されている代表の方です」


「亜神が調査の代表ねぇ~」


ロロアが納得したように頷く。本来化け物については騎士団の管轄であるらしいが、その全権を一人の亜神に預ける。それは、あの消えなかった化け物の謎が、それほどまでに人類の知識体系を超えており、特別な存在の力を借りるしかないということの証明だろう。


しかし、ルカはそこでふと歩みを緩め、眉間に少しだけ皺を寄せて口ごもった。


「……ただ」


「ただ?」


ロロアが食い気味に問い返すと、ルカは困ったような、あるいはどう表現すべきか迷っているような、微妙な苦笑を浮かべた。


「悪いお方ではないのです。むしろ、その分野における情熱と執着心は、畏怖を覚えるほどです。……ですが、いかんせん……かなり、変わったお方でして」


「変わった? どんな風に?」


俺が思わず身を乗り出すと、ルカは視線を泳がせた。


「はい。……なんと言いますか。なんとも言い表せないといいますか。」


歯切れの悪いルカを見ると先ほどまで抱えていた緊張とは別に不安が募ってきた。


「会えば分かります。としか言いようがありません。」


「言葉で説明しづらい、亜神か……」


言葉で説明しづらいと言われる相手に、俺たちの体験を正確に伝えられるのだろうか。ルカはそれ以上語ることを避けるように、「これ以上は、ご自身で判断された方がいいでしょう」と話を切り上げた。


さっき、ロロアに「緊張しなくていい」と言われて一度は落ち着いた心臓が、再び嫌なリズムを刻み始める。騎士であるルカがこれほど言葉を選び、あえて「会えば分かる」と突き放すような表現をする。それは、普通の「変わり者」の範疇を超えているのではないか。


「ねぇ、裕真。そんなに不安そうな顔をしないで」


ロロアが俺の強張った表情を読み取り、小声で囁いてくる。彼女の手が、そっと俺の手を掴んだ。その指先の確かな重みが、今の俺にとっては唯一の錨のようだった。


「ルカが言う変わったなんて、どうせ研究に夢中になりすぎて服のボタンを掛け違えてるとか、食べ物の味を忘れるとか、そんな程度よ。」


ロロアはそう言って笑ってみせるが、俺のセンサーがそんなに可愛らしい変わり者なわけないと告げている。絶対に想像の斜め上をいく変わり者だ。根拠はないでも確信している。


王都の街並みは、進むにつれてより無機質に、より冷たい石造りの建物が増えていく。窓の少ない、要塞のような研究施設。その中に閉じ込められた化け物の死体と、それを研究する一人の風変わりな亜神。


俺たちは、その深淵のような場所へと、自分たちの足音だけが響く静寂の中を、一歩ずつ足を踏み入れていった。


目的地である施設の入り口に立つと、ルカが重厚な鉄の扉に手をかけた。


「この先にいらっしゃいます。」


そう言い残すと、扉の向こうに広がるのは、王都の華やかさとは完全に切り離された異様な空間だった。


窓はすべて塞がれ、天井から吊り下げられた灯りが、白い光を放っている。壁際には、ホルマリンのような液体に浸された臓器のようなもの、不気味な形に捻じ曲がった骨の標本が並び、鼻を突くような薬品の匂いが立ち込めていた。


その部屋の奥、山積みになった古書と書類に埋もれるようにして、一人の人影が、何かに夢中になって背中を丸めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ