その7 いったい何をしているんだ?
夕闇に沈む街には、夜の店の入口にランプが煌々と灯りはじめる。
そんな夜の街をグレイスとタバサは黒マントに身を包み、馬車から下りたフレッドの後を追っていた。
夕方になり、フレッドはまた歌姫の元へ出かけて行った。
グレイスはカロリーヌの依頼を遂行するために、こっそり後をつけてきたものの、年頃の女性が二人でうろつくような場所じゃない。念のためにキートン伯爵家から騎士を二人借りて護衛してもらっているものの、それでもグレイスの脳裏にあの時のことが甦り、背筋に悪寒が走った。
三ヶ月ほど前。
午後の明るい時間だった。それに治安の悪い場所でもなかったし、警戒心もなかった。いつものように友人二人と、行きつけのカフェに向かっていた。
突然、腕を掴まれた。
なにが起きたのか一瞬把握できなかった。強い力で引っ張られて、抵抗する間もなくグレイスは路地へ引きずり込まれた。
「キャァァァ!」
天を突き刺す悲鳴をあげたのはグレイスだけではなかった。一緒に歩いていた友人二人も、けたたましい声を上げた。
すぐに後ろを歩いていた護衛騎士が駆け寄る。
路地の入口でグレイスは地面に膝をついていた。
彼女を引きずり倒した男の姿はすでになく、路地を抜けて逃走した後だった。
グレイスは倒された時に膝を少し擦り剥いただけで、その他の被害はドレスが少し破れただけでバックも盗られなかった。
その程度の災難だったのだ。
それなのに、強姦された傷物令嬢と言う噂が瞬く間に広がり、次にはグレイスの方が男を誘った、夜な夜な街で遊び歩く毒婦というレッテルが貼られた。
もちろん、一緒にいた二人の友人は否定してくれたが、焼け石に水、急速に広がった噂を消し止めることは出来なかった。
「大丈夫ですか?」
グレイスがあの時のことを思い出していると察したタバサが気遣った。
「ええ」
後悔していた。流れで、歌姫の所在を突き止めることを請け負ったものの、このような場所に来なければならないことを失念していた。自分はどうしようもない間抜けだとグレイスは自己嫌悪に陥っていた。
その時、
「キャッ!」
後ろから強い力で抱きしめられた。
身体の自由を奪われたグレイスは恐怖で固まった。しかし、
「隙だらけだな」
耳元で囁いたその声は、忘れもしない、愛しい彼の声。
「ゲイリー様!」
振り向くと目の前に端正な彼の顔があった。
それを見た途端、全身から力が抜けて崩れ落ちそうになったが、ゲイリーが抱き留めた。彼女の身体が小刻みに震えていることに気付き、
「悪い、驚かせたようだな」
また、ギュッと抱きしめた。
心臓がバクバクしているのは恐怖心ではなかった。
(彼に抱きしめられているのが嬉しい……まだ愛しているんだわ、忘れるなんて無理だった)
彼だとわかった途端、激しく鼓動し、目頭が熱くなったが、
(泣いてたまるものか! 私を捨てた男に涙なんか見せなくない)
グレイスはゲイリーの胸を押し戻して、唇をキュッと噛んだ。
しかしグレイスの力では一ミリも押し戻せなかった。ゲイリーは逞しい腕でスッポリとグレイスを包み込んだ。
「それはこっちが聞きたい、君を連れ戻しにキートン伯爵邸へ行ったら、ちょうど出てきた馬車に君が乗っているのを見たからつけてきたんだ」
「なぜ?」
「君の誤解を解かなければと急いだんだ、婚約破棄は母上が勝手にしたことだ。その上、俺が帰るまで信じて待てと書いた手紙も、君の元に届かなかったようだな」
「えっ!?」
予期せぬ言葉にグレイスは混乱した。
「会いたかった」
ゲイリーの吐息を首筋に感じて、グレイスの顔がカーッと熱くなった。
「ほんとに? ほんとにゲイリー様の意志じゃなかったの?」
「当たり前だろ、俺はショックだったぞ、君に信じてもらえなくて」
「だって、キャプラン侯爵夫人はゲイリー様も了承済みだとおっしゃってたわ、私とは二度と会いたくないとあなたが言っているとも」
「俺はなにも言っていない、そもそも、なにも知らされていなかった」
「そんな……」
婚約破棄がゲイリーの意志ではなかったことがわかってグレイスは嬉しかった。と同時に胸が痛んだ。
「私、なんて愚かなの……手紙が届かなかったなんて考えもしなかった……ゲイリー様を信じ切れなかった」
涙が滲む、今度は堪えきれずに頬を伝った。
「ごめんなさい」
「もういいよ、一人で心細かっただろ」
ゲイリーはさらにギュッとグレイスを抱きしめた。グレイスも彼の背中に手を回して抱きしめた。
(ああ、ゲイリー様の匂いだ、ゲイリー様の胸だ)
「良かった……怪我もなく無事に帰還されたのね」
二度とゲイリーの胸に顔を埋めることはないと思っていたグレイスの目から、とめどなく涙が溢れた。
「帰ろう、他にも話さなければならないことがあるんだ」
そんな二人を見ながらタバサも涙ぐんでいた。
ようやくグレイスを解放したゲイリーは、眉をひそめながら彼女を見下ろした。
「ところで、君たちはいったい何をしているんだ? 怪しい騎士が尾行していたから排除したけど」
「怪しい騎士って、それは護衛よ」
「はあ?」
「排除したって」
「そのへんに倒れてるんじゃないか」
グレイスは苦笑した。
「しかたないわね、騎士団の副団長様相手だもの」
そんな話をしている間に、フレッドが赤いランプが灯る店に入っていくのが見えた。この状況で見失わなかったのは奇跡だとグレイスはホッとした。少なくとも店は発見した。
ゲイリーと共に帰りたいのは山々だが、せっかくここまで追って来たのだ、フレッドの件も途中で放り出すわけにもいかない。
「護衛を倒しちゃたんだから、ゲイリー様が代わりにしてよね」
「はあ?」
グレイスはフレッドが入った店に向かった。




