その8 寝耳に水ですが……
赤いランプが怪しく灯る店内は、満員の客で賑わっていた。
客層は様々、貴族らしい身なりの者から成金ぽい商人、普通の平民、殿方ばかりでなく夫人客の姿もあった。だからグレイスとゲイリーが入っても不自然ではなかった。
前方にはステージがあったが、まだショーは始まっておらず、客たちは思い思いに酒を酌み交わしている。
「君はこんな店に出入りしているのか?」
とりあえずテーブルに着いたゲイリーは怪訝そうに顔をしかめた。
「はじめてよ、フレッド様が意中の歌姫を突き止めるように頼まれたのよ」
グレイスは少し離れた席に着いているフレッドに気付かれないよ、フードを目深にかぶった。
「フレッドって誰だよ」
「フレッド・キートン伯爵は私の新しい婚約者…候補よ、彼のお母様に頼まれたのよ、彼が夢中になっている歌姫を突き止めて、別れてくれるように交渉してほしいと」
「話が全然読めないんだけど……なんで君がそんなことをする必要があるんだ? それに、これは俺との再会よりも重要なことなのか?」
語気に怒りがこもっていた。無理もないだろう、夜通し馬を走らせて王都に帰還した。その足でフォンダ家へ直行したのにグレイスはいない。そこで婚約は破棄されたと聞かされ驚く。実家へ戻ると、望みもしない新たな婚約者を押し付けられそうになった。
いったい、自分が戦場にいる間になにが起きたのか? 詳細を知るため、騎士団の調査部に依頼した上でグレイスに会いに来ると、彼女は意味不明の行動を取っている。
「今は……私も頭が回らないのよ、だって、あなたが現れるなんて思っていなかったから、見捨てられたと思っていたから」
「だから、それを説明するために会いに来たんだよ、こんなところじゃ話せない、とにかく出よう」
「あれ? タバサは?」
その時はじめて、タバサがいないことに気付いた。ずっと一緒に尾行していたはずなのに、いつの間に逸れたのかわからない。
「外にいるんじゃないのか? 早く出よう」
ゲイリーはグレイスの腕を掴んだ。
「ちょっと待ってよ」
「ご令嬢に手荒な真似は良くないな」
二人が揉めているように見えた一人の紳士が割り込んだ。
「嫌がっているように見えるが」
グレイスの腕を握っているゲイリーを引き離そうと、彼の手首に手をかけた。
しかし、ゲイリーの鍛え抜かれた腕はビクともしない。
「えっ……」
カッコつけて出てきたものの、面目丸つぶれで苦笑いするしかない。
「あなたは……」
その、みっともない殿方にグレイスは見覚えがあった。
「テオドール・マチュー様?」
薄暗い店内で気付かなかったテオドールも、名前を呼ばれてハッとした。
「君は確か」
「フォンダ伯爵家が長女グレイスです」
「存じていますよ、宝石姫は学園でも有名だったからね。そして婚約者のゲイリー・キャプラン侯爵令息。失礼しました、俺なんかじゃ歯が立たないわけだ」
テオドールはバツ悪そうに頭を掻いた。
テオドール・マチュー公爵令息はグレイスの二歳年上で、王立学園の先輩に当たる。話をしたことはなかったが顔は知っていた。一年半ほど前、彼の婚約者ルナリーナが不慮の事故がもとで命を落とし、その後、失意のうちにテオドールが失踪したことも聞いていた。
「あなたはこんなところでなにをなさっているのです? 一年半前に姿を消したきりだとお聞きしていましたが、王都に戻ってらしたのですね」
「ずっと王都にいますよ、ここに」
ゲイリーが口を挟んだ。
「なぜ家に戻られないのです? ご家族は心配されているでしょう。それに、あなたがシャーロット嬢を袖にしたせいで、こっちはとんだとばっちりなんです」
キャロラインの情報が正しければ、テオドールがシャーロットとの縁談をうやむやにしたまま失踪したせいで、色々な人が迷惑をこうむっている。
「彼女が何かやらかしたのですか?」
「俺と婚約するためにグレイスを陥れたんです」
「えっ? なに?その話」
グレイスには寝耳に水だった。
「今はまだ調査中だけど、君が襲われた事件はシャーロットが陰で糸を引いていたと思われる」
「そんな! なぜシャーロット様が?」
グレイスは愕然とした。シャーロットとはそれほど親しくなかったものの、同じ学び舎で過ごした学友だ。
「イザーク曰く、俺のせいらしい。テオドール殿に捨てられた彼女は、新たな相手を物色したあげく、俺に狙いを定めたようだ。そして邪魔な君を陥れようとしたんだ、酷い噂も彼女が流したに違いない」
「確かなの?」
「今、騎士団の調査部に依頼して調べている」
「そんな私用で調査部を使っていいの?」
その指摘はスルーして、ゲイリーはテオドールに、
「あなたとここで会ったのは偶然じゃないかもしれませんね、シャーロットに関しては余罪もあるようだ、それも洗い直していますよ」
そう言われて、
「ルナリーナ……」
テオドールは茫然と呟いた。
「馬車の事故に遭われたあなたの婚約者でしたね」
「ああ、あの事故は……、そうか、やはりそうだったのか」
「やはりとは?」
「あまりに不自然な出来事だった。ルナリーナも罠に嵌められたんだ。彼女が自殺したのは俺が護ってやれなかったからだ」
「自殺ですって?! ルナリーナ様は事故の後遺症で亡くなられたではないのですか?」
グレイスはそう聞いていた。
「自殺なんて醜聞だからな」
「後遺症と言うのは顔に傷が残ってしまったことなんだ。俺はまったく気にしないと何度も言ったんだけど、悍ましい傷が残ったとか、社交界に顔を出せない醜女になったとか、事実でない酷い噂が流布して、傷を気にしていたルナリーナは家から出られなくなり、精神を病んでしまったんだ」
「おそらくシャーロットが流したんだろうな、事故の方も疑わしい」
「見てしまったんです、ルナリーナの葬儀で彼女が一瞬笑ったのを……、薄気味悪い笑みでした。その時、漠然と〝ああ、この女のせいだ〟と思いました。もちろん根拠も証拠もありません。しかしその後、シャーロットは母上を懐柔して俺の婚約者の座に着こうと画策したんです。母上はすっかり騙されて俺との婚約を進めました」
「それであなたは逃げたのですか」
「あの女は無理です」
「気持ちはわかります、俺もそうですからね。俺はハッキリ拒絶しましたよ、あなたはなぜそうしなかったんです? 公爵家ならシャーロットの身辺を調査をすることも出来たはずだ」
「シャーロットを調べたところで、真実がわかったところでルナリーナは帰って来ない、彼女とは幼馴染で、ずっと一緒に過ごしてきたんです、愛していました、彼女がいない世界なんて、もうなんの興味もない」
俯きながら肩を震わせるテオドールを見て、ゲイリーは胸がえぐられるように痛んだ。
(過ごした時間は二人ほど長くないが、もしグレイスがそうなっていたら、俺はどうするだろう? 想像しただけで……いや想像すらしたくない、グレイスを失ったら正気ではいられない)
ゲイリーは無意識にグレイスの手を強く握った。
握られたグレイスの方は、骨が折れるんじゃないかと思ったが、ゲイリーがなにを考えているかわかったので、黙って痛みに耐えた。
(私の事件と、ルナリーナ様の事件が繋がっていると言うの? そして黒幕がシャーロット様だと言うの? 彼女がそんな恐ろしいことをしたの?)
そして、グレイスの頭は混乱していた。




