第10話 合宿2日目~今日こそマキの背中を捉えたか?
合宿2日目の朝。
集合時間よりほんの少し前に第1スタジオに到着するとすでに先客がいた。麻里さんがスタジオの隅にしゃがみ込んで、何やら機材をごそごそいじっている様子だ。
「おはようございまーす。何か手伝いますか?」
「おはよう、楓。昨晩はお楽しみだったようだな」
準備の手を止めて、麻里さんがニヤリと笑う。
「がぅがぅ!」
そうね、花子はとても楽しそうでした。
ボクは……いつも通りですね。めちゃくちゃ大変でしたよ! 何も楽しんではいません! 大人なマキに1日2度の敗北を味わわされました! とっても悔しいです!
「なんだ、そんなことか。演技は努力してもらうしかないが、体のほうで勝ちたかったらいつでも私のところに来るがいい。な~に、悪いようにはしないさ」
麻里さんが鼻で笑う。
「けっこうです。悪いようにされる未来しか見えないので遠慮しておきます……」
まだ改造されたくないんです……。
なるべく人間のままでいさせて……。
「おはようございます」「おっはようぉぉぉぉぉございまぁぁぁぁぁぁぁすっ!」
テンション普通のハルルとテンションマックスのマキがスタジオに入ってくる。
「お~、クマキチ! 元気してたか~? ウリウリウリ~!」
花子のほっぺたを両手で鷲掴みにしてかわいがる。
マキは何でそんなに朝から元気なんだ……。
「クマキチって誰よ。花子だよ。女の子だからね?」
「がぅ!」
名前を間違えられたのに、花子は上機嫌だ。どうやらマキのことを気に入っているらしい。ハルルとはなんだかんだでけっこう仲が悪いのに、どこに違いがあるんだろうなあ。
「よし、全員揃ったな。さっそく本日のレッスンを始める」
麻里さんの号令がかかり、合宿2日目が幕を開けた。
* * *
「もっとだ! もっと感情を表に出せ!」
麻里さんの指示が飛ぶ。
もはや怒鳴り声に近いかもしれない。
「恥を捨てろ! もっとだ!」
泣きの演技。
もう1時間近くも感情表現『哀』のパートが続いていた。
「どうした! 恋人が目の前で殺されたんだぞ! お前らの感情はそんなものか⁉」
さっきまでは2時間並んでようやく買えたソフトクリームを床に落としてしまった時の『哀』だった。今は恋人が目の前で殺された時の『哀』になったらしい。
ちなみにこの感情表現のレッスン中、声を出すのは禁止。
それ以外の全身を使って感情表現をするのが今回の課題だ。
「声優の演技指導なのに声を出すのが禁止なのはなぜ?」という疑問が当然生まれるわけだけど、それに対する麻里さんの答えは「この合宿が終わった時にわかる」だった。今のところその答えはわかっていない。
「違う。『怒』の演技ではない。『哀』だ。隣を歩いていた恋人が、突然上から落ちてきた鉄骨に潰されて死んだ。その時の『哀』を表現しろ!」
突然鉄骨が上から?
……ウソ、でしょ?
え、今まで今夜の食事の話を……え? ボクが繋いでいるこの手は……あーーーーーーーーー!
怒りではない。
最初に訪れるのは空虚。そして現実に引き戻され、その後に来る絶望と悲しみ。
なんで……。
どうしてこんな……。
残された腕をただ抱きしめることしかできない。
「そうだ。いいぞ楓! それだ!」
どれだ。
今どこの部分を褒められた?
わからない……。
「恋人を親友に盗られた。かと思ったら、自分のほうが浮気相手だった時の『哀』だ!」
自分の立ち位置はどこだ……複雑……難しい。
一瞬の怒り、からの羞恥? 親友も恋人も同時に失った喪失感。
それから……。
* * *
2日目の合宿終了。
昨日よりもずっと疲れたよ……。
「今日の結果を発表する」
おお、さっそく!
昨日とは違って、けっこう手ごたえはあったんだよね!
今日こそボクの勝ちなんじゃない⁉ 1回褒められたし! 理由はわかってないけど!
「1位は真紀だ」
ですよねー。
知ってた定期。
同じくちょっと期待していたっぽいハルルも意気消沈ですわ。
「サイレントな演技でもマキはすごいなあ。どうしたら追いつけるのかな……」
素直に尊敬します。
「ふふ~♪ そんな簡単に追いつかれてたまるもんですかってね~♪ わたし、何歳から演技やってると思ってるの?」
「生まれた時から女優ですってやつ?」
「なんで疑問形? 子役で3歳からよん」
つまり……18年間?
「そんなの勝てるわけない!」
「ウソウソ。スカウトで事務所入ったって言ったでしょ~。本格的に始めてまだ3年くらいかな。それまでは学校の演劇部に入っていたくらいのものよ」
なんでそんなわかりにくいウソを……。
「3年! 私も3年後にはマキさんみたいに!」
具体的な数字を聞いて、ハルルが奮起したみたい。逆にボクは絶望感に押しつぶされそうだけどね……。
3年でこんなになれるものなのか……。やっぱり才能かなあ。いや、マキは努力の人だよね。演技に対する情熱と、そこに到達するための努力は誰にも真似できない領域にあるかもしれない。オフの時のスイッチの切り方はすごいけど、それも含めて生活のすべてが演技のために存在しているんだろうなあ。
「そういえば気になってたんだけど、マキはさ、恋愛の演技はどうしてるの? やっぱりホントに恋人を作って実践してたりする?」
役作りのためにどこまでプライベートを捧げているんだろう。
普通に気になってしまった。
「え~♡ わたしの恋人は~♡」
「あ、そういうのじゃなくて、本気のやつ」
真面目に気になるのですよ。
「ん~、漠然とした恋人はいても意味ないかな」
おふざけモードから一瞬にして役者の顔になる。
「恋愛の演技が必要ってことは、台本上すでにそういう役が与えられているか、そういう役のオーディションに参加するわけでしょ。つまり自分の人格も恋人の人格も明確なわけよ」
まあそうか。
どんな恋人でも良いわけじゃない。自分の役、相手の役、その関係性が大切なんだ。
「つまり、本物はいらないってわけ~。言うなれば、エア恋人とのエア恋愛をすればいいってこと~。わたしの想像力を舐めるなよ♡」
あなたはバキさんか何かなんですか?
いや、まあ、ストイックさから言えば、あの人に匹敵するくらいのものはありそうですけどね……。
「すごいです……。エア恋人……」
ハルル、感心してるけど、傍から見たら痛い人だから……。マキだから成立して……成立しているのかも怪しいけど、「マキだから」で周りも放置している、のかもしれないね。
「大変勉強になりました。今日もありがとうございました」
まだまだマキの背中は見えてこなかったな。
明日もがんばろう……。




