【057】バルトロ・ヴィゴーニュの人生(2)
――自分を追いかけてきた女性と結婚しようと思っている。
そう告げると、お頭は良い顔はしなかった。
それはそうだろう。
組織の人間に大事なものができることはそれすなわち、足手まといになりかねない存在ができるということでもあるからだ。
だが、バルトロの顔を見て、お頭は溜め息をひとつこぼすと、「詳しいことまでしっかり話してやれ。できる限り自分の身は自分で守ってもらう必要がある」と言った。「おめでとう」とも。
心の底から祝福してくれているわけではないだろう。それでも許可はもらえた。充分だった。
帰宅してから、エルサと共に喜んだ。
やがて、二人のもとに新しい命がやってきた。
正直、予定外の出来事だった。
結婚する際、二人で決めたのだ。自分たちの人生に子どもを巻き込むのはやめようと。
だから、極力気をつけてきたつもりだった。しかし、何事も完璧にとは行かないものなのだろう。
宿ってしまったからには全力で愛情を注ごうと決めた。最初から、子を諦めるという選択肢はなかった。ただ戸惑っただけだ。
今まで以上にエルサを労り、生まれてきた子にはメイサと名付けた。
愛らしい、エルサそっくりの女の子。
小さな体を抱いて、妻が愛しげに微笑む。
――幸せだった。
たぶん、生きてきた中で一番。
「……だが、まあ、幸せなんてずっとは続かないもんだ」
冷たい石の床の上で胡座をかいたバルトロが、皮肉っぽく鼻を鳴らした。
元は貴族だったのかと、複雑な気持ちでロズリーヌは肩を竦める。
「お頭が歳を理由に引退して、その後は俺が跡を継いだ」
話が続いた。
――組織を自分がまとめるようになり、しばらくが経ったある日。
とある男が接触してきた。
随分と上等な服を身に着けていて、侍従が背後に控えている。見るからに庶民ではなかった。
関わっては駄目だと直感が働く。
かつて、末席ながらも貴族の一員として名を連ねていた自分と、この組織を通して見てきた景色。それらから得た勘が「今すぐ逃げるべきだ」と囁いた。
「お客さん、すみませんが……」
鈍感な振りをして、バルトロは苦笑気味に口を開く。
「こいつを頼む」
そんなバルトロの言葉を遮り、男は一枚の紙切れを差し出してきた。
不自然に笑みを保ったまま、視線を落とす。
白の上に、紫のインク。
真ん中に、かろうじて読める雑な文字で女性のものらしき名前が書かれていた。
「これは……」
背筋を伝い、冷たいものが流れ落ちていく。
その感覚に、バルトロは唾を飲み込んだ。相手に緊張を悟られないよう、湿り始めた手のひらを、トラウザーズの表面に擦りつける。
「始末してほしい。一月以内だ」
――金は今日中に届けさせる。
男はそう言って立ち上がった。
まるで断られるなどと思ってもいない尊大な態度。今度こそ、汗が噴き出た。
「や……」
いや、とはっきり言ったはずだったが、声が掠れた。男の侍従はこちらを一瞥したが、男はさっさと背を向けて足を踏み出してしまう。
頭の中で警告音が鳴り響く。
このまま行かせては駄目だと。
「……お客さん!」
喉が締まる。
だが、男は振り向いた。
いかにも面倒くさそうな表情だったが、バルトロは続けて言う。
「お客さん、すみませんが、そういった依頼はお受けしてないんですよ。今の話は内密にしますから、もう少し規模が大きいところに……」
「エルサとメイサといったか?」
時が止まった。
えるさとめいさ。
――エルサとメイサ?
単なる音にしかすぎないそれが、二人の名前を形作る。エルサとメイサ。エルサとメイサだ! 体から力が抜けるようだった。
「なぜ、その名前を……」
呆然と呟くと、男はやはり面倒くさそうに口を開く。
「調べれば簡単にわかることだろう。可愛らしい妻と娘じゃないか」
可愛らしい妻と娘。
褒められたのではない。
男の口調と表情から、それだけはわかった。
「――高く売れそうだ」
この(バルトロの)くだり、少々長くなっておりますがもう少々お待ちください。
次話あたりで終わる予定です。




