【055】バルトロ・ヴィゴーニュ
ドロテの脅迫文も。
侍女長の手紙の破棄も。
ロズリーヌにまつわる良くない噂も。
ロズリーヌの誘拐も。
――中心にはルフィナがいた。
常に微笑み、我関せずな態度を貫きつつ、ロズリーヌひとりを排除しようと動いていたのだ。
「その件についても証拠はそろっているので、とぼけようとしても無駄です」
「……とぼける? わたくしが?」
「あなたは圧倒的に頭が足りていない」
宰相の言葉に、ルフィナが言葉を失ったかのように口を噤む。遠回しに――いや、だいぶ直接的に『馬鹿』だと言われたのだ。
それも、一国の重鎮に。
「――バルトロ・ヴィゴーニュ」
宰相がその名を口に出すと、ルフィナの分厚い睫毛に彩られた瞳がわずかに見開かれた。
「当然、聞き覚えがあるでしょう」
「……ありません、と言ったら?」
宰相を試すように、ルフィナが言う。
だが、相手は宰相。そんなものは無駄なのだ。
宰相は眉ひとつ動かさず、口を開いた。
「彼をこの場に召喚する。今すぐに」
かつん、かつん。
ヒールの音を響かせながら、ロズリーヌは広々とした豪奢な廊下を歩く。
「……やっぱり――」
「今さらやめた、は無しでお願いね」
隣に並ぶセレスタンが不服そうに沈黙を落とした。その意味を理解して、苦笑する。
――明日、すべての決着がつくという今日。ロズリーヌはある男との面会に臨もうとしていた。
男の名はバルトロ・ヴィゴーニュ。
ロズリーヌ誘拐の実行犯にして、『お頭』と呼ばれていたあの男である。
「でも、君が危険な目に遭ったらと思うと」
「格子越しに少し話すだけでしょう? 危険なことはないわ」
「それはそうかもしれないけど……相手は犯罪者だ。何を言ってくるかわかったもんじゃない」
溜め息まじりに、セレスタンがこぼす。
どのような形でも、婚約者が傷付けられはしないかと心配しているようだ。
ロズリーヌはセレスタンの腕にそっと手を添える。エスコートをしてもらうときのように。
「心配してくれるのはうれしい。守ろうとしてくれているのも、十分伝わってる。ありがとう」
「いや、それは私が勝手にやっていることで……」
「だとしてもよ。うれしいものはうれしいんだもの。今日も、あなたが隣にいてくれるだけで心強い」
今まで――少なくともこの数年、ロズリーヌは独りで戦っているようなものだった。
途中からセレスタンが相談に乗ってくれたりはしたが、婚約者以外の異性と親しくするわけにもいかず、『自分ひとりでどうにかしなくては』という気持ちのほうが強かった。
ユーフェミアやリンダ、リンのように気を許せる友人はいたものの、いつでも対等に頼れる関係かと言われれば、素直に頷くことができなかったので。
助けてくれる人などどこにもいやしないと思っていた、少し前までの自分。
何が悪かったの? 私の何が?
そうして、自分の中で苦しんでいる過去の自分が、セレスタンと一緒にいるとほんの少し救われたような気持ちになるのだ。
ロズリーヌの光だった。
「守るよ」
セレスタンが答える。
「君が言ってくれたように、私も」
どちらからともなく視線を合わせて、小さく微笑んだ。
「お前たちは絵になるな」
そこに第三者の声が介入し、ロズリーヌたちは思わず足を止める。
「殿下、本日は――」
「ああ、いい、いい。今日は挨拶は無しだ。それよりも、心の準備はできたか?」
物々しい雰囲気を放っている扉の前に立つのは、王太子アーロン。今から行われるバルトロとの面会に、彼も立ち会う予定になっていた。
会話に夢中になっていた二人は、いつの間にか目的の場所に到着していたらしい。
アーロンの気遣いを受けて、ロズリーヌはおもむろに頷く。
――心の準備はできた。
しかし、緊張はする。
セレスタンは、腕にかかる細い指先に力が入ったのを感じて、そっと自身の右手を婚約者のそれに重ねた。
「よし。では、行こう」
そう言って、アーロンが扉の脇をかためる騎士二名に目配せをすると、騎士たちは「どうぞ」と扉を開け放った。
階段がある。
うっすら明かりは灯っているが、奥に行くにしたがって暗さが増しているようだ。
階段を下りた先が目視できず、ロズリーヌの心の中で小さく不安が揺れた。
「見てのとおり暗いからな。足下には気をつけて」
アーロンが慎重に歩き出す。
「気をつけて」隣でセレスタンが囁くように繰り返すので、ロズリーヌは頷いた。
それにしても、ヒールを履いている女はこういうときに不便だわと思いながら。
(暗い……)
そして、一段一段、階段を下りるごとに寒くなっていくようにも感じる。
深く、暗く。
まるで深海のように。
ここにあの男がいるのだ。
バルトロ・ヴィゴーニュが。
「――よう、お嬢ちゃん」
果たしてそこにいた男は、案外平然とした表情を浮かべてロズリーヌたちを歓迎した。
格子の向こう側、軽く右手を上げてみせる。
「彼女になら話してもいい。尋問を担当した騎士にお前はそう言ったそうだな」
アーロンが切り出すと、バルトロが片眉を持ち上げた。「あんた、誰?」
確かに尋問に王太子自ら同席することはないので、顔を知らないのも無理はない。
「こちらは、我が国の王太子殿下であらせられる」
アーロンに代わり、セレスタンがそう口にする。犯罪者相手に名乗らせるわけにはいかないと判断したのだろう。
「……王族かよ」
吐き捨てるように言って、バルトロは鼻で嗤った。以前の言葉から、バルトロが王侯貴族を嫌っているらしいことは、ロズリーヌも理解している。
平民にはそのような者も少なくないので、不思議はない。
「あんたは?」
次いで、バルトロはセレスタンに視線を走らせた。
「わたくしの婚約者よ」
答えたのはロズリーヌ。
「……へえ。じゃあ、あんたがお嬢ちゃんの『大事なもの』っつうことか」
――大事なものがあるならね、ほんの少しの躊躇もしては駄目なのよ。
あのとき。
窓から飛び降りたとき。
そんなことを言ったのだったと、ロズリーヌは思い出す。
何がと具体的なことは明言しなかったはずだが、バルトロは『人』だと解釈したのだろう。まあ、間違いではないが。
「そうね。でも、あなたがしたい話はそんなことではないのでしょう?」
短く肯定して、話を促す。
バルトロは尋問で口を割らなかったという。平民が貴族令嬢を誘拐するという重大な犯罪をおかしているので、拷問にかけられてもおかしくはないのだが、最初からバルトロは「お嬢ちゃんになら全部話す」と言っていたらしい。
それが叶うなら、拷問より随分と簡単である。
ただし、ロズリーヌは被害者本人。
面会を受け入れるか否かは本人の判断次第という条件のうえ、騎士団からアーロン、セレスタン経由でそれとなく聞かれたのだった。
セレスタンは当然のように反対したが、ロズリーヌは承諾した。真実を知りたかった。
「まあ、そう急くなって。俺は、王族も貴族もクソくらえと思っているが、お嬢ちゃんのことは信用してもいいと思ってるんだぜ?」
「理由はさっぱりだけれど、信用してくれているのならなによりだわ」
そこに、セレスタンが椅子を持ってきた。
面会用に、騎士たちが用意してくれていたのだろう。牢の横に置いてあったものだ。
「ありがとう」礼を述べ、バルトロに向かい合うようにして腰掛ける。
「……お嬢ちゃんは生粋の貴族だったんだなあ」
ロズリーヌをしげしげと眺めながらそう言うバルトロに、「どういう意味かしら」とロズリーヌは訊ねた。
「いんや? ただ椅子に座る仕草でさえ優雅だなと思っただけだよ。純粋な感想」
「話す気がなくなった?」
「まさか」
バルトロが口元だけで笑む。
その口から語られるのがどこまで事実かわからないが、ロズリーヌにはそれを聞く義務がある。
そのためにここまで来た。
このようなことがなければ、一生足を踏み入れなかった場所だろう。
「じゃあ、話そう」
いよいよ、バルトロが語り出す。
「――俺の人生を」




