015 金糸の鈴芽
金糸の鈴芽。
漆寝曰く、彼女が無銘亭で働く前から泊まっていたらしい。対人恐怖症の引きこもり体質なのは当初からで、最初は食事もすべて部屋に運んでいたと懐かしんでいた。最近では人目を忍んで食事に下りてくるくらいはするようだ。
「俺がいたのは想定外だったわけだ」
「様子を見ていただけでも凄いことですよ? 狂璃さんきっと好かれてます」
「いや、それはないだろ……」
階段を上がる足音は全力のそれだった。好かれているとは到底思えない。
それでも眼鏡を手に鈴芽の部屋へと向かうことにした。漆寝から「私も最初の頃に使いました」と言って手渡されたボールペンを握り締める。気も足も重い。だがその程度は払拭するべきだ。
時間帯も考慮して静かに階段を進む。聞いた話では、鈴芽は定期的に珍しい道具を売って宿代へと換えている。出歩きもせずにどこから。漆寝は不思議がっていた。引きこもる前から持っていたなどの推測はいくつかできるが――。
軋む階段を上り終え、三階通路の一番奥、右手の扉と対峙する。
左手の部屋にもう一人いるらしいが詳細は不明。漆寝も姿を見たことがないと言っていた。二ヶ月以上前から泊まっていることは確からしいが、いまはそれよりも鈴芽だ。
手の中の眼鏡に視線を落とす。
厄介な相手ではあるが情報は聞き出したかった。小さく扉をノックして反応を待つ。音に注意を払うがなにも聞こえない。寝入るほどの時間はなかったはずだ。もう一度ノックする。かさりという音。たぶんベッドの干し草だ。
離れているとはいえ三階には「三十路協定」が泊まっている。あまり声は出したくないのだが、扉を開けるどころか様子見に起き上がってもくれないのならしかたない。
「眼鏡、落としただろ。返そうと思って」
聞こえたはずだが反応はない。待機継続。起き上がったらしい音がした。扉を挟んだ向こうに立った気配がする。扉は開かない。少しして、床を叩く小さな音。
――紙?
扉の隙間から出したらしい。
拾い上げてカンテラを頼りに確認すれば、手短に一言書いてあった。
『置いといて』
なるほど。ここでボールペンの出番なわけだ。
『少し話がしたい』
空いているスペースに書き込み、扉の隙間から中に入れる。小さく床を指で叩く合図も忘れない。一応、まだ相手は扉の近くにいる気配がしていた。
返事はすぐにきた。
『お断りだ』
なるほど。やはり話す気はないらしい。困ったので作戦を決行する。
『それなら眼鏡は返さない』
『ふざけんな』
『ふざけてない』
『私のだ。置いたら早く帰れ』
字が乱れている。大切な眼鏡だというのは本当らしい。情報提供してくれた漆寝に感謝だ。しばらく煽っていると、紙に書くスペースがなくなってきた。
『提案がある』
『返せ』
『パーティチャットで話そう』
同時にストレージを操作し、こちらからパーティ要請を飛ばした。呼白とのパーティは先に解消しておく。仮に鈴芽が受諾してくれたとして、そのとき余計な勘繰りをされても困る。
かくして待つことしばし。一瞬、焦点がずれたような錯覚に襲われた。あるいは揺れない眩暈のような。まだ慣れない。ともあれ、意識下でなにかが繋がった感覚がする。パーティチャットの通知音がした。これで空中に投影したキーボードを叩くだけで済む。
『鈴芽:返せよ盗人』
『狂璃:随分だな。返す気はあるよ』
告げて、部屋の前から去った。
一階まで戻ったあたりで再びチャットの通知音。
『鈴芽:おいふざけんな。眼鏡どこだよ』
俺は手の中の眼鏡を眺め、天井を見上げ、どうしたものかと思案した。
とりあえず漆寝に軽く状況を伝えてからテーブル席に座る。
『狂璃:ここだけど』
『鈴芽:だからどこだよ』
『狂璃:一階』続けて『鈴芽も下りてきたら渡せるんだけどな』煽る。
次の返信には少し間があった。チャット入力中表示が何度か取り消されたことから、書いては消してと言葉に迷ったのだと読み取れる。
『鈴芽:返す気ないだろ。あと呼び捨てキモい』
『狂璃:あるよ。えーっと、鈴芽ちゃん?』
『鈴芽:マジキモい』
『狂璃:じゃあ、鈴芽さん、鈴芽様、スズ、すーたん、どれがいい?』
『鈴芽:キモいって。普通に飾字+さんでいいじゃん』
『狂璃:金糸さんね、了解。俺は飾字がないから普通に狂璃でいいよ』
『鈴芽:どうでもいい』
その後も適度に煽りながら会話を続けた。実際に見かけた彼女と文字で会話する彼女では随分と印象が違う。紙でのやり取りで、言葉選びに加えて筆跡から感情的なタイプだとは察しが付いた。チャット上の彼女も同じだ。こちらが悪者を演じているのもあるが、随分と好戦的で感情的。だが直情径行というわけでもない。こちらを罵倒する言葉選びに遠慮があるように思えた。ミスタイプも感情的なレスポンスの割りに極端に少ない。
「漆寝さんともほとんど喋らないんだよね?」
「はい。食事に下りてくるときも最低限のやり取りだけですから。でも言葉遣いは丁寧ですよ? 以前、忘れた眼鏡を渡したときもそうでした。話すのは得意ではないみたいですけど……」
紅茶を用意してくれた漆寝と話しながらも、すでに眼鏡を返せとは発言しなくなった鈴芽相手にチャットの返信をする。内容は食事について。無銘亭では食べられない食べ物――、主にジャンクフードが話題の中心だ。ある程度予想はしていたが、たぶん、鈴芽は話し相手に飢えている。煽って会話することへの心理的なハードルを下げたあとは簡単だった。
『鈴芽:漆寝と狂璃だけ紅茶飲むとかずるい。私にも振舞うべき。CPならある』
『狂璃:またまたご冗談を』
『鈴芽:本気だよ本当だよ』
『狂璃:だって振舞おうにもスズは下りてこられないだろ』
『鈴芽:それは言わない約束だろうがあ!(´;ω;`)』
打ち解けた、と解釈するべきか。キャラが変わっている。本題には入れなかったが、チャット自体は朝まで続いた。雑談の端々から拾えた情報から推測すれば、やはりと言うべきか、鈴芽はかなり特別な力か知識を持ってる。
「眠そうですけど、大丈夫……、ですか?」
「今日の狩りは微妙かな。無理をして怪我するのは避けたい」
朝の仕込みを粗方終えたらしい漆寝に気遣われた。
『狂璃:スズも一緒に朝食にしない?』
『鈴芽:どうしてもってキョウが言うなら、考えなくもなくもない』
『狂璃:一緒に食べたい。どうしても』
『鈴芽:しょうがないにゃあ』
そういうわけだからと漆寝に話し、朝食を出してくれるように頼んでおく。
待つことしばし、のそのそと動く暗緑のフードローブが階段に姿を見せた。手すりをつかみ、こちらをうかがうように下りてくる。だが、別に眼鏡がなくて見えないから遅いというわけではないだろう。聞いた話では伊達眼鏡だ。俺と同じで、以前は悪かった視力も、ここで目覚めたときには回復していたらしい。
「おはよう、スズ」
ぺこりとフードをかぶったままの頭が動いた。「……ぉ、ぉは、……ぉ……」とかなんとか挨拶らしき声が聞こえなくもなかったが、まるで聞き取れない。椅子を勧めてやるとのろのろと座った。
「これ、返すよ。ごめん、どうしても話したかったから」
「……っ」
鈴芽はフードをさらに目深に引っ張りながら眼鏡を受け取った。前と同じで口元しか見えない。チャット上との違いに改めて驚きはするが、指摘はせずに適当に話をした。こちらが一方的に喋り、鈴芽は首を縦か横に振る。単調なやり取りだったが、無駄に一晩語り明かした分だけ気楽さはあった。
「おはようございます、鈴芽さん」
「ぅ……ぁ、ぅ……」
またもごもごと挨拶らしき言葉を発したが聞き取れない。漆寝は慣れているらしく、聞き返したりはしなかった。朝食を置いて奥へと下がる。
こちらだけ喋るので自然と自分語りが増えた。鈴芽は返事はほとんどないものの、相槌だけはしっかりとしていた。聞きながら食事の手が止まりがちなので、相槌がポーズで内容は流している、――というわけでもないらしい。ただそれを差し引いても食べるのが遅い。俺が食べた時点でまだ半分といったところだった。
目玉焼きは小さく切り刻んでから口に運ぶ。サラダは野菜の種類ごとに分別してから口に運ぶ。それらを飲み込むまでもまた長く、次の一口を選ぶものにもまた時間を要した。
その間、俺は可能な限り喋り続けた。できるだけ親密になっておこうという意図があったからだ。冷静になれば話しすぎという気もしたが、徹夜したせいか妙に饒舌で歯止めが利かなかった。すべてを食べ終える頃には、広場狩りの武勇伝まで語っていた。
「――というわけで、もっといい武器が手に入れば次の広場も狙えるな」
まだ下見すらしていないというのに、勢いで俺はのたまう。流れ的に冗談の範疇だと思ったからでもある。だから鈴芽が視線を落として膝の上でなにかしているのを見て、チャットで突っ込みをしようとしているのだと考えた。軽く小気味良い通知音。
『鈴芽:作ってあげようか?』
思わず目の前の少女を凝視した。
フードに隠れた目元の下で、口元が得意げに緩んでいる。そんな態度になるのも理解できた。やはり彼女は過去に溜め込んだ道具を売りながら暮らしているのではない。彼女は狩りでは手に入らない物を「作り出せる」存在だ。
彼女が無銘亭で暮らしている以上、過度な期待はできない。だがそれでも。もしスキルによるものだとすれば、食材を「作り出せる」可能性すらある。
『鈴芽:驚いた?』
鈴芽がちらりとこちらをうかがった。眼鏡の奥。濃藍の瞳が見えたのは一瞬で。彼女は慌てて目を逸らす。返事をするために口を動かせたのは、それから六度、鈴芽が似たようなメッセージを送ってきた後のことだった。そんなに聞かなくても大丈夫。驚いてるって。




