メンフィス、テネシー…9
太陽はミシシッピ川の彼方に光を収めつつあった。街は日暮れの色を映して優しく、ネオンのきらめきを遠近に散らしていた。舗石からは昼の余熱が立ち昇り、ライトブルーに輝くウェルカム・アーチの下を、二人はくぐっていった。
「ねえ、ビリー」
影を長く伸ばしたバリケイドをよけながら、エルが言った。
「あ?」
肩越しにエルを振り返るビリーの口元には微笑みがあった。
「顔が赤く灼けてる」
「そうか?」
ビリーは自分の左右の頬を撫でた。エルはビリーに並びかけながら言った。
「うん。赤い。ちゃんと日焼け止め塗らなきゃって、あたし言ったよね」
「ああ、そうだったな」
ビリーは唇を捻じ曲げて何度か頷き、それから顔を上げ、夕の雲に向かって言った。
「明日から、そうするさ」
エルは白い歯を見せて微笑み、言った。
「あたしのはもう、貸してあげないからね。ちゃんと自分のやつを買ってね」
「ウォルマートとかに売ってんのか」
「たぶん。男の人用のとかもあると思う」
「なにが違うんだ」
「さあ?」
エルは小走りで通りの端に寄っていき、街路灯を掴んで身体をぐるりと回しながら、軽い声で付け加えた。
「なんか違うんだよ、きっと」
ハイハットが跳ねるハンディ・パークを過ぎ、ストリング・ライトが彩るテラスの人影を見上げ、ネオンの瞬き映るウインドウを眺めながら、夏の夕の大気の中を二人は歩いた。丸々とした眼鏡の婦人が両手を掲げて踊っていた。フラーニ・ブレイズやボールド・フェイドの若者たちが笑いながら通り過ぎていった。蒸れた空気の中をメンフィス・バーベキューの甘い煙が漂い、レンガ造りのジョイントからは汗と黴と尿とカナビスの匂いとともに、光と熱と音楽が通りに溢れ出していた。ハモンド・オルガンがグリッサンドで駆け上がっていった。向こうの交差点を白い馬車がゆっくりと横切っていった。
サイドウォークのオーニングの下ではテンション交じりのピアノが十二小節のスロウなブルースを奏で、ポークパイ・ハットの男が穏やかに眉を上げて右指をひらめかせながら、艶のあるトランペットを響かせていた。男の頬には汗が滲み、ハットの黒と、エスプレッソ・ブラウンの肌と、トランペットの真鍮が、電飾の光を受けて輝いていた。
「ねえ、ビリー」
フローズン・ヨーグルトのカップをトラッシュ・キャンに捨てていたエルが追いついてきて、言った。
「あ?」
左に並んできたエルを見て、ビリーは楽しそうに訊いた。エルは両手を後ろで組み、ウォーク・オブ・フェイムの真鍮の八分音符を見下ろしながら、落ち着いた声で言った。
「明日はエルヴィスのお墓参りにいこうね」
ビリーは顔をしかめ、右眉を上げながら訊き返した。
「グレイスランドか? あそこはアホみてぇに高ぇぞ」
エルは半分ビリーに顔を向けて、首を振った。
「朝のうちは無料で入れるんだって。さっき教えてもらった」
「タダか」
ビリーは右手の親指と人差し指で、ちょんちょんと顎に触れた。
「それなら、悪くねぇかもな」
「悪くないかもでしょ」
そう言ってからエルは、両腕を叩き合わせるように大きく開閉させながら、跳ねるように何歩か前に駆けた。
「かもな」
ビリーはぼんやりとした目でエルの肩甲骨が動くのを眺め、顎鬚を擦りながら言った。エルは不意に立ち止まって振り返り、近づいてきたビリーを見上げて、ふざけるように言った。
「もしかして、クソみたいに?」
「ああ」
ビリーは眉を上げてエルを見下ろし、ふっと微笑みながら頷き、通りの彼方に目をやり、紫色に溶けていく太陽に瞼を細めながら、呟いた。一語一語確かめるように呟いた。
「もしかしたら、クソみてぇに、悪くねぇかもな」




