第一章閑話 りんごのパイ
今日は珍しく、フェルディナントの屋敷から人が消えた。どうやら年に1度ある記念日で、この日は家族と過ごすらしい。
フェルディナントは毎年、ネイリールの所で過ごすらしく、ヒースもそこにいる。凛の場合はここに家族はいないが、家族のように愛しい存在はこの国に沢山いる。
フェルディナントやヒースが城においで、と言ってくれたから、後で行くつもりではある。
この沢山のお菓子と共に。
朝、皆を見送ってから作り出した料理の数々。といっても、お菓子だ。ちょっと。いやかなり?作り過ぎたかもしれない。
フェルディナントの屋敷にある大きいテーブルに、所狭しと並べられたお菓子の数々。城に持っていけば、誰かしら食べてくれるだろう。そう思っておく事にした。
朝から夕方まで作りたい放題。
オーブンが幾つもあるこの広い厨房。次から次へと焼けてしまう。しかも材料は山盛りであって、使い切っても何の問題もない状態。屋敷に人がいないから、止める人間もいない。
案の定、山盛り状態の手作りお菓子。
この国は魔法があるので、保存を気にする必要もない。
魔力で箱のようなものを作り、1つずつそこに収めていく。勿論、この量を手で運べるわけもなく、異次元保管をしておく。
片づけを終え、エプロンを脱ぎ、服を着替える。
お菓子を作る間中に着ていた服は、明日洗えばいいかと部屋の椅子にかけておく。
自分で購入した服をいれてある箪笥を開け、着るものを選んでいく。首を隠すような薄手のものを着て、甚平のような服を着て紐を結ぶ。パンツは黒。肩にマントを羽織るのはもう癖になっている。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって一言。すっかり、ここが自分の家になっている。たかが数ヶ月しか経っていないのに。
地球にいる家族にも勿論会いたいが、それはまだ大丈夫。ここにいてもいい。そう思えるからこそ、焦ったりはしない。
鍵を閉めて、外を歩きながら思い出に浸る。
何でも出来る姉だったけど、料理だけは壊滅的だった。大雑把過ぎる姉を思い出していたら、思わずくすり、と笑いを漏らしてしまった。
「笑うんだな」
凛の笑い声に反応したのは、意外な人物だった。
「お城に戻らないんですか?」
「人が多いから戻らない」
少し膨れっ面で、いじけているように見える。そういえば18歳だったとディネールの年齢を思い出した。
ディネールとの出会いは、ある意味衝撃的だった。それを思い出しても笑える気がすると凛が思っていると、そのディネールが話しかけてくる。
「そういう貴方も珍しいですね。皆に囲まれていると思っていました」
凛の真実を知っているディネール。
「フェルに厨房を借りてお菓子を作ってたら、この時間になっちゃってね。今から届けに行く所」
「あぁ、道理で。貴方から甘い匂いがしている」
少し、じゃなくかなり元気がないと、全ての竜を見守る役目である凛は、ディネールの蟠りを感じ取ってしまう。
「ディネールさん。あそこに座りましょうか」
いつものように公園を歩いていたらディネールに会った。だから座る場所には困らない。戸惑うディネールの手を取り、近場のベンチに座らせる。
凛もディネールの横に座り、空を仰ぐ。
綺麗な夕日。
「綺麗ですよね」
「綺麗だが……何を考えているんだ?」
戸惑いの表情を浮かべ、凛を見るディネール。
「先に食べてみますか? 甘いものが嫌いじゃなければ、ですけど」
透明のケースに入れられたケーキの数々。一通り見せてみれば、エリグの所で視線が止まる。エリグというのは、地球でいうとりんごに似たものだ。
「これにしましょうか」
箱の中にナイフの形を魔力で作り出し、2人分を切る。
皿はガラスではなく、紙で作られた皿とプラスチックのフォーク。
「どうぞ」
「……」
ケーキはまた、異次元にしまいこみ、ディネールの反応は気にせずに一口分に切り、口の中へといれる。
「(味はまぁまぁかな)」
「……」
無言のまま、ディネールもエリグのパイを食べ始める。
お互いに無言で食べ続けていたら、ディネールが食べ終わった皿を膝の上に乗せた。
「……美味しかった。母上にも食べてもらいたいぐらいには……」
「エリグが好きだったんですか?」
凛の言葉に、ディネールが小さく頷く。
「この日は、母が好きだった日だった。亡くなって6年。この日のこの時間は毎年、母を想う事にしている。もう少ししたら城に戻るけどな」
「そうですか。オレはこの辺で失礼します。城に戻ったら、別のケーキも食べてみて下さいね」
これ以上は邪魔かと思い、席を立とうとしたらディネールが凛のマントを掴んだ。
「……もう少しだけ……付き合ってくれないか?」
ディネールの言葉に、凛は無言のまま座った。
凛の魔力がディネールの身体を包み込み、癒しをしてくれる。それに気付いたディネールは、凛のマントを掴んだまま母親に告げる。
「(母上。私は前に進んでいきます)」
突然の別れで、最後に間に合わなかったディネール。恩恵持ちだったが、身体が弱く、子供を産むのは無理だと言われていた。
それを感じ取っていた凛は、ディネールを包み込む優しい光に手を触れた。その時に流れ込んでくる心。
「12年間。子供を産めないと言われた私が貴方を産んで12年。12年間も一緒に居られた。ありがとう、ディネール。私の子供に生まれてくれてありがとう。
私は幸せよ。これからも、貴方の幸せを願っているわ」
「そ……れは……」
「暗くなってきましたね。そろそろ戻りましょうか」
凛は答えずに席を立ち、ディネールに手を差し出す。
「間に合わなかった事を背負うと、逆に泣かせてしまいますよ」
「リーンさん……」
逆光だからなのか、立ち上がった凛の表情が見えなかった。まるで見えなくていいと言われている気がした。
「行きましょうか」
笑みを浮かべ、凛の手を取ったディネールを立たせる。まるでエスコートをするかのように。
「あぁ、行く。前に進むんだ」
凛の手を握り締め、空を見上げながら宣言するかのようにディネールは言い切った。




