第19話「蘭子の理論が止まらない」
(語り手:佐倉涼子)
放課後の準備室に、静かな嵐が吹いていた。
机の上にはノートが3冊、ホワイトボードには数式、机の周囲には物理の参考書とコーヒーの空き紙コップ――
そして中心には、燃えるような眼をした赤﨑蘭子。
「……というわけで、エネルギー保存則が破れている“ように見える”のは、見えないエネルギー形態が介在してる可能性があるってこと。例えば内部エネルギー、熱エネルギー、回転運動への移行とか……!」
蘭子の言葉が止まらない。
「ちょっと待って、今、何の話してるの?」
私が手を挙げて聞くと、蘭子はぴたりとこちらを向いて、そして言った。
「実験で、“落とした物体が跳ね返らなかった理由”についてだ」
今日の実験は、エネルギー保存則の確認。
高さhから物体を落として、その落下中の運動エネルギーと、最初の位置エネルギーを比較するというもの。
私たちが行ったのは、
スポンジボール、ピンポン球、ゴム玉――それぞれ同じ高さから落としたら、どうなるか?
「理屈では、完全弾性衝突ならエネルギーはそのまま返ってくるはず。でも、どれも明らかに跳ね返ってこなかった」
加奈子が手にゴムボールを持ったまま、ぴょいっと落とす。
ぽすっ。
「ほら、全然戻ってこない。エネルギー、どこ行った?」
その問いが、蘭子に火をつけた。
「音、熱、内部変形、摩擦、空気抵抗……。でも、どれも定量的に測るのは難しい」
「定量的って、“数字で”ってことだよね」
「そう。数値化できないものは、物理の中では“曖昧”な扱いになる。でも、それでも無視はできない」
蘭子はホワイトボードに書いていた式の下に、
“E_total = E_mechanical + E_internal + α”
と書き足す。
「αって何?」
「“まだ名前のついてないエネルギー”だ」
「出た、蘭子の謎記号」
でも、私はふと思った。
こうして見えないものに“名前”を与えること。
それこそ、科学の始まりなんじゃないかって。
加奈子がペンをくるくる回しながら言った。
「でも、こうやって考えてくとさ……“エネルギーが消えた”って思うのって、
“自分が見えてない”ってだけなのかもね」
「まさにそれ。だから、エネルギー保存則は“法則”なんだ。
見えなくても、“ある”って信じる。それが物理の根っこ」
蘭子は自信たっぷりに言い放った。
私はその横顔を見ながら、ふと思った。
この人、たぶん一生止まらない。
理由があれば進むし、理由がなければ**“理由を作ってから”進む**。
夕暮れ、ノートに私がメモした言葉。
エネルギーが消えたように見えるのは、
私たちの見方が足りないから。
“見えない”と“ない”は、違う。
それを教えてくれるのが、蘭子先輩の“止まらない理論”だ。