聖地巡礼(コミカライズ配信記念)
フォルクハルトは領地へ移住するために、王宮魔導士を辞めるつもりでいた。しかし才能あふれる人材を逃したくなかった上層部は国王と話し合い、デッセル男爵領に王宮魔導士支部が作られることに。
そこの支部長に就任予定となったフォルクハルトは、支部へ赴任させる人材の選定やら、本部での引継ぎやらで忙しい日々を送っていた。
そんな中でも、フィリーネとの時間は大切にしたい。少しでも時間を確保するために早めに屋敷へ帰るようにはしていたが、それでもフォルクハルトは物足りなさを感じていた。
「フィー。次の休みに、どこかへ出かけないか?」
何とか休みを確保したフォルクハルトはある日、フィリーネにそんな提案をした。
思い返せば妻とは、旅行以外でデートへ出かけたことがない。妻を飽きさせないのも夫の役目だと思いつつ、それはただの言い訳に過ぎない。
今のフォルクハルトは、フィリーネを一日中独占したくて仕方なかったのだ。
提案を受けたフィリーネは、一瞬だけ喜ぶ表情を見せたが、すぐに心配そうにフォルクハルトを見つめる。
「お気遣いは嬉しいのですが、フォル様はお疲れでしょう? お休みの日はゆっくりと休まれたほうが良いと思います」
「俺の疲れを取りたいと思ってくれるなら、なおさら提案を受けてほしい。フィーと一緒に楽しめたら、疲れなど吹き飛ぶはずだ」
どうやらフォルクハルトは、休むよりも気晴らしがしたいようだ。少し安心したフィリーネは、こくりとうなずいた。
「どちらへ、おでかけするのですか?」
「それは、フィーが決めてくれ。買い物でも、食事でも、お芝居でも、フィーが行きたい場所へ行こう」
そう言われたフィリーネは、うーんと考えた。領地へ移住前にフォルクハルトと出かけられる機会など、もうないかもしれない。悔いが残らないよう、慎重に決めなければ。
(フォル様と一緒に行きたい場所……。そうだわ、『聖地巡礼』なんてどうかしら!)
聖地巡礼とは、作品の舞台になった場所や、ゆかりの場所への訪問を意味する言葉。ファンは作品に関わりあいのある場所を聖地と位置づけ、ありがたく巡礼するのだ。
フィリーネも、その聖地巡礼を体験してみたい。なにせこの世界はゲームの中、巡礼場所はいくらでもある。
「あの……。フォル様はつまらないかもしれませんが私、フォル様が通っていた士官学校を見学してみたいです」
「それは構わないが……。なぜ士官学校なんだ?」
あまりに予想からかけ離れた希望だ。
「フォル様がどのような場所で学ばれたのか、一度は見てみたかったんです。昔のフォル様を少しでも知りたくて」
「そういうことなら。俺もフィーの領地を案内してもらえて嬉しかったから、今度は俺が案内しよう」
「ありがとうございます!」
そしてデート当日。
フィリーネは戦闘服である青いドレスを身にまとい、フォルクハルトにプレゼントしてもらったバレッタを髪に留め、スケッチブックも忘れずに抱えた。
アメリアには、デートにスケッチブックは邪魔になるのではと心配されたが、前世の七海に比べればむしろ荷物は少ないほうだ。
「くぅ~ん……」
馬車に乗り込もうとしたフォルクハルトとフィリーネの後ろで、カミルが悲しそうな声をあげた。
二人がデートへ行くと知って、自分も連れて行ってもらうつもりだったカミルだが、行き先が士官学校だと知らされしょげている。士官学校は、ペットは入れないのだ。
「一緒に行けなくてごめんなさい、カミル。その代わりに、カミルの分までたくさんスケッチして、後で見せるわ」
「わぅん!」
馬車が出発してカミルに手を振ったフィリーネは、心配しながらフォルクハルトに尋ねた。
「カミルに一人でお留守番させてしまって、やっぱり寂しいですよね?」
「気にするな。あれでも昔よりは、マシになったほうだ。俺が士官学校へ通っていた頃は毎朝、『連れて行け』としつこかったからな。カバンや上着をよく隠されたものだ」
「ふふ。その頃からカミルは、フォル様のことが大好きだったんですね」
その話は、ゲームのエピソードにもたびたび出てくる。フォルクハルトの制服にカミルの足跡がついていたりして、友人達に冷やかされていた。
(そんなカミルの行動を、フォル様は密かに可愛く思っていたのよね)
カミルには悪いが、出発からフォルクハルトの登校が再現されているようで、フィリーネは嬉しく感じた。
「大きな建物が見えてきましたわ。あちらが、士官学校ですか?」
ゲームで何度も目にした校舎が現れ、フィリーネは食い入るように車窓を眺めた。
ゲームを起動させると初めに映し出されるのはいつも、この校舎だった。続いてタイトルロゴが表示され、イケメン達のイケメンボイスでタイトルコールが流れる。
フィリーネの脳内では今、それが再生されていた。
「久しぶりに来たが、あまり変わっていないな。まずは、見学を許可してくれた校長へ挨拶に行こうか」
「はいっ」
馬車を下りたフィリーネは、まるでゲームの中に入ったような気分になる。実際にこの世界はゲームの中ではあるが、前世の記憶が戻った時点ではすでにゲームはエンディングを迎えた後。ゲームらしさを感じられる場面は、これまであまり無かった。
瞳を輝かせて辺りを見回している妻が可愛くて、フォルクハルトは微笑んだ。デートらしくない場所へ来てしまったが、下手に買い物などへ出かけるよりはフィリーネを喜ばせることができたようだ。
学校の何がそれほど嬉しいのかフォルクハルトにはわからないが、自分に関係するものへ妻が興味を示してくれるのは気分が良い。
「いやぁ! よく来てくれたね、フォルクハルト君」
校長室を訪問すると、フォルクハルトの記憶よりも少し老いた校長が出迎えてくれた。
「お久しぶりです、校長。こちらは妻のフィリーネです」
「おお。噂には聞いていたが、本当に結婚したんだな。初めまして奥様、私はこの士官学校の校長を務めております――」
(本物の校長先生だわ!)
フィリーネもまた、校長については馴染みのある顔だった。ゲーム内では度々、校長からイケメン達にミッションが出され、ヒロインは彼らに協力する形でミッションをクリアするというものだった。
「初めまして校長先生。妻のフィリーネ・ローデンヴァルトと申します」
快く迎えてくれた校長は、フォルクハルトの学生時代の思い出話などをフィリーネに話してくれた。主な内容は、フォルクハルトのサボりが多かったことについて。「校長……、それくらいにしてください」と困った様子のフォルクハルトが、実に可愛い。
彼は才能が溢れているおかげで、普通の授業では物足りなさを感じていたため、基礎的な授業はたびたび無断欠席していたのだ。
作中では、『フォルクハルトと親しくなって、彼を授業へ出席させよう』というミッションもあったなと、フィリーネは思い出す。
有意義な話を聞かせてもらい、満足しながら校長室を出ようとしたフィリーネは、ふと部屋の隅に飾られているものに目を留めた。
「こちらは、士官学校の制服ですか?」
「はい。フォルクハルト君が通っていた頃は男子用しかありませんでしたが、今は女子生徒も増えたので女子用の制服もあるんですよ」
ヒロインが在学中は女子生徒は彼女一人だけだったが、時を経て今では男女半々くらいにいるのだとか。
「わぁ! 女子の制服も可愛いですね」
フィリーネにとっては、ゲームの新規衣装が実装されたようなもの。これこそスケッチして帰らねばと思い、スケッチブックにペンを走らせ始めた。
その様子を不思議そうに見つめた校長。夫婦そろって士官学校へ視察しにくるほどなので、何か事業でも始めるのだろうかと首を傾げる。
「もしよろしければ、ご試着されますか?」
何の気なしに校長が提案すると、フィリーネはスケッチをしていた手をぴたりと止めて、くるっと校長へと首を回した。
(コスプレイヤーの経験はないけれど、それがこの聖地でのルールなら従うまでよ)
「(作品の)雰囲気を崩さないよう、精一杯務めさせていただきますわ」
意気込むフィリーネに対して、なにを? と疑問に思った校長。しかし新しい事業とは、誰も考えつかないアイディアが必要だったりもする。余計な口出しをするつもりはない。
フォルクハルトは良い妻を持ったのだなと、校長はしみじみと喜んだ。
せっかくだからと夫婦で制服に着替えてから、校内を散策し始めたフィリーネとフォルクハルト。
フォルクハルトは、可愛らしい姿の妻を眺めながらも、少し不安を抱えていた。
ここの学生とあまり変わらない年齢である妻は、学生だと名乗っても違和感が全くない。それに比べて自分は、二十代も後半に足を踏み入れている。今まで他人と自分を比べたことなどあまりないが、若い男が大勢いる場で妻はどう感じるのか。急に結婚を後悔しないだろうかと、心配になる。
そんなフォルクハルトの不安など知る由もないフィリーネは、さきほど大人バージョンの制服フォル様をスケッチしながら、惚れ惚れとし。今は、校舎の構造を把握するのに必死だ。
(あの廊下の背景は、この階段と繋がっていたのだわ。美術室は二階だったのね。てっきり三階だと思っていたわ)
フィリーネにとっては校舎の構造すら、推しの一部と言っても過言ではない。フォルクハルトが実際にこの校舎で生活していた姿を、想像するだけでワクワクする。
しっかりと校舎内の地図を作成し終えたフィリーネは、ふと窓の外が気になった。
「フォル様。あちらは……」
「魔法の練習場だ。ちょうど授業中のようだな。見学させてもらおうか」
あの練習場は、フォルクハルトがいつも他の生徒達から注目を浴びていた場所だ。当時は女子生徒がヒロインしかいなかったので、黄色い悲鳴こそ聞こえなかったが、誰もが認めざるを得ない魔法の才能に、男子生徒すら羨望の眼差しを向けていた。
校内でフォルクハルトが最も輝いていた場所。ぜひとも見学しなければとフィリーネは、力強くうなずいた。
(わぁ……。ゲームの背景で見るよりも、ずっと大きいわ)
練習場に入ったフィリーネは、その大きさに驚いた。各所に魔法の的となるものが置かれており、短距離魔法から遠距離魔法まで、様々な魔法の練習ができるようになっている。
「……おいっ。見ろよ」
「もしかしてあのお方は、王宮魔導士の……」
授業の邪魔にならないようこっそりと入ってきたつもりだったが、生徒たちはすぐにフォルクハルトに気が付いたようで、ざわざわし始めた。
「まいったな……。俺は外へ出ているから、フィーだけ見学してもらうといい」
フォルクハルトは申し訳なさそうに練習場を出て行こうとしたが、ちょうど通りかかった教師に呼び止められる。
「おお! フォルクハルト君、お久しぶりですね」
「お久しぶりです、先生。授業の邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「いやいや、視察の件は校長先生から伺っておりますよ。よろしければ、生徒達に見本を見せていただけませんか?」
先生の提案に即座に反応したのは、生徒達だ。最上位王宮魔導士の魔法を間近で見られることは滅多にない。皆、期待に満ちた歓声を上げている。
見せ物になるのはあまり好きではないフォルクハルトは、困った表情でフィリーネに視線を向けた。
しかし妻の期待に満ちた表情で、決意は固まる。
ここでカッコイイところを見せて、妻に惚れ直してもらいたい。先ほど感じた不安を払拭する、良い機会だ。
「せっかくだから、久しぶりにやってみようか」
こくりとうなずいたフィリーネは、超速筆でスケッチブックに何かを書いたかと思えば、それを胸の前で掲げながらフォルクハルトに微笑んだ。
『フォル様 ガンバって!』
うちわがないので、今日はプラカード風だ。
「応援していますわ」
「あぁ。行って来る」
人に応援されるのがこれほど嬉しいことだとは、フィリーネと出会うまでフォルクハルトには無かった感情だ。
応援されているからには、期待に応えたい。成果を出して、妻に喜んでもらいたい。
フォルクハルトはそれだけを胸に、長距離用の練習的に対峙した。
「あの……。よければ、私の杖をお使いください……」
フォルクハルトが魔法の杖を持っていないことに気が付いた女子生徒が、おずおずと彼に杖を差し出す。しかしフォルクハルトは、わずかに微笑みながらそれを断った。
「これくらいなら、杖は必要ない」
遠距離魔法に杖が必要ないなど、士官学校内ではあり得ない話だ。それだけで、女子生徒達から黄色い悲鳴が上がった。
(フォル様が、ここでも人気者だわ!)
やはり、自分の推しは人気者であってほしい。
フィリーネの願いを鷲掴みにしているとは、露ほども感じていないフォルクハルトは、妻に喜んでもらおうと考えた結果。人差し指を立てて、それを的へと向けた。
(えっ。バーンで、魔法を撃ってくださるの?)
相変わらずフォルクハルトは、ファンサが過剰である。フィリーネはくらくらしながら、それを見つめた。今、倒れるわけにいかない。しっかりとファンサを見届けてから、天に召されなくては。
「バン」
フォルクハルト小さくそう呟くと、人差し指の先から豆粒ほどの小さな氷の欠片が飛び出した。
それは超速で的に当たり、的を粉々に粉砕する。それからその奥の壁にめり込むと、その辺り一帯の壁や床が氷に覆われた。
「……少し、やりすぎたかな」
ここにいる男子生徒の誰よりも優れていると示したかったフォルクハルトは、少々力が入りすぎてしまった。
後で的や壁の修理を弁償しなければと思いながら、妻へと視線を向ける。
ちょうどその時、愛する妻は膝から崩れ落ち、ぱたりと倒れたではないか。
「フィー!!」
フォルクハルトは、慌てて妻に駆け寄った。
「フィー。もう大丈夫なのか……?」
「はい。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ……」
しばし保健室で休憩したフィリーネは、今はすっかりと元気を取り戻して帰り支度を整えた。
「無理をしていないのなら良いが……。俺の魔法が怖かったのか?」
やりすぎてからフォルクハルトは気が付いたが、女性に見せるには少々過激すぎたのかもしれない。良い所を見せたいという思いが強すぎて、力を出し過ぎてしまった。
しかし妻は、頬を赤く染めて嬉しそうに微笑む。
「いいえ。むしろ、良すぎて興奮してしまいました……。バーンもとてもかっこよかったですし、小さな氷の欠片で的を的確に射止めた正確さに驚きましたし、その後の壁が凍る姿は圧倒的で素晴らしく――」
どうやら妻は、物凄く喜んでいたようだ。
妻はいつも自分だけを見てくれる。それは、他に大勢の男がいようとも変わらなかった。
フォルクハルトはそれが嬉しいと同時に、くだらぬ嫉妬をしてしまったと苦笑する。
「フィー。よければ少し、外を歩かないか」
「はい。喜んで」
「そろそろ、あいつも来る頃だしな」
(あいつって、誰かしら?)
どうやらフォルクハルトは、誰かと待ち合わせしているようだ。ライマーは領地にいるので誰だろう? とフィリーネは首をかしげた。
先生方にお礼を言って校舎を出た二人は、馬車には乗らずに校門まで手を繋いで歩き出した。
こうして歩いていると、学生のカップルのようだ。恐れ多くも、推しとこのような体験ができるとは。今日は最後まで、油断できないデートだった。
そして校門を出た瞬間。
「わん!」
急にカミルが飛び出してきたので、フィリーネは驚いて目を見開いた。屋敷にいるはずの彼が、なぜここにるのか。
「やはり来ていたな」
「わぅん!」
フォルクハルトは驚きもせずに、慣れた様子でカミルをなで始める。
「もしかして、『そろそろ来る』というのはカミルのことですか?」
「そうだ。あの頃カミルは、毎日のように屋敷を抜け出しては、俺の授業が終わるのをここで待っていたんだ」
(そうだったわ……。フォル様と片時も離れたくなかったカミルは、毎日フォル様を迎えに行っていたのよね)
ゲームでもそのようなシーンがあったのを、フィリーネはふと思い出す。
図らずもカミルはまた、ゲームのシーンを再現してくれたようだ。
「フォル様、カミル。今日はありがとうございました。フォル様の学生時代に入れたようで、とても楽しかったです」
今日は巡礼以上の体験を、二人にさせてもらった。一生の思い出になったと思いながら、フィリーネはぺこりと頭を下げて感謝を示す。
するとフォルクハルトは、「いや」と呟いた。
「お礼を言うのはまだ早い。学生は放課後が本番みたいなものだ」
「わん!」
ゲームでも、放課後はいつも楽しい展開が待っていた。どうやら彼らは、この続きも見せてくれるようだ。
(今日はなんて素敵な、オタ活なのかしら……)
次は、どのようなお話が待っているのだろう。フィリーネはワクワクしながら、二人と一匹で聖地巡礼の続きへと繰り出した。





