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第六話 新章「おかえり」

「いよーっ、まだ陰気臭い暮らしをしてるのかーっ?」

 ピートの大声にカーシュは薪割りの手を止め、汗を拭いつつ笑みをこぼした。

 昼下がりの午後――。迷いの森の、隣の森。広く空いた草原にポツンと小屋があり、ピートは馬を引っ張りながら近寄ると、手綱を木に縛って、斧を下ろしたカーシュを笑顔で窺った。

「お前もそろそろこんなトコから抜け出して街の方に戻ったらどうだ? ウェルターにもだいぶ人が集まってきてるらしいぜ?」

「それを言うならピートさんもでしょ」

「駄目だ駄目だ。クラウディアが森の動物に懐いちまって。ホリーもあそこの生活を気に入ってるからな」

「俺も同じ。ここの生活が好きなんです」

「お前の場合、根暗って言うんだぜ?」

 開き直るように肩をすくめられて苦笑気味に突っ込むと、重ねられた薪の上にドサッと座った。

「で、どうなんだ? 調子は」

「いいですよ」

 と、笑顔で返事をするが、すぐにため息を吐いた。

「……いい加減、俺の様子を見に来るの、やめたらどうです?」

 見透かされて、ピートは少し情けなく笑った。

「ジョージからしつこく言われてんだよ、お前を説得して城の方によこせって。護衛の部隊長をさせたいらしいぞ?」

「……、どうせナナの手回しだ」

 じっとりと目を細めると、ピートはニヤリと笑った。

「ブラッド様からは、遊び相手が欲しいってさ」

 カーシュは「……ったく」と肩の力を抜いて呆れ気味に鼻から息を吐いた。

「……ホントはそうじゃないでしょ。……みんなが心配するようなことは絶対しないって言ってるのに……」

「そりゃわかってる。そういう意味じゃなくてさ、お前と一緒に過ごしたいだけだろ?」

「……気持ちはありがたいけど……」

 苦笑して軽く身を乗り出し窺うピートに、首にかけてある生地で汗を拭いながら少し視線を落とした。

「……でも俺、ここを離れる気はないですよ。……ここでいいんです」

「まぁ……、お前がそうしたいって事にケチ付ける気はないけどな」

 ピートは少し言葉を濁し、思い出したように笑顔を向けた。

「たまには俺のトコにも来いよ。クラウディアの相手をしてやってくれ。……誰に似てヤンチャになったんだか、日を追う事にどんどん目が離せなくなってきてなぁ……」

 ほとほと困っている。そんな表情にカーシュは苦笑した。

「名前が悪かったのかも」

「スコットにも言われちまったよ」

 ガックリと頭を落とすピートにカーシュは吹き出し笑うと、力を抜いて頷いた。

「また遊びに行きます。……クラウディアに会いに」

「ああ、喜ぶよ。なんたって、お気に入りのおじさんだからな」

「……、俺、まだ十七ですよ?」

 目を据わらせるカーシュを見て、ピートは大きく笑った。

 ――ひょっとしたら、ピートの子どもは生まれ変わりかも知れない……。

 夜になり、ピートも帰った一人の小屋。暖炉に火を熾しながら思う。

 元気だし……すごく人懐っこい。もし、生まれ変わりがあるなら……。けど、それを認めるのが嫌な自分もいる。

 遊びに行ってあげようかと思うが、なんとなくクラウディアに会いたくなかった。何も関係のない子だとわかっているけど、会ってしまうと何かが崩れそうで怖かった。

 段々と大きく膨れる炎を見つめ、視線を落とす。

 ……女々しいな、……俺……。

 時間が経てばきっと平気になれると思っていたが、あれから二年経っても何も変わらない。それが現実だ。

 カーシュはテーブルの上、分厚く重ねられた紙を見つめた。

 文字で残してもどうにもならないのに。……記憶なんて、空しいだけだ……。

 目を逸らし、再び炎を見つめた。

 あれから、あいつの名前すら言えない……。誰も……。

 一人でいるせいか、どうしても気が滅入ってしまう。こんな時は「街の方に戻ろうか……」と思うが、朝になればそんな思いも消えてしまっている。

 深く息を吐いて、作ってあったスープを温めて食事の準備をする。テーブルの紙を押しのけ、白い羽根の付いたペンをその上に置き、場所を空けた。

 もう、一人の食事にも慣れてしまった。最初は、あまりにも静か過ぎて、自分の噛む音や飲み込む音が気になって気になって仕方なかった。今は外の音に耳を傾けるようにしている。風の音や木々の揺れる音、動物の鳴き声や「キャアァァ!!」と言う悲鳴……。

「……」

 カーシュは顔をしかめた。

 ……、……悲鳴?

 しばらく考え込み、ハッ……と顔を上げると壁にかけてある剣を取って急いで外に飛び出した。

 平和になったからと言っても、犯罪がなくなるわけではない。得にこういう人気ひとけのない森の中では何が起こるやら。

 悲鳴を聞いて大人しくもしていられず、真っ暗な森の中、月明かりだけで辺りを見回し、警戒しながら足早に歩き、探った。……ああっ、松明を持ってくるんだった! と、後で思ったが、今更引き返していては手遅れになるかも知れない。

 けど――誰もどこにもいない。暗すぎてよく見えないし、何か物音でもあれば判断できるのだが……。

 カーシュはいったん足を止め、注意深く辺りを見回した。

 そんなに遠くなかったはずなんだけどな……。

 気のせいだったのかも知れない。獣の声だったのかも――。段々と意識の中で“勘違い”が濃くなってきた。構えていた剣を下ろし、深く息を吐く。

 気のせいならいいけど。明日、歩いてて死体と遭遇、なんて……笑えない。ブラッドに知れてみろ。それこそ強制的に城に監禁だ。

 けど、いつまでも捜し続けるわけにもいかない。「……気のせいだな」と自分に納得させて小屋に戻ろうと森の奥に背を向けた。

「……」

 ……でも気になる。

 「……ああ、くそ」と、結局森の中へと進んだ。まだ慣れた森だからいい。これが迷いの森だったら、完璧、獣のエサだ。

 低木を避け、長く生え育った草を避けながら辺りを見回し、ため息を吐いて息を吸い込んだ。

「……誰かいるのか!? いるなら返事をしろ!」

 声を上げながら足を進める。

「助けに来たぞ! ……いないのか!?」

 どこからも返事はなく、足を止めてもう一度辺りを見回した。

 ……やっぱり気のせいか……。

 再びため息を吐き、もう帰ろうと小屋へ足を向けた、その時……

「……」

 目の前に、ふわり……と何かが降ってきた。

 ――羽根だ。真っ白い羽根……。

 カーシュは足を止めると手を伸ばし、地面に落ちるまでにそれを取った。軽く手の平に載った羽根に首を傾げ、空を見上げた。

 ……、……鳥?

 再び羽根に目を向けた。

 とても綺麗な羽根。真っ白くて……。

「……、……?」

 少し顔をしかめた。

 あれ? この羽根、俺が持ってるのと似てないか……?

 指に摘み持ってよく見る。確かに羽根の質といい形といい、よく似ている。……そう、あの時もらった羽根に。

「……」

 ……お守り、か。

 寂しげに小さく笑みをこぼすと、ザワッ……と風が木の葉を揺らし、カーシュは髪を揺らしながら少し顔を上げた。

《……キミは呼んでくれないね》

 ――体を硬直させた。視線も動かない。息も止まった。

 ……今……声が……。……気のせいか?

《……忘れちゃった?》

 再び聞こえる声に心臓が激しく鼓動して、愕然と大きく見開かれた目だけが動く。

 ……誰もいない。……どこにも……。

《……もう、呼んでくれないの?》

 寂しそうな声に視線を泳がせた。

 頭の中が混乱してきて、思考が付いてこない。

《……もう、忘れちゃったの?》

 心臓がバクバクと激しく鼓動して、その音が耳にはっきりと聞こえる。

《……聞こえてる? ……聞こえない? ……見える? ……見えない?》

 寂しげに問いかけてくるが、何も言えなかった。

 ……脳裏で思っていた。「……これは何かの罠だ」と。

 十数年前、先代の国王が何者かに囁かれた時、こういう状況だったのかも知れない。声が聞こえて、それに負けた。つまり……、これは開けてはいけない扉からの誘惑だ。

《……聞こえないのかな? ……もう、……どうでもいいのかな……》

 ……段々と頭が冷静になってきた。

《……キミを見てたよ、ずっと。……気付いてた? ……ずっといたんだよ。一緒にいた。……キミは、呼んでくれなかったね……》

「……、……」

《……忘れたい? ……忘れたいのかな……。……。そうだね。キミはもう……平気なんだね……》

 寂しい声に、カーシュは微動だにできないまま愕然と目を見開いた。

 ――平気なんかじゃない。いつもいつも、平気なんかじゃない。……平気なフリしているだけで、本当は……。

《……キミにこの声が届くかな? ……ここにいるよ》

「……」

《……キミにいつか届くかな? ……言えなかった……たくさんの思い……》

「……、……」

《……最後に一つ、聞いて欲しい……》

「……」

《……ボクは、ずっとキミを見ているよ》

 カーシュは顔を上げ、焦るように振り返って辺りを見回した。

「なっ……、なんなんだ!? ……誰だ!! 誰だよ!!」

 大声で言っても、もう何も聞こえない。捜してもどこにもいない。

「俺を騙すつもりなんだろ!? そうやって俺に扉を開けさせようとしてるんだろ!? 俺は騙されないぞ!! ……絶対に扉は開けない!!」

 意地になって言うが、それでも何も聞こえないし、返事もない。

 カーシュは息を切らして素早く見回した。

 ……やはり誰もいない。……なにもない。

 静かな森の中、自分の息遣いだけが耳に入る。

 ……消えた。……いなくなった……、……。

 しばらく間を置いて、手の中の羽根を見た。力一杯握っていたせいか、芯が折れて、綺麗に揃っていた毛もボロボロ。すっかり“汚い羽根”に変わってしまった。

 その羽根を見て、なんだかとても悲しくなり、鼻の奥が段々と熱くなっていく。息が詰まり、視界がぼやけていく――。

 ……平気なんかじゃないんだ。本当は……、本当は扉を開けてしまいたいんだ……。呼びたいんだ……本当は……。

 涙が頬を伝い、地面にこぼれ落ちた。

 ……忘れられないんだ。……どうしても忘れられないんだ。どうしたらいいのかわからないくらい、本当は……会いたいんだ。……会いたいんだ……、……クレア――

「キャアァ!!」

 ビクッ!! と肩を震わして振り返った。悲鳴と一緒に枝の折れる音と、ドサッ、という落ちる音が――。

 カーシュは顔を上げると、慌ててそちらに向かった。

 かなり近い! ……木から落ちたっぽいぞ!!

 低木を避けて暗闇に慣れてきた目で捜すと、「……っく、……うっ、……っ、……痛い……うっ……」と、すすり泣く声が聞こえ、顔をしかめたカーシュは耳を澄ませながら足音を忍ばせ、ソロ……と、低木の葉を避けて向こう側を覗き込んだ。

 ……枝や葉っぱがたくさん落ちている地面に座り込んで、女の子が一人、泣いている。小さい体で背中を丸めて。

 カーシュは彼女をじっと見つめた。顔は全然見えないが、心臓が段々と速くなって、「……どうしよう」と、焦りの言葉が脳裏を過ぎった。

 ……開けてしまったのか? ……扉を……。

 視線をウロウロと泳がせ、躊躇った。

 もしそうなら……、大変なことになってしまう――。

「……うっ……、……っく」

 ……ずっと泣いている。

 よく見ると、なんの飾りもないワンピースの白い服に血が滲んでいる。ケガをしているようだ。足も裸足のまま。

 カーシュは勇気を出して低木を避け、彼女に近寄った。

「……大丈夫か? ……立てるか?」

 そっと問いかけると、少女はピタッと泣き止み、「……ぐす」と鼻をすすってゴシゴシと目元を拭い、顔を上げた。その顔を見て、カーシュは目を見開き息を止めた。

「……、ク……」

 辛うじて出た小さな言葉に、半べそ気味の彼女は目にうっすらと涙を浮かべているだけで何も答えない。

 ――そっくりだ。いや、そっくりなんてものじゃない。あの頃より成長しているけれど……。

 カーシュは、軽く鼻をすすって見上げるだけの少女に視線を泳がせた。すると、

「……足が……痛い……」

と、鼻声で訴えられた。

 カーシュは、「……あ、ああ」と、戸惑いながらも彼女の前に腰を下ろした。

「……どこ……ケガした? ……血が……」

 少女は、カーシュが目を向けるスカートを見て「……うっ」と顔を歪めた。

「……ケガした……。……う……どうしよう……。痛い……」

 顔を歪めて、ポロポロと大粒の涙をこぼす少女に、カーシュは身振り素振りでうろたえた。

「ま、待てっ、そのっ……、た、立てるかっ? ケガ、見てやるからっ」

 少女は首を振って、ゴシゴシと手の甲で涙を拭う。

 カーシュは「……どうしようか」と困っていたが、このままここにいてもどうしようもない。「……ほら」と、背中を向けて振り返った。

「……負ぶってやるから、掴まって……」

 少女はカーシュの背中を見ると、腕を伸ばしてしっかりと首にしがみつき、背中に体を寄せた。カーシュは「……よし」と、彼女の足を持って立ち上がる。

「……痛くないか?」

 少女は頷いて、カーシュの首にしっかり腕を巻いた。

 後頭部の脇に顔を寄せる、彼女の息遣いが耳に聞こえる……。

 違う……のか?

 疑問に感じたが、とにかく、小屋へと急いで戻り、そして、緊急のためにいつも用意している伝書鳩を数羽、カゴから出し、飛ばしてから小屋の中に入った。

 少女をイスに下ろして振り返り、明かりの中、改めて顔を見た。

 ……やっぱり……そうだ……。

 少女は少し鼻をすすって、小屋の中を見回した。

「……、ここに住んでるの?」

「えっ? ……、あ、ああ、……そうだけど……」

「ふうん……」

「……あ、ケガ。……どこ?」

 少女は足へ目を向けると、軽くスカートを上げた。膝小僧から赤黒い血があふれ、スカートに擦れて血の跡が広がっている。

 カーシュは「……酷いな」と少し顔を歪め、すぐに棚から薬と包帯を用意し、水を汲んできた。そして、彼女の足の前に腰を下ろして傷の具合を診た。

「……少し滲みるけど、我慢しろよ」

「痛いのはヤダ」

「……」

 この反抗的なところも……。

 そう思いながら布に水を付けて軽く傷口の血を拭うが、「痛い!!」と、大声と同時に少女がいきなり足を上げ、ゴンッ! と、カーシュは思いっきり顎を蹴られて尻餅を突いた。まさかいきなり蹴られるとは思ってもなく、顎を押さえて、「いてて……」と眉を寄せると、不愉快そうに口と尖らせる少女をギロッと睨んだ。

「何すんだよお前はっ!」

「痛い!」

「仕方ないだろっ、我慢しろよっ!」

 顎を撫でつつ呆れるように言い聞かせながら目を向けると、ちょうど彼女の足が目の前。スカートを上げている為、足の奥の方まで見え、「!?」と顔を赤くして目を逸らした。そんな彼の様子に、少女はキョトンとして首を傾げた。

「なに?」

「な、なんでもっ……」

 気持ちを落ち着かせ、床に落ちた布を拾い上げてバケツに付け、もう一度洗う。その間に、少女は傷を見下ろし、「……ふーふー」と息を吹きかけだし、カーシュは布を絞りながらため息を吐いた。

「乾かすなって。……そのままにしてたらバイ菌が入るぞ。ちゃんと消毒しないと」

「バイ菌なんて、体から追い出すモン」

「……」

 ああ、この反発的なところも……。

 そう思いながら再び彼女の足の傷に布を伸ばすが、サッ……と足が横に逃げた。

 カーシュは目を据わらせて、横を向いて座り直す少女を見た。

「……、あのな、消毒ができないだろ?」

「痛いからヤダ」

「ヤダじゃなくて」

「ヤダ」

 ツン、と、そっぽ向いたが、その視線の先、テーブルに重ねられてある紙の束を見つけ、キョトンとした表情で首を傾げると手を伸ばした。「なにこれ?」と聞きながらも紙に触れる少女に、カーシュは立ち上がると慌てて紙を掴み、彼女から遠ざける。明らかに動揺しているっぽいカーシュを見上げて、少女はじっとりと目を細めた。

「何を書いてるの?」

「……べ、別に」

「秘密?」

「お、お前には関係ないだろ」

 ドモリながらそう答えると、彼女の手が届かなさそうな棚の上に乗せた。

 少女は頬を膨らませ、よろけながら立ち上がると、カーシュの背中越しから手を伸ばした。

「ずるいっ。見せてよ!」

 背伸びをして紙を掴もうとする少女に、カーシュは間に立ち塞がって邪魔をし、焦りの色を浮かべて見下ろした。

「人に見せるほどのものじゃないってっ、それより早くケガをっ」

「もう痛くないっ」

「放って置いちゃ駄目だってっ」

「大丈夫だからいいっ」

「大丈夫じゃないだろ!」

「大丈夫!」

「大丈夫じゃない!」

「大丈夫!!」

「じゃない!!」

 ギリギリと睨み合いが始まり、カーシュは「……こいつーっ」と眉を吊り上げ、意地悪く、チョン、と傷を軽く蹴った。

「いったー!!」

 悲痛な大声を上げてしゃがみ込む少女を見下ろし、カーシュはため息を吐いて腰に手を乗せた。

「ほらみろ、痛いだろ。ちゃんと消毒して包帯を巻いたら」

 ゴンッ!! と足のスネを拳で殴られたカーシュは言葉を切らしてしゃがみ込み、ジンジンと痛む足を押さえ、ふてくされる少女をギロッと睨んだ。

「お前なぁ……!」

「仕返し!!」

「仕返しじゃないだろ!! 病気になったらどうすんだ!!」

「ならない!!」

「なる!!」

「ならない!!」

 再び睨み合う。

 カーシュは「……もう許さない!」と言わんばかりに怒り、足首を掴み引っ張った。少女は軽く尻餅を突いて、怪我した足をしっかりと固定するように腕と脇の間で挟み持つカーシュを睨み上げた。

「鬼!! 悪魔!!」

 言いながら空いた片方の足でゲシゲシと思い切り蹴りを入れる。

 カーシュは数度蹴られ、「……こいつ!!」と、眉を吊り上げると、なお蹴り続ける足を掴んだ。

「大人しくしろ!!」

「イヤだ!!」

「じっとしないと、もっと痛くしてやるぞ!!」

「いやー!!」

 ドタバタと大暴れし出したその時、「カーシュ!!」と、小屋のドアが開いてそこからピートとスコットが飛び込んできた。互いに目を見合わせて硬直する中、ピートとスコットは、足を掴むカーシュからキョトンとしている少女を見、再びカーシュに目を戻して、彼が掴み広げる足を見た。怪しいその視線に気付いて、カーシュは顔を赤くすると慌てて足を離した。

「ち、違う!! け、ケガしてるから消毒しなくちゃいけないのに大人しくしないから!!」

「痛くするから!!」

 怒鳴るように告げる少女に、ピートとスコットは目を向けた。しかし、二人とも何も言わない。いや、何か言いたげではあるが――。

 カーシュは、鼻息を荒くして頬を膨らます少女の態度に嫌気を表すようなため息を吐き、立ち上がって見下ろした。

「……ちょっと待ってろっ」

 少女は、「べーっ!」と、生意気に舌を出した。ムッと来たが、ここでまた喧嘩を始めては振り出しに戻る、だ。

 カーシュは、いったん二人を連れて外に出た。

「……お、おい、どういうこった、……ありゃ……」

 ピートが戸惑いを露わに言葉を濁すと、スコットも合わせて頷いた。

「え、ええ。あれは……、つまり……その……」

 明らかに困惑する二人に、カーシュは深く息を吐いて頭を振った。

「……俺にもわからないんです……」

「お前、まさか……」

「開けてないっ……と……思うんですけど……」

 勢い付いて答えたものの、すぐに自信なさげに語尾を小さくして視線を落とす。

 スコットは、唖然とした表情で小屋の方を窺った。

「けど……ご本人ですよ。少し成長しているようですけど、……顔も、声も……」

「……あの生意気そうな態度も」

 ピートが言葉に続くと「うんうんっ」とスコットは頷く。

「本人そのものでしたよねっ?」

 相槌を問うように訊いてくるが、ピートはそれに答えることなく、腕を組んで、真顔でカーシュを見た。

「……どこで会った?」

「そこの森の中です。悲鳴がして……、捜したらいました」

「悲鳴? ……誰かに襲われていたのか?」

「いえ、一人で。……木から落ちてきたみたいでした。……枝の折れる音も聞こえたし……」

「木から落ちた?」

「……その前に、俺、実は……どこからか声を聞いたんですよ」

「……声?」

「はい。……俺に話しかけてきて……。姿はどこにもなかったんです。……声だけが……」

 答えながら、カーシュは戸惑うように目を泳がせた。

「何かの罠だと疑ってかかってたら、そのうち消えたんですけど……。でも……落ちてきたみたいです……」

 ピートとスコットは目を見合わせ、再びカーシュを見た。

「……ジョージにも鳩を飛ばしたか?」

「はい。けど、ベルナーガスからだと……こっちに着くのは早朝くらいですよね。……どうしたらいいですか?」

「……、間違いなく本人なのか?」

「わからないです、聞いてないんで……。本人っぽいけど……でも、だとしたら……いったいどうやって? ……本当に扉が開いてしまったなら……俺、とんでもないことを……」

 段々と気落ちしていくカーシュに、ピートとスコットは再び顔を見合わせた。

「とにかく……、本人かどうか確かめないと、な……」

「そうですね……。今はそれが最優先でしょう」

 そう言って小屋に戻って三人で中に入ると……

「これ、おいしい!」

 ――テーブルに向かって勝手にスープを飲んでいる。

 カーシュは呆れるように額を抑え、ピートとスコットは心の中で「……間違いない!!」と確信した。

「……何してんだよ、お前は……」

 カーシュはドアを閉めると炊事場に向かい、蓋が開けっ放しの鍋を閉めた。そんな彼に構うことなく、少女はお皿を空っぽにして満足げに笑った。

「お腹空いたんだモン」

「……。それより、傷の消毒」

 近寄ると、少女はサッと足を遠ざける。相変わらずの態度にカーシュは目を据わらせた。

 ピートとスコットは、とりあえず……傍に近寄った。

「……傷と言うのは?」

 スコットが尋ねると、少女は「んー……」と、大人しく足に目を向けた。

「……膝……」

「見せてください」

 腰を下ろして、軽くスカートを上げて傷を見る。

「……ちゃんと消毒をした方がいいですね」

「痛いからイヤ!!」

 身を乗り出して半べそ気味に大きく訴える。そんな少女に、ピートは少し吹き出し笑い、スコットは「……駄目です」と真顔で首を振った。

「化膿してバイ菌が入りますよ? そうなったら、この傷口がどんどん腫れて、血と一緒に膿が出てくるし、そのまま放っておくと最悪足を切断しなくちゃいけなくなります。それに」

「消毒」と、素直に足を差し出す。

 スコットは少し笑みをこぼし、カーシュから薬をもらってせっせと傷の手当てをする。少女は目を閉じ、力一杯、痛みに踏ん張った。

 その様子を眺めながらピートは壁際の椅子に座って腕を組み、ため息を吐いた。

 ……本人そのもの。これで他人だって言われたら……双子でもいたのか、って話しだ。

 カーシュは血で汚れた布を捨てながら、鼻の頭を真っ赤にして半べそを掻きながらも耐える少女に苦笑した。

「最初からそうやって大人しく言うことを聞いておけばよかったんだ」

「ヘタクソそうだったから!」

 まるで八つ当たりの矛先のように睨まれ、カーシュは不愉快そうに目を据わらせる。

 手際よく消毒し終えて、スコットは「……はい、終わりましたよ」と、スカートを下ろした。

「またちゃんと消毒しましょうね」

「ありがとう! もう痛くない!」

 嬉しそうな笑顔に、スコットは照れ隠しで微笑み、消毒薬などを片付ける。

 少女は足を曲げて痛みを確認していたが、様子をじっと見つめるカーシュの、その視線に気が付き、彼を見て首を傾げた。

「なに? さっきからじっと見て」

 カーシュは間を置いて「……別になんでも……」と言葉を濁して目を逸らした。

「……。あ、わかった!!」

 少女はポンッと手を打ち、いたずらっぽくニヤリと笑って軽く身を乗り出し窺った。

「好きになった?」

「馬鹿か!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴ると、少女は大きく笑った。

「照れてるーっ。絶対照れてるーっ!」

「だ、誰がお前なんかっ!」

 焦って否定するが、少女はクスクスと愉快げに笑うだけ。

 ピートは小さく息を吐くと、彼女に問いかけた。

「その……、一体、どこから?」

 少女は「ん?」と彼を見て首を傾げた。

「どこ?」

「ええ。どこから……来たんです? どうやって……」

「んーと」

 視線を上げて考え込むが、ふと、何かを思い出したようにピートを見上げた。

「どこに住んでるの? ここにいるの?」

「……。いえ、……迷いの森に」

「ふうん。一人?」

「……、いいえ、……ホリーと結婚して、娘がいます」

「ホント!? 名前は!?」

 ワクワクと目を見開いて身を乗り出し問いかける少女に、ピートはそっと、軽く俯き、窺うように目を上げた。

「……クラウディア、と……付けました」

 小声で答えると少女はニッコリと笑う。

「いい名前付けてもらったねー!」

 その反応がなんなのか、三人にはよくわからなかった。見知らぬ人の「かわいい名前ですね」なのか、「同じ名前で正解!」という意味なのか……。

 スコットは洗った手をハンカチで拭きながら笑顔の少女に再び切り出した。

「それで……どこからどうやって来たんですか? 話しによると、落ちてきたとか」

「そう!! すごく痛かった!! ビックリしたーっ!!」

 目を見開いて、驚きを表現しつつ身を乗り出すが、

「……ビックリしたのは俺の方だよ」

 と、呟いたカーシュを無視して話しを続ける。

「すごく高いところから落ちた! あんなに高いところから落ちたのは初めて! たくさん木の枝を折っちゃった! 木が枯れちゃったらどうしよう!」

 早口で告げながらうろたえる少女に、「お、落ち着いて落ち着いて」と、ピートが手の平を向けた。

「それで……、どうして落ちてきたんです?」

「……質問ばっかりー」と、今度は拗ねて口を尖らせる。

 ピートとスコットは目を見合わせた。こうなると、本物だったらもう話しをしなくなる――。

 少女は深く息を吐くと、「ふ……あぁ……」と大きく欠伸をした。

「……眠い……」

 そう小さく言って目を擦ると、そのままテーブルに腕を乗せて背中を丸め、頭を沈めて目を閉じてしまった。そのまま動かなくなり、すぐに寝息を立てる。

 コロコロと変わる少女の態度に困惑しながらも、カーシュは「……どうします?」と二人を窺った。ピートは、「やれやれ……」とため息を吐いて近寄り、少女を抱き上げると、カーシュがすぐに用意した布団にそっと横たえた。

 少女は静かな寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。起こさないように、三人は寝顔を覗き込んだ。

「……どう思いますか? 本物……でしょうか……」

 カーシュが問いかけると、ピートは少し考えて訝しげに顎を触った。

「本物っぽいけどな……」

「でも……なにか足りないような……」

 スコットも顔をしかめつつ、どこか不安げにピートを窺った。

「そう思いませんか? 見た目の問題もあるのかも知れませんけど……、なにか欠けているんですよね……」

「そうだな……。……確かに以前とは何かが違うな……。……なんだろうな……」

 考え込む二人から、カーシュは眠る少女に目を向けた。

 ――とても穏やかな顔をしている。

 ピートは腕を組んで深く息を吐いた。

「ジョージが来たらなんらかの答えが出るかもな……。それまで……とにかく、このまま見ておくか。……眠ったら消えてしまいそうな気がする」

「わたしも同感です。……ただでさえ何も言わずにいなくなってしまったんですからね」

 スコットの怒るような声に「……まったくだ」とピートは苦笑い。

 結局そのまま、三人は一睡もせず少女のことを見ていた。たまに寝息を確認して、たまに頭を撫でて。

 じっと窺っていると、彼女は時々寝言を言った。

「……ちゃんとしてる……。……いい子……」

「……わかってる……。……もうできる……」

「……嫌いーっ、……もう、……嫌い……」

 意味は何一つ理解できない。何か出現のヒントでも言ってくれるかも、と、注意していたが、結局それらしい言葉は何一つとしてなく、窓の向こうが明るくなり出し、朝を迎えてしまった。

 カーシュは疲れ切った顔でため息を吐き、炊事場に行くと、温かい飲み物を用意しようと火を熾した。その時、窓の向こうに人影が見え、顔を上げてドアに向かい、外に出た。

「カーシュ、どうした!」

 ちょうど馬を下りたところのジョージとブラッドの二人は、ドアを閉めて駆け寄って来たカーシュをジロジロと注意深く探った。

「どうしたんだよ、鳩を飛ばすなんてっ。ケガでもしたのかっ?」

 ブラッドが心配げに訊くと、カーシュは「ち、違う」と、戸惑いを露わに首を振った。

「俺は何もないんだよ……」

 そう答えて真顔のジョージへと目を向けた。

「すみません……、突然」

「……どうした?」

「実はその……、……ちょっと会って欲しいんです」

「……誰に?」

 普通に問いかけるジョージの横で、「……女か?」とブラッドは顔をしかめた。

「まぁ……、女って言えば女だけど。……ピートさんとスコットさんは先に来てるから」

 そう手を差して小屋に向かう。ブラッドとジョージは顔を見合わせ、とりあえず後を付いて小屋に向かった。カーシュが開けたドアから中に入り、そして「……よ」と手を挙げるピートとスコットを見て……その傍で眠っている少女に目を止めた。

 カーシュはドアを閉めて近寄り、ジョージを振り返った。

「……昨日の夜に……見つけたんです」

 ブラッドは、ドアの傍、真顔でじっと少女を見下ろしている。

 ジョージは間を置いて近寄ると、腰を下ろしてその顔を見つめ、ピートとスコットを交互に窺った。

「……本物か?」

「それがよくわからないんだよな……。本物っぽいのは間違いないんだ。けど……なにかが足りないって、スコットと話してたんだ」

「そう、……なにかが足りないんですよ」

 スコットが小声で言葉を続ける。

「ご本人だとは思うんです。思うんですが……」

 語尾を小さくして視線を落とすと、ジョージは少女を見つめ、カーシュを見上げた。

「……どこで?」

「森の奥です。……悲鳴がして、捜してたら……、落ちてきたみたいで……」

「落ちてきた?」と、ブラッドは繰り返して顔をしかめた。

「ああ。……見てないけど、枝もたくさん折ってたし。すごい音で落ちてきて、それで見つけたんだ」

「……、ケガは?」

「足を少し。……けど、すごく元気だよ。……元気すぎるくらい」

「……そうか……」

「……どうします?」

 ジョージが問いかけると、ブラッドは少女を見つめ、腕を組んだ。

「とにかく……ベルナーガスに連れて行こう。みんなの様子じゃ、大した話しも聞けてないんだろ?」

 ピートが肩をすくめることで答えると、ブラッドはジョージに目を向けた。

「馬の方、乗せられるか?」

「……はい、大丈夫です」

「じゃあ……連れて行くか。……ナナも驚くだろうな」

 ブラッドはそう呟いて、カーシュたちを見回した。

「一緒に来るか?」

 ピートとスコットは頷いたが、カーシュは、「……俺はいい」と、俯いて小さく首を振る。弱気な表情の彼を見て、ブラッドはため息を吐いた。

「城に来たからって、そのまま残れなんて言わないって」

「そういう事じゃなくて。……結果だけ教えてくれれば……それでいい」

 戸惑いがちに目を逸らす彼に、ブラッドは深く息を吐いただけ。

 ジョージは少女を抱え上げようと、手を体の隙間にそっと入れた。すると、「ん……」と少女の眉が動き、目も開けないまま寝返り打つようにゴロンと転がって、ズボンを掴み引っ張り、ジョージの膝に頭を乗せた。

「……ああ、こりゃやっぱ本物だ」

 大きく頷きながらピートが言う。

 ジョージはしっかりとズボンを握りしめる少女を見て小さく笑みをこぼし、頭を撫で、背中を丸めて顔を近付けた。

「……起きてください。……出かけますよ」

 囁くように起こすと、少女は不機嫌そうに顔を歪めた。

「……まだ……寝る……」

 聞き慣れた声にブラッドはカーシュに向けて肩をすくめる。

「本物だな」

「……けど、だとしたら一体どうやって。……もしかしたら、俺……」

「扉を開けた、とか?」

「……、その可能性があったら……」

 言葉を切らして真剣な顔で少女を見つめるカーシュに、ブラッドは鼻から息を吐いてジョージの傍に近寄り腰を下ろし、なかなか目を覚まさない少女を窺った。

「……起きろ、ほら。一度城の方に行くから」

 呆れ声に少女は「んー……」と更に不愉快そうに眉を寄せる。

「……ここにいるぅ……」

「駄目だって。行くぞ、起きるんだ」

 少女はふてくされた表情で目を開けると、顔を覗き込むみんなを見回し、ジョージの太ももに頭を乗せたまま彼を見上げた。

「……まだ眠いのに」

 口を尖らせて拗ねると、ジョージは苦笑して頭を撫でた。

「……あとでお昼寝に付き合いますから」

「……、……ほんと?」

「……はい」

 微笑み頷くジョージを見て少女は途端に元気になった。体を起こすと、「おはよーっ!」と大きく挨拶をする彼女にブラッドは苦笑した。

「目覚めはいいな?」

「うんっ」

「じゃあ……、とにかく一緒に城の方に行こう」

「いいよ」

 笑顔で頷くと、ふらつく体をジョージに支えてもらい立ち上がる。

 ピートは元気のないカーシュに近寄った。

「本当に行かないのか? ……そうビビってたって始まらないだろ」

「……わかってるんですけど……、でも、なんか……」

 視線を落とす間に、ジョージが少女を連れて外に出て、その後をスコットが追う。ピートは「ったく……」と呆れるようなため息を吐くと後を付いていった。

 彼らの背中を見送り、ブラッドは、それでも何もしないカーシュを振り返った。

「本当に来ないのか?」

「……ああ。……俺が行ったって、別に何もないだろ」

「……、お前さ」

 ブラッドは見透かすように目を細めて腕を組んだ。

「戻ってきて欲しくなかったのか?」

「……それは……」

「どっちなんだよ?」

 不愉快そうに問いかけると、カーシュも同じように、不愉快そうに睨み上げた。

「戻ってきて欲しくても……それを願う訳にはいかないだろ。……扉が開いたらどうなるんだよ? その恐ろしさはお前がよく知ってるはずだ。……お前はそのために切り捨てたんじゃないか」

 文句を言うような彼の態度に、ブラッドはため息を吐いた。

「俺が聞いてるのはそんなことじゃない。戻ってきて欲しかったのか、戻ってきて欲しくなかったのか、どっちなんだって聞いてるんだ」

 睨み聞かれて、「……それは……」とカーシュは言葉を濁し、口を噤む。

 ブラッドは再度ため息を吐くと、呆れるような目を向けた。

「お前はほん……っとに女々しいヤツだな」

「……」

「夢も希望も覆い隠して、勇気の欠片も捨てたのか」

 カーシュは視線を落として足下を見つめる。

 ブラッドはそんな彼を残して小屋を出ようとし、振り返った。

「弱い心で求めれば闇の扉が開く。……けど、強い心で求めれば……夢は叶うんだ」

 そう言って出て行ったブラッドの背中を見て、カーシュは躊躇い、目を泳がせた。

 ……強い心……?

『キミは弱弱だけど、誰よりも、……ジョージたちよりも勇気があるね』

 馬の蹄の音が聞こえ、顔を上げると外に出た。それぞれ乗ってきた馬にまたがっている。

 ジョージが自分の馬に少女を乗せ、その後ろにまたがり乗ると、少女は「いい子いい子」と笑顔で馬の頭を撫でながら、一人、小屋の方にいるカーシュを振り返った。

「……来ないのっ?」

 そう首を傾げられ、カーシュは取り繕うような笑みを向けて手を振る。

 ブラッドはため息を吐き、そんなカーシュを放って少女を窺った。

「……いいか?」

 どこか不愉快げに問われ、少女は返事をせずにカーシュをじっと見つめる。

「一緒に来ないのっ?」

 カーシュは間を置いて頷いただけ。

 少女はボンヤリと彼を見ていたが、寂しげに目を細め、視線を落とした。

「……もう……平気なんだね……」

 小さな声だったのに、それが耳の奥に響いて、カーシュは辛そうに眉間にしわを寄せた。

 「……行こう」と、ブラッドが先に馬を出し、ピートとスコットも、そしてジョージも馬を出す。

 遠くなっていくみんなを見送り、カーシュは視線を落とした。

 ……平気なんかじゃない……。そんなことはない――。

『ボクは呼んでくれて本当に嬉しかったよ。戻りたいって、すごく思った。だから我慢するのやめた』

『……キミはボクの大切な親友だ。……これからもずっと。……いつまでも、ボクの親友だよ』

 カーシュは焦りを浮かべて顔を上げた。

 平気なんかじゃない。……全然平気なんかじゃない! 本当は……、本当は……!

「……平気じゃない……。全然……平気じゃないんだっ……。……俺っ……」

 言いながら木々に隠れるみんなを目で捜した。その視界が次第にぼやけていく――。

『ありがとう。……ボク、またキミと会えて嬉しいよ』

 カーシュは息を詰まらせると、拳を作って強く握りしめた。

「……会いたかったんだっ、本当は! ……会いたかったんだ! ……本当は会いたかったんだクレアァ!!」

 「ヒヒーン!!」と馬の大きな“悲鳴”が聞こえ、顔を上げた。――木々の向こうから、少女が足を引きずりながらも走ってくる。必死の表情にカーシュは驚いて目を見開き、慌てて走り寄った。

「おいっ……!!」

「呼んだ!!」

「……えっ?」

「呼んだ!!」

「……、……えっ?」

「ボクの名前を呼んだーっ!!」

 カーシュが大きく目を見開くと、クレアはとびきりの笑顔で彼の首に飛びつき、強く抱きしめた。

「カーシュ!! キミはやっぱり勇気があるよ!!」

「……」

 クレアの重みに背中を丸めて、何がなんだかわからず唖然とする。その間にブラッドたちも戻ってきた。

 クレアは嬉しそうに笑って首から離れ地面に立つと、ボー然としているカーシュを笑顔で見上げた。

「ボクも会いたかったよ!! ずーっとずぅーっと! ずーっと、会いたかったんだよ!!」

「え? ……あ……、……え?」

 まだまだ戸惑うカーシュに、クレアはニッコリと笑いかけた。

「キミの勇気、ボクが受け継ぐ!」

「……ち、ちょっと待てっ。……その……」

 クレアは困惑するカーシュの両頬に手を当てると、背伸びをしつつ引き寄せキスをした。

 カーシュは唖然としたまま――。

 クレアはカーシュから離れるとみんなを振り返り、笑顔で大きく手を振った。

「ジョージ!! ピート、スコット!! たっだいまー!! 一緒に遊ぼーっ!!」

 元気よく誘うクレアを見て、ピートは吹き出し笑った。

「ああ、アレだ。足りなかったのは」

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