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第四話 変化

 「ブラッドォ!!」と、イリアの叫ぶような声が背後で響いた。でも、駆け出した足を止めなかった。……止められなかった。

 今までずっと、誰かに護られてきた――。それが当たり前のように思えていた。それに甘えていた自分もいた。

 ……違う。ただ、その“優しさ”を失いたくなかっただけだった。

 何をしても許してくれて、いつも見守ってくれていた母親のようなイリア。時に本気で怒り、時に遊んでくれた父親のようなウェイン。姉のようで、ライバルのようで、けれどどんなときも傍にいたセス。そして、何者かわからない自分を受け入れてくれたサザグレイのみんな――。

 このチャンスを逃したら、自分はもう、みんなに恩返しはできない。精一杯の恩返しをしたい。

 ……一度は死にかけた身分だ。――恐れなんて、ない。

 ブラッドは息を切らすことなく、夜空の薄い星の明かりを頼りに、暗い森の中を真っ直ぐ走り続けた。

 この先には先程通った村、フルレズナがある。まずはそこに住むみんなの無事を確認しよう。それからキュラレラ。サザグレイに戻る頃には夜も明ける。そうすればアンデッドも……。

 考えながら走っていたが、段々と周りの景色が変わってきた。フルレズナに近付くにつれ、周囲の木々や雑草が茶色く変色している。

 ブラッドは辺りを注意深く探りながら、身近な木に近寄ると、手を触れ、枯れ葉を散らす枝を見上げた。

「……おい? 大丈夫か?」

 声をかけるが返事はない。

 周りの木を見回しても、話しかけてきそうな雰囲気はない。

 足下を見回して雑草たちを見てみるが、根の強い彼らも元気をなくしてしおれている。

 ブラッドは腰を下ろして、不安げに目を泳がせながら雑草の一つを指で撫でた。

「……、どうしたんだよ、お前ら……。こんなに元気を無くして……」

「……逃げて……ブラッド……」

 不意に頭上から声が聞こえて顔を上げた。

「……逃げるんだよブラッド……。ここから逃げるんだ……」

「……奴らがやってくる……。……間に合わない……」

「……ブラッド……。引き返すんだよ……」

 周囲の木々が弱々しい声で訴える。

 ブラッドは戸惑いながら彼らを見回していたが、「……おいクソガキ」と、足下から声をかけられて見下ろした。

「……お前にゃ敵わねえ。……冥界の使者には逆らえねえ」

「……クソガキ。……生きたけりゃ逃げるんだな」

「……フェルナゼクスは、間もなく崩壊する……。俺たちは動けない……。誰にも止められない……」

「……逃げろ。……クソガキ」

 ブラッドは困惑げに目を泳がしていたが、ゾクッとした悪寒に襲われて振り返った。その先にはフルレズナがある……。

 異様な空気が流れてきて、唾を飲んだが、気持ちを強くしようと拳を握り、大きく息を吸い込んだ。

「……諦めるな、お前ら!!」

 ブラッドはグッと顔を上げて、フルレズナへと走った。

 途中、何度か「……逃げて」と木に声をかけられたが、その声に返事はしなかった。そして、誰からも声をかけられなくなってどれくらいか――。

 ブラッドは軽く息を切らして足を止めた。

 ……なんの明かりもない暗闇なのに、目の前で何か、“闇”がうごめいているのがわかる――。

 ブラッドはその場でじっと立ったまま呼吸を整え、携帯していた剣を引き抜いた。少し重さを感じたが、その重量感が全ての敵を切り落としてくれそうだとも感じた。

 ――うごめく闇をじっと見つめるブラッドのその周囲、草木が段々としおれ、茶色く変色していく。

 服の間に隠れていたヴィヴィールが現れだし、彼の周りを飛び出した。その姿に目を向けることなく、ブラッドは剣を構え、足を一歩踏み出した。

「……クラウディア、しっかり掴まってろよ」

 そう言うが早いか遅いか、何かの気配を感じたブラッドは、驚きながらも、反射的に剣を振り上げ目の前に振り下ろしていた。脳裏で「斬った」と過ぎったが、……いや、それは自分の中での先走った予想だ。その瞬間、刃に圧力がかかり、ブラッドは奥歯を食いしばって腕に力を入れ、顔を強張らせた。

 ……愕然とした目の前、ブラッドに飛びかかろうとしてきた者は見た事がない化け物だった。骨と薄皮だけになった人間のようで、それが恐ろしい程の形相で刃を掴み受け止め、ポッカリと開いた目でブラッドを“睨んでいる”――。

 ブラッドは咄嗟に剣を振り払い、同時にそいつをはね除けた。

 心臓がバクバクと鼓動している。……あれがアンデッドか? と、恐怖も感じたが、しかし、“物体のある者”だとわかって少し安心もした。

 切れない相手に剣は無用。だが、物体なら切れる。

 それがわかったブラッドは再び剣を構え直した。その瞬間、何かが動いたのを感じ、咄嗟に剣を振り下ろした。ザッ! と何かを切った感触と「ギャアァァッ!!」と不気味な悲鳴が響き、アンデッドを切ったと理解できたが、嬉しさに飛び跳ねる余裕はない。その悲鳴が仲間を呼び寄せたようだ。ザワザワと闇が忙しなく動きだし、ブラッドは剣を構え直して辺りを窺った。

 ……相手からの攻撃を待つか、こちらから仕かけるか。そう考えたが、しかし、フルレズナの住人たちが気がかりだ。

 ブラッドは躊躇うことなく、剣を構えたままで地面を蹴って走り出した。その瞬間、「グオオォォ!!」と、あちこちから不気味な声が聞こえだし、何かが飛びかかってきた。すぐに足を止め、剣を向けて切り倒すが、次から次へ、四方から襲ってくる。まるで、切っても切っても甦っているような……

 ブラッドは気配だけを頼りにアンデッドを相手にしていたが、息を切らし舌を打った。

「ヴィヴィール!! 教えてくれ!! ……こいつらは死なないのか!?」

「アンデッドは死なないーっ」

「アンデッドは不死身ーっ」

「ブラッドーっ! これ以上は危険だから下がってー!」

 耳に留まったヴィヴィールたちの声にブラッドは舌を打った。

 ……どうりで……! でも……

「これくらいの数なら乗り切れる!!」

 ブラッドは「だめーっ!!」と、制止しようとするヴィヴィールたちを無視してフルレズナへと再び走った。その間も、アンデッドはブラッドに切られ、それでも復活して追いかけ、襲いかかってくる。

 ――ボンヤリと遠くに街の灯火が見えだし、ブラッドは「……着いた!!」と息を切らしながらも尚走った。できることならアンデッドを街に入れたくはないが……。街に入ったらすぐにみんなを家の中に避難させよう、そう考えていた。

 だが――

 街の中に入ったブラッドは、追いかけていたアンデッドたちの気配がサッといなくなったことに気付いて背後を振り返り、疑問に感じながらも街の中を足早に歩いて周囲を見回した。所々、小さな松明が焚かれて街を照らしている。その薄明かりを頼りに歩いていたブラッドは足を止めた。

 ……重い剣が、よりいっそう重く感じた。落としそうになったのを、なんとか耐えた。

 広場か空き地かわからない。ただ、広い場所。……街人たちが倒れている。近寄ることが出来ずに、どうしたのか、と目を凝らしていると――血の跡が見えた。そんな彼らの傍には無数のナイフも。

 ――まさか……!

 ブラッドは愕然とした。

 この街を後にしようとしたときの、彼らの悲しそうな目……。すべてを悲観し、受け入れ、そして自らの手で――。

 中には幼い子どももいる。ぐったりと落としている女性の腕の中、眠っているように目を閉じて。

 ブラッドは息を震わせて悲しみに顔を歪めると、目に涙を浮かべつつ、戸惑いながら、それでも必死で辺りを見回した。

「……だっ……、……誰か!! 誰か他には!! 誰か生きてないか!!」

 叫んでも、辺りは静まっている。

「たっ……助けに来た!! ……いたら返事をしてくれ!!」

 誰も現れないし、誰の声も聞こえない。

 ブラッドの傍を飛んでいたヴィヴィールたちが周囲を飛んで回るが、戻ってくると、ブラッドの耳に降り立った。

「ブラッドー。みんな、ダメー」

 悲しげな声に、悔しさと怒りがこみ上げ、剣の柄を握り締めた。

 もしあの時、みんなを連れて大魔女の所に行ってたら……。

 だが、そんな渦巻いた感情も一瞬で消えた。

 ――何かの気配がする。……一つや二つじゃない。

 ブラッドはハッと目を見開くと、息を潜め、ゆっくりと辺りを見回した。

 ……囲まれている。……アンデッドたちに――。

 先程相手にしていた数じゃない。……数えられない。いや、何体いるのかなんてわからない。ぐるりと四方を囲まれている。まるで、見せ物になっている気分だ。愉快そうな雰囲気まで伝わってくる。キュラレラで防ぎきれなかったアンデッドたちがこれほどまでいたとは……。

 ブラッドは呼吸を荒くした。そして瞬時にわかった。“望み”を持たせたのは、ここに“おびき出すための罠”だったんだ、と――。

 ヴィヴィールたちがブラッドの周囲を飛び、彼を護ろうと停滞し始めた。その様子で、自分がヤバイ状況にあるんだと認識した。だが……為す術はなさそうだ。死なないアンデッドをこれだけ相手にはできない。

 諦めにも似た気分に、なぜか気持ちが落ち着いてきた。所詮、自分はこれだけのものか、と。

 ……ごめん、イリア。……ウェイン、セス……みんな――。

 そっと目を閉じてその時を待った。

「グアアァァ!!」

「ギャアアァァー!!」

 アンデッドたちの無数の悲鳴に「えっ?」と顔を上げた。そのブラッドの目には、信じられない光景が映っていた。

 ……ボンヤリと光っている。どこから現れたのかわからない。だが、カラナがいた――。

 真っ白に光った巨体の上半身を空に突き上げ、「オオォォー!!」と地面を揺るがすほどの雄叫びを上げると、大きな口を開けて次々とアンデッドたちを食らい尽くしていく。アンデッドたちもカラナを敵として見なしたのだろう。一斉にカラナへと襲いかかりだした。

 ――ブラッドは唖然としていた。

 まさか、こんな所にカラナがいるなんて……。しかも、アンデッドを相手に戦っているなんて……。

 すさまじい勢いで体をうねらせて、木々を薙ぎ倒しながらアンデットを食い千切り、飲み込んでいく姿にブラッドはハッとした。

 カラナは、呪いの儀式で命を奪われた少女の化けた姿。恋人の呪いに打ち勝てずに逃げ出したと思っていたその少女が、今、戦っている。……フェルナゼクスを護ろうとしてくれている。

 ブラッドはグッと剣を握った。諦めかけていた自分が情けない……!!

「……くっそー!!」

 ブラッドは恐れなど抱くことなく、アンデッドに向かって斬りかかった。その後をヴィヴィールもついて行く。

 アンデッドたちは斬りかかってきたブラッドに気付くと彼にも襲いかかりだした。だが、感情が頂点に達しているブラッドは次々アンデッドを切り裂いていく。しかし、それでアンデッドがやられるわけはない。それはわかっていても、剣を奮うのをやめなかった。

「ブラッド!!」

 そう背後から声が聞こえ、振り返った時、ヴィヴィールが一人、ブラッドを襲おうと飛びかかってきたアンデッドの盾になってその光を止めた。

「ヴィヴィール!!」

 愕然と見開いた目の先、地面にヴィアイドが咲くが、それも襲いかかってくるアンデッドに踏み潰された。「くそォ!!」と言葉を吐いてヴィアイドの花を護ろうと腰を曲げかけたブラッドに、その隙を付いてアンデッドが襲いかかった。残りのヴィヴィールたちがかばおうと飛び出し、間に立ち塞がる。それに気付いて、ブラッドが「ダメだ!!」と悲痛な表情で振り返った時、ブォンッ! と風が切った。

 カラナのしっぽが、ブラッドに飛びかかろうとしたアンデッドを一掃した――。

 ブラッドもヴィヴィールも助かり、ブラッドは目を見開いてカラナを見上げた。

 ……俺を……助けた……?

 巨体をうねらせるカラナが、小さなブラッドの危機に気が付いた。自らアンデッドと戦い、襲われているのに――。

 ブラッドは顔を歪めて息を詰まらせ、それでも、尚襲いかかってくるアンデッドに剣を奮った。

 カラナの巨体にも傷跡が見え始めている。アンデッドの鋭い爪が、確実に傷を残している。ブラッド自身にも、何度かアンデッドの爪がかすった。大きく傷付く攻撃には、その前にヴィヴィールがかばってくれた……。

「……やめろォ!!」

 剣を奮いながら、ブラッドは叫んだ。その目には、白く輝く巨体の至る所から血を流すカラナの姿がある。明らかに、最初見た時より弱ってきている。

「……これ以上そいつを傷付けるなァ!! ……そいつは……何も悪くないんだ!!」

 叫んでも、アンデッドには通じない。カラナが「オオォォー!!」と雄叫びを上げた。

「これ以上……これ以上傷付けるな!! そいつを殺したら俺が……!!」

 ブラッドは「……っ!」と息を詰まらせた。――背中に痛みが走った。

「オオオォォォー!!」

 カラナが叫び、ガクンッ、とひざまづいたブラッドの周りのアンデッドたちに向かって一気に大口を開けて食らい付いた。

 ブラッドは四つん這いになり、背中の痛みに耐えることができずに地面の土を握った。

 ――カラナが護ってくれている、ということに気付いていた。

 ……どうしてこいつは、俺のことを護るんだろう? ……俺のこと、食おうとしてたのに。……俺のこと……――

「……“あの子”は、あなたと“同じ”だから――」

 ブラッドは息を切らしながら目を見開いた。

 なぜだか、どんどん体が重くなっていくような……。……いや、お腹が重い。……、お腹?

 「うっ……!!」と、お腹の重みに地面に付いていた腕に力を入れて踏ん張った。背中に痛みが走るが、それよりもお腹が……!!

「……あなたが大切だから。……あなたが好きだから」

「うっ……! ……うっ……うああぁぁー!!」

 四つん這いのまま地面から突き押されるような勢いで仰け反り、背後に倒れた。何事かわからず、目を閉じた目蓋の向こう、……真っ白になっているのがわかった。光っているのがわかった。

「……あなたは、この閉ざされた世界を救える人。……そして、私の愛する人」

 ブラッドは仰向けに倒れたまま、そっと目を開けた。すると、ふわりと白い羽根が舞い落ちてくるのが見え、それを目で追い、更に視線を動かした。

 ――目の前、大きな白い羽を広げた少女が宙に浮いて見下ろし笑っている。

「……あなたからもらった愛情。たくさんの愛が私を育ててくれた」

 ブラッドは愕然としていたが、仰向けに倒れたままハッとしてお腹を触った。服が破けて、そこにクラウディアがいない。

「……まさか……、お……おまえ……」

「……ブラッド。……私の愛する人。……あなたの愛で、私の心は満たされている」

挿絵(By みてみん)

 少女は微笑み、フッと光を凝縮させた。すると、闇夜が現れ、光に怯えていたアンデッドたちが一斉に顔を上げて再び襲いかかろうと身構えた。だが、そんなアンデッドたちを恐れることなく、少女は大きく羽を広げた。

「……冥界の亡者たちよ。……あなたたちの邪力では、私の心は破れない――」

 少女がスッと上げた手のひらからブワッと光があふれ出した。その次の瞬間には、「ギャアアァァー!!」と、悲鳴を上げたアンデッドたちが蒸発するように煙を上げて消えていく。

 ブラッドは息を切らしながら体を起こして、目の前、アンデッドたちを光で一掃する少女を見つめた。

「……ク……クラウ、ディア……?」

「ペペルだわっ」

「ペペルよっ」

 ブラッドの周りでヴィヴィールたちが飛び回っている。

「だからペペルって嫌いよっ」

「ペペルって図々しいっ」

「ブラッドは私のものなのにっ」

「私のよっ」

「私のっ」

 ヴィヴィールたちのケンカを余所に、ブラッドは息を切らしながら、クラウディアに攻撃を任せているカラナを見上げた。カラナも相当疲れているのだろう、「グウウゥゥ……」と、微かな声を上げて巨体を揺らしている。その姿に胸を痛め、ブラッドは剣を杖になんとか立ち上がると、それを鞘に収め、カラナに近寄って巨体に触れた。

「……こんなに……傷だらけになって……な……」

 白くて冷たい肌――。撫でていると、なぜだかとても悲しくなってきた。

「……ごめんな……。……俺にもっと……力があれば……」

「ブラッドォォ!!」

 叫ぶような声に振り返ると、ウェインを先頭に、イリアたちがやってきた。もちろんギーナレスは使えない。だからだろうか、近寄ってきた彼らは疲れた表情をしていた。

「ブ、ブラッド……」

 イリアは息を切らしながら、アンデッドたちと対峙するクラウディアと傷付いているカラナを見て、ブラッドの傍に寄った。彼の傷だらけの姿に一瞬、眉を寄せたが、カラナの巨体を壁にするようにしてもたれるブラッドの前に立つと、――パンッ!!

 いきなり平手打ちされたブラッドは「うッ……!」と頬を押さえて、ゆっくりとイリアを見た。イリアは怒りに顔を歪めながらも、歯を食いしばり、涙を堪えながらブラッドの頭を撫で、顔を撫でた。

「もうっ……この子はっ……。ホントにっ……、……もう……」

 他に言いようがないイリアの様子に、ブラッドは申し訳なく視線を落とした。

「……、……ごめん、……イリア……」

「……このガキ。勝手なマネをするんじゃないよ」

 大魔女はなんとか呼吸を整えながらも、こちらには見向きもせずにアンデッドを相手にしているクラウディアを見上げた。

「……フェイズしおったか」

 ブラッドは、みんなが見上げるクラウディアからセスに目を移した。

「……、こうなることを知ってたのか……?」

「……これで、私と対等に勝負ができるんじゃないかと思いまして」

 相変わらずの無表情でサラリと言われたが、ブラッドは深く息を吐いて、目元を拭うイリアを見た。

「……クラウディアがアンデッドを追い払ってくれるのか?」

「……、ヴィヴィールの数倍の力を備えているだけよ」

 イリアはそう答えてクラウディアを見上げた。

「フェイズしたペペルの力は凄まじい。……何度か見た事があるけど、ここまで力を発揮するペペルは初めてだわ」

「……」

「ただ、この子も永遠の力を持っているわけじゃない。今はアンデッドに勝っているけれど、いずれ力が尽きてしまう」

 イリアは愕然とするブラッドから、傷だらけのカラナを見上げた。

「……こんな所にいたなんて。……ひどい怪我」

 優しく撫でると、カラナは「グウゥゥ……」と小さく呻った。

 ウェインは息を整え、大魔女を見た。

「……で、……、予定通りに、ってことで?」

「……そうだね」

 大魔女が返事をすると、ブラッドは「?」と顔をしかめてイリアを見た。

「……予定って?」

「……。あなたが出て行った後、みんなで話し合って決めたわ」

「……何を?」

「……、可能性に、賭けることにした」

 訳がわからずにブラッドは顔をしかめるが、そんな彼の肩に、ウェインはポン、と手を置いた。

「まあ……なんだ。結局はお前頼り、ってこったな」

「……、え?」

「その、なんだあ……」

 ウェインは少し分が悪そうに視線を上げていたが、苦笑すると、ブラッドの頭を撫でた。

「お前が現れてェ……俺の世界も変わった。なんつーかァ……息子ができた、みたいな、な」

「……ウェ、ウェイン? 何、急に。き、気持ち悪い……」

「あれだっ、そのっ……前の世界でだなっ、……親父に殺された、とか……だなっ、ンなこたあーっ……忘れろっ」

「……」

「んでっ……、オ、俺がっ、お、親父って事でっ」

 言葉をドもらせながら必死になって胸を張るウェインに、ブラッドはキョトンとして少し吹き出した。

「何言ってんだよ。ウェインは親父ってガラじゃないよ……」

「そ、それでもだなっ……そのっ……」

「……ありがとうウェイン。……その気持ちだけで嬉しいよ」

 息を切らしながらも少し微笑むと、ウェインも間を置いて息を吐き、笑みをこぼしてブラッドの頭を強く撫でた。

「……、また、会おうぜ」

 そう言って歩いて行くウェインの背中をブラッドは振り返った。ウェインは、光に苦しみ消えながらも続々と現れるアンデッドたちの方に向かい、そのアンデッドたちを押さえるクラウディアより数歩前に立った。

「シャクなモンだ」

 ブラッドは、横を通り過ぎる大魔女を目で追った。

「お前みたいなガキに頼るのは、これっきりにしたいよ」

 大魔女はそうため息混じりにウェインの元へ歩いて行く。そして二人が並ぶと、隠れていたヴィヴィールたちが無数に飛び出してきた。

 ブラッドは顔をしかめてイリアとセスを見た。

「……なんだよ? ……どうしたんだ? なにかするのか?」

 イリアは答えることなく、真顔でセスを見つめた。

「……。いいわね?」

「……はい。……この命、尽きようとも――」

 ブラッドは嫌な予感がし、戸惑いを露わに二人を交互に見て身を乗り出した。

「なんだよっ? セスになんかするのかっ?」

 そう訊いた直後、まばゆい光を視界に隅に感じた。「……えっ?」と目を細め振り返ると、ウェインと大魔女が腕を広げ、その二人から光があふれていた。

「クラウディア! おいで!!」

 と、呼んだイリアに、ブラッドは焦りの色を浮かべた。

「イ、イリアっ? ……これはっ?」

「……願いの光」

「なんだよそれっ?」

 イリアはブラッドの問いには答えず、ふわりとやってきて降り立ったクラウディアを見つめた。

「……クラウディア、あなたの使命は?」

「愛するブラッドに力を貸すこと。私の愛は、ブラッドのもの」

 微笑むクラウディアにブラッドは気恥ずかしそうに視線を泳がすが、イリアは少し笑ってクラウディアの腕を撫でた。

「いい子ね、クラウディア。それでいいのよ」

「はい」

 笑顔で頷くクラウディアから、イリアはブラッドに目を向けた。

「……あなたが飛び出した後、決めたの。……せめて、あなたを元の世界に戻そうって」

 ブラッドは、真顔で切り出すイリアに目を見開いた。

「……元、……って……」

「ミティルアが、最後の力であなたがいた元の世界へ通じる扉を開けてくれるわ」

「何勝手なこと!!」

 ブラッドは形相を険しくしてイリアの腕を強く掴んだ。

「馬鹿なこと言うなよ!! 俺は元の世界なんか!!」

「聞きなさい、ブラッド」

「俺はここにいたいんだ!!」

「時間がないの。私たちが頑張ってフェルナゼクスの崩壊を食い止めるわ。その間に」

「俺もここに残る!!」

「あなたにはやるべき事が残っているの。とても大事な事よ。話しは後でセスから聞きなさい」

「俺はここの人間だ!!」

「ウェインみたいだけど、あなたが現れて、私の世界も変わった。……こんなに立派な息子ができるなんて、思ってもみなかった」

「イリア!!」

「あなたは私の誇りよ、ブラッド。あなたがテラスタを迎えた時、ここに残るって言ってくれた時、……おばあちゃんになったら面倒見てくれるって言ってくれた時、本当に嬉しかった」

「最後みたいな言い方やめろよォ!!」

 力を振り絞って大声で叫ぶ、そのブラッドの目から涙がこぼれ落ち、イリアは腕を強く掴まれる痛みに耐えながら微笑んでブラッドの頬を撫でた。

「……愛してるわ、ブラッド。……あなたのこと、ずっ……と見守ってるから」

 イリアの言葉が終わるか終わらないか、セスは顔を上げ「……ミティルア」と名を呼んだ。その瞬間、ブラッドとセス、そしてクラウディアの体が何者かに引っ張られた。

「イリア……!!」

 ブラッドは、引っ張られながらも必死になって足を踏ん張り、イリアの腕を掴んだ。すでに、セスとクラウディアはその場から消えている。

「……イリア!!」

 引っ張る力が強くなるのに、イリアの体は動かない。

 ブラッドは腕に力を入れ、イリアを引き寄せようとしたが、服の上から手が滑り、片手が離れた。

「イリア!! 嫌だ!!」

「……ブラッド……」

 イリアの顔が悲しみに歪み、目から涙がこぼれるが、彼女は動かない。

「イリア……!! ……ウェイン!! ……俺は!!」

挿絵(By みてみん)

 スルッと片方の手も滑り、イリアの腕から外れた。ブラッドはそのまま、「うああぁぁー!!」と、大声を上げて引き寄せられていく。

 街を抜け、森を抜け、そして――

 バタンッ、と閉まった扉。そして、受け止めるように背後からセスに抱きしめられながら、ブラッドは項垂れた。

 微かに震える体を背後から抱きしめ、セスは視線を落とした。

「……犠牲ではなく、希望です」

 セスの静かな声が、部屋に響いた。宝玉の傍には、キョトンとした顔のクラウディアと、心配げなミティルアがいる。

「……希望がある限り、終わりはありません。……希望は、あなたと共にあります」

 ブラッドは息を詰まらせて、セスに抱きしめられながらも背中を丸めた。

「……俺っ……、……無理だっ……。……帰りたくないっ……。……っ」

「……ブラッド」

「俺の、居場所はっ……ここしか、ないっ……。ここだけ、なのにっ……」

「……」

「ここにっ……いたい、んだっ……。……っ、イリア、たちとっ……、一緒、にっ……」

「……。……弱虫」

「……っ、……っ」

「……意気地なし」

「……っ」

「……臆病者」

「うるさい!」

「……シャキッとしなさい。……男の子でしょ」

 セスは後ろから抱きしめながらグッとブラッドの胸を伸ばした。その時、「いっ……!」と、ブラッドから声が漏れ、首を傾げて彼の体から離れると、背中の傷を見た。

「……服が血で汚れてしまいました」

 セスの静かな声にブラッドは微動だにしなかった。怒りに近い空気は感じ取ることはできたが。

 ブラッドの背中を撫でるとフッと傷が塞がり、セスは小さく息を吐いて背後からブラッドの頭を撫でた。

「……泣き虫。……いつまでもメソメソしていられませんよ」

「……、俺は帰らないからな」

 ふて腐れたような声のブラッドに、彼の頭を撫でていたセスは頭を鷲づかみして引っ張った。「こっちへ来なさい」と言わんばかりに引っ張られ、ブラッドは袖で目許を拭いながらも不愉快っぽく眉をつり上げ、そのまま宝玉の傍まで寄せられた。

「……なんだよっ」

「……見なさい」

 セスに言われるまま、不愉快さを露わに宝玉を見ると、そこにはたくさんの人が地面に倒れている光景が映し出されていた。――いや、死んでいた。しかし、……もう何度も見た光景だ。

 ブラッドは目を細め、視線を逸らしただけだった。だが、

「……これが、あなたがいた元の世界です」

 セスの静かな声に、ブラッドは目を見開いて彼女を見た。

 愕然とした表情のブラッドに、セスは静かに切り出した。

「……あなたを元の世界に帰そうと、そう決めて、ミティルアにあなたの気配を辿ってもらいました。そして、見つけたんです。あなたがいた世界を。……でも、この有様です」

「……」

 ブラッドはゆっくりと、再び宝玉を見た。

 広場に転がる無数の遺体。……多くが女性のようだ。そして、そこからゆっくりと場面が変わると、項垂れて泣き崩れる男たちと老人の姿が――。

「……短時間でしたが、状況を見てきました。……どうやら、この国の王が女性を殺すようにと、命を下しているようですね……」

「……、……王……、が……?」

「……しかも、王がこうして変貌したのは、一人息子である王子の死が原因だとか。……王子の名前は……ブラッド」

「……」

 ブラッドは目を泳がせた。戸惑う彼に何かを突っ込むことなく、セスは言葉を続ける。

「……あなたが現れたのは、およそ13年前。……その頃からだそうです、女性が虐殺され出したのは」

「……」

「……そして、あなたはここにやってきた。……どう思われますか?」

「……、どう、……って……」

「……私たちは、仮説を立てました。……フェルナゼクスと、そして、ここ、ベルナーガス。……この二つの世界は繋がっているんじゃないか、と」

「……」

「……つまり、フェルナゼクスで起こる厄災は、ベルナーガスをも襲う。……逆も然り。……国王の変貌、これはもしや、フェルナゼクスを襲う、呪いの影響では?」

「……」

「……女性ばかりの命を狙うのは、愛する少女を失った、男の呪いでは?」

 セスの言葉を聞いていたブラッドは困惑げに顔を上げて彼女を見た。

「だからってっ……俺にどうしろとっ……。俺はっ……」

「……ベルナーガスを救えば、フェルナゼクスも救える可能性があります」

 ブラッドはピタ、と動きを止めた。

「……二つの世界が繋がっている。それは……あなたが証明しています。……あくまで可能性ですが、……その可能性に、賭けてみることにしたんです」

「……」

「……ここでは、ギーナレスを失いつつある私たちには為す術はありません。あなたも、……アンデッドの恐ろしさはわかったでしょう?」

「……」

「……けれど、このベルナーガスという世界ならば……充分、太刀打ちできます」

「……」

「……ただし、呪いの元凶である者、……国王と名乗る者を討たねばならないでしょうが……」

 ブラッドはゆっくりと視線を落とした。

 セスは、そんな彼に目を向けることなく、宝玉を見つめた。

「……ベルナーガスも、荒んでいます。……しかし、不思議なことが」

「……」

「……ブラッドを名乗る少女がいるんです」

 ブラッドは顔をしかめてセスが見ている宝玉を見、そこに映し出されている姿に顔をしかめて目を見開いた。

「クラ……!」

 言いかけて、クラウディアの姿が視界に映り、口を閉ざした。そしてそのまま、驚いた表情で宝玉を見つめるブラッドにセスは問いかけた。

「……どなたかご存じで?」

「……、知ってる……と思う。……いや、たぶん……間違いじゃなければ……。でも……」

「……教えてください」

「……、俺がこの世界に来る前に生まれた……俺の妹。……でも、……生まれた時には死んでたんだって、俺はそう聞いた。……詳しいことはわからなかったけど、……お墓を訪れたことは覚えてる。……花を添えたことも」

「……彼女はクレアという名前だそうです。……しかし、ブラッドだと名乗り、ベルナーガスの兵士たちを相手にしているようです。……三人の護衛を付けて」

「……、……知ってる、三人とも……」

 宝玉に映った護衛たちを見てブラッドは目を細めた。

「……懐かしいな……。……顔なんて忘れてたのに。……まだ、覚えてたんだな、……俺の頭の中……」

「……どういうことですか?」

「……え?」

「……死んだ妹が、こうして生きている。……あなただと名乗っている」

「……わかるわけないだろ……そんなの……」

 不愉快げに目を逸らして答えると、「……ミティルア」と、セスは呼んだ。呼ばれたミティルアは「はい」と返事をして近寄ってくると、躊躇うブラッドを見上げた。

「……言ったよね、私、扉を開けることができるんだって」

「……、ああ」

「私だけじゃなくてね、ホントは、みんなできることなの。でも、みんなは開け方がわからないから開けないだけ。……あなたは、このベルナーガスからやってきた。それはつまり、扉を開けたっていうこと。あなた自身の扉かどうかはわからないけどね。……そして、この、クレアという子も」

 ミティルアは宝玉のクレアを真顔で見つめた。

「この子を見つけた時、私……ゾッとした。……この子、あなたの言う通り一度死んでいる」

「……」

「死んで、こうして生きている。……この子が開けたのは、冥界の扉」

 その言葉にブラッドは目を見開いた。

「……冥界、……って」

「そう、……アンデッドのいる世界」

「……、じゃあ……クレアは……」

「何者かはわからない。アンデッドには見えないでしょ? ……生まれ変わりを待っていた、亡くなった妹さんだったのかも」

「……、そうか……」

「ん?」

「……俺……妹が死んでから、湖で、女の子に会ってたんだ……。水面から、女の子が俺に声をかけてきた……。……やっぱり、あれが……」

 思い出し呟きながらも目を泳がすブラッドに、ミティルアは間を置いて続けた。

「……なんにしろ、フェルナゼクスとベルナーガスだけが繋がっているんじゃないってわかった。……冥界の扉も確実に繋がっている。だから今……フェルナゼクスにアンデッドが現れてしまった。……いずれ、このベルナーガスにも現れると思う」

「……」

「……この子を、冥界に送り返さなくちゃいけない。……あなたはベルナーガスへ。……全てを元に戻さなくちゃ」

「……元、に」

 ブラッドは俯き繰り返して、戸惑いを露わにミティルアに目を向けた。

「どうしても、……どうしてもこの子を冥界に帰さなくちゃいけないのか? ……このままいちゃ駄目なのか?」

 すがるように問われ、ミティルアは悲しげに首を振った。

「かわいそうだけど、この子はアンデッドを呼んでしまう。……その怖さは、わかってるでしょ?」

「……それは……」

「ベルナーガスのためだけじゃないよ。世界のためなの。……そして、この子のため。繋がったままの世界じゃ、また何が起こるかわからない。……扉って、そういうものなの。……簡単に開けちゃいけないものなの」

 諭すように訴えるミティルアの話しを聞いていたブラッドは、悲しげに目を細めて俯いた。

「……国王を殺して、……クレアを冥界へ。……俺は……ベルナーガスに。……そしたら……全てが元に戻るのか? ……イリアたちも……みんな、助かるのか……?」

「……すでに息絶えた者を救うことはできません」

 ミティルアの躊躇う視線を感じて、セスが静かに答えた。

「……それまでに生き延びた者だけが、生きることができます」

「……じゃあ、……サザグレイのみんなは……?」

「……」

 セスは間を置いて首を振った。その行動で、ブラッドは眉間にしわを寄せてグッと拳を作った。

「……どうしますか?」

「……」

「……フェルナゼクスで生きているのは、亡くなった数に比べれば、もう微々たるもの。……放っておいても、誰も恨みませんよ」

 セスの言葉にブラッドはカッとなって顔を上げ、睨んだ。

「ふざけんなよ! イリアたちを見殺しにしろって言うのか!?」

「……では、どうしますか?」

「……、……っ」

「……国王、……あなたの実父を殺し、生まれ出てきた妹を冥界に送り返すことはできますか?」

 ブラッドは急に勢いをなくし、言葉を詰まらせて視線を逸らす。戸惑う彼を見て、ミティルアは間を置いて「……ねえ、ブラッド」と切り出した。

「……あのね、……私たちのことは、もういいんだ」

 ブラッドは目を見開いて笑顔のミティルアを見た。

「ほら、呪いの元凶を作ったのは……フェルナゼクスの歴史だし。ベルナーガスには、なんの罪もない。あなたにもね。なのに……苦しめちゃって」

「……ミティルア」

「だからさ、私たちのことはいいんだよ。でも、ベルナーガスの人たちは見捨てちゃダメ」

 ミティルアは「ね?」と、相槌を問うような笑みをこぼした。

「あなた、王子様だったんでしょ? いつか、王様になる人だったんでしょ?」

「……でも、俺は……――」

 ……殺されかけた人間だ。

 そう言うことが出来ずに俯くブラッドに、ミティルアは励ますように笑いかけた。

「今の王様だって、好きであなたを手にかけたんじゃないかもしれないよ? 理由なんて、知らないでしょ? もしかしたら、何者かに操られているのかもしれない。扉が繋がってるから、どんな可能性も考えられる。……あなたにも、ベルナーガスの人たちにも、なんの罪もない。……だから、せめて、あなたたちだけでも助けてあげたい。これ以上、犠牲を出したくない。……でも、……ベルナーガスを救えるのは、あなたしかいない」

「……」

「私……、わかった気がする」

 ミティルアは、心痛な表情で拳を握り締めるブラッドを見てニッコリと笑った。

「死んだと思ったあなたがフェルナゼクスに来たのは、きっと、この世界で隠れて生きて、いつかベルナーガスを救いに戻るためだったのね」

 ブラッドは笑顔のミティルアを見ることなく、目を細めて俯いた。

「……俺は、……そんなつもりはない……」

 ミティルアに「……え?」と軽く目を見開かれたが、ブラッドは何も答えることなく深く息を吐くと、「……、わかった」と返事をした。

「……ベルナーガスを救うことでフェルナゼクスも救われるなら……俺はなんでもする。……なんだってする」

「……、うん」

 ミティルアは笑顔で頷くと、宝玉に手を付いた。

「ベルナーガスとの扉を繋げるね。……ただ、あなたたちをあの世界で生存させるためには、あの世界からも扉を開けてもらわなくちゃ。今の私の力じゃ……そこまでは無理だから」

 ブラッドはゆっくりと顔を上げた。

「……扉を?」

「一番、心が繋がりそうな人は誰? その人の扉をノックするわ。その人にも扉を開けてもらって、あなたたちをベルナーガスへと送るから」

「……、誰も……俺のことは覚えてないと思う……」

 寂しげに呟き俯く姿に、ミティルアは間を置いて笑みをこぼした。

「じゃあ、このクレアって子にしよう。この子は冥界の扉も持ってるし。なにより、ブラッドが好きだった子だもんね」

 ミティルアの言葉にブラッドは「……別に」とそっぽ向いてクラウディアと視線が合い、別の方にそっぽ向いてセスと目が合い、俯いた。

 ミティルアは「フフ」と笑い、気を取り直して宝玉を見つめた。

「ブラッドが湖から出てきたように、この子も湖から出てきたはず。二人の繋がりは、水。そこに行った時に、クレアの扉をノックするわね。そうしたら早くブラッドのことを思い出すんじゃないかな」

「……、だといいけど」

「クレアの扉を探すわ。……みんなは、乗り込む準備をして」

 宝玉に手を付いて目を閉じ集中するミティルアに、ブラッドは「……、わかった」と小さく頷いた。











「……あ! こんなところに!!」

 大声と共にタタタッ……と走り寄る音が聞こえてジョージは顔を上げ、すぐに「……シ」と、ナナに向かって人差し指を立てた。気が付いたナナは、すぐに怒り顔を消したが、それでも呆れるようにため息を吐いて、腰に手を置き、眠っているブラッドを見下ろして睨んだ。

「……みんなが探しているのに」

 文句口調のナナに、ジョージは苦笑した。

「……申し訳ありません。……少々、疲労が溜まっているようだったので」

「……、ジョージさんは甘やかしすぎですよ」

 ナナはため息混じりに近場に腰を下ろした。

「お優しいのは知ってますけど……国務は国務でやって頂かないと」

「……わかりました。……後ほど、わたしもブラッド様を手伝いますので」

「ジョージさんのことを護衛隊の方が探していたみたいです」

「……、では、至急隊舎を訪れます」

 ――本当にしっかり者で、よく周りに気が付く。そんなナナにいつも感謝をし、申し訳ないとも思っていた。だからこそ、彼女にはできるだけ早く、幸せになって欲しいと思っていた。

「……この前の話しですが」

 ジョージの出だしで、ナナはブラッドを睨んでいた目を素に戻し、ジョージに向けると少し苦笑して見せた。

「……すみません。せっかくですけど……」

「……何か、不手際でも?」

「いいえ、とんでもないですっ」

 ブンブンと首を振って、「あっ」と、すぐに声を潜めた。

「……トミーさんはとても素敵だと思います。……ジョージさんに負けないくらい」

 愉快げな笑顔で言われてジョージは苦笑する。

 ナナは「フフ」と笑って湖の方を見た。

「ただ……、今はどうしてもその気になれない、と言うか……、気になって」

 情けなく笑いながらナナは深く息を吐いて空を仰いだ。

「……あんな森の中でいつまでも一人でいて。……ちゃんと落ち着いてくれるまで安心できなくて。……ああ、ホントもう、カーシュといい、ブラッド様といい、私、まるで母親のような気分です」

 ガックリと肩を落とすナナにジョージは少し笑い、そして、間を置いて湖の方に目を移した。

「……あなたにはあなたの人生があるんですから、気兼ねなく、その道を進んでください」

「……、はい。……そのつもりです」

「……あなたはもちろん、ブラッド様も、カーシュも、皆が幸せになれるなら……それが一番いいんですが……」

 遠くを見つめるジョージの横顔を見て、ナナは彼の視線を追った。

「……なくしたものは、大きいですね……。でも、……手に入れたものも大きい。……どちらか選ぶのは……難しいです」

 ナナは言い終わってため息を吐くと、再び空を仰いだ。

「……結婚できなくなったらカーシュとブラッド様に責任取ってもらおっかなぁー」

 残念そうなナナの声に、ジョージは少し笑った。

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