13.兄と弟
「ふざけるな! クソッ!! カトリーヌのせいで酷い目にあった!! ……おい、そこの者、酒だ!! 早く酒を持ってこい!!」
三日ぶりに自室に戻ったギヨームは、薄汚れた身なりを整えようともせずに、侍従に怒鳴りつけた。
カトリーヌの断罪に関わった者は、王宮の地下牢に放り込まれた。もちろん王太子であるギヨームも例外ではなかった。
最初こそ強気にふんぞり返っていたものの、それまで経験したことのない罪人としての扱いに、彼のプライドはあっという間にへし折られて、沈黙した。
屈強な大男たちに囲まれて怒号を浴びせられ、疲れ果てた頃に房に投げ込まれる。
牢は冷たく暗く、他の罪人たちが身の潔白を訴える悲痛な叫びが、絶えず鳴り響いていた。出される食事は、喉が通らないほど冷えきった粗末なスープと、小さく硬いパンだけ。
翌日遅く、仲間の中で、シャルルだけが解放された。
なぜシャルルだけがと牢番に問い詰めると、「うるさい!」という一喝と共に椅子が飛んできた。椅子は爆音を立てて牢の鉄柵を激しく打ったが、ギヨームにはかすりもしなかった。態度が反抗的な罰としてして、夕食が取り上げられた。アドリアンとジェロームから不満の声が上がる中、ギヨームは惨めさを飲み込みながら、かび臭い毛布にくるまって朝を待つしかなかった。
あくる日も同じことの繰り返し。ただ罵倒され、独房に投げ入れられる。そうして父の本気の怒りを身をもって知ったギヨームが、ようやく解放されたのが、三日後の今日だった。
「恐れながら申し上げます。殿下、御酒はご用意いたしかねます……」
侍従は震えながら頭を下げた。
「国王陛下からの厳命でございます。『今日より一週間、清貧を尊び、内省に努めよ。酒も禁ずる』と……」
「父上が、私にそのようなことを仰せか!」
「左様でございます……」
国王の命令ならば、どれほど侍従を怒鳴りつけたところで覆らない。これではただの八つ当たりだ。自分の行いが急に恥ずかしくなり、ギヨームは頭を下げたままの侍従を、雑に追い立てるように手を振った。
「もうよい。……湯浴みは禁じられていないのだろう? このままでは不快極まりない。湯浴みの支度をしてくれ……」
「かしこまりました」
湯浴みで体の汚れを綺麗さっぱり落とし、清潔な服に着替える。三日ぶりに人間らしい生活を取り戻した彼は、酒ではなく、温かい茶でようやく一息ついたのだった。
その段になってようやく、ギヨームはリリアンのことを思い出した。婚約者のカトリーヌを、大勢の貴族の前で断罪するほどに愛した娘だというのに、今の今まで、リリアンのリの字も頭に浮かばなかった。いかにも自己中心的な彼らしい話である。
牢にいた時は考える余裕もなかったのに、一度身の回りのことが落ち着くと、やはり恋人のことが気になってしまう。
「おい、リリアンはどこにいる? 無事なのか」
部屋に出入りする侍従に尋ねたが、誰もがあからさまに視線を逸らし、口を閉ざした。
誰もリリアンについて知らされていないのか。それとも知っているが、陛下に口止めされているのか。判断することはできなかったが、王族に仕える者たちが軽はずみに情報を漏らすはずもない。ギヨームはそれ以上の詮索をすぐに諦めた。
ギヨームには一週間、部屋での謹慎が命じられていた。
罪人としての扱いを経験し、父の怒りを骨の髄まで理解したギヨームは、なるべく大人しく部屋で読書をして過ごし、監視の目をやり過ごすことに決めたのだった。
しかしそうしていられるのも、二日が限度だった。
静かな部屋に閉じこもっていると、嫌でも失敗したあの断罪劇が脳裏に蘇る。
謹慎三日目の深夜。
どうしても眠れないギヨームは、王宮が寝静まった頃合を見計らって、監視の衛兵を脅して部屋を抜け出した。向かったのはエドゥアールの私室だ。
なぜ断罪を邪魔したのか。そして、あの時耳元で囁かれた言葉の真意について、直接問いたださねばならない。苛立ちが彼の足を動かしていた。
ギヨームは当然、自分には怒る権利があると信じて疑わなかった。
愛するリリアンがカトリーヌに虐げられているのに、両親や弟は理解してくれない。ただのいじめではない。暴力を伴った激しいものだと、リリアンな泣いて訴えたのだ。
感情の昂りに任せ、強く抱き締めた時の、壊れてしまうしまいそうな儚さ。それまで未知であった、女性の頼りなさに心が震えた。
これほどか弱い娘を追い詰めたカトリーヌと、それを支える巨悪――ヴィリエ公爵家をへの憎しみが暗闇の中で激しく燃え上がってた。
王家は最大の盾と謳われるヴィリエ公爵家の顔色をうかがい、その目に余る暴挙を『政治的判断』という名の蓋で覆い隠した。 明白な罪すら無かったことにされる歪んだ現実に、ギヨームはあふれ出る怒気を必死に抑え込んでいた。
歪みは正し、腐敗は排除し、巨悪は倒さねばならない。
いつか必ず、この腐りきった王宮ごと浄化してみせる。そして、リリアン真実の愛を実現してみせる――と、彼なりの正義を瞳に宿して、ギヨームは夜の回廊を突き進んだ。
だが。あの時のエドゥアールの囁きが、確信に満ちていたギヨームの心に、一滴の黒を落としていた。時間が経ち、少しずつ体が冷えて冷静になるほどに、その黒はじわじわと広がり、不安となって忍び寄ってくる。
エドゥアールは秀才だ。
王太子を支える双剣の一人、知略を以てって敵を制する弟。エドゥアールは間違えない。いつだって冷静で、常人の遥か先を見据えている。
その言葉が、これほどまでに自分を不安にさせるというのなら、それは――自分の方に間違いがあるか、重大な見落としがあるからにほかならない。
エドゥアールの私室のドアが見えた。そこでギヨームは一度立ち止まった。頭を激しく振って、弱気を振り払う。違う。そんなはずはない。エドゥアールが常に正しいとは限らない。
リリアンが泣いて訴えた暴力。カトリーヌの実弟シャルルが公表した、姉の非人道的悪女ぶり。それらを否定するものは、現段階では何も無いのだ。
あの断罪劇は、異なる正義によって潰されたのではない。公爵家という巨悪の力と、それに迎合する父の権力によってねじ伏せられただけだ。
ギヨームは再び、歩き出した。
気づけば、監視役が仕方のない男だと言いたげな足取りで、後ろをついてきていた。
ギヨーム、エドゥアール、リシャール。三人の王子の私室は、王宮の中でも大きく離れている。不測の事態が起きても、王家の血脈をを確実に残すための冷徹な配慮だ。
幸いにも、巡回の警備と鉢合わせすることもなく、ギヨームはエドゥアールの私室にたどり着いた。
扉を押し開き、ギヨームは詰め寄った。
「エドゥアール、なぜ私を邪魔した! 私がリリアンと幸せになるのを、なぜ、邪魔するんだ!」
「なんですか、兄上。突然に」
「宴でのことだ!」
エドゥアールは、黙々と執務に励んでいた。山積みのそれらの書類は、本来ならギヨームが処理すべき仕事だった。ギヨームがリリアンへ狂信的にのめり込むうちに蔑ろにされ、やむを得ず残された二人の王子に振り分けられたものだった。そこに今、敗戦処理という最悪の案件が加わり、エドゥアールには一刻の猶予もなかった。
エドゥアールは羽根ペンを静かに置くと、冷めた双眸で息を荒らげる兄を見つめ返した。
「……邪魔などしていません。僕はただ、兄上に現実を突きつけただけです」
「現実……?」
「そうです。王太子である兄上は、一人の人間としての感情だけで動いてはならない。兄上の行動の一つ一つが、この国の運命を左右するのです。カトリーヌとの婚約を死守することは、我が国が賠償金に苦しむ中で、公爵家と王家の絆を貴族たちに示す最後の砦でした。兄上はそれを、たかが一人の女のために、自ら壊そうとしたのですよ」
「それは……」
反論を試みようとするギヨームの口から、反論の言葉が失せる。
「リリアンを愛している。それだけでは、いけないのか」
「いけません。王太子だからです」
エドゥアールは淡々と言い放った。
「兄上の愛が、どれほど真実であろうと、隣国との関係、貴族社会の安定、国民の生活……その全てを危険に晒すことになれば、それはただの罪です。
ましてや――大勢の男で一人の令嬢を共有するような爛れた関係が、我が王家にも、貴族社会にも認められるはずがない」
「それは……ッ!」
「兄上、まさか。結婚前から一人の男で満足できない女が、王太子妃となった後、兄上おひとりで満足できるとでも?」
「リリアンはそのような、ふしだらな女ではない!」
エドゥアールは薄く笑った。細められた眼には、哀れみすら浮かんでいた。
久しぶりの投稿になります。
お話の型枠はできているんですが、どの順番で出すかを思案しています。悩んでも、大したことじゃないかーッ!
で、投稿です。
今回、長くなったのを2分割したので、来週もスパッと投稿できるはず。
ご縁があったら、よろしくお願いします。




