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わたしの物語を終わらせないで  作者: 橘霧子


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11/11

11.公爵家の夕べ

 夕食どきに、一度、お父様が帰宅した。


 予想通り、リュミエール家とその一門との、婚姻の擦り合わせに奔走していた。破棄される可能性が高かったけど、リュミエール家もまだシャルルに利用価値があると思ったようだ。シャルルとクロエの婚約は継続された。


「クロエはそれで良かったのかしら……」


 なんだったらヴィリエ家のコネで、いくらでも他国の良家を紹介できるのだけど。


「ああ。クロエがシャルルがいいと、言ってくれてね。ありがたい」

「そうね。クロエのお陰で、シャルルの恥もすぐに忘れられることでしょう。婚礼はこれ以上にないほど、華やかに。クロエをヴィリエ家に歓待すると、皆様に知らしめなければね」


 お父様もお母様も、嬉しそう。

 クロエが許すか許さないかで、シャルルのやらかしの程度が決まるから、当然か。元々、ヴィリエ家のご嫡男を笑い者にできる強者はいないけど、クロエが許さずにシャルルを拒絶したら、陰で一生笑われるくらいは有り得る。


 夕食は3人分だけ用意されていた。シャルルについて、尋ねてよいものか。考えあぐねて、スープを掬う手が止まる。

 シャルルはちゃんと食事ができているのか。貴族の牢とはいえ、囚われの身では、温かい食べ物など出ないだろう。せいぜい、パンと冷めたスープだ。


 リリアンという女性に籠絡され、あろうことか実の姉である私の、悪評を広める手伝いまでしてしまったシャルル。ヴィリエ家の跡取りとして、その失態は致命的。けれど、私にとってはやはり、幼い頃に私のスカートの裾を掴んで歩いていた、可愛い弟だ。


「カトリーヌ」

「はい」


 私は顔をあげた。


「シャルルは、このあと引取りに行くよ。だから、心配しないで、ちゃんと食べなさい」

「はい。申し訳ありません」

「謝らなくていい。本当は、昼には王宮から、引き取りに来るように通達があったんだ。しかしこちらにはこちらの都合もあるし、ホイホイ迎えに行くのも、シャルルに良くないと思ってね。ギリギリまで引き伸ばしてみた。いいお仕置になっただろう……」


 ……お仕置なのかしら。どちからと言ったら、いじめじゃないかしら。


「……シャルルもきっと、今頃は己の浅はかさを骨身に染みて反省していることでしょう。牢の中で過ごす時間は、あの子に必要な毒消しですわ」


 お母様が、ナイフで丁寧に肉を切り分けながら、事もなげに言った。その声に冷たさはなく、むしろ軽やかな響きがあった。


 『毒消し』……ね。

 仲の良かった姉弟の変わりようは、それがゲームのシナリオであると知らない人々にとっては、毒に冒されたようなものなのかもしれない。

 シャルルは、リリアンと知り合う前に戻ったのか。それとも、ゲームの影響を引きずったままなのか。

 ゲームのエンディングからたった一日。家に閉じこもったままでは、全く分からないのがもどかしい。

 

「そうですね。また以前のように、シャルルと仲良くしたいです。……実は今日、クロエに百合の花を贈りました。彼女の心を少しでも慰められればと思って」


 私の言葉に、お父様が満足そうに頷いた。


「それは良い判断だったね、カトリーヌ。クロエも、君からの贈り物なら、喜んで受け取っただろう」

「ええ。クロエはわたくしにとって妹のような存在ですから。シャルルの件で、どれほど傷ついたかと思うと、胸が痛みますわ。あの子が婚約を継続すると言ってくれたこと、本当に感謝しなければなりませんね」

「全くだ」


 お父様はワインを一口含み、深く息を吐いた。


「クロエの慈悲深さと愛情がなければ、今頃シャルルは廃嫡、ヴィリエ家はリュミエール家との連携を失うところだった。……カトリーヌ、お前のその、周囲を思いやる優しい心が、クロエを繋ぎ止めてくれたのだろう」


 お母様も、私の手元に視線をやりながら、優しく微笑む。


「ええ、そのとおりです。……さて、シャルルの話はこれくらいにしておきましょう。次は、あなたのことについて話さなくてはね」


 お母様の瞳に、どこか楽しげな、それでいて少し悪巧みするような色が宿った。私は背筋が伸びるのを感じた。


「わたくし、今日は一日中、書斎に籠りきりでしたのよ?  届くわ届くわ、あちらこちらからの夜会やお茶会の招待状。それから、送り主の顔が見てみたいような、下心が見え透いた贈り物の数々……。それらを吟味して、丁寧にお断りの手紙を書くだけで、日が暮れてしまいましたわ」

「そうだったのですか? そんなにたくさんのお誘いが? わたくしに?」

「ええ、恐ろしいほどに。王太子殿下との婚約が白紙になった瞬間、ハイエナたちが一斉に動き出したというわけ。……エドゥアール殿下とリシャール殿下からの同時求婚があったことも、一因ね。さすがに王子に並んで求婚はできないけれど、わたくしを通しての女性同士の付き合いならば、まだ付け入る隙があると思っているのでしょうね」


 お母様は、ふふ、と喉の奥で笑った。


「贈られてきた宝石や花は、すべて丁重にお返ししました。中には、以前は王家との婚約をやっかんで、わたくしを遠巻きにして、悪口を言っていた家々からのものもありましたわ。現金なものね」

「貴族は日和見なものだ。風向きが変われば、昨日の敵も今日の友。その逆もまた然り」


 お父様が補足するように言った。


「付き合いは慎重であるほどいい。特に、今のようにお前が注目の的になっている時はね。不用意に誰かの誘いに乗れば、それがそのまま、どこかの派閥と繋がったという意思表示に取られかねない」

「お父様の仰るとおりよ。ですからカトリーヌ、しばらくの間、あなたは我が家の一門、あるいはわたくしたちが認めた、ごく近しい家以外との交流は控えなさい。余計な雑音に、惑わされる必要はありません」

「……はい、お母様。承知いたしました」


 私は素直に頷いた。王太子妃という重責から解放されたはずなのに、周囲の喧騒は以前よりも増している。皮肉なものだ。

 食事を終え、お父様が席を立った。シャルルを迎えに行くための、外套を執事が差し出す。


「さて。そろそろ、牢の中で震えている馬鹿者を拾いに行くとしよう。……カトリーヌ」


 お父様はドアへ向かう足を止め、私を振り返った。


「王太子の婚約者ではなくなったのだ。暫くは王宮での政務も、あの退屈な妃教育も、一切ない。公的な行事もすべてキャンセルしてある。……羽を伸ばしなさい。お前の好きに、自由に過ごして今を楽しみなさい」


 その言葉に、私は思わず目を瞬かせた。


 自由……!


 物心ついた時から、王太子の婚約者として、分刻みのスケジュールと厳しい教養に縛られてきた。それが、今は真っ白な地図を渡されたかのような状態なのだ。

 ふと、ずっと心の奥底に秘めていた願望が口をついた。


「それなら、お父様。しばらく、他国へでも行ってみようかしら。アミクス国の別邸には、何年も行っておりませんし。途中、ベネウォルス国にも寄りたいわ!」


 アミクスは、ヴァニタスと違って、昔からイリスティリアと友好的な関係を築いている。場所も、ヴァニタスとは反対の東方。王都からヴィリエ領を経由して、さらに大陸を東に縦断した先にある。幼い頃に訪れたきりだけど、その街並みの美しさは忘れられない。ベネウォルスはその途中にあり、どうせ通過するなら数日滞在するのも楽しいだろう。


 私の言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。お母様の微笑みが固まり、お父様の眉がピクリと跳ねた。


「他国、だと?」

「はい。外遊です。ベネウォルス国の優れた芸術に触れたり、アミクス国の大図書館を訪れたり……。今まで学んできた知識を、この目で確かめてみたいのです。見聞を広める絶好の機会かと」


 私は期待を込めてお父様を見つめた。━━が。


「却下だ」


 即答だった。あまりの速さに、少しだけ拍子抜けしてしまう。


「そんな……。 自由にして良いと、今仰ったではありませんか」

「国外は論外だ。今お前を外に出してみろ。どこの馬の骨とも知れぬ外国の王子や、野心に満ちた公爵たちが、手ぐすね引いてお前を待ち構えているだろう。ヴィリエ家の至宝を、みすみす国外に流出させるほど、私はお人好しではない」

「それに、今の王都の状況であなたがいなくなれば、変な邪推を呼ぶわ。『ヴィリエ家が王家に愛想を尽かして亡命した』なんて噂を立てられたら、それこそお国の一大事よ」


 お母様も、有無を言わせぬ笑みを向けた。


「せめて、国内の領地で静養するくらいにしましょう。……それも、こちらが用意した護衛を引き連れてのことですけれど」

「……自由とは、案外、不自由なものなのですね」


 私が溜息を吐きながら肩を落とすと、お父様は少しだけ声を和らげた。


「シャルルを連れて帰ったら、また話そう。ただし、国外はダメだ」

「……はい」


 お父様が部屋を出て行き、残された私とお母様。 静かになった食堂で、食事が再開され、入れ直された紅茶をすすった。


 シャルルが帰ってきたら、まずは冷えた体に温かいスープを飲ませてあげたい。きっと、頑なになった心にも染み入るはず。


 それから、たっぷり時間をかけて、彼がどれほどのことをしでかしたのか、優しく、じっくりと、お説教をしてあげなければならない。

 それにはちょっと自信がある。だって私は謝罪大国ニッポンで生きた記憶を持っているのだから。


 私は窓の外、遠くに見える王宮の影を見つめながら、少しだけ、本当に少しだけ、意地悪な微笑を浮かべた。 

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