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わたしの物語を終わらせないで  作者: 橘霧子


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10/10

10.新しい朝

 カーテンの隙間から差し込む陽光が、私の白い頬を撫でた。

 昨晩の狂乱が嘘のように、寝室は静寂に包まれている。背伸びをして、大きく一つ、深呼吸をした。胸の奥に澱んでいた重苦しい死の予感はもうない。『愛ロマ』のシナリオ通りならば、私は今頃、冷たい石造りの牢獄で断罪の朝を迎え、午後の鐘と共に断頭台の露と消えていたはずだった。

 しかし、生きている。ギヨーム殿下のお粗末な断罪を乗り越え、見事に婚約解消を勝ち取ったのだ。


「……本当に、お腹が空いて、生きていると実感するものなのね」


 独りごちてベルを鳴らすと、控えていた侍女たちが、音もなく現れた。運ばれてきたのは、焼きたてのクロワッサンと、オレンジをたっぷりの砂糖で煮詰めたマーマレード、そして香り高いアールグレイ。窓が開けられ、明るい日差しと爽やかな空気が部屋を満たす。ベッドの上での遅い朝食は、勝利の味がした。


 午後の空は一段と高く青かった。まるで昨夜の嵐が、汚いものを全て洗い流したかのように。私は庭園へと足を進めた。

 空気にはまだ湿った土と花の香りが混じり合っている。公爵家の庭師たちは、私の思索を邪魔せぬよう、魔法のようにその姿を隠していた。咲き誇る薔薇のアーチをくぐりながら、私はこれからの余生(・・)について思いを馳せる。


 ━━ゲームの知識は、もう役に立たない。


 転生者としての最大のアドバンテージは、昨晩の「断罪イベント」を乗り切った瞬間に、消滅した。ここから先は、誰も知らない、書き込まれていない白紙の物語。


 課題は沢山あるけれど、もっとも身近な懸念は、シャルルのことだった。


「あの子も、根は悪い子ではないのだけれど」


 シャルルは王太子の側近として、男爵令嬢に毒された一味に加わっていた。ギヨーム殿下らと同様に、衛兵に捉えられて、しっかりと牢で夜を明かすことになった。

 幸いにも昨晩の暴力の現場にはいなかったから、今日中には放免されるだろうが、問題はその先だ。彼には、私が実の妹のように慈しんできた婚約者、クロエ・ド・リュミエール侯爵令嬢がいる。


「シャルルの不貞と、断罪の失敗。これで破談になってしまえば、クロエの将来はどうなるのかしら……」


 私個人とヴィリエ家としての面目は保ったものの、シャルルについては別問題だ。シャルルがこの先、評判を落として笑われ者になったとしても自業自得だが、クロエは違う。婚約者を寝盗られた被害者であっても、社交界は容赦しない。スキャンダルで破談した傷物として、婚活戦線から脱落してしまう。条件の良い嫁ぎ先は望めないだろう。


 お父様が朝から外出しているのも、婚約者側の家門への根回しのため。私は一輪の白百合に指を触れた。


「私が……何とかしなければいけないわね」


 シャルルの性根を叩き直し、可愛いクロエの幸せを守る。それが、生き残った私の最初の義務のように思えた。

 シャルルへの恋慕が、もし僅かにでもクロエに残っているならば━━だけど。


 しかし、もう一つの問題が私の足を重くする。

 昨晩の騒乱の最中、婚約を解消した私の前に膝をついた、エドゥアール殿下と、リシャール殿下。


「ひっそりと隠居、なんて許してはもらえそうにないわ」


 苦い笑みがこぼれた。

 ギヨーム殿下に瑕疵が着いた今、二人は彼に代わる次期国王候補と言ってもいい。

 ギヨーム殿下が、他の有力な家の令嬢と、新たな関係を築くことができるとは思えない。リリアンを切り捨てる決断力があれば別だけど、私が知るギヨーム殿下に、そんな思い切りの良さは皆無だ。きっと自らを窮地に追い込むことになっても、ズルズルとリリアンとの関係をつづける。


 エドゥアール殿下とリシャール殿下は、やはり双剣と謳われるだけあって、いざと言う時の考察力、行動力は段違いだ。あの断罪の場で、逃げようとする私を的確に捕らえた。大勢の貴族たちの前での王族からの求婚は、さすがにヴィリエ公爵家であっても、回避は難しい。彼らのどちらかを選べば、私は再び次期王妃の座へと引きずり戻されることになる。


 悪役令嬢としての死は回避したけれど、今度は『救国の女神』としての役割を押し付けられるのもしれない。

 主要産業を失った敗戦国の舵取りは難しい。それ故に、既に時期王妃として、少なからず政務を担ってきた私を逃がすまいとする、王子たちの魂胆が透けて見える。


 弟のようでもあり、親友でもあった二人が、咄嗟の判断で王子として最善の判断を下した。その駒にされたことに、恨みも怒りもない。貴族に生まれた者として、政略結婚は人生観として織り込み済みだ。

 むしろ不憫。


 カトリーヌは、政略でありながらも、一生に一度の激しい恋をギヨーム殿下に捧げた。 結果として報われることはなかったけど、悔いはない。

 愛する人の僅かな仕草や言葉でさえ、喜びに心が震えるほどの熱い恋を、二人が知ることなく私との結婚を決意しなければならないことに、同情しかない。


 もし、既に意中の誰かがいるのだとしたら。

 その恋心を封印して、私の前に膝をついたのは、苦痛でしかなかっただろう。

 その大元にあるのは、リリアンが聖女にならなかったことで、ヴァニタスとの戦争に負けたこと━━やはり、私に行き着くのだ。


 もう一度、庭園の奥に広がる青空を見上げる。


 かつてのカトリーヌ(・・・・・)は、シナリオに縛られ、運命に流されるままだった。けれど今は違う。

 弟の不祥事も、王子たちの求婚も、すべては自分の意志で選ぶことができる未来の一部だ。考えよう。皆が幸せになれる最善の道を。


「でも、まずはシャルルが帰ってきたら、たっぷりとお説教をしてあげなくては。それからクロエにお見舞いも」


 クロエが好きな、この百合の花を届けよう。少しでも慰めになればいいのだけど。メイドに命じると、ドレスの裾を翻し、踵を返した。

 湿った空気の中を、石畳を打つ凛とした足音が響く。

 処刑されるはずだったシナリオは終わり、本当の人生が、今、静かに幕を開けた。


クロエ・ド・リュミエールという名も、「優しく愛情ぶかいが、身分制度をちゃんと理解している躾の行き届いた賢い侯爵令嬢」のイメージで、AIが考えてくれました。

私の命名センスはですね、所詮トナーリ王国レベルなんですよ。

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