9. あの皇后陛下は好色家だったのですか
「それに、貴女のその辺境伯の血統にしか現れないという美しく神秘的な瞳に惹かれてしまったのです。お父上との優雅なダンスにも、そして初対面の私にさえ物怖じしない豪胆なところにも。ですからどうかこの私の気持ちを受け止めていただきたいのです。」
美形の皇太子はアッシュブロンドの髪をサラサラと揺らしながら灰銀の瞳を潤ませ、熱っぽい視線をシャルロットへと送り続ける。
「私の一存ではお返事できませんので、一度父と相談いたします。」
この男は皇太子の座さえかけて自分を囲い込もうとしているのだから、この場ですぐ返事をすべきではないと判断したシャルロットは、曖昧な微笑みを浮かべたところでちょうど曲の終わりとなりダンスを終えた。
それからシャルロットは楽しみにしていた料理も全く喉を通らず、結局父の持ってきた飲み物だけを口に入れてデビュタントを終えた。
そして帝都のタウンハウスへの帰り道、イヴァンを含めた三人が乗った馬車の中で逞しい体つきの辺境伯である父は可愛らしい愛娘へ頭を下げることとなった。
「シャルロット!まさかこのようなことになるとは。すまない、私が傍を離れたばかりに……。皇太子殿下にダンスに誘われて断ることができなかったんだろう。せっかくのデビュタントが、人見知りのお前には辛い経験となってしまったな。」
辺境伯はシャルロットが人見知りだと思っているが、実際はそうではなく単に他人に無闇矢鱈と近づくことで毒を振り撒くことのないように距離を置いているだけなのである。
わざわざそうではないと否定することで、猛毒令嬢となった我が娘を不憫に思わせてしまうのも心苦しいと思い黙っているだけだ。
「お父様……皇太子殿下が私とダンスを踊りながら愛の告白をしてきたのよ。そして婚約をしたいとおっしゃったんだけれど。」
「そうかそうか、それは大変だったな。…………へ?」
「ですから、殿下は私を婚約者にとお望みのようですよ。」
「お前を、婚約者に?殿下が?」
「そうです。」
いくら偉丈夫の辺境伯といえども、まさか皇太子からそのような申し出があるなどと思わず驚愕の表情を浮かべた。
「お嬢様は何と?」
イヴァンは表情を変えることなくシャルロットに続きを促した。
「お父様と相談いたしますと答えたわ。」
辺境伯は頭を抱えた。
旧知の友である皇帝の実の息子である皇太子は一見穏やかな雰囲気と美形の顔に騙される者も多いが、なかなかのクセモノなのである。
そしてあの一見可憐だが好色な皇后には滅法弱く、それでも賢帝である皇帝の正当な血を継いでいるだけあって、他の皇子たちと違って非常に頭のきれる人物だということは幼い頃より見ていてよく理解している。
その皇太子が猛毒令嬢と呼ばれる我が娘に恐れることなく求婚をしたなどと、喜ばしい反面とても心配でもあったのだ。
「しかし、皇帝陛下からの勅令ともなればさすがの私でも断ることはできまい。」
「お父様にご迷惑をかけるわけにはいきませんから、その時は諦めるしかないですね。」
「シャルロット、お前はあの皇太子殿下のことをどう感じたのだ?」
シャルロットは今日のデビュタントであのトンデモ理論を繰り出した皇太子のことを思い起こした。
「確かに見目は良いと思いますよ。突然求婚されても思わずときめく程度には。」
「なに?それではお前も皇太子殿下の婚約者になっても良いと考えておるのか?」
「ですが、私は猛毒令嬢です。いくら皇太子殿下が毒に耐性があろうと、私のような令嬢が婚約者になるなどと前代未聞のお話ですよ。」
考え込む辺境伯と、その後無言となったシャルロット、イヴァンの乗った馬車はほどなくしてタウンハウスへと到着した。