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鈴鹿幻想奇譚  作者: 江葉
7/10

7:右大臣

短いです。


 疑惑の人、右大臣は、自分が皇子を弑した疑惑があることを当然知っていた。


 右大臣自身は、何もしていない。


 ただ、蜂蜜は大人にとっては滋養のある食べ物だが、赤子には毒であることを知っていて黙っていた。それだけである。


 用意した蜂蜜を娘の女御・蝉時雨に渡した。蝉時雨と蛍風は従姉妹である。初めての子育てで疲れ切った蛍風を心配した蝉時雨が、父から貰った蜂蜜を蛍風におすそ分けしたのだ。


 皇子に蜂蜜を与えたのは恒星殿に雇われた乳母である。そこに右大臣は関与していない。


 皇子が身罷った時、思った通りに事が運んだと右大臣は喜んだ。表面上は悲しんで見せたが、これであの左大臣に、兄に勝ったと思ったのだ。


 右大臣にとって左大臣は、自分からすべてを奪っていく憎むべき敵であった。親の愛情も周囲の人望も結婚相手も、何食わぬ顔をして兄がひょいと取っていってしまう。


 幼い頃からずっと一緒に育ってきて、兄がいわゆる天才型であると悟っていた。片や自分はといえば、どれほど努力しても兄には一歩及ばない。兄に悪気がないからこそ、逆恨みとわかっていても憎まずにはいられなかった。


 自分だけならまだいい。だが、可愛いせみしぐれを春宮妃にし、女御になった途端に兄は蛍風を入内させた。そして蝉時雨よりも先に蛍風が子を産んだ。なかなか子ができないと暗に責められ、泣いていた蝉時雨はどれほど絶望しただろう。


 右大臣は兄が関心を持たなかったもの、権力を求めた。求めずとも手に入る兄には、なぜ右大臣がそれほどまでに権力にこだわるのか、永遠に理解できないだろう。


「左大臣家の様子はどうだ?」


 不思議なもので、右大臣が権力を求めはじめると周囲に人が増えていった。力を求める者は力を持つ者に集まるらしい。右大臣は左大臣なら絶対に使わなかった陰謀や策略で伸し上がり、帝はおろか、政まで支配した。


 右大臣にとって愉快なことに、左大臣はそうした人の悪意に弱かったらしい。いや、鈍かったのかもしれない。弟の明確な憎悪に狼狽え、孫を殺されたと薄々気づいていながら手を拱いていた。


 まだ、足りない。右大臣はそう思った。今まで味わってきた憎悪を埋めるには、皇子一人が死んだくらいではとうてい足りなかった。二度と自分の前に立てないほどの絶望を、左大臣に与えなければならない。


「首尾よくいきました。左大臣家は誰も気づいていません」

「そうか。だが注意しろ。しっかり払いに行ってこい」

「はっ。ありがとうございます」


 そのために右大臣が仕掛けたのが『犬神の呪法』だった。犬を首だけ出した状態で土に埋め、餌も水も与えずに飢えさせる。餓死寸前のところで餌を出し、犬が首を伸ばしたところで切り落とすのだ。そして、その首を土に埋める。


 この呪法のみそは、首を埋めるのは人の行き来がある場所ならどこでも良いという点だ。呪いたい相手の家に埋める危険も、自宅に埋める必要もない。要は首の上を大勢が踏みつけにすることによって、呪が強まるのである。


 右大臣は犬の首を左大臣家の庭に埋めさせた。庭師の一人を買収し、木を植え替えるという名目で土を掘らせ、そこに埋めたのだ。


 犬は飼い主に従う本能を持つ生き物だ。右大臣は飼い主の証として、犬の牙を守り袋に入れて、娘に持たせた。


 犬神は蝉時雨の嫉妬の念に応え、宿下がり中の蓮華を襲うだろう。


「……しかし、右大臣様がこのような呪法をお使いになるとは思いませんでしたな」


 庭師が去るのを待って、屏風の向こうから一人の男が出てきた。


 剃髪に法衣姿。犬神の呪法を右大臣に授けた、阿闍梨の堯資ぎょうしである。右大臣の権勢欲と財力に目が眩んだ一人だ。


「ふん。別に信じておらぬ」

「はて? では、なにゆえに」

「昴宿殿の女御が死産でもすれば良し。そうでなければ文で密告してやればいい。左大臣家が女御と帝を呪っている、とな」


 そのために証拠となる犬の首を左大臣家の庭に埋めさせたのだ。いくら帝が庇おうと、物的証拠が出てきてはどうしようもあるまい。


「右大臣様も、お悪いですな」


 堯資が肩を揺らして笑った。


 右大臣はつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「おぬしが良い案を出してくれたおかげよ。これは共犯ぞ、堯資」

「心得ております」


 堯資としては右大臣の弱みを握り、その庇護を受けられれば良いのだ。むしろ昴宿殿の女御ではなく、帝がいなくなってくれたほうが色々とやりやすくなる。


「大納言家は近々安産祈願の祈祷を行うそうだ。おぬしを推薦しておいた」

「それはそれは。ありがとうございます」


 右大臣と堯資の視線が交差した。堯資は右大臣の言わんとすることを理解する。


 安産祈願の祈祷は大納言家で執り行われる。おそらく帝も来るだろう。警護の兵や堯資たち僧侶が詰めかけ、人が増える。


 そのどさくさにまぎれて昴宿殿の女御を始末しろ、というのだ。


 堯資が笑みを深くする。右大臣は白けた顔をしていたが、やがて歯を剥きだした凄味のある笑みを浮かべて笑い出した。



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