6:白玉
懐妊した女御の警備はいったん白紙に戻され、全部見直すことになった。
寝殿造りの警備など、はっきりいってザルみたいなものだ。いくら塀に囲まれていても人の手を借りればよじ登れるし、本気で殺すつもりならあちこちに火を放てばいい。木造建築などあっという間に燃え尽きるだろう。
まさかそこまでしないだろうと高を括っていた帝や大納言に、鈴鹿は呆れかえった。まさかそこまでの結果が皇子の死だろうに、考えが甘すぎる。
「鈴鹿、そうカッカするな。主上のお力にも限界がある」
「何のための権力なのさ。惚れた女と我が子を守るためなら決まりなんて破るくらいの気合いを見せなさいよ」
「それをやったら右大臣が大喜びで帝を退位に追い込むぞ。北斗殿の皇子に譲位させ、自分は関白として幼君を操るだろうな」
「主上も歯がゆい思いをされておられるのだろう……。俺たちはできることをやっていくしかない」
やるせなさそうな秀鷹と透頼に、鈴鹿も黙り込むしかなかった。
「女御様は大納言家の姫だし、たとえ御子様が皇子でも、春宮はあり得ないんだから放っておいてくれればいいのに」
「放っておけない性格だから右大臣やってんだろ」
「あのゆる~い感じの左大臣だって相当のやり手だぞ。主上の懐に入りこんで右大臣とやりあえるんだから、たいした男だ」
狡猾さを隠せない右大臣と比べると、確かに左大臣は狸だ。人当たり良く、帝と娘の女御のことを考えているように見せて、自分の権勢はしっかりと保っている。
鈴鹿は太い息を吐いた。
「二大巨頭が手を組まなきゃいいけど」
「表立ってはないだろう」
「左と右は兄弟だからな。対立してもどちらかが生き残るようにするさ」
左大臣の兄が正二位、弟の右大臣が従二位である。見ようによっては弟の影に隠れて兄が政を操っているともいえた。
「後宮に妃を集めている時点で、よその女との間に子供が生まれるのはしょうがないことなのに」
子孫繁栄も帝のお仕事である。やることやってりゃできるんだから、素直に孫を可愛がっていれば良かったのだ。娘が春宮妃から女御に繰り上がっているだけで優位なのである。それでも満足できないのはなぜなのか、鈴鹿にはわからなかった。
「権力は魔物なんだろう。油断してると食われちまう」
「怖いもんだ。俺、左近少将家で良かったわ」
貴族にしては破天荒すぎるが家族全員仲が良く、武芸を磨くことに熱を上げている。問題があるとしたら鈴鹿の結婚相手だが、あの母でも父と出会えたのだからなんとかなるはずだ。
「じゃあ、この文はやっぱり罠かな」
鈴鹿は文を兄に見せた。
妹の春の気配に一瞬だけ嬉しそうな顔になった秀鷹と透頼だが、すぐに眉を寄せる。
「良いほうに考えれば、警備体制の不備を教えてくれたともとれる」
「それなら別に恋歌である必要はないな」
「だよな。……鈴鹿、返歌は詠んだのか?」
「うん。稲子様が、相手が誰であれ礼儀だって」
文の主は未だ不明だが、鈴鹿の部屋にこれ見よがしに置いておけば取りに現れるだろう。鈴鹿はそこを取り押さえるつもりだ。
「後をつけてみるか」
「ここで捕り物になったら女御様に障るかもしれんしな」
「秀兄と透兄がついてくれれば心強いね」
蓮華のことは鈴鹿も心配だったのだ。族が侵入したなど、大事な時期に余計な心労をかけたくなかった。
――夜。
月はすでに満月を越えて欠けはじめている。
池では蛙が合唱し、夏虫が鳴いて空間を埋め尽くしていた。
鈴鹿は蓮華の隣の部屋で体を横たえている。目を閉じているが、眠ってはいなかった。体は疲れていても、昼間のことがあって気が昂っているのだ。
鈴鹿の部屋には秀鷹が控えて返歌を取りに来る者を待っている。今夜来るとは限らないため、透頼と交代で見張る予定だ。
ふ、と。足音を耳が捕らえた。
鈴鹿は蓮華を起こさないように静かに身を起こし、枕元に置いていた短刀を手に取った。
足音は近づいてくる。と、と、と軽いそれは人のものではなかった。犬か、猫か。ちいさな生き物だ。
いくら可愛い小動物であろうと、何らかの病気を持っている可能性がある以上、女御に近づけるわけにはいかない。
女御に見つかる前に追い出してしまおう。鈴鹿はゆっくりと瞬きを繰り返し、夜に目を慣らすと小さな侵入者に手を伸ばした。
みゃあ。
捕まったのは、真っ白な子猫だった。つぶらな青い瞳が鈴鹿を見つめている。
「こら、お前さんどこから来たの?」
ちいさな体を抱えなおし、袖でくるんで抱っこしてやると子猫はごろごろと喉を鳴らした。可愛さについ鈴鹿の頬が緩む。
おそらくどこかの飼い猫だろう。毛並みは良く、首に赤い紐が結ばれていた。
「こんなところまで散歩しちゃダメだろう。ほら、お行き」
すりすりと鈴鹿の胸に頬を擦り寄せ、離れたくないと着物に爪を立てる子猫を引っぺがした。さすがにこんな子猫を無下にすることもできず、しゃがんで庭に放てば、子猫はまたみゃうと鳴いた。
「つれないな」
低いおっさん声だった。
「猫がしゃべった」
子猫はぴょんと廊下に飛び上がると、鈴鹿にごろごろと懐く。
「そなたのところに通ってきたのに男に見張らせるとは」
「すごい。本当にしゃべってる……!」
鈴鹿はむんずと子猫を掴むと、まじまじと顔を覗き込んだ。どこからどう見ても猫である。
「ふふ。気に入ったか」
「珍しいしゃべる猫だ。見世物小屋にでも売れば高値が付くかも」
「ちょっと待て」
鈴鹿の反応が予想外だったのか、子猫は短い手足で暴れた。
「暴れんなって。見世物小屋が嫌ならどっかの寺に……そのほうが高く売れるかな」
「売るな! まず売るという発想を止めんか!」
「おっさん声なのが残念だけど、見世物にしかならないでしょ」
適当な袋に子猫を詰め、鈴鹿はきゅっと口を締めた。
みゃあ、みゃーう、なぁーおん。
猫が元の鳴き声に戻った。袋の中でじたばたと暴れている。鈴鹿は袋の上から子猫を撫でてやった。
「よしよし。お前を売った銭で女御様に何か良いもの買ってやろう。役に立てて良かったねー」
「止めんか、莫迦者」
低いおっさん声が実体を持って現れた。
すかさず鈴鹿が短刀を引き抜いた。
いきなり臨戦態勢に入った鈴鹿に、声の主はぎょっとしたようだ。
「何者」
男は月を背にしているので顔が影になっている。警戒する鈴鹿に男がため息を吐いた。
「安倍晴縁」
「安倍、ということは陰陽師か」
「いかにも。驚かせたことは謝る。その猫を返してくれぬか」
鈴鹿は少し考え、猫の傍から離れた。子猫を袋から出している間に何かされてはたまらない。
「……やれやれ。そう邪険にしなくても良かろうに」
晴縁が袋を開けると、遊んでもらったと勘違いしたのか尾をピンと立てた子猫が飛び出してきた。
「おお、よしよし」
鈴鹿は子猫と戯れる晴縁を胡散臭そうに眺めた。
「近頃の陰陽師は手妻もするのか」
「うん? ああ、あれは少し体を借りたのだ。随分と怖い見張りがおったからな、文を取りに行けなんだ」
「……ふーん」
いちいちそういう設定を考えなきゃいけないなんて、陰陽師とは大変だ、と鈴鹿は思った。
まったく信じられていないことを察知したのか、晴縁が焦ったように言い訳する。
「やはり出会いは少しばかり驚きがあった方が印象に残るであろう」
「たしかにおっさん声の猫には驚いた」
「そうだろう! 目の前で見せんとそなたは信じないであろうからな」
目の前で見せたところで信じてもらえるとは限らないのだが。
「高く売れると思ったのに、がっかりだわ」
「売ることから離れろ。これはこれで便利なのだぞ」
「女を引っかけたいなら、もう少し声を良くした方がうけると思う」
「俺の術を軟派の作戦みたいに言わんでくれ」
疲れたように肩を落とした晴縁に、敵意はないだろうと鈴鹿はようやく短刀を鞘に納めた。
「安倍晴縁殿のことは女御様から聞いたことがある。主上のご友人だとか」
鈴鹿は目の前の人物が安倍晴縁であることを疑わなかった。別人に成りすますつもりなら、もうちょっとまともな人間を演じるだろう。
「うむ。まあな」
「女御様はもうお休みになられた。面会は明日以降にしていただきたい」
「女御に会いに来たのではない」
晴縁が懐から取り出したのは、鈴鹿が詠んだ返歌だった。
「あっ」
「言っただろう。そなたに会いに来たのよ」
「あの文の主はあなたか」
嬉しそうにうなずいた晴縁に、鈴鹿はため息を吐いた。
「てっきり右大臣方の内通者の工作か、父あたりが警備の不備を知らせてくれたものと思っていた」
「仕事熱心なのは良い事だ」
帝の友人だろうと男を寝室に入れるわけにはいかない。鈴鹿と晴縁は縁側に並んで座った。
「面白いおなごだな。子猫の可愛らしさにほだされるでもなし、俺を見ても悲鳴一つ上げずに戦おうとする」
「武家の姫なんてこんなものでは?」
「違うと思うぞ」
なんでも「武家だから」で済ませようとするな。晴縁の文句に鈴鹿は唇を尖らせた。
深窓の姫君と違い、鈴鹿は自由に育てられてきた。女御や稲子、物語などに出てくる姫君たちは、よくあんな暮らしで我慢できるものだと気の毒にすら思っている。
「いつぞやは俺の式神を撃ってくれたろう。それで、まあ、興味が湧いたのよ」
「式神?」
「後宮を抜け出して鹿狩りをしていた時だ。式神に囲ませて怯みもせぬとは、そなたもそなたの兄もどうなっているのだ」
「ああ、あの時の」
鹿の後に鼠に囲まれた夜のことだ。高速で動き回る鼠の目が、まるで複数いるように錯覚させたのだと鈴鹿と秀鷹、透頼は結論づけている。
こいつの飼い鼠だったのか。鈴鹿は胡乱な目を晴縁に向けた。
月明りに照らされて青白く光る晴縁は、細面に涼やかな目元、薄い唇に笑みをたたえた青年である。歳がいくつかは知らないが、帝の友人となれば鈴鹿より一回りほど上だろう。
「……なんだ、その目は」
そんな、いい歳こいたおっさんが、鼠を友にして夜歩きなんて。鈴鹿は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「いえ。主上のご友人となればご不自由なこともありましょう。ですが、せめて意思の疎通ができる動物を飼ってはいかがですか」
友人がいなくて鼠を代わりにしている痛い人扱いされた晴縁が額を押さえた。愛と勇気だけしかいないほうがましな気がしてくる。これはひどい。
「こ、この白猫を使いとしてそなたの元に置いておく。ひとまず名をつけてやってくれ」
「いえ。女御様に怪我をさせるかもしれませんし、ここで飼うのは無理です」
「主上からの頼みでもあるのだ。賊の襲撃は兵らで阻止できても、呪の類には無力であろう。猫であれば庭だけでなく屋敷のあちこちに入り込んでも怪しまれまい」
「呪?」
鈴鹿はますます残念なものを見る目になった。
「呪なんて卑怯者のこけおどしでしょうが、女御様は気にしそうですね」
それを生業にしている晴縁の前で、鈴鹿は一刀両断した。
「少しくらい信じてくれても良かろう。目の前でやってみせたではないか」
「腹話術でしょう」
「違う。あれはああいう術なのだ」
「……安倍殿。もういい歳なんですから現実を見ましょう。奥さんと子供が泣きますよ」
「俺はまだ独身だ!」
「こじらせて婚期逃がしたのなら尚更です」
「ああ、もう……」
晴縁は天を仰ぐと、子猫を鈴鹿の膝に乗せた。
「名だ。とにかく名を付けろ。それで契約成立する」
「非常食」
「却下。真面目に考えろ」
食べることから離れんか。晴縁は鈴鹿の膝の上の子猫の喉をくすぐっている。
「じゃあ、白玉」
「うむ。それならよし」
子猫がもぞりと身じろぎをして鈴鹿を見上げ、みゃあと鳴いた。よし、と晴縁がうなずく。
「そなたが名を付け、猫が受け入れた。白玉は今はそんな姿だが俺が招いた神獣だ。大切にするのだぞ」
舌先三寸で上手いこと言っているようだが、捨て猫を押し付けられただけのような気がする。鈴鹿はなんだか負けた気分になり、腹いせに白玉の腹を思い切り撫でてやった。
晴縁、不憫なり。




