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鈴鹿幻想奇譚  作者: 江葉
5/10

5:宿下がり


 昴宿殿の女御の懐妊は一部の者を除いて秘匿されていたが、半年も経つと腹の膨らみが目立つようになり、いよいよごまかせなくなった。


 ここに来て帝は女御懐妊を公表し、同時に大事を取って宿下がりさせることを決定した。


 宿下がりの道中は護衛の兵五十名が付き従い、いかに女御が帝の寵を得ているのかを証明することになった。


「毎日文を出す。あなたは何も心配せず、健やかな子を産むことだけに専念していなさい」

「はい。主上、どうか私のことはお気になさらず。御身大切になさってくださいませ」


 蓮華は我儘を言わなかった。自分がいなくなれば北斗殿の女御が帝にお召しを催促してくるだろう。恒星殿の女御だっていつまでも同情を引いてはいられない。どちらも次の子を身籠るのは自分だと思っているはずだ。


 蓮華も莫迦ではない。たとえ皇子が生まれても、どれほど帝がその子を愛してくれようと、自分が産んだ子が春宮になることは絶対にないのだ。親王の一人として、あるいは臣籍に降るか出家するくらいしか、御子が生き延びる道はない。帝の盾にすらなれない身がもどかしかった。


 女御は稲子と牛車に乗り、鈴鹿は徒歩で二人が乗った牛車の横についた。手には愛用の薙刀を持ち、狩衣に身を包んで顔を隠しもせぬ彼女の姿は、行列を一目見ようと集まった野次馬の目を引いた。他の女房たちが壺装束に市女笠、虫の直垂で顔も体も隠しているのだから当然である。


 この時代の姫君は、肌は病的なまでに白く、髪も長いほうがうつくしいとされている。


 鈴鹿はというと、目はきりりとして鋭く、唇を引き締め、おそらく十人中九人が認める顔立ちだというのに肌は日焼けしていた。髪も普段はかもじを付けて長くしているが、道中は邪魔なので外し、腰のあたりまでしかない。市井の女とそう変わりなかった。


「女御様の女房っちゅうんは貴族の姫じゃなかったのか?」

「男のカッコしとるぞ」

「ああいうのが内裏の流行なのかしら」

「もしかしたら男かもしれないわ」

「女御様をお守りする兵よね」

「凛々しくて、ちょっと素敵じゃない?」


 野次馬のざわめきも鈴鹿は気にならなかった。兵たちが取り囲んでいるが、野次馬に紛れた刺客が犬でもけしかけたら、牛が驚いて暴れ出すかもしれない。身重の蓮華では走って逃げることもできないだろう。


 護衛兵の中には秀鷹と透頼の姿もある。油断なく周囲を見ながら、危険がないか警戒していた。


 大納言家の屋敷はさすがに立派だった。


 中央の寝殿と繋がる北、西、東の三つの対屋からなる建物で、衛兵の詰め所である侍所には女御を守るために帝が派遣した兵が待機していた。


 庭の池は小舟を浮かべて遊べるほどの大きさがあり、それぞれの対屋ごとに違う季節の木や花が植えられている。


 鈴鹿に与えられた部屋は、女御の部屋のほど近くにあり、庭にも奥にも行けるような間取りになっていた。


「広い。実家うちの部屋より調度品も立派だわ」


 さすがは大納言家、格が違う。感心しながら部屋を見回していた鈴鹿は、先に部屋にいた者の気配を嗅ぎ取った。


 香にしては甘すぎる。匂いを辿ると、文机の上に梔子の花が置いてあり、文が結ばれていた。


「……うん。……うん?」


 自分にあてがわれた部屋に置いてあるのだから自分宛だろう。文を開いた鈴鹿はそこに書かれていた内容に、しかし首をかしげた。


 ――思へども しるしもなしと知るものを なにかここだく 吾が恋ひ渡る


 ――いくらあなたを思っても甲斐がないと知っているのに、あなたが恋しくなるのはなぜなのでしょう。


 恋文である。


 わけがわからない。


 鈴鹿の知る男といえば父か兄くらいで、誰かに懸想される覚えがなかった。昴宿殿で垣間見されていた可能性はあるが、他の女房のように公達の噂をするでもなく、夜のお召しに付き従っても鼠の死骸に怖がるでもなく汚物に泣くでもない、か弱い姫とはほど遠い鈴鹿である。見初められても次の瞬間がっかりされて終わるのが落ちだ。


「誰だか知らないけど、残念な人だなあ」


 きっと部屋を間違えたか、前にここを使っていた女房への文だろう。鈴鹿はそう判断すると文を元通りに折り畳み、梔子の花を持って稲子に届けることにした。


「稲子様」

「鈴鹿、部屋の支度は済んだの? あら、どうしたのその文」

「持ち物は少ないので大丈夫です。これ、間違えて部屋に置かれてたんですよ。うっかり読んじゃいましたけど、本来の宛先に届けてさしあげてください」


 稲子は蓮華の部屋を整えているところだった。牛車とはいえ移動で疲れたのだろう、蓮華は大きな腹を庇うように床に就いている。顔色はあまり良くないが、思いがけない恋話コイバナに嬉しそうな顔になった。


「どなたか贈り主は書いてなかったの?」

「無記名でした。書いてないってことはわざわざ書かなくても伝わるということでしょう。片恋の和歌うたでしたので、以前にあの部屋を使っていた女房に求婚してた人がいるんじゃないですか?」


 帝が蓮華に宛てた文ならば、なにも鈴鹿を経由せず、文使いが正式に届けに来るだろう。


「あら? 前にあの部屋にいたのは」

「はい。結婚してすでに暇乞いしています」


 蓮華が首をかしげれば、稲子がすぐさま呼応する。阿吽の呼吸だ。乳兄弟の絆に鈴鹿が感心していると、稲子が文を突き返してきた。


「え?」


 稲子を見ればなんだかやけに目を輝かせている。蓮華も重たそうに身を起こした。


「鈴鹿!」

「は、はい?」

「やったじゃないの。あんたはどうもガサツで男らしいというか、男っ気なくて心配してたのよ」


 余計なお世話である。


「もっと他に心配することありますよね」

「何言ってるの! あんただって姫なんだから、良い男捕まえなくちゃ!」

「そうよ鈴鹿。あなたにお世話になっているからこそ、あなたに幸せになってもらいたいの」

「女御様まで……」


 男を引っかけている暇があるなら薙刀の訓練がしたい。鈴鹿の考えを読んだように、稲子ががしっと肩を摑んだ。


「さ、返歌を書かなくちゃ!」

「どこの誰かもわからないのに?」

「部屋に置いとけば取りに来るわよ」

「ああ、なるほど。罠を仕掛けて捕獲するんですね」

「違うわよ! いやそんなに変わりないけど。狩りから頭を離しなさい」


 稲子が騒いでいるせいで、他の女房たちもなんだなんだと集まってきた。まさかの鈴鹿の恋話に、揃って楽しげに笑いあう。


「さては稲子様、暇ですね!?」


 宿下がりの間は少なくとも他の女御から嫌がらせを去れることはない。蓮華も実家で安心したのだろう。そうでなくても女は娯楽が乏しいのだ。今まで男のおの字もなかった鈴鹿の恋話なんて、格好の餌食である。


「何言ってるの。これから忙しくなるのよ。姫様、ちょっと失礼しますわ」

「ええ。稲子、鈴鹿にちゃんと返事を書かせてね」

「お任せ下さい!」

「稲子様っ? 女御様――!」


 稲子に引き摺られて部屋に戻った鈴鹿は、うんざりしながら返歌を詠むことになった。


 なにしろ鈴鹿は経験がない。姫の嗜みとしてひととおり和歌の詠みかたは教わったが、恋の歌となるとさっぱりだった。


「鈴鹿……。あんたもうちょっと真面目にやりなさいよ」

「真面目にやってますってば。だいたいこんなもん、代理屋に頼んじゃえばいいじゃないですか」

「そんなの真心がないわ」

「相手も知らないのに恋歌なんて無茶がありますよ」

「そんなことないわ。恋は想像力よ! 多少顔がマズくても知性があって話題が豊富で一緒に居て心安らぐ。そういう女がモテるんだから」

「……どうせ夜は真っ暗ですからね」

「あけすけに言わなくてよろしい」


 めっ、と稲子が鈴鹿を窘めた。


「鈴鹿の理想の殿方ってどういうタイプなの? 物語で良いなと思う方とかいなかった?」


 どうやら稲子は鈴鹿に先輩風を吹かせたいらしい。蓮華の身辺警護では頼りきりになってしまうので、手助けできることがあるのが嬉しいのだ。


 めんどくさいとは思うものの、迷惑だとは思わない。鈴鹿に姉はいないが、いたらきっとこんな感じなのだろう。ちなみに母は鈴鹿に負けず劣らずの武闘派なので、こういう方面では役に立ちそうにない。


「そういえば稲子様」

「なに?」

「もしもこの文が私宛てだとしたら、誰とも知れない不審者が宿下がり時の間取りと、警備体制も知ってるってことになりませんか?」


 鈴鹿が詠んだ返歌を添削していた稲子の手が止まった。


「ちょ、ちょっと。なんで今そんなこと言うのよっ!?」

「今気がついたので」


 和歌を捻り出すので精一杯だったのだ。稲子が声をかけてくれたおかげで、ようは気が散ったことで、ようやくこの不審な文がどうしてこの部屋にあったのかを考えることができた。


「もしそうならまずいわよね」

「まずいです。誰でも簡単に入りこめるってことですよ」

「お、大殿様とお方様にお知らせしなくてはっ」


 稲子が慌てて立ち上がった。


「私も侍所に行って、警備の見直しを頼んできます」


 侍所には帝の命を受けた兵がいる。兄もいるので話が通りやすいだろう。鈴鹿は稲子がいなくなった解放感に浸ることもせずに、返歌を放り出した。



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