10:鈴鹿と晴縁
後日談。鈴鹿と晴縁。
御子は無事に生まれ、心配された産後の肥立ちも帝がこっそり女御を訪ねて来たり、周囲にいたわられて元気に過ごし、昴宿殿に戻ることができた。
あれから秀鷹と透頼率いる兵に追いかけられた犬神の首は、実体の首に戻ればなんとかなると思ったのか左大臣家の庭に埋められてあった首に取り憑いた。
寝耳に水の左大臣家の武士団も加わって犬神の首退治になったが、なんとこの首がすっかり骨になっており、目印であった血の痕がなくなり見失ってしまったという。
何とか脱げた犬の骨は今度こそ飼い主――北斗殿の女御ではなく、右大臣の元に、恨みを返すべく帰り着いた。
ちょうどその頃右大臣は帝と女御と御子をまとめて殺してしまおうと毒薬を用意させ、兄の左大臣や帝への怨嗟をぶつぶつと唱えているところだった。
そこに恨みの塊となった犬神の登場である。犬神の骨は右大臣の邪気を吸い、元々の呪いも含めてきっちり『返し』たのだ。
「それで、あのざまよ」
「ふうん」
どこか自慢げに語る晴縁に、鈴鹿は気のない返事をした。
「そなたはほんに可愛げがないのう」
そう言うわりに、晴縁の目はやさしい。鈴鹿に会いに来るたびに、花や果実を欠かさず持ってくる。
「武家の娘に可愛げを求めないでよ」
今日の手土産は西の砂漠を渡ってきたという西瓜だった。川で冷やされた西瓜は冷たく、みずみずしい。あまり甘くはないが、鈴鹿は夢中で食べていた。
懐紙に種を吐き出し、手に付いた汁を舐めとって、鈴鹿は恍惚のため息を吐いた。
「右大臣はあれでしょ、呪いだ妖だとのめり込むから頭がおかしくなったのよ」
呪いが返された右大臣のその後は悲惨のひと言に尽きる。
今までの悪事で相当恨みを買っていたらしい。右大臣はまるで発狂したかのようにそれらを自白しはじめた。口を閉じれば呼吸ができず、苦しくて口を開ければ大小関係なく今までのことを語り出す。しまいには絶対に秘密にしておきたかった兄への劣等感まで泣きながら暴露してしまい、逆恨みから皇子殺し、さらには女御と御子、帝まで殺害する計画であったと、計画に乗った堯資をはじめとする関係者の名前まで自白した。
いかに右大臣といえど、帝殺害は大罪だ。未遂で終わったとはいえ許されるはずがなかった。
「結局懺悔もなく暴言吐きながら島流しだもんねえ。呪いなんかより、悪事を実行できる行動力と権力のほうが怖いわ」
右大臣は娘である北斗殿の女御を利用して皇子を弑した。知らなかったとはいえ皇子を殺した蝉時雨も同様に島流しになり、残された幼い皇子は世を儚んで出家したということになった。実際は何もわからぬ皇子まで島流しにするのは忍びないと恩情を与えられ、出家させることで守ったのである。
「……時々、真実を突くのがそなたのすごさだな」
堯資はというと、噂が巡り巡って『女御様に懸想したあげくに腹の子を自分で取り上げたいと、阿闍梨の地位を利用して性欲を満たそうとしたクズ』と評判になり、最終的に右大臣との繋がりが露見して門下を破門、島流しの沙汰が下った。
真実恐ろしいのは果てのない人の欲望と、欲望を操る権力である。すべての因果を辿れば、結局はそこに行き着くのだ。
「晴縁殿も気を付けたほうがいいですよ。もう手遅れかもしれませんけど。ご自分の歳を自覚して、いい加減現実を直視なさっては?」
鈴鹿の黒い瞳を覗き込み、うっとりと笑みを浮かべた晴縁への正直すぎる忠告に、晴縁は笑みを浮かべたまま固まった。
「陰陽師という職業柄いたしかたない部分があるとしても、はたからみてると痛い人ですし」
晴縁が絶句していると追撃が来た。
接吻ができそうなほど接近を許すくせに、一線は越えさせない。これはどういうことだろう。めまぐるしく晴縁は考え、気がついた。
興味がないのだ。文を送りこうして会いに来ても色よい反応がないのは、元より鈴鹿の眼中にないからだ。
源の家と安倍の家では分野が違いすぎて、呪だ妖だとその原理まで説明しても理解が及ばないのと同じように、鈴鹿は晴縁をそういう目で見ていない。
「……時に、そなたが結婚相手に望むものはなんだ」
財や権力ではないのはもうわかっている。そしてなんとなく答えの予想もついたが、晴縁は訊いてみた。少しくらい意識してくればければ口説きようがないではないか。
「えっ?」
晴縁の直接すぎる問いに、男が女に文を送る意味くらいは知っていたのか鈴鹿は頬を染めた。
「言っておくがな、俺はそなたが思うよりおじさんではないぞ」
「えっ」
嘘だろ、という顔で見上げる鈴鹿に、晴縁は渋い顔になった。鈴鹿にしてみればおじさんかもしれないが、まだ二十代だ。独身で、陰陽師と位階はそれほど高くはないが、帝の友人としての信頼は篤い。結婚相手としては優良株だと晴縁は自負している。
「それで? 鈴鹿はどんな男が好きだ」
「そんなの、よくわかんないよ」
今まで考えたこともなかった。鈴鹿がちいさな声で答えた。
鈴鹿の膝の上で、白玉が西瓜の皮を齧っている。
「そうか」
鈴鹿は白玉が白虎になった姿を見ていない。たとえ伝えたところで「もう老眼ですか」と言われるのが落ちだ。
猛獣を膝に乗せ、撫でている鈴鹿の手を取った。女の細い指にも手の平にも、剣と弓でできたたこがある。晴縁はそれが誇らしかった。
「でも、夜中に狩りに行っても怒らない、できれば一緒に行ってくれる男がいいな」
指先に接吻されそうになり、鈴鹿が慌てて手を引っ込めた。よくわからないとは言ったが、誰でもいいとは言っていない。
はぐらかされた晴縁はきょとんとし、ついに声をあげて笑い出した。
「ははは、そうか。うん。俺ならそのようなことで咎めたりせぬ。夜の散策もそなたとなら楽しそうだ」
「なんでそうなるのよ!?」
「長いつきあいになりそうだな? 一の人」
「うげっ」
とっておきの微笑に流し目をくれた晴縁におよそ女子とは思えぬ悲鳴をあげて、鈴鹿が飛び退いた。
白玉が膝から庭へと降りる。
前足を伸ばしてぐっと背を反らせ、大きく欠伸をした。
青い空に、白い猫。恋のはじまりにふさわしい、夏の暑い日のことだった。
これにて完結です。おつきあいいただきありがとうございました!
鈴鹿と晴縁、合わないようでいて合うので、そのうちくっつくでしょう。でもその前に、俺たちを倒していけ! と五兄ジャーと対決。ラスボス父ちゃんを倒さないと結婚できないでしょう。あれ、鈴鹿が結婚できないのってこいつらのせいかも? 出てこなかった上の三人の兄も似たり寄ったりの暑苦しさです。