異 遺された物
紅影殿の門は、エリーシアの一声で無事に開かれた――が、門へと辿りつき中へと入った彼女の様子は明るいものでは無い。
なぜならば、本来の主である彼女の帰還であるのに紅影殿からは誰も出てこないからだ。
ただ、開かれただけだ。それは――、
「……行きましょう」
王が、入るのを許可したということだ。
「静かな所だが、ここまで静かなもンかね?」
静寂と化した紅影殿に、招かれただけの客の足音だけが木霊している。池に掛かる橋は鏡子の心を打つのに、今は潜む恐怖が邪魔をした。
「――エリーシア様」
ふわりと地上に舞い降りた――黒い女……傲慢は恭しい動作でお辞儀をすると主たる少女に歩み寄って、蠱惑の笑みを浮かべた。
「巫女と巫は、既に聖堂の中へ。――ここは、空ですよ」
ヘレルは奥へエリーシアを導くために、塞いでいた道を開けその場所へ片手を向けた。エリーシアは、頷く。
そして、後方へ続く彼らを一度見て、言った。
「わたしの聖堂へ行くわ。――いいわね」
鏡子を除く全員は、皆一度躊躇うような間を置いて頷いた。鏡子はその空気を感じていたが、その理由がわからずに一拍遅れて頷く。
エリーシアも頷いた。ヘレルは全員の顔を見て再び微笑みながら先導する。
「……エリーシア様」
「なあに、アスティン」
誰もいない屋敷の中で、アスティンが声を詰まらせながら言った。
「……エリーシア様。……あの聖堂には……――エリーシア様の……御体が」
「――え?」
エリーシアが止まる。
鏡子を除く全員が、様々な深刻な色を表情に出しながら目を一瞬逸らさざるを得なかった。――が、彼女の竜は、その言葉に強く目を見張った。
「わたしの……からだ?」
エリーシアは、リアラへと声を投げた。
リアラは手を握りながら、動揺を隠せない。
「……嘘。エリーシア様の御体は、あの後シリウスが灰に……灰にしたと……っ!」
リアラは顔を覆い震えた声を抑えようとしたが、出来ずにその光景をエリーシアが痛んでいる。
アスティンは、緩やかに首を振った後静かに一つ一つ告げていく。
「ございます。――御身は、未だ腐らず、朽ちず、あの頃のまま……祭壇でお眠りになっております」
「嗚呼っ――ごめんなさい、ごめんなさい陛下!私は、私は竜でありながら……気づけずに……!」
「リアラ――……良いの。良いの、わたしの代わりに怒らないで……」
身を燻る怒りに震えるリアラに身を寄せ、彼女はその体を撫ででやった。そして恐ろしく穏やかな眼差しと口調で――――、
「その怒りは、わたしのものよ」
凍て付く言葉を吐き出した。
「陛下」
艶やかな声をした、黒い女の声にエリーシアは移り変わる冷たい目を向けて、その笑みに答えた。
「……参りましょう?」
ヘレルは黒い灯りとなって、先を照らす。
ゆらゆら、ゆらゆらと先導を彼女は往く。――背を晒す主が絶え間なく惜しみなく与えて下さるその甘味が、とても美味しい。
紅影殿は、二人の人間によってその在処を管理されている。女を巫女とし、男を巫としてこの管理者に据え置いたのはエリーシアだ。その字の如く、エリーシアによって召し上げられ天の地に根付くことを命じられた彼らは天にも地にもまた獄にも干渉せず、ある一つのことに従事していた。
それこそ、この紅影殿の在り方を示す。
彼らの為の移住の地として造られた紅影殿は遥か昔の日本のそれと酷似しているが――外見ではなく、本質は門である。
住居ではない、紅影殿は入り口である。
では、何を護る為の門か―――――。
「陛下、……ではどうぞお先に。そこのヒト、――アナタは最後に入ってらっしゃい」
「いつぶりかしら――ね。わたしの、聖堂」
女王の聖堂を、護る為の門であった。
唯一にして無二だった女王の歪な繰り返しを隠すための門であった。
唯一にして無二だった女王を穢れから隠すための門であった。
「……っ!?エリーシア様!!お下がり下さい!」
そして、今や核を失った門が守るのは、
「――無礼ですねぇ、我が主の聖堂へ足を踏み入れるなんて。……おや?愚者が二人も……――はは、これは真っ黒ですよね?」
「ヨハネ……!――!祭壇……そ、その方は……っ」
「リアラ、まて!」
「我が主の御前ですよ、一瞬で殺しますけど……心の準備はよろしいでしょうか?」
死した女王の躯、である。
「――使徒ヨハネッ!!」
身を低くしたヨハネを前に、不意に飛び出したリアラを抑え込んでその前に上山泉は足を鳴らした。
気迫の満ちた瞳を大きく開いて、右手でリアラを制止て、声でヨハネを制した。
ヨハネは踏み込んだ力を緩めずに、その黒の少女を見て――聖人のように微笑んだ。
「会話は無理だろォがァ!!」
一瞬で目の前に飛んできたヨハネから、エリーシアを守る為同じく飛び込んで来たアルピリ。不本意だが、エリーシアを突き飛ばして彼女の身体をアスティンにぶつける形で衝撃を和らげた。
しかし――、
「――――おやおやおや、すみません。間違えてしまいました」
エリーシアへの一太刀を防げたが、その刃は老竜を切り裂いた。
アルピリは膝を付く。エリーシアは、リアラから鏡子側に渡され半ば強引にヨハネから距離を置くよう引きずられた。
「アルピリ!!」
リアラは口を強く閉じヨハネの出を伺っている。
エリーシアの声に、アルピリは口角をあげながらヨハネを見上げた。また、ヨハネは黒の少女に一度目をやり、血のついた剣を一振りもせずに持ち上げその血に触れた。
「……はあ。主の御前にて、血を流させるなんて気の進まないことこの上なく……。――サルース殿」
サルースを冠した二人が緊張を強めた。
「何を、しているのですか?」
「……お前さんこそ、何をしているんだィ?」
「ぼくですか?ぼくは見てのとおり。近衛を陛下より命ぜられました」
「近衛……?ではここに、この場にシリウスが隠れている、と言いたいのですか、ヨハネ」
「まさか。陛下は聖堂にはいらっしゃいません。ぼくは――エリーシア様をお守りしております」
「何をたわけたことをッ!!」
エリーシアは鏡子に抑えられながら吠えた。
後方にて吠える人間の少女に目を丸めたヨハネは、子供のいたずらを見守る様な表情で「おやおや」と流す。
「愚者が二人も忍び込むなんて――……嗚呼、そういうことですか。それなら、あはは、そうですねぇ」
ヨハネは剣を降ろした。
そして――――、
「――大儀であった!!と、受け賜れますよねェ!!」
膝を付くアルピリなど目もくれず、ヨハネは一直線に鏡子とエリーシアに向かって来る。
アルピリはその場で立ち上がり背に追う銃を構えた。
リアラはすぐさまその直線状に身体を投げ、己が脇腹に剣を封じその動きを衝撃をもって止める。
アスティンは鏡子達の目前に立ち、己を肉壁をした。
「機能不全の竜が……まだ、そんなに動けたとは……。不思議ですねぇ」
「……いつの話をしているのでしょう。……――壊れた、円卓の分際で!」
リアラはヨハネの背を越して祭壇に横たわる女の姿を一度、目に入れた。そして、その視界に加わる様にアルピリの姿が見える。
リアラの心にある言葉が浮かんだ。――この使徒と共に果てるか。
「鏡子……お願いを聞いて欲しいの」
「この状況で、叶えられる願いなんてあるものなら良いでしょう」
辛うじて後方にて、エリーシアは鏡子だけに声を届けている。
「……――式神の調伏を、この世界で行える?」
「……式神を?……出来るには、出来ますが……」
鏡子は聖堂内を見渡した。
崩れかかったアーチ、完全に壊れたいつくかの石像。そして、対に並ぶ七体ずつの巨像達――。
確かにいくつかの気配は感じていた。しかし、それのどれも淡い蛍の様な光で今この状況ではそれを見つけることが困難を極める。
「……十二神将の召喚すら行えないこの地で、一体何をさせるつもりなんですか!」
「――わたしを。……わたしを、鏡子の魂に繋がせてほしいの」
「……は!?上山さん、何冗談言ってるんです!?この状況で、頭おかしいのでは!?」
「アルピリを越した奥の祭壇に、横たわっている死体がある。……それが、以前のわたしの体。今のわたしには、泉が混じってないの。……肉体は、もし、あの肉体が死んでいないなら。……生ける肉体は、魂を求める」
鏡子は祭壇を見た。しかし、祭壇の奥には壁による封鎖はない。むしろ解放され、祭壇の奥には森林が広がる。緑の光を受けた木漏れ日、朝日の様な清廉な光――その光源に阻まれ逆光の化したその場に、見える物は無い。
「わたしがあの肉体に引きずられ、この肉体を離れてしまえば――人間である泉の体は、生を書き換えるわ。この肉体が生を終え死体になれば、泉の魂は元の体に戻れなくなる。――お願い、鏡子。わたしをあなたの式神に下して。そうすれば、鏡子さえ居ればわたしはあの身体に引き戻されることはない」
鏡子の心がざわつく――いや、これは。
彼らが、動揺している?
「エ――泉さんッ!!下がって!!」
二人を顔をあげた。アスティンが辛うじて、ヨハネの猛進を防いでいる。
駄目だ。アスティンでは――。
「鏡子!」
「そ、そんな!そんなこと、急に言われたって――!」
二人は二手に飛び込んだ。真逆の方向へ、二人のいた場所にはアスティンが飛ぶ。
なんてことだ。
エリーシアに、鏡子に、リアラに、アルピリに、アスティン。――この中に、戦闘に秀でた者など……まして、神の武力に匹敵する力を持つ者など、いるはずがない。
騎士ヨハネ……。円卓の騎士、まさか、こんなところで。
わたしを阻もうとするなんて!
「考えろ……考えろ……」
ヨハネの注意を逸らすべく、竜は止まることをしない。
考えろ。竜は戦闘を得意としない。
考えろ。アスティンが影に隠れていない方が不思議だ。
考えろ。――ここで、十二神将が使えれば!
エリーシアは唇を噛み締めた。
心臓が五月蠅く脈打つから、体温が上昇して呼吸が荒くなる。
鏡子もこちらの出方を伺っている。わたしに寄りたいが、そのためにはヨハネに捕捉されることを視野に入れなければならない。
元が人間であるとはいえ、油を注がれた者――彼に従事したことだけはある今では考えられない程の人から逸脱した存在だ。陰陽師とはいえ、今や人の規格に少しズレただけでは太刀打ちなど……出来ない。
たとえ鏡子が大幅に人から離れようとも、ヨハネは列聖者。信仰という名の力――嗚呼、なぜここにお前がいるの!
――待って。ヨハネ……なんて言ってた?わたしを守るように言われた……だっけ。
「わたしを……守る……?」
まさか――死体を?
「……行くか」
息を深く吸い込んだ。
気合いだけでも、この身体にしがみ付くために。
首飾りを強く握りしめた。
「――アンス」
「――然り」
――気合い、だなんて……わたしも随分と泉に影響されたものだわ!
「――上山さん!?」
鏡子の悲鳴のような声に、私を除く全てがその声が差す行方を見た。
「ちッ……愚者が!」
わたしは翔る。
身体を手に持つ剣に委ねて、ただ――エリーシアが眠る祭壇へと。
大丈夫だ。勝算は……剣しかないが、……わたしは、そこにおいてはスワードを信じている。
「……ふふっ、聖人面が取れているわよ」
「――――恐れ多くも、我が主に何をなさろうと?」
息を荒くしながら、ヨハネはわたしが振りかざした刃を受け止めた。下から潜りこみ、突き出でる勢いでわたしの刃を震えさせながら鍔競り合う。
「……主?」
アンスに身体を委ねたわたしは、魂が引きずられまいとそのことだけに集中する。
「その、死体が?」
ヨハネはその目を開き、力の限り剣を振り払った。その厚過ぎる気流に圧され、流されたわたしの体。そこで止めを刺そうと、ヨハネは逸らさない瞳でわたしの心臓を捉えた。
――来る!
撓る剣先が心臓を一突きすることを、アンスは的確に防いでくれた。しかし、一点に集中した衝撃が、抜ける道はこの身体以外に無い。
真後ろに上山泉の肉体は吹き飛ばされ、崩れ落ちた石像へとリアラが声を上げその場に向かう程の威力で、だ。
「我が主は蘇りますよ。――何度でも。当たり前ですよね、かの救世主を蘇らせた主が終わることなどありはしない!」
アルピリは舌打ちをした。
壊れた円卓の激昂を、受け止める余裕などない。しかし――、この騎士の弱点を突くならばエリーシアの示した方法が有効だ。
円卓の騎士――ヨハネ。
突破、できるか。
「くッッソがついてねェなァ!」
こちらサイドが進んで無さ過ぎたので進めました……。
次回も異になります。
ヨハネは円卓の中でもルイーズちゃんよりも上位に居るので激強です。さぁどーするエリーシア一行。がんばれ、がんばれとしか言えないし作者は絶賛疲れています。




