北の地へ
翌日。
私はどうしてもユリウスに「辺境の地へ向かうのは思いとどまってほしい」と伝えるため、朝早くに部屋を出て彼を探しに行った。
あれから一晩考えて、いくつかの案を思いついたのだ。たとえば、ユリウスが持っている“呪いの石”を私が預かれないだろうか、とか。
あるいは、魔物のはびこる地に赴いたとしても討伐には向かわず、まずは敵の様子を探るだけにして、もし太刀打ちできないと判断すれば、王都に援軍を求めることだってできるはずだと。余計なお節介かもしれない。けれど、彼自身をこれ以上危険に晒す必要なんてない。
一直線に彼の部屋の前まで行き、勢い込んで彼の部屋の戸を叩く。だが――中から返事はなかった。扉を開けると、部屋はもぬけの殻。
(……えっ? もう? いくらなんでも早すぎじゃ……)
呆然と立ち尽くしていると、様子に気づいた執事のアルフレッドが静かに声をかけてきた。
「旦那様は、早朝に発たれてしまわれました。
使用人たちのお見送りもなしに……皆に心配をかけまいと思われたのでしょう。」
「そんな……でもそれでは、あまりにも……」
「_旦那様にとっても今回がいかに危険な公務であるか、ご自身が一番よくご存じなのでしょう。
私も、引き止めたい思いで胸が張り裂けそうでした。
けれど――使用人として、旦那様の背中を見送ることが、私の務めでございますから。」
アルフレッドは、涙が迸んばかりの表情で呟いた。
「今からでも追いかけられませんか?
私も、ユリウス様には今回の遠征を思いとどまってほしいんです。」
「……もう、お手遅れでしょう。」
そういったきり、アルフレッドは踵を返して去っていってしまった。
* * *
仕方なく私はその場を離れ、屋敷の一階へ降りていった。すると、廊下の先で洗濯籠を抱えたメイドたちが、ひそひそと噂をしているのが耳に入った。
「旦那様、あの魔物を討伐しに行かれたそうよ。
北の地の民を長年苦しめてきた“災厄”なんですって。」
「今回ばかりは……さすがの旦那様も無事には戻れないんじゃないかしら。」
メイドたちも話は聞かされていたのだろう。一様に不安げな表情で顔を見合わせる。
「_でも、旦那様がいなくなれば、私たちも“あの呪い”に怯えずに済むんじゃない?」
「た、たしかに。」
_まるで、厄介払いができたと言いたげな口ぶりだった。
「あなたたち……!
他でもない屋敷の主人に向かって、なんてことを言うのですか!
彼は、皆さんのために命を懸けて戦地へ向かわれたというのに!」
咄嗟に口を挟んでしまい、気づけば私は声を荒げていた。
振り返ったメイドたちは、ぎょっとした顔で立ち尽くした。
「お、お許しください……お嬢様。」
慌ててそう言い残すと、彼女たちは籠を抱えたままそそくさと廊下の奥へ消えていった。
私はしばらくその場に立ち尽くし、唇をかみしめる。
(……やっぱり。彼を一人にはしておけないわ。)
* * *
勢いのまま、私は屋敷を飛び出した。
屋敷の裏手――馬小屋の方まで駆けていくと、そこには以前、私を町まで連れて行ってくれた御者の男性がいて、飼い馬の手入れをしていた。
「すみません、急用ができて。
今から馬車を出してもらえませんか。」
息を整える間もなく、私は切羽詰まった声で言った。
「え、今からですか? いいですが……どちらまで行かれるのでしょう?」
「北の辺境の地まで。
旦那様を追いかけていただきたいのです。」
「えぇっ!? 北の辺境ですか!
そんな、今からじゃとても無理ですよ。ここからだと丸一日はかかります。」
慌てて言い直す御者に、私は一歩踏み出して言い返した。
「でも、行っていただかなくては困るのです」
私が食い下がると、御者は困惑したように眉をひそめた。
「そんなに急いで……一体どうなさったんですか?」
勢い込んで言ったものの、私はここで返答に詰まった。
「え、ええと……旦那様が忘れ物をされたのです。
すぐに届けなければいけません。」
自分でも苦しい言い訳だと思った。
だが、本当のことを言っても、きっと止められるだけと思い、押し切る。
「それは……お嬢様が行かなくても、使用人が早馬で追えば済むのでは?」
「確かに……そうなのですが、私が行かなくてはならないのです。
彼を一人にはさせておけません。」
私の必死の形相に、御者はしばらく言葉を失った。
やがて、苦い顔をして小さくつぶやいた。
「……お嬢様が行かれたら、危険が及ぶかもしれませんよ。
それを旦那様が望むでしょうか。」
私の能力のことを知っている御者は、なんとなく察しがついたようで
不安げに私を見つめていた。
「それでも、ここで黙って見ているわけにはいかないのです。
なんとか……お願いできませんか?」
「彼を説得して連れ戻せれば、それでいいのです。
私を送り届けたら、あなたはすぐに引き返して構いません。」
御者は深くため息をつき、腕を組んで考え込んだ。
しばらく沈黙が続いたあと、ようやく折れたように頷く。
「……分かりました。
すぐに準備します。でもどうか、くれぐれもお気をつけて。」
そう言って、すぐに出立の支度を整え始めた。




