9話
「まぁ、宮内庁の対応が終わってすぐに山に突入すれば大丈夫だ。いくら瘴気の濃さが戻る可能性があるとはいえ、数日の日数がいるはずだ。一日で終わらせてやるさ」
嘉内は苦笑いしながら軽く麻倉の肩を叩く。そうやって笑う嘉内を麻倉はジトリと目を細めて見下ろす。
あの瘴気の状態だと通常は数日かけて対応するはずだ。いくら瘴気が薄められたからとはいえ、長時間あの中に留まるのは耐性の低い嘉内にとっては自殺行為にも等しい。それを一日で終わらせるとなれば、解決後嘉内はしばらくの期間寝込むことになるだろう。本当にそれを理解した上での発言だろうか、と麻倉は思ってしまうが、嘉内がそんなことに気づかないはずがないことも理解している。自身の負担を計算した上で一日で終わらせるといっているのだから手に負えない。麻倉は眉間に酷く皺を寄せながら口を開く。
「嘉内さんが保たないと思ったら、俺の判断で担いででも離脱しますよ」
「いいわね、嘉内くんはどうせ自分の身も顧みずに対処しそうだし。撤退の判断は麻倉くんに任せるわ」
「……俺に対する信用、なさすぎじゃないか?」
「ま、嘉内さんの日頃の行いっすねー」
麻倉の言葉に渡辺がにこやかに賛同したことで、嘉内の拒否権は無くなった。ぼやく嘉内を当然と言わんばかりに宮本が軽いノリで切り捨てるので、嘉内はさらに肩を落とす。
「まぁ、問題は嘉内くんが突入できるようにするとして、肝心の原因が何かがわからないと駄目なのよね」
「あ、そこは大丈夫だ。大まかだけど検討はついた」
ため息を吐きながら弱音を溢した渡辺に対し、嘉内はさらりと言ってのけた。ポカンとする渡辺と宮本、いつの間にと言わんばかりに顔を険しくした麻倉に、嘉内はそっと目を逸らしながら答える。
「いやその、倒れた時に一瞬原因っぽいのが視えたんだよなー……、倒れた甲斐があってよかった」
「何も良くありませんが?」
冷ややかな声色で麻倉が言い放つ。目の前で傾いていく嘉内の背中を見た時には焦ったものだ。地面に倒れ込む寸前に抱き留めた嘉内の身体は死んだのではないかと思うぐらいに冷たいものだった。大急ぎで車内に戻って、少しでも嘉内の体温が上がるようにと毛布で包んでずっと抱きしめていたほどだ。そこからどんどん熱が上がっていってはじめて、よかった生きていると思えたのだ。
そんな肝の冷える思いをした麻倉からしてみれば、いくら原因がわかったからといって倒れてよかったという発言を許容することはできなかった。
麻倉の静かな憤怒を察知した嘉内は、言葉を詰まらせる。自分の発言が麻倉の機嫌を損ねたのは明らかだった。嘉内は気まずそうに頬を掻く。
「あー……、悪い、今のは失言だった」
「……嘉内さんの奢り、居酒屋じゃなくそれなりのランクの和食料理店にしてくれれば、今の発言は水に流します」
「お、おう……。注文はほどほどにしてくれ……」
嘉内はいらんこと言ったなと頭を掻く。事件解決後の懐事情を思うと頭が痛くなるが、こればかりは自分の落ち度なので仕方ない。ここから高級中華や高級フレンチに発展していかないよう今後の発言や行動には気をつけようと、嘉内は心に決めた。
「いいな〜、私には奢ってくれないの?」
「僕も! 僕も!」
「いや、室長俺より給与いいでしょ。寧ろ奢ってくださいよ。宮本もちょくちょく飲みに連れてってんだから今回は我慢してくれ。また今度な」
禍津神を浄化しようって話なのに随分と呑気な話になってしまったなぁ、と嘉内は内心思うが、こういった未来の約束こそが自分の魂をこちら側に繋ぎ止めて置くことができる手段なのだとも知っている。
いつ死んでもいい、という考えで臨めば本当に魂が刈り取られてしまう。
こういった約束で未練があればあるほど、生への執着は強くなり生き意地汚くなるものだ。だから嘉内は約束する。今はまだまだ、死ぬつもりはないから。