10話
結局、山への突入はそれから一週間後となった。
渡辺が宮内庁をせっついて浄化作業を行ってもらったが、予想以上に難航したからだ。まず宮内庁側で日程の調整が難しく、要請を受けてから四日ほど経ってから浄化作業が行われたこと。それから決行した時にはさらに瘴気が強くなっており、一日で浄化が完了しなかったことが原因だ。そもそも山規模の浄化は本来四、五人がかりで行うものだが、堕ち神討伐の影響で宮内庁から実際に動けるのは二名程度。日に日に強くなる瘴気ということもあり、嘉内が突入できる程度に弱められるまで三日はかかった。
嘉内としてはその間にしっかり体調を整えられ、突入に必要な道具もしっかりと用意できたのでいい準備期間になったと言えた。また、その間に再度高山の元を訪れ、原因を紐解くために必要な因果について確証を得ることができたのも大きかった。これで突入して空振りしましたということは避けられる。嘉内の気力と体力次第で宣言通り一日で解決できるぐらいにまで状況を整えられた。
突入当日、山の麓に降り立ったのは嘉内、麻倉、渡辺の三名だ。宮本は実働班ではないので対策室で留守番だ。戻ってきたら祝勝会しましょう! 用意して待ってます! と対策室をパーティ会場にしながら笑顔で見送ってくれた。
山に突入するとはいえ、いつも通りのスーツだ。本当は登山用のシャツやらハイキングパンツがいいのだが生憎持ち合わせていないし、普段着ているスーツは軽い呪詛なら跳ね返せる程度の札が生地と裏地の間に縫い付けられている特別仕様だ。怪異に相対するには一番の戦闘服なので、これを着ないわけにはいかなかった。
嘉内はスーツにバックパックというまるで見合わない装備だが、致し方ないと諦めていた。バックパックには山のように札や浄め塩や浄化用の水やらが詰め込まれていて、これがないと嘉内は麻倉と分断された瞬間、瘴気で動けなくなり詰むのだ。最悪の事態を考えての用意は、怪異に相対するためには必要なことだ。
一方の麻倉はスーツにスマホを突っ込んだだけの身軽さで山に臨むようだ。あまりの軽装っぷりに頭を抱えたくなった嘉内だが、麻倉なら単身手ぶらで突っ込んで迷っても無事に帰って来れるだろうことは理解していたため小言をいうのはやめにした。
「さて、二人とも準備はいいかしら?」
ニッと唇の端を吊り上げた渡辺に嘉内と麻倉は向き合い、頷く。
今回山に突入するのは嘉内と麻倉の両名のみだ。渡辺は麓で待機することになっている。それもこれも、嘉内の立てた仮説では、三人全員が突入するのは難しいだろう、というのが理由だった。
今回の作戦は、嘉内と麻倉はわざと神隠しに遭い、引き摺りこまれた異界で元凶を叩くというものだ。その神隠しのための条件になり得ると考えたのが、丑三つ時もしくは逢魔時に、この山でかごめかごめを行うというものだ。
高山の調査資料を見る限り、陽が高く上がっている時に神隠しは起きていないことがわかった。発生した時の時刻は大体夕方、もしくは深夜だ。異界とこちらの境界が曖昧になりやすい時間帯で、中でも一番交わりやすくなるその二つの時間帯に絞って、今回は人為的に神隠しを起こす。かごめかごめが神隠しのキーになると考えたのは、残された彰くんの証言と、これまた高山の資料からだ。
神隠しは二人以上一緒にいないと起きない、かごめかごめの歌、振り返った時には消えていた。この三点から、かごめかごめを行うことで異界に引き摺り込まれるのではないか、というのが嘉内の仮説だ。子供ではなく大人がやるのでうまく行くかはわからないが、やる価値があると考えている。
麻倉はその場に居るだけで、接触しているだけである程度瘴気を浄化できるほどの高い能力を持っている。本来は怪異にとっては天敵となり得る能力なのだが、それは力が強すぎるが故だ。程よく力を弱めれば、怪異にとっては自身の強化に繋げられる餌に早変わりする。麻倉自身にはその力の調整は難しいので、嘉内が独自に仕入れた札を改悪して本来の力から十分の一程度にまで見えるように隠した。あくまで隠しただけなので本人の能力自体は全く変わらないが、たったその一手間で怪異を呼び寄せやすくなる。
また、嘉内自身も体質的に瘴気に弱いため、怪異としては喰いやすい、いい餌になる。自分たちを囮にして行う作戦に、渡辺は苦い顔をしたが納得はしてくれた。
じゃあやろうか、と山道の入り口に立った渡辺は山に背を向ける。嘉内と麻倉はその横をすり抜けて山道へと入った。途端に体が重くなるような感覚に嘉内は一瞬体をぐらつかせたが、すぐに麻倉が嘉内の腕を支えたことで膝を着くような醜態は避けることができた。
渡辺の少し後ろあたりに並び立った二人を確認して、渡辺はすぅ、と息を吸い込み朗々《ろうろう》と歌い始める。
「かーごめー、かーごーめー。かーごのなーかのとーりーはー。いーつ、いーつ、でーあーうー」
緩やかに始まったその歌に、山の空気は一変した。山道に入って来ていたはずの夕日の赤い光は感じられなくなり、重々しい冷気が立ち込める。急激に濃くなった瘴気に、嘉内は麻倉の腕にしがみ付いて立っているのがやっとの状況だ。麻倉は嘉内を倒れさせまいとしっかりと腰のベルトを掴んで立たせ、自分にもたれかかってもいいようにと腰を引き寄せる。
「よーあーけーのばーんにー、つーるとかーめがすーべったー」
歌も佳境に入り、まるで胃が持ち上げられるような酷い吐き気が嘉内を襲う。必死に吐くまいと口を押さえた嘉内は、酷く青白い顔をしていた。一方の麻倉も、ジワリと額に脂汗が浮かぶのを感じていた。耐性のある麻倉ですら感じ取れるほどの不快感だ。いくら嘉内がどれだけ用意周到にグッズを持ち込んでも、耐えられるものではないだろう。渡辺に中止を申し出ようと口を開こうとする麻倉の腕を、嘉内が痛いぐらいに握り締める。視線を下せば、酷い顔色の嘉内が鋭い視線で自分を見つめていたため、麻倉は苦い顔をしながら口を噤んだ。
「後ろの正面、だーあれー?」
山の状況変化を背中で感じながら、しっかりと歌い終わった渡辺は最後の節と共に振り返る。そこには先ほどまで立っていたであろう部下二人の姿はなく、山は変わらず夕日の赤い光が山道を照らしていた。
無事に、かは分からないが二人が異界へと引きずり込まれたことを理解した渡辺は、そっと山を見上げて呟く。
「無事に帰ってくるのよ」
その声を掻き消すように強く山へと吹き抜けた風を受けながら、渡辺はその場に佇んだ。




