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15話

目的地は恐らくもう近くだろう、と嘉内かないが言って約三十分後。川沿いを歩いていれば、大きな水音とともに目の前には滝壺たきつぼが現れた。


「ここだな」


 嘉内がそう言うのには訳があった。先ほどまでの道のりとはうって変わり、非常に重々しい空気とともに濃い瘴気しょうきがあたり一体に充満している。麻倉あさくらの近くにいても吐き気が込み上げてくるぐらいの酷さに、嘉内は自然と煙草に手が伸びていた。


 麻倉も、異界に引きずり込まれた時のような瘴気の濃さに、冷や汗が頬を伝うのが感じ取れた。横にいる嘉内に目をやれば、脂汗を額に浮かべながら震える手で煙草にすがっているのが見えて、少しでも負担が減るようにと嘉内の肩に手を回して自分の方へと引き寄せた。ちらりと麻倉に視線を飛ばす嘉内だが、身体接触のおかげか少し瘴気のキツさが楽になったので文句を言うことができなかった。ゆっくりと煙草の煙を肺に取り込み、吐き出してやっと呼吸が楽になる。


「行くぞ」


 嘉内は麻倉にそう声をかけ、滝の方へと歩き出した。滝には裏に小さな洞窟のようなものがあり、そこへは水に入らずも歩いて行くことができた。轟々《ごうごう》と流れる滝の飛沫しぶきを浴びながら洞窟へと歩を進めると、小さなほこらのようなものが洞窟の奥の方に見えた。


「あれが、神隠しの正体だ……」


 洞窟へ足を踏み入れれば、これまでとは比べ物にならないほどの瘴気の重圧が二人を襲う。思わず歩みを止め、その場に崩れ落ちた嘉内を守るべく、麻倉は再びとなえことばを叫ぼうとするが、嘉内に腕を引かれて口にすることができなかった。 


「ダメだ、唱えことばは強力すぎるから使うな……」


「ですが!」


「やるなら柏手かしわでだけだ……。頼むぞ」


 息苦しそうにしながらも嘉内がそう指示を出す。納得がいかないながらも、嘉内の様子を伺いながら柏手を一本打つ。道でやった時とは違い、瘴気は薄くなりはしたがそれでもまだまだ重苦しい。苛立ちながらも二本、三本打ってようやく、嘉内が立ち上がり行動できるようになるぐらいにまで浄化することができた。


「悪いな。お前が本気でやると、救ってやりたい子たちまで一緒に消し飛んじまうからさ」


 まだまだ瘴気のせいでキツそうな嘉内ではあるが、無理矢理に笑みを浮かべてそう麻倉を諭した。嘉内が重たい体を引き摺って祠の方へと歩いて行くのを、腕を支えて補助する。

 祠は石でできたものだったが、あちこちから苔が生え、一部は経年劣化で割れかけている。嘉内はその前に腰を下ろすと、背負っていたバックパックから浄化用の水と塩をそれぞれ小皿に入れ、備えて手を合わせる。


「ずっと誰も来なくて寂しかっただろう。すまないな。下にいた河童は退治したから、もう怖くないぞ」


 嘉内がそう祠に向かって声をかける。その声かけに呼応こおうするかのように、塩が一気に黒ずんだ。


「おじさんたち、だあれ?」


 その声は背後から聞こえた。幼子の声に、ところどころ地をうような低い声が混じっているようで気持ちが悪い。麻倉は咄嗟とっさに振り向こうとするが、それを嘉内が止めた。


「やめろ。お前多分見たら物理で行きたくなるからな。俺がいいと言うまで絶対に振り向くな。あと、この塩を黒ずむたびに盛り直せ」


 小さな声で麻倉をたしなめ、指示を出した嘉内は、そのまま祠を向いて話す。麻倉は嘉内の言う通りに、小皿に再度塩を盛った。


「俺たちはふもとの村から来たんだ。村の人から相談されてね。神だと信じていたものは神じゃないのではって言われて、確かめに来たんだ。そしたらあの河童がいたから驚いたよ。あれが神様なのかい?」


「うん。けどあれは神様じゃないの。神様のふりしてたみたい」


 また、幼子の声が話すと塩が黒ずみ溶けてしまう。麻倉は再びそれを盛り直し、嘉内は塩が再度守られることを確認してから話を続ける。


「そうだったんだ。そんな悪い河童だったんだね。退治してよかった」


「うん。ありがとう、おじちゃん」


 今度は塩の黒ずみが少し少なくなった。声も少しずつだが、幼子の声の比率が多くなってきているようだ。だが、嘉内はまだ後ろを振り向かない。麻倉は振り向きたい気持ちを抑えつつ、塩を盛り直した。


「そうだ、ずっとここにくる人がいなかっただろう? お腹減ってるかなぁって思っておにぎり持ってきたんだ。食べるかい?」


 嘉内はそう言いながら、バックパックからおにぎりを取り出し祠に備えた。このおにぎりもきよめ塩で作ったものだ。備えると、途端にどろりと溶けて黒い液体だけがその場に残った。


「ありがとう、おじちゃん。みんなの分もあるかなぁ?」


「何人いるかわからなかったけど、いっぱい持ってきたからね。たくさん食べてね」


 嘉内が次々におにぎりを置いていけば、その度に溶けて消えていく。最後の一つを置いたところで、おにぎりは消えることなく残っていた。


「ごちそうさま、お腹いっぱいに食べたの久しぶり!」


 嬉しそうな声は、完全に幼児のものだった。麻倉は嘉内を横目でちらりと見るが、まだ半分ほど黒ずんでいる盛り塩を見て小さく首を横に振った。


「そうかい。それはよかった。お水もあるけどいるかい?」


「いいの? ありがとう!」


 無邪気な声だが、どこかまだ空恐ろしさを感じる。嘉内は浄化用の水を再びたっぷりと小皿に注いだ。注ぐ端からなくなっていく水に、麻倉は薄寒さを覚える。

 ようやく、注いだ水がそのまま皿に残るようになった。浄化用の水が足りてよかった、と嘉内は内心安堵あんどする。足りないと対話での浄化が円滑に進まない可能性もあったからだ。ちらりと盛り塩を見れば、黒ずみは三分の一程度にまで落ち着いていた。


「こんなに美味しいお水初めて飲んだ!」


「そうかい、それは嬉しいねぇ」


 お供えとして、食べ物や飲み物を捧げる。その中に浄化作用のあるものを混ぜておくと、格段に浄化の進みが良くなる。相手と対話する時に嘉内がよく使う手法だ。悪意があり、自身の力を落としたくないものはそれを見抜き口にすることはないが、悪意がなく存在がけがされているだけのものは、喜んで口にする。嘉内はこの一連の流れで、この幼子の声をしたものが悪意を持って神隠しを引き起こしたわけではなさそうだということを悟った。


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