氷の貴公子
自己紹介・カリキュラムの説明で午前中は終わり。午後からは、部活動の説明会。
今は、昼休み、ランチの時間だ。エミリと真生に誘われ食堂に向かう途中。
勿論、柊哉も一緒。
「大体、何で、あんたも一緒なのよ」
先程から、エミリは、不機嫌だった。その原因は――
「うるせーな。柊哉さんに誘われたんだよ。嫌なら、お前が来なきゃいいだろ。俺は、美優ちゃんと食べたいんだから」
喧嘩ごしに和人が答える。
エミリは、いやに和人を毛嫌いしているように見える。
「美優ちゃんですって……馴れ馴れしい。私だって、まだ呼んでないのに」
苛立ったように、爪を噛む。
そんな、怒る事では無いと思うのだが。
ポニーテールの髪を揺らし、キッと此方を振り返り、早口で捲し立てる。
「如月さん、美優って呼んでも良い? 私の事もエミリって呼んで。大谷さんもね」
(何だか、二ノ宮君の事となると野田さん怖い)
「はい」
美優と真生は、同時に返事した。柊哉は、苦笑いを浮かべている。
食欲をそそる美味しそうな、香りが立ち込める。
食堂内には、違う色の制服を身に着けた、先輩方も来ていた。チェックの色が青が二年でえんじ色が三年。三学年が使う為、かなり広い。食堂といっても、お洒落なレストランのようである。綺麗にテーブルと椅子がセッティングされている。
それぞれ、好きな物を注文し、トレーを持ってテーブルへ。
「ちょっと、あんた。何で私の前に座るのよ」
エミリが、和人を睨み付けながら言った。
第三戦が始まったようだ。
思わず、三人は同時に深いため息を吐いた。
「仕方ないだろ、柊哉さんの隣に座るとここになるんだから。嫌なら、お前が、動けばいいだろ?」
「嫌よ。私は、美優の隣がいいの」
大きな声で騒ぐ二人。何事かと、皆の視線が集まる。美優は、頭を抱えた。
「……優……」
そんな騒ぎの中、誰かに名前を呼ばれたような気がした。キョロキョロと辺りへ視線を配る。相変わらず、二人はキャンキャンと言い争いをしている。
食堂の入口に見覚えのある男の子――
「慶くん!」
美優は、顔を輝かせ走り寄った。
如月慶は、美優より、一つ年上の従兄弟である。
切れ長の冷めた瞳。人形のように綺麗に整い過ぎた顔。感情を表に出さない為、クールな印象を皆に与えている。
ざわざわと食堂内が、ざわめき立つ。先程まで、エミリと和人に向けられていた周囲の視線が、今は、慶に向けられている。
特に女の子は、クールな彼に熱い視線を送っている。
「慶くん、お久しぶりです」
久しぶりに会えた嬉しさで、満面の笑みを浮かべて美優が言った。
「あぁ、一年ぶりだね」
美優の笑顔を、眩しそうに見ながら答える。二人並ぶと美男美女のカップルで、絵になる。喧嘩をしていた和人とエミリでさえ、ざわめきに気が付き二人に視線を送っていた。
「慶くん、全然、会いに来てくれないんですもの」
拗ねるように、唇を尖らせる。美優が他人にこんな態度を取るのは、珍しかった。それだけ、彼に心を許している証拠なのだろう。
「ごめんな、なかなか会いに行けなくて……学校とか……色々あって……」
慶は、口籠もり、そっと目をふせた。彼にしては、珍しく煮え切らない態度。
だが、すぐにパッと視線を上げ
「そういえば、昨日、倒れたって聞いたんだけど大丈夫か?」
心配そうな瞳を、こちらに向ける。様子を見に、わざわざ来てくれたみたいだ。
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけして、すみません」
美優は、ペコリと頭を下げた。
「大丈夫なら、いいんだ」
そう言って、美優の髪を優しく撫で、微笑んだ。
「キャー」
女の子達の黄色い叫び声が食堂内にとぶ。普段は、食堂など、人が集まる場所には、姿を見せない慶。珍しく姿を見せ、その上、滅多に笑わない慶が微笑む。騒ぎにならない訳がない。
貴重な笑顔に、後押しされるよう、遠巻きに見ていた女の子達が、いつの間にか、美優と慶を取り囲んでいた。もっと、近くで見たい。そんな心理が働いたのだろう。
何かきっかけでも、あろうものなら、一気に押し寄せて来そうだ。美優は、身の危険を感じていた。
慶も面倒臭そうに、女の子達を冷たく一瞥している。
「教室に戻られた方が良いのでは?」
静かな声で、言葉を掛けられる。人混みの合間を縫い、涼しい顔で柊哉が二人の元まで、出てきた。
「君は?」
「柊哉さん」
慶と美優が同時に言葉を発する。
「柊哉……」
美優の言葉を聞き取り、ボソリと呟きながら、慶は思い出すように、眉を寄せた。美優に会いに行った時に、何度か聞いた事がある名前。実際に会った事はなかったが――
「あぁ、確か美優の家庭教師だった?」
冷たい視線を、慶は投げ掛けた。何故、こんな所に家庭教師風情がいるのかと言わんばかりに。
「はい、湊柊哉です」
柊哉は、平然と答えた。
柊哉の周りに、刺すような冷たい空気が漂う。慶が発した威嚇のオーラだ。多分、他の者は、気付いていない。そのオーラは、柊哉を試すように、柊哉にのみ、向けられていた。
「このまま、ここにいると、怪我人が出る恐れがあります。つもる話は、また別の機会になされれば?」
気後れする様子もなく、飄々と柊哉が言う。
慶は、柊哉を値踏みするように、じっと見つめた。
しばらくの間――
そして、目線を柊哉から外す。慶のオーラも、それと同時に消え去っていた。
「そうさせて、貰うよ。騒がれるのは、好きではない……美優、後で連絡する」
「はい」
柔らかそうな髪を揺らし、美優はコクりと頷いた。
それを確認するやいなや、慶は、風を切るように、足早に立ち去る。
そして、思った。
あの男は、何なんだ。俺のオーラにすら、気付かなかった。何故、美優の傍に、あんな、無能な男がいるんだと――
慶がいなくなると、取り囲んでいた子達も、散り散りに散って行く。
女の子達は、先程の慶の話題で持ち切りだ。
「柊哉さん、ありがとうございます」
美優は、エミリ達の元に戻りながら、お礼を言った。
「いや、あのままだと、パニック状態になりそうだったからね。それより、あっちの二人も、今の騒ぎで納まったみたいだ」
柊哉の言葉にエミリと和人を見ると、二人も驚いたように、此方を見ていた。
真生・美優・エミリ、そして、真生の前に和人、美優の前に柊哉で、何とか席も落ち着いた。
エミリもおとなしく、パスタを頬張っている。
「あの方は、美優ちゃんの彼氏? 美男美女で、お似合いです」
先程の甘い雰囲気から、勘違いした真生が言った。
「えぇぇぇ、氷の貴公子が彼氏なの?」
エミリが、凄い剣幕で美優に詰め寄る。
「ち、違います」
詰め寄られ、焦ったようにプルプルと、思い切りかぶりを振る。
「やっぱり、そっか。良かった……私、ああいうタイプ苦手なの」
何が“やっぱり”なのか分からな
いが、エミリは、安心したように言う。
「俺も、ああいうすかした奴は、ちょっとな……」
和人が同意する。
「そうよね」
エミリが、ウンウンと頷いている。
「ちょっと、二人とも……」
真生が、こちらをチラチラ見ながら、二人を諌める。
「ああ、苦手って言っても嫌いとかじゃないのよ。ただ、ちょっと話したくないなとかぐらいで……」
「そうそう。出来れば、関わりたくないってだけさ」
二人は、あたふたと美優にフォローにならないフォローをいれた。
「もう……」
真生は、すっかりあきれ顔。
美優は、そんな事、気にも留めていなかった。
そんな事より、もっと気になった事があったのだ。
(あれ、二人とも珍しく気が合っている。もしかして、この二人は意外に気が合うのかも……)
二人を見比べながら、美優は、思った。
同じ事を思ったのか、柊哉がクスリと笑いながら、二人に突っ込んだ。
「珍しく、気が合ってるな」
「うっ……」
二人は、一瞬顔を見合せ、お互いそっぽを向いた。
カラカラと氷の音をさせながら、アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、美優がエミリに尋ねる。
「氷の貴公子って、慶くんの事ですよね?」
「そうよ。二年生にして、生徒会長。頭脳明晰、強い魔力を持つ出世頭。おまけにあの容姿。クールで氷の魔法を得意とし、品がある事から、周りからは、氷の貴公子と呼ばれているの。紅蓮の騎士と呼ばれる葉月炎とこの学校を二分する人気者よ」
フォークを器用にクルクルと振り回しながら、エミリは熱弁する。
「慶くんって、そんなに人気あるんですね。知りませんでした」
ほぅっと感心するように呟いた。真生とエミリは、顔を見合せた。
「近くで、美形を見続けると、見慣れるのかしら?」
真生が小首を傾げる。
「違う、違う! 美優の美的センスが人とは違うのよ。ねっ?」
チラリと柊哉に、一瞬だけ目線を写し、美優にウィンクした。
(エミリちゃん、もしかして気付いてる?)
美優は、ポッと頬を染めた。
「?」
他の三人は、不思議そうな顔をしていた。
―午後の部活動説明会―
講堂には、全ての一年生、部活動の代表、そして、生徒会が集まっている。
美優達も、その中にいた。昨日、入学式があった講堂。美優の表情は、曇っていた。昨日の事が脳裏に浮かぶ。また、体調を崩すのではないかと不安だった。
「美優、大丈夫?」
柊哉が、美優を気遣って声をかける。
「はい、大丈夫です」
自分に言い聞かせるように言った。
(大丈夫、昨日は寝不足だったせいだ)
見覚えのある、女性が此方に近付いて来る。保健士の住田だ。白衣のポケットから、何かを取り出す。
「如月さん、良かったら、これ持っていて。季節外れなんだけど」
そう言って、差し出したのは、真っ白な雪だるまのイラストが入ったスマホケース。美優は、手に取った。確かに時期外れだ。
「可愛い。でも、どうしてですか?」
「それには、魔力の干渉を防ぐ魔法が掛けられているの。これで、昨日のような事は、無くなる。まぁ、私としては、保健室に来てくれた方が話し相手も出来て、嬉しいんだけど」
「魔法?」
どれどれという感じで、柊哉達四人も美優の手の中にあるストラップを覗き込んだ。
「へー、普通のスマホケースにしか、見えないっすね」
和人が言う。
「そうですね、でも、可愛い」
真生が言った。
「いいなぁ。私も欲しい」
そして、エミリ。皆、思い思いの感想を口に出す。
柊哉は、一人黙ってスマホケースを見つめていた。
「わざわざ、ありがとうございます」
「いいの、いいの。可愛い生徒の健康管理も保健士の仕事の一つだからね。これで、もう安心よ。大船に乗った気持ちで、どーんと構えなさい」
自分の分厚い胸を、叩きながら言った。
「はい」
「じゃあ、私は、これで……たまには、保健室に遊びに来てね」
何か用事があるのか、今日は、何も言わなくとも、すんなり立ち去って行った。
「…………」
柊哉は、黙ってその後ろ姿を見送っていた。
講堂の時計をチラリと見る。始まりまで、まだ少し時間がある。
「美優、忘れ物をしたので、取りに行ってくる」
「あっ、はい。でも、あまり時間がありませんので、急いだ方が……」
「分かってる」
言うや否や、柊哉は、走り出していた。
講堂を出た所で、目的の忘れ物を、柊哉は見つけた。
「住田さん、待って下さい」
前を歩く丸みを帯びた背中に声を掛ける。走ったせいで、息が切れる。
「あら、湊くん、どうしたの?」
驚いて、小さな目をパチクリさせながら、住田が尋ねた。
「先程のスマホケース、ただのケースですよね?」
住田が凍り付くように固まる。……が、何か思い付いたのかニヤリと不適に笑う。
「ありゃ、もうばれちゃった? 正直者だから、嘘は苦手なのよね。でも、これで秘密を共有する仲間が出来た。一人だと心苦しかったねよね。湊くんは、そーゆうの得意そうね」
ホッとしたように住田が言う。どうやら、早々に立ち去ったのは、心苦しいせいだったようだ。
「人を嘘吐きのように言わないで下さい」
思わず苦笑し、柊哉は、突っ込みをいれた。
「でも、何故嘘を?」
「如月さんが、魔法を使えないのは、強い魔力のせいもあるけど、精神的なものが大きいと思うの。昨日の事だって、周りに気を配り過ぎたせい。それにあの子自身が気が付いた時、証明の一つになると思うの」
柊哉は、正直、驚いていた。住田に、そこまで洞察力があるとは思っていなかった。もし、あったとしても、こんな方法を思い付くとは、夢にも思わなかった。
「住田さん、凄いです。昨日会ったばかりなのに、よく分かりましたね」
「やだ、私に分かる訳ないじゃない」
笑いながら、右手を否定するように動かした。
「えっ?」
柊哉が聞き返す。
「あっ……」
不味いと言う顔をし、右手を口に当てた。柊哉が、住田を問いつめようとした……
その時、午後の授業が始まる予鈴が鳴る。既に、廊下には、柊哉と住田以外誰もいない。シンと静まり返っていた。
追求から、逃れられる方法を見つけ、安心したように言った。
「ほら、予鈴が鳴ったから、早く戻った方が良いわよ」
柊哉は、渋々、頷いた。
満面の笑みで、柊哉を送り出した。
「良かった。間に合って……」
胸に手を当て、美優は、ほっと胸を撫で下ろす。走って来た為、柊哉は、額にうっすら汗を掻いていた。
本鈴が鳴る。
本当にギリギリセーフだったようだ。
「では、これから部活動説明会を始めます」
進行係の女の子が開会の言葉を宣言する。制服が青なので、二年生のようだ。
「最初に、生徒会執行部の紹介をさせて、いただきます。私、本日、司会進行役を勤めさせていただく、生徒会の書記、卯月爽です。宜しく、お願いします」
堂々とした、面持ちで、丁寧に頭を下げた。
「生徒会の方は、壇上へお願いします」
その言葉を合図に七名の役員が、壇上に姿を現した。
一年生の席がザワザワと騒ぎ出す。特に女子生徒達の視線が一人の男性に釘付けになっている。如月慶である。
「ねぇ、ねぇ、あの人かっこいい」
「本当、なんて名前なのかしら」
などと、そんな囁き声がチラホラ耳に入ってくる。
勿論、一年生は、名前、ましてや氷の貴公子などという、あだ名はまだ知らない人が殆どである。
(エミリちゃんの言う通り、慶くん、やっぱりモテるんだ)
壇上に上がって、堂々と自己紹介し始めた慶の姿を眺めながら、美優は、改めて実感していた。