37 私は、ミッションを開始しました(お試し一日目・前編)
まだ生まれたての朝日が明るさを増していく。
そのひかりはフィッシャー邸に絶え間なく差し入り、食堂にどこまでも清らかな白を押し広げた。
ドレープが美しい純白のテーブルクロスも、陽光を抱きとめ、淡いかがやきを放ち続ける。
そうしてやわらかにきらめく長い食卓の一端では――……朝食をとる家族の姿が、まるで静止画のように室内を飾っていた。
「――ルイス。本日の予定は、覚えているな?」
ただ粛々と進むだけの食事が終わりに差しかかった頃、フィッシャー大公は顔を上げることなく切り出した。
「はい。修学の方が『お試し』で来訪される事項でしたら、心得ております」
「それならば良い」
『ルイス』と呼ばれた人物は、すぐさまカトラリーを置いて恭しく応える。質問を受けた刹那に、主である父へと向き直ってもいたのだが……大公は目もくれず、膝上のナプキンをテーブルに乗せて起立した。
「くれぐれも粗相のないよう、――決して、足元をすくわれぬようにな」
「承知いたしました、父上……」
即座に歩き出していた大公は、去り際に忠告だけを残すと、息子の従順な返答を確認する間もなく退室した。
短い会話が終わりを告げ、ふたたび沈黙につつまれながら、ルイスはそっと目をふせる。
その間もなお、いっそうのかがやきで満たされてゆく室内には、ただ静かな時間だけが流れるのだった――。
***
――テラスの窓枠からふりそそぐ日射しが、オーガンジーのカーテンみたいにひらひらとただよう。
大理石の床上で形を変えながら、あたりを華やかに彩る様はとてもまぶしく、一日の始まりにふさわしい光景だと感じた。
そんな明るい空間に、気持ちを舞い上がらせていく私は今、フィッシャー邸の来賓室にいる。
そうです、本日は念願の……『お試し』の日なんですよ!
ついに待ち望む日を迎えた喜びから、当然のごとく心は大はしゃぎしているのだけど。今日の私は“お嬢様仕様”を演出しなくてはならないので、表面的におとなしくソファーへ腰かけ、おめあての登場にそなえていた。
ちなみに事前のおしとやか練習は、オベラート邸であえなく失敗に終わったまま。とはいえ、前世を思い出す以前の私がそこだけはしっかり頑張っていたので、おそらく身についてるはず――とあまり心配はしていない。
おかげで昨夜も熟睡できた上に、早く今日を迎えたい思いからとっとと就寝したことも功を奏し、いつもよりお肌がぷるんぷるんだったりする。
そんなわけで準備万全とくつろぐ私は、ふと小説の表紙でほほえむ、気だるげな公爵のイラストを目の前に思い浮かべた。
――思えばここ数か月、お話と同じ世界で日々を過ごし、攻略キャラたちとも散々出会ってきた。
それなのについ最近まで、あの笑顔を提供できる唯一、『ルイス』の存在をキレイさっぱり忘れていたとは何たる不覚。
もう心の底から時間を戻したい気持ちになるけど、ひとまず成長前の彼を見る機会が得られたので良しとしよう。
こうして、過去をくやむも現状に心踊らせる私は、すぐに子供バージョンの彼はどんな感じなのかなあと、想像をめぐらせはじめた。
「――なにニヤニヤしてんだ。気色悪い」
もうすぐ対面する人物に思いをはせたのもつかの間、前ぶれなく声がけられてハッと我に返った。
どうやら、脳内を推しキャラで埋めつくすうちに、無意識で顔がゆるんでしまっていたらしい。
それをこの上なく嫌味なセリフで指摘され、せっかく楽しむ思考をはばまれたことにむっとする。
……いや、それはともかく。
「――それで。なんでここにディルもいるのよ」
「さあ、俺も『お試し』とやらをすることになったから、なんじゃねーか?」
不機嫌にたずねれば、あっさり自分もお試し仲間だと教えられた。
ずいぶんと他人事みたいな返しに聞こえたけど、たしかにディルクも慣習を前倒さなければならない立場だった、と納得する。
そしてフィッシャー邸が修業場所になることも、もともとの関係性を考えたらおかしくはなかった。
とはいえ、すでに知り合い同士である彼が、私と同様に試す必要なんてあるのだろうか。しかも日にちをかぶせてくるとか、嫌がらせもいいところだ。
効率的に考えたら、仕方ないことかもしれないとは思うけど、超絶不服を申し立てたい。
何より、ついこの間お願いを引き受けたばかりなのにディルクも来る意味がわからず、私はますますふてくされた。
「気づいたらこうなってたんだよなあ……」
そんな中、ディルクが何気なくこぼす言葉に引っかかり、詳しく聞いてみることにする。
「それって、どういうことなの」
「いや、なんか……こないだティナと会ったあとから、リリーが急に、俺も早く修業するんだろって話をしだしてさ」
「え、リリーが?」
「ああ。でもまあ、それはそうだろうなーくらいに聞き流してたんだ。けどなぜか昨日、夕食ん時に父から……ここで試す予定が決まった、と笑顔で告知された」
「おお……そうなんだ……」
こうして事情を知るとともに、自分がリリーから心配されてた件を思い出す。
どうやらこれは、ディルクにとっても思わぬ出来事だったようで、私が自業自得でまねいた事態らしい、とすべてを理解した。
――知らない間に父親が説きふせられてた、という背景を端的に説明する時のディルクが、薄い笑みで虚空を見つめる姿は何とも不憫でしかない。
その様子を目にして、先ほどの言い回しも彼自身がいまだ急すぎる展開を受け止めきれてないためと気づき、いろいろ悪く思ったことを反省した。
それにしても、あの時点からきっちり日程まで合わせてスケジュール調整してくるとは、リリーはなんて仕事が出来る子だろう。
おまけによく考えてみたら、今のシチュエーションはディルクとルイスの面会をうまく取りはからったようにも見える。
先日のシンクロ具合もそうだけど、二人はいつの間にかちゃんと家族になっていたし……きっと見えない絆でつながるからこそ、結果として兄をサポートする形がもたらされたに違いない。
そう解釈して心をなごませた私は、本来ならちょっぴり残念な状況も、寛容に受け入れることにした。
なので、多少のリスクはもちろん飲み込むつもりでいるのだけれど――。
「ねえ、ディルも一緒なのはいいとして。今回はしっかり令嬢らしくするんだから、余計なことは言わないでよね」
すべてを台無しにされては困ると思いたち、一応の念押しをこころみた。
「勝手にしてろ、俺はなにも言わねえよ」
「ふーん。まあ別に、それならいいんだけど」
「ああ。若干ふき出すくらいだから気にすんな」
意外とすんなり話が済んだかと思えば、安堵しかけたところでの耳を疑うセリフに、待ったをかけられる。
「ちょっと! 一緒のことだよ、なんで笑うのっ」
「笑えるからに決まってんだろ」
一旦安心させたあとにつき落とすところは、さすがドSというべきなのか。
ついさっきまでとは打って変わり、とっても楽しそうな顔つきで妨害を予告してきたよ。
しくじった……。あらかじめ要望を伝えたことが仇となり、懸念は払拭されるどころか、みずから懸念を生んだ気がする。
だけど少しでもルイスに好印象を持ってもらいたい私は、ディルクの迷惑行為を阻止するべく口論しつづけた。
そうしてしばらくたった頃。入り口を軽くノックする音が聞こえて、私はすぐさま口をつぐむと同時にいずまいも正した。
その刹那、入室してきた人物を視界にとらえたことで、心のもやもやは一瞬で消し飛んだ。
ほの明るい光のエフェクトをまとう姿は紗がかかり、優しくまたたいて見える。
――本物の、ルイス・フィッシャーだ……!
胸の内でつぶやき、推しキャラが間違いなく存在する事実に感動しきりの私は、パステル調の幻想的な様相に魅了されるまま、くまなく観察をしはじめた。
スタイルは前世でいうシフォン系のふわりとしたショートで、やわらかそうな蜂蜜色の髪が額縁のようにフェイスラインをつつみ、端整な顔をよりきわだたせていた。
乳白色の肌はまぶしく、気だるげな伏し目も菩薩の半眼を彷彿とさせるほどに麗しい。
そして長いまつ毛の隙間からのぞく瞳は、夏の早朝に広がる透きとおった空を閉じ込めた、ブルートパーズのようで――。
「デルフィニウムみたい……」
涼やかな薄水色に、その花を思い出した。
「なにか言った?」
「あ……いえ、なんでもありませんわ」
ひとり考えながらひそかにこぼすと、ルイスが目ざとく反応してくる。
これまた初めて聞く澄んだ声に、あやうく歓声を上げかけたけれども。私はあわててお出かけ仕様に切り替え、何事もなく対応した。
「そう。二人とも、ずいぶん待たせたみたいで悪かったね」
「とんでもないことでございます。お気になさらないでくださいませ」
「ああ、たいしたことねえから気にすんな」
いつも以上に慎重を期す言葉選びも、ルイスと会話できる幸せの前では苦にならない。
なにより、ディルクが茶々を入れてこなかったことにほっとした。
「お目にかかれて光栄です。あの、ルイス様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ルイスでいい。それと、普通に話してくれてかまわないよ」
「え……?」
「かしこまる必要がない、ってこと。君たちの話し声は外まで聞こえていたから」
ところが、喜び勇んでおしとやかに努めてまもなく、告げられたセリフに絶句する。
ディルクと終わりの見えない諍いをつづける間も、いつ待人が来るかわからないので、声量はなるべくおさえていたつもりだった。
ついさっき、普段の口調が出そうになった時も、とっさにこらえて令嬢らしく応じた。
それなのに……っ、労力の甲斐もなく、最初から本性がバレてしまっていたらしい。
「残念だったな」
こっそり耳打ちしてくるディルクの声には、かすかな笑いがふくまれていた。
……くそう。ルイスの手前で言い返せないのも、計画が台無しになったことも、すべてがくやしすぎる。
とはいえ、ありのままでいられる方が楽には違いないので、これも悪役令嬢の性なんだと飲み込もう。
そうして私は、こうなったら欲にまかせて萌えをたっぷり追求する、と開き直った。
「ねえ、ルイス。笑って?」
都合良く方向性を変えた途端に、自然と一番の望みが口をついて出る。
「……はあ。なに、いきなり」
「ちょ、ティナっ」
「うん? 私がただ、ルイスの笑顔を見たくてお願いしてるの」
ルイスは大きなため息をはくと、至極めんどくさそうに言い、ディルクもあせった様子で呼びかけてきたけれど――。
私は意にも介さず、正直な気持ちをのべた。
……だって、設定では常にアルカイックスマイルをたずさえてるはずのルイスが、どういう理由か、ずっと無表情をつらぬいてるんだもん。
まれにみせる笑顔はさておき、せめてデフォルトのほほえみを見たいと初対面から思っていたのだ。
「面白くもないのに、笑うわけないでしょ」
「ええー」
「不服そうにするな。当たり前だろ? ったく……なに考えてんだ」
だけど呆気なく断られてぶうたれた直後、ルイスをかばうディルクからつっこまれる。
ついでに油断していたせいで、頬っぺたもつままれてる。
「でも、ちょこっと口角を上げればいいだけの話だよ?」
「それが人にものを頼む態度か。ほんと、ティナはわがままだな」
「素直なのはいいことだと思う」
「あのなあ、わがままを前向きにとらえてんじゃねーよ」
「――知り合い、なんだね」
そして、ディルクの手をぺしっと払いのけて言いあってたら、ルイスが会話に入ってきた。
「ん? ああ、そうなんだ」
「別に……どうでもいいけど」
――あらま。自発的に聞いておきながら、なんてそっけない。けどそこがいい、それでこそルイス! ……ではなくて。
せっかく私はだまってみたのに。二人のおしゃべりがはじまるどころか、ルイスの冷たい言動のせいで、ディルクがちょっぴりさびしそうだよ。
とうぜん、三人での会話がはずんでいくなんて流れにはならず、静まる空気は重かった。
「じゃあ、学習室に案内するから。ついて来て」
そんなことを気にする様子もなく、平然と言って踵を返すルイスと、無言で続くディルクを眺めた私は――。
――これはちゃんと二人が話をできるようにしなくては! と、当初のミッションを決行すべく、一人奮起するのだった。
いろいろ変わりすぎててあたふたしつつも、ひっそりと再開。
37 私は、ミッションを開始しました(お試し一日目・後編)につづきます。




