30 【小話】私とガラス細工 byヒルダ(後編)
30 【小話】私とガラス細工 byヒルダ(前編)の続きです。
昇りきる太陽と、本来あるべき形をなくしたガラス細工は、この場にふさわしくないほどの光を与える。
――たちまち皆が集まり、望まない状況がつくられていく中で、私は無言を貫いた。
「ティアナ様、どうぞお先にご入室ください――」
聞こえてきた言葉に、ようやくお嬢様も来られたとわかる。
私は、お嬢様が壊したのだと少しでも感じれば、すぐにでも行動に移そうと神経を研ぎ澄ました。
そうして徐々に顔をこわばらせていたのだけれど……。
「ヒルダっ!」
呼ばれてハッとした時には、お嬢様に腕を掴まれていた。
私に駆け寄り、小さな手でしがみついては、必死に何とかしたいと訴える。その姿を見た私は、わずかに気を緩めた。
今の様子で、お嬢様は壊していないと確信できたからだ。
けれど刹那に不穏な空気を感じ取り、気持ちを引き締めなおす直後――、予想していた令嬢方の攻撃が開始されるのだった。
持ち主のラウレンツ王子に代わり、他人が責めるのは何のためだろうか。答えは考えるまでもなく一目了然。
……すべては、お嬢様を候補から引きずり下ろすためでしかない。
そうしてお嬢様が問責されているしばしの時間を、私は沈黙して過ごす。槍玉に上げられているのが自分自身にも関わらず、だ。
それは貴族間の会話にメイドが口を挟むのが非礼になる、という表向きの理由はさておき。
身勝手に湧かせる己の感情と、葛藤していたせいだった――。
***
お嬢様は何も知らなくていい。けれども、何かをされることだけは絶対に許せない――そう思って注意を傾けていた。
しかし実際は、私が事の発端を作り、現状を招いてる。
自分がターゲットとなる可能性には考えを及ばせず、身に降りかかる火の粉を見過ごした結果――、お嬢様を窮地に立たせるなど、お世話係失格としか言いようがない。
だからこそ、すぐにでもやるべきことがあるのに……私は躊躇していた。
自ら壊したと認めて謝罪すれば、この件は早々に終わらせることができる。
同時にレハール邸でのメイド職を辞する形で責任を取ったなら、これ以上かける迷惑も最少に抑えられるだろう。
そう、わかっているのに、元々お嬢様が壊してた時には使うつもりの手段だったはずなのに……。
もうお嬢様の側にいられなくなる――。その事実に直面した途端、行動に移せなくなっていたのだ。
私は、いつの間にか白くなるほどに握った手を見つめて、奥歯を噛み締める。自分が情けなくて悔しくて、泣きたくなる。
……それも、本来は嘆く資格もないのだと悟れば、ようやく決心がついた。
なので、胸が張り裂けそうになる中でただ一つ、『居合わせたのがお嬢様ではなく私で良かった』とだけ言い聞かせて、私は口を開いてゆく。
「ヒルダは壊してないよ」
――けれど、お嬢様はなぜかきっぱりと言った。
まったくもって予期せぬ言葉に、私は一瞬まばたきも忘れて凝視する。
自分のことを誰かに信じてもらいたい、そんなことは考えてもみなかったからだ。
「うん。ヒルダが嘘をつく必要はないから。してないものはしてないと言えばいいよ」
勿論一度も訴えてないにも関わらず、目の前のお嬢様は確かめるまでもなく、当たり前のように私を信じてくれていた。
それは、張りつめた心が一瞬にして解けるほど、不適切にもたまらない嬉しさを湧き上がらせる。
だからつい私は……――これからもお嬢様と過ごせるかもしれない、という希望にしがみつきたくなってしまった。
メイドの責任を投げ出すような行為は、悩むまでもなく許されない選択だと思う。それでもまだ離れず側にいれば支え続けることが出来ると信じたい。
「……私は。――壊しては、おりません」
そして私の選んだ道は、ここで潔く別離するのではなく。
どんなことがあろうとも、この先ずっと共に歩んでいく未来だった――。
***
それからの事の次第は……私を制止したお嬢様が矢面に立って対応し、最後は聡明なラウレンツ王子の才智ですべてが収められた。
――そうしてお茶会も終了し、来賓室を出ようとする時のこと。
ラウレンツ王子が呼び止める声に気づき、すぐさま繋いだ手をほどくと、私はやや動揺する様子のお嬢様を残して帰邸の準備に向かった。
少しでも、二人だけで過ごす時間を作ることができればと思いながら。
そんなわけで部屋を後にした私はさっそく廊下を歩き始める。すると、馬車の用意を手伝うと連れ添っているエトガー様が、隣で何だか気まずそうな顔を見せた。
「いかがなさいましたか?」
「……本日は、誠に申し訳ありませんでした」
「エトガー様から、謝罪を受ける理由はないように思うのですが……」
「いいえ。貴方が当初から気づかれていた通り、私は少々謀をしておりましたから」
私が問いかければ、眉を下げて謝られたので不思議に思い、そのままを伝えた。
だけど返ってきた言葉で理由がわかると同時に、やはり思惑があったことを知る。
「それは、どのようなことでしょう」
「はい。容易に納得されないご令嬢方を直接ティアナ様と対面させれば、事態も早く収まるのではと目論む気持ちがありました。そして、期待通りだったと思っていますが、お二人にご迷惑をかけてしまったことはお詫びの言葉もございません」
「さようでしたか……。本当に、そうなったのであればいいと思います。お嬢様のことはご心配なさらず、どうぞもうお気になさらないでください」
余計な謀には、巻き込まれないに越したことはないけれども。この方法を選んだ理由が、お嬢様と会えば納得すると考えたからというのは嬉しい。
あとはエトガー様の言うように、私もこれで落ち着いてくれることを切に願った。
「ありがとうございます。しばらくは大丈夫でしょう。それにしても、さすがですね」
「何のことですか?」
「貴方は、元より私が企てを抱くことに勘づかれています。レハール邸のメイド頭を務めるだけあり、とても誤魔化せるような方ではないのだなと、今朝方感じていました」
そう告げられた言葉は心底言ってくれたものとわかったけど、自分では褒める要素がなくて困る。
「とんでもないです。結局、回避できなかったのですから意味がありません。今回の件を戒めに、私はメイドとしての未熟さを改善しようと考えていました。今日、こちらに伺えて良かったです」
「それなら良いのですが……」
「ええ。おかげでお嬢様のことも更に愛しくなったのですから」
苦い出来事ではあったけど、大切なものも得られた。
だから、その思いの全部を素直に伝えたら……ずっと心苦しそうな表情でいたエトガー様も、ようやくとても嬉しそうに微笑んだ。
そこで私は、ふと思い出すことがあり、ついでに尋ねてみる。
「そういえば……私がお嬢様とはぐれていた際は、エトガー様がご一緒にいてくださったのですね」
お嬢様がここで一人になる間、何か危険はないかと心配していたので、共にいてくれたことはありがたかった。
なので、いつの間にかエトガー様も探してくれていたのだろうか? と少し気になっていたのだ。
「はい。……実は、念のために私もティアナ様へ目をかけておくようにと、王子から言いつかっておりましたので……」
すると、隠し事を話すのを少し躊躇うようにして答えてくれた。
――なるほど、そういうことだったのね。思わず目を瞬かせたが、すぐに納得もする。
本当に、ラウレンツ王子はとても子供とは思えない配慮を行き届かせて下さる。
もう、さすがとしか言いようがなく、これが王族たる所以なのかと私は只々感服するのだった。
***
やがて辿り着いた王宮の正面玄関口では、すでに馬車の用意が慌ただしく行われていた。
私と同行したエトガー様もすぐさまそれに加わり指示を与え始める。
そして実は何もすることがなかった私は、暇を持て余しながらその流れを眺めていた――。
「悪かったわね、ヒルダ。ミアお嬢様を止めることが出来なくて」
佇んでいた私へ話しかけてきたのは、同じく玄関ホールにいたバルバラだった。
「仕方のないことです。自身の仕える方の発言を否定しない、それもあなたの役目でしょう」
「ふふ、ありがとう。それにしても……すごい方ね、ティアナ様は」
とくに話し込む気もなかったので、姿勢を変えずに応えるも、含みのある返答をしてくる。
聞き流すつもりではいるが、また何を言い出すのかと思えば、多少の不快感は募った。
「言っていることも行動も、高飛車で我が儘極まりないのだけれど。あそこまで持てるものを使うという潔さは、いっそ清々しいわね」
「………………」
内心は言い返したい気持ちで溢れかえるけど、相手にしないと決めていたため、必死に沈黙を貫く。それから、次は何を言い出すのかとうんざりしていた。
「ヒルダ、中庭での言葉を撤回するわ。ティアナ様は強くて真っ直ぐで……、とても素敵なご令嬢ね」
――瞬間、続けられた言葉に目を見開く。
隣に立つバルバラは、いつもの強気な雰囲気のままでいるけれど。振り向いて見たその顔は、今まで一度も見たことがない満面の笑顔だった。
「――でしょう?」
そして胸がいっぱいになる私は、それだけを言うと溢れる笑みに頬をほころばせていった――。
***
あれからバルバラは、「――私も負けないからね!」と言って玄関ホールを後にした。
次々と出立する馬車を見送り、続いてレハール家の馬車が正面に用意されると、私はエトガー様とお嬢様を迎えに行った。
しかしながら、来賓室ではまだお二人が話の途中だったため、つかの間待機した後に帰路につくこととなる。
お嬢様が相変わらずで、若干ラウレンツ王子を気の毒に感じたものの、なごやかな様子のお二人を微笑しく思いながら王宮を後にするのだった。
――そうして、ただ今馬車に揺られて邸へと向かう中。
対面で座るお嬢様を前にした私は、いつにもなく黙り込んで固まっている。
……何と言葉をかけて良いかがわからない。
それは今日、あの瞬間、私はお嬢様を守れなかっただけでなく自分に都合のいい選択をしていたからだ。
そのことを思い返すほどに、視線は下がってしまう。
自らが情けないと知り、足を引いた現実は受け止めている。図々しいとわかっていても……それでもなお、許されるのなら。
お嬢様のお世話係を務めたい――。
「あの、お嬢さ……」
「――ごめんなさい!」
「え……?」
意を決して口を開くが遮られ、伏せる目に頭を下げたお嬢様の金髪が飛び込む。それが視界から消えるのを追って顔を上げると――。
私の前に立つお嬢様が大粒の涙を浮かべていた。
「ど、どうなさったのですか……っ」
びっくりした私は思わず謝罪も忘れて、腕を伸ばすとお嬢様の両手をしっかり掴んだ。
「ごめんね、ヒルダ……ごめん、なさい。私が勝手に側を離れて……いつも、いうこと聞かないから。ヒルダに、すごく嫌な思いをさせちゃった……っ」
真っ直ぐに見つめた目に、今にもこぼれそうな雫をたたえながら謝り始める。
声を震わせて紡がれる言葉に、私は息を止めた。
「みんなの前で怒って、カッとなるし。言葉遣いもちゃんとしなかったし……あきれるよね。もう嫌になったでしょ? 私の世話なんか、誰もしたくないと思うもん」
「……お嬢様は、私がお世話係でいるのは嫌ですか……?」
だんだんと諦めたように話すセリフが、自分を切り捨てる内容にも聞こえて、恐るおそる問い返す。
「っそんなわけないよ! あの時、ヒルダがいなくなったらどうしようって。こわかったもん……っ」
「――っ!」
「でも、やっぱり。き、嫌いになるよね。だって私は……」
言いかけてから、お嬢様は涙をぼろぼろと頬に伝わせた。
その堰を切って泣く姿は、先ほどの凛然とした行動が信じられないほどにか弱い。握る手も私より随分小さくて、どれほど必死に頑張ったのだろうという思いが駆け巡る。
本当は、こんなにも不安だったのに――。
「ヒルダ……?」
……気づけば、ぎゅうっと抱き締めていた。
今までは照れくさくて口にしなかったけど、思いはちゃんと言葉にしなければ伝わらない。
そして何より今、――伝えたい。
「大好きです、お嬢様……」
だから私は、心からの言葉を腕の中の愛しくて暖かな存在に贈った。
「ほんと、に?」
「ヒルダが今まで嘘を申したことがありますか?」
「な、ないい――……っ」
目を大きくして見上げたお嬢様が、泣きながら抱きつく背中をあやすように撫でた。
「お嬢様、本当にありがとうございます」
そして私は謝るのではなく、感謝の気持ちを伝えるのだった。
***
私はわずかの間をおき、取り出したハンカチで涙を受け止める。
――それから少し収まってきたのを見計らうと、最後に一つだけ問いかけた。
「お嬢様は、他にも何か気になさっていることがあるのではないですか?」
できるだけ優しい声で頬笑みながら尋ねたが、刹那にきゅっと口を結ぶのがわかった。
「どんなことでも構いません。私に話しても仕方のないようなことであっても、よろしければお聞かせいただけると嬉しいです」
お嬢様が一人で抱え込み、悩んでしまうことは常に避けたかった。
なので私は、胸につかえがあるのなら、取り去ってしまいたくて願い出たのだ。
「……ラウレンツの、大事なガラス細工が壊れちゃった……」
すると、苦し気に眉を寄せてゆきながらも、心にあるものを教えてくれる。それは、私がやはりと考えることだった。
大切なものと理解するお嬢様が、ラウレンツ王子の気持ちを考えて心を痛めたのはわかっていた。
そして王子自身は大丈夫だと心得てもまだ残す、わだかまりはきっと――。
「わざと壊されてたらどうしようっ」
……ああ。答えは、思った通りのものだった。
「違うって思ったけど……でも、もし本当にそうだったら、ラウレンツになんて言えばいいか……!」
「絶対に、そんなことはありません。――お嬢様、大丈夫です。壊した方はラウレンツ王子が好きだったために、嫌われなくない思いから真実を告げられなかったのです」
私はお嬢様の揺れる心を抑えるように、その両頬を手で挟むと、あわせた目をじっと見つめて言い切った。
「お嬢様もおわかりでしょう? 好きな人に嫌われるのを恐れる方なのですから、それを自ら壊すなどあり得ないことですよ」
「……そっか。言われてみれば……そう、だよね」
「はい、当然です」
にっこり笑って告げれば、ようやくほっと表情を緩めてくれた。
形ばかりの慰めの言葉では気持ちが晴れないだろうと考えて、無理やりともいえる根拠を並べたけれど。ひとまず何とか安心させられたようで良かったと、私自身も少し緊張を解いた。
『ティアナ様でしたら、先ほど来賓室でお見かけしました――』
――一瞬ふっと、その人物の姿が頭を過った。
実際は、私も思うところがあった……けれど、口はつぐませる。
日常でお嬢様がどんなたくらみを巡らせても、可愛いものと片付けられるのはそこに悪心がないからだ。対して、人の悪知恵というものは本当に底が知れない。
そう理解するほどに、お嬢様を傷つけたくないと思うからこそ、……私はこれ以上の思考を手放すことにした。
***
――目の前で流れる景色を包む陽光は、私の温まる心と同じようにやわらかだった。
「ううん――……」
もぞもぞと動く気配がして、すぐに回想から戻る。
それから私は、寝返りするお嬢様を落としてしまわないようにまた抱き寄せた。
「もう、お嬢様ったら。口が半開きになっていますよ」
仰向けになってあわせた顔を見て、思わず笑顔で洩らした後、すやすやと寝息をたてるお嬢様を眺めた。
今日を嫌な一日だったと思わずにいられるのは、お嬢様の気持ちが嬉しかったからだ。
エトガー様やラウレンツ王子の思いにも満足し、バルバラに会えたことさえ良かったと感じられるのは、全部そのおかげだった。
「本当に、お嬢様はすごい方です」
呟いてふと見つけた、目尻に残る涙のあとを指で拭うと、――『それにくらべて私は……』という思いが湧いた。
以前まではメイドとしての責任や義務で行っていた職務も、最近はお嬢様のお世話をすることが生き甲斐で務めるようになった。
その心の変動は、守りたいという使命感も大きくさせたけど、結局は何も果たせずにいる。
だけど今日、側を離れず共に歩んで行くことを選んだから――。
「……お嬢様、これからもまた私は役に立つことが出来ないのかもしれません。もしそうだとしても……。どんな時も、お嬢様がどのような状況に置かれても、必ず側にいて味方でいる、それだけはお約束いたします」
私はそう告げると、髪を結い上げてさらされるお嬢様の額に、小さく口づけた。
――これはつい先ほど思い出されたあのティータイムでの誓い。
そして何があっても自身の叶えられる唯一の思いは、わずかに気持ちを暖めてくれた。
……ふと車窓を見やれば、望む光景は見慣れたものになっている。
邸に着くまで、あともう少し。
私は車内を照らす光に向き合い、差し込む陽射しを真っ直ぐに受け止めた。
そして眩しさに目を細めては、思いをもう一度強く胸に刻みながら、微笑むのだった――。
 




