30 【小話】私とガラス細工 byヒルダ(前編)
昼下がりの午後の街並みは、優しい日差しと笑顔でなごやかに包まれる。
そんな穏やかな景色を、明るい声と車輪の音を耳にしながらぼんやりと眺めていたけれど。
――かたん……と小さく跳ねた振動に、座席で横たわるお嬢様へと意識を傾けた。
小さな頭が私の腿へ心地よい重みを与える。
安らかな寝顔を目にすれば、どうしようもないほどの多幸感が溢れていった。
身体が座面から落ちてしまわないようにと、両手でそっと抱え直すあいだも緩む頬を抑えることができない。
私は愛しさを噛み締めつつ、光を含む金髪を優しく撫でとかした。
「本日はたくさん気を張らせてしまいましたから。ゆっくりおやすみになってください、お嬢様……」
帰邸までのわずかな時間に、少しでも心身が癒されることを願い囁く。
そして私は一人、これまでの出来事を思い返していった――。
***
――エトガー様から、お嬢様を王宮へ招待したいという知らせを受けたのは三日前のことだった。
さっそくそのことをお嬢様に伝えると面倒そうな顔を見せたけど、すぐにプレゼントを考え始めた様子から本当は楽しみなのだなと微笑ましく思う。
それからいつものように時は過ぎ、訪問は翌日にまで迫った。
「おーい、ヒルダ」
外廊を歩いていたところ、庭師ダニエルに声掛けられて振り向くと一通の封筒を手渡された。
「これは……」
「ああ、さっき表に来たやつがヒルダに渡してくれとさ」
「ありがとう。今から確認するわ」
礼を言った私は、すぐにでもその手紙を開封したくて部屋に向かおうとしたのだけれど――。
「待ってくれ。昨日お嬢様がわしのところへ来て、良い毛生え薬はないかと聞いてきたぞ」
「は……?」
「ハゲに効果のある……子供用の、とな。まさかとは思うが、一応知らんと言っておいた」
「……お、教えてくれて本っ当にありがとう。早急に手土産を手配するわ」
ダニエルの言葉に一瞬耳を疑い、続くセリフに落胆する。
あのふさふさの金髪を持つお嬢様が、自身の頭髪を気にしてるとは思えないからだ。彼もそれがわかる上で、機転を利かせてくれたのだろう。
……何を贈ることにしたのかと考えてはいたが、その発想はなかったし、なぜそれを選ぶのかもわからない。
私は頭を抱えたが、すぐさま手土産の準備に思考を巡らせつつ、ダニエルに心からの感謝を述べて別れた。
――それから足早に移動して自室へ戻ると、急いで封を切り取り出した便箋に目を通す。
この手紙は情報網を共有するメイドから届けられたものだった。
「なぜ同日に……」
読みはじめた私は、思わず眉を寄せて呟く。
そこには明日、お嬢様の他にもラウレンツ王子の婚約者候補が王宮へ来訪する旨が書かれていたのだ。
記された内容が、エトガー様には聞かされてなかったことから、招待があった後に決まったのだろうと考える。――だけど、変更があれば改めて知らせをくれても良さそうなのに。
そんなことを思いながら、もう一度誰が来るのかを確認した。
「……はあ。そう、なのね」
集まるメンバーが元第一婚約者候補であり現第二候補の方と第五候補の方だというのを読んで、軽く息を吐いた。
経緯まではわからないが、おおかたの意図と状況は理解できたのだ。
そして送り主へありがたく思うと同時に、改めて彼女たちと関係を築いておいて良かったと感じながら、手紙をビューローの引出しにしまった。
このようにメイド同士で情報のやり取りができる繋りは、メイド職に就くまでの過程で得られたもの。
それは、アンテウォルタではどれだけの貴族の元で働くかによって、実家の世間的なステータスも変わるからということが関わっていた。
まず、高貴な邸で雇用されるには基準となる家柄も必要だが、何より当然にスキルを求められる。
そのため、事前にメイドとしての心得や必須レベルの知識を修得すべく、そういったことを専門に教える邸に一定期間奉公をする形での学習を行う。
私はそこで出会った同じメイド志望の方々と仲良くなり、互いに情報網を構築していたおかげで、今回の手紙を受け取れたのだ。
――さておき、王宮で対面予定の第二候補のメイドは優秀で、仕えるご令嬢もかなりしっかりした方と聞き及んでいる。
第五候補のご令嬢については詳しくないが、世話係のメイド、バルバラは昔からよく知っている。……とはいえ、実家が近かったから知り合いだったというだけで、幼馴染みや友達ではないと強調したい。
なぜなら彼女はいつも私のすることを真似ては勝手に敵対心を燃やし、常に自分が上に立たないと気が済まないという非常に面倒くさい人物だからだ。
そのような性格を知るため、お嬢様がアベル王子の候補だった時もそうだけど……。
この度、同じくラウレンツ王子の第一候補になったことは、多分もっと気に食わないだろうなと思っている。
――そしてお嬢様が候補である限りは、例え王子本人に守られたとしても、いずれ候補間で足の引っ張り合いがあるだろうと予測していた。
ただ、私はそうしたことが行われる時期をもっと先に見据えていたのだけど、思うより早くその時が来たと知る。
争いは、すでに始まっていたのだ。
それを踏まえて、ひとまず元第一候補の方が動くことは順当に捉える。けれど、もう一方が定位置に変動のない第五候補の方だったのは、私が原因のような気がした。
ご令嬢の意向もあるだろうとはいうものの、もしこの機会にバルバラが私への対抗心でともに参戦するよう運んでいたなら、ラウレンツ王子にはとてつもなく申し訳がない。
……けれども、私が第一に考えるのはお嬢様で、やはりどうしてもお嬢様の心配ばかりしてしまう。
そんな私はざわつく心をなだめるように胸を押さえると、明日に向けて気を引き締めるのだった。
***
そうして迎えた今日、いつものように起床して身なりを整えると、いつもと同じ日常が始まる。
――ただいつもより気持ちを強く持ちながら、お嬢様のもとへと向かった。
「さあ、お嬢様。ご準備を始めましょう」
「えー……やっぱり行くのやめようかなあ。プレゼントもないし……」
「何をおっしゃっているのです。手土産はご用意してますから大丈夫ですよ」
お嬢様が結局プレゼントを手に入れられずにいたのは、あれから私が全力で阻止したので当然だった。……むしろ、調達できていたら困る。
そう思いながら、ぐずるお嬢様をせっついて何とか馬車に乗り込ませると、私たちは王宮へと赴いた――。
――王宮、それは王族が居住する場所に相応しく荘厳でありながらも、普段はもっと親しみ深い柔らかな印象をもっていたのだけど。
今日の私には、威圧感を与える雰囲気がみなぎっているようにしか感じられない……。
そんな中、エトガー様が素知らぬ顔で出迎えてきたものだから、若干苛立ちを覚えて思わず遠回しに嫌みを言うも、腹は探れなかった。
勿論、隣にはお嬢様がいて、きょとんとしているのもわかったけど。
出来れば何も知らせず平穏に済めばいい――という思いから、私はとくに触れることなく自分へ気合いを入れるだけでいた。
それから他の来訪者の方々とも対面し、お茶会はつつがなく進んだ。
しかし、お嬢様が途中で王子を落ち込ませる発言をしたことにより、全員が中庭へ出ている現在。中々、積極的なご令嬢方を余所に、お嬢様はなぜかにやついて外廊から眺めるだけでいる。
私は一瞬、お嬢様も加わることを勧めたくなったものの、変に交わるよりおとなしくいてくれるほうがいいかもしれない、と余計な口は挟まなかった。
それでも、常に神経は尖らせて動向を注視することは続けた。
「――お久し振りですね、ヒルダ」
「本当、顔を合わせるのは何年ぶりかしら。……それにしてもあなたは大変よね」
「お二人ともお久し振りです。バルバラ、どういう意味でしょう」
ご令嬢方との距離があいたからなのか、第二候補クラーラ様の世話係ハンナと、第五候補ミア様の世話係である例のバルバラに話しかけられた。
そして、掛けられた言葉の意味は言われなくても見当がついたけど、流れの中で仕方なく尋ねる。
「だってねえ、ハンナ」
「とても言いにくいのですが……。かなり自己中心的な、高飛車で我が儘な方と聞こえています」
「――確かに。私の仕えるお嬢様は、ご自身の意志をしっかりと持つ、とても尊大で凛とした方です」
「ふふ、物は言いようね」
「メイドの鑑ですね。ですが、あなたほどの方ならさらに仕え甲斐のあるご令嬢も選択できるのでは、と考えてしまいます」
返答にやっぱりと思いながら応えれば、また返された言葉に大きなお世話だと反発心が湧く。
けれど、何よりお嬢様に集中したい気持ちを優先して、少しでも無駄話を抑えるために聞き流した。
それなのに、「是非、お世話のコツをご教授いただけませんか」などと言い出したハンナと、自分にもと便乗してくるバルバラを無下にあしらうことは出来ず。……相手をしたのが悪かった。
「……お嬢様?」
「あらあら、どちらにいかれたのかしら」
しまった――、と思った時には遅い。
彼女たちに囲まれるのが、私の意思を邪魔されているようにも感じて、対応は素早く済ませたつもりだった。
だけど、目を離したといえないくらいのわずかな間にも関わらず、お嬢様はこつぜんと姿を消していたのだ。
「私がヒルダに色々と質問をしたばかりに……本当にすみません」
「ごめんね、わざとじゃないのよ」
「いえ、私の責任なので。申し訳ないですが、失礼させていただきます」
多少でも注意をそらした自身に非があり、もしも妨害されたとすれば、尚のこと見失ってる場合ではない。
何らかの意図があったのかと考えなくはなかった。それでも、とにかくお嬢様を見つけようと私はすぐに動き始めた。
かくして行方をくらませた広い庭園をくまなく探すが――、気配さえ感じられずに焦る。
時間が経つほど不安はどんどん募ってゆき、余計に居場所を予想できなくもなってしまう。
だから私は、一度深呼吸して心を落ち着かせると、王宮内の探索に切り換えようと考えて廊下を進みだした。
「クラーラ様……?」
そしてわずかに歩いたすぐのこと、いつの間にか現れたクラーラ様が、待ち構えるように目前で立ちはだかった。
「ティアナ様でしたら、先ほど来賓室でお見かけしました。今すぐに向かわれることをお勧めします」
「……っ、ありがとうございます」
伝えられた情報にふとガラス細工のことが浮かんだ。
足取りを掴めてほっとするよりも、途端に胸騒ぎを覚える。
それがなぜか、その時はわからなかったが、私はすかさず礼を述べるとただ急いで来賓室を目指すのだった――。
***
早くお嬢様と合流したい――そう思いながらほどなくして到着すると、逸る気持ちを抑えつつ、目的の室内へ足を運ばせる。
「お嬢様、こちらにいらっしゃるのですか――?」
声をかけながら踏み入れては、同時に辺りを見渡す。
――瞬間、きらめく光と跡形もなく散らばるガラス細工が目に入った。
「な……っ!」
驚くまもなく、バッとお嬢様の姿を探したが滞在する者は誰もいないとわかる。
まさか、お嬢様が……? そんなはずはない、と考える一方で私は万一に備えることも念頭に置き、瞬時に思考を巡らせた。
そして、まずはこの状況をエトガー様に報告することとお嬢様に確認を行うことを一番に結論する。
他の方々に知られるより先に、事がこじれる前にラウレンツ王子へ謝罪をしなければ――その思いで素早く実行に移そうと踵を返したが。
「まあ! 何てひどい……っ、信じられませんわ」
「これは、大変なことを……ヒルダ」
終わった――。
……あと一歩の入り口には仰々しく驚いて見せるミア様と、ことさら沈痛な面持ちをつくるバルバラがいたのだ。
私は振り向いた姿勢のまま、ぐっと手を握りしめる。しかめた目に浮かぶのは、――お嬢様の笑顔。
ただ今日という日を、何事もなく平穏に過ごさせてあげたかった……。
けれど、その願いもむなしく、足の引き合いの歯車が回り出す音が聴こえた気がした。
30 【小話】私とガラス細工 byヒルダ(後編)に続きます。




