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22 私は、夜空を見上げました

 ――更けていく夜に、森は静けさを増す。

 (ゆる)い風が、時おり(かす)かな葉擦れを広めていた。



 ディルクに帰ろうと声をかけても、耳を傾けてくれることはなく。微動だにしない彼は、黒い影だけをなびかせる。

 私を見下ろし孤独にそびえる樹木のようなその姿から、押し潰すほどの威圧感を与えて。


 ――けれど、今にも消えてしまいそうに見える……と思っていたその時。



「結界から侵入した魔物が、近郊に住む一族すべてを滅ぼしたことはお前も知ってるだろ」

「あ……」



 語られてわずかに目を開く瞬時、私の思考は思い起こすように駆け巡った――。



***



 ゲームの設定として知る内容。


 ――それはディルクが自邸で魔物に襲われた過去を持つ、というもの。


 その際、(やしき)にいたもの全員と、ディルクを守るように折り重なって絶える両親の下で『彼だけ』が生き延びる。


 以降、魔物を目の敵にする彼は、

 なぜちゃんと結界を張ってくれなかったのか、

 なぜもっと早く騎士団が助けに来なかったと、

 周りをも恨み、人を信じられなくなっているはずだった――……けれど。


 ――『ああ、そうか』……と、いま繋がった。


 彼の設定にあった過去の出来事は、二年前の結界に亀裂が入った時のことなんだ――。



 あの日、絶やされたと聞く一族は、彼の大切な家族で。唯一生き残った子息というのが――目の前にいるディルク。


 私はこの事実に今までまったく気づかなかった。


 それは、初めて会う時よりディルクに……一度も憎しみを向けられなかったから。


 魔物に侵入された結界をはるのは私の父、だ。

 すべてを恨む設定通りなら、その家族である私も尚更憎まれて当然。……だけど、なぜかそうなっていないことを不思議に思いながら彼を見つめる。



 夜闇に包まれて深い海底のように静ける森を、ざあっと青嵐が揺らした。

 その中で続けられた言葉は――。


「あの日、魔物を呼び寄せたのは魔力を持つ俺だ。――――俺はあいつらと同じ魔物(・・・・・・・・・)なんだよ!」



 過ぎ去る疾風(はやて)にざわめく中でも、しっかり届く。


 生き残った自分こそが、『不幸を招く魔物』だとする発言に、驚く私は声を洩らすことも出来なかった――。



***



 まさか自らを魔物と称して、すべてを自分のせいにしてるとは想像もしてない。


 だけど、これでようやく納得した。

 コタにさえ険しい目を向けなかったディルクは、父も騎士団も襲った魔物も恨んでなくて、自分だけを憎んで責め続けてる。

 ……そうしてもう一つ気づいてしまう。


 消えそうに見えた彼は、本当に消えようとしてるんだ――……過去へ帰るみたいに。



 早く、止めなければ……。

 私の心臓は、どきどきと嫌な早鐘を鳴らし始めた。


「俺が怖くなっただろ? お前も同じになりたくなければ、さっさとここから逃げるんだな」

「……逃げないよ。私はコタを家族にしてるくらいなんだから、怖くないに決まってる」

 胸辺りの服をぎゅっと掴み、波打つ鼓動を抑えて答える。


「それと、私も魔力はあるけど魔物じゃないし。ディルクだって違うよ」

「いい加減にわかれよ。俺はなあ……っ」


 私の放つ言葉に、ディルクがイラついていくのがわかる。


 その様子に改めて、彼がこんな考えを持つほどに残酷な景色だったのだろう……と痛切に感じれば。

 次に口にしかけた「ディルクのせいじゃない」の言葉は、息と一緒に飲み込むしかなかった。



 当惑に思わず落とした目の前には、黒々と続く地面が横たわる――。


 彼はずっと悩んでいた、でもなぜ消えようとするのが今なのか。……きっと私のせいなんだろう。

 だって攻略キャラを傷つけるのが主軸の悪役令嬢だから。

 知らずにでも、きっかけを作ったんだと思う。


 ――じゃあどうすればいいのか、はわからない。

 けれど、私はこの世界に来て、諦めずに手を伸ばせば大切なものはちゃんと掴めると知った。

 悪役令嬢で憎まれることもデッドエンドを迎えることも了承済みなんだ。

 だったら……方法なんてどうでもいい。


 自分の心が正直に思う通りに、――何としてでも彼の目的を(はば)んで連れ戻してから憎まれることにしよう。そう決めた。




「――やっぱり帰ろう、ディルク!」


 私はしっかり顔を上げると、一筋に見据えた彼へ力強く告げた。

 ディルクに向かって、開いた手を真っ直ぐ伸ばしながら。


「大事なものは作らない、なくすくらいなら最初からいらない。そう思って遠ざけるために、あんなこと言ったんでしょ。でもそれはきっと、間違ってるから」


 一瞬、彼は思い出したように顔をしかめたけど、睨む目はおさまらない。

 どころか鋭く光った気がした刹那――。



「……うるせえっ! 俺にかまってねーで、お前は王子様とイチャついてろっ。日の当たる場所でな!」


 ディルクは語気を荒げて、怒りをぶちまけるように叫んだ。

 そんな、彼が初めて見せた激しく憤る姿に、私は一瞬で(すく)み上がる――……、本当ならば。



 でも、ちょっとだけ気がそれたよ。



「いや……待って。どうしてここで、王子の話が出てくるの。そしてなぜ私がイチャつかねばならぬ」



 私の差し出す手は若干脱力し、思わず冷めた目になりながら淡々と問う。

 一応、自分が婚約者候補だというのはわかっているけども。何でみんな婚約話ばっかりするかな?


 そして瞬間的に湧き上がる婚約を断固拒否したい気持ちが……。



 つい、その事へと思考を傾けさせてしまった。



「イチャつかないし、候補なだけで(仮)だもん。そもそも婚約する気なんてないんだからね?!」

「そんなもん、どっちでもいいし知らねーよ。俺とお前が別の世界で生きてることに変わりはない」


「どっちでも良くないっ。

 私は、ディルクと同じ世界で生きるの!――」



 自分はプリンセスになるつもりなどなく。

 王宮ではないディルクたちと同じ世界で生きてゆく、と伝えるつもりだった。



「――俺と、同じ……?

 ぬかすな。一生解るはずがねえ。光の中で生きてるお前と闇に生きる俺とじゃ、はじめから……住む世界が違うんだよっ!」



 切なく張り上げられ、彼が負う傷は相当に深いのだとわかる。


 ――『日の当たる場所』という言葉は、彼自身が光のない闇にいることを表す。……にも関わらず、誤解をなくそうとする発言で抱える闇をさらに濃くした自分が情けない。

 本当、婚約のことなんて今はどうでもいい。



「別じゃないよ。歩いて来た過去は違うけど……。今日ここで同じ場所に生きてるもん」

「場所が同じだろうと、俺がいるのは闇だ」


 気を取り直し、森が開けて照らされる道上で思ったことを紡ぐけど、彼にすれば当然に返される。

 ――そんな私は、さっき下を向いて気づいたことがあった。


 光に背けて俯く顔へ落ちるのは影――。しゃがんでうずくまり映るのは地面(やみ)だけだ。

 溢れる光も、感じ取れるのはちゃんと顔を上げて前を見る時で……。


 人は、見ようとしたものしか目に映らないんだよ。



「それはそうだよ。立ち止まって下を向いたまま、映る影だけ見てるんだもん」

「お前に何がわかる……っ」

「わからない。私はディルクじゃないから」

「なら、黙ってろ!」

「ディルクの気持ちはわからないよ。でも、自分の気持ちはわかることができるもん。私はディルクと一緒に帰るって決めてるの!」


 そうしてめげずに再び手を差し伸べたけど、勿論つき出す手は取ってもらえず。

 一瞬強く睨んだあと、もう話す必要はないというように顔を反らされる。


 そのまま踵を返して歩き出そうとする、向けられたディルクの背中に――。



 ――ドンッ! と、飛び乗った。



「……――げえっ!」


 体重をかけられてディルクが変な声を出したけど、気にせずおんぶ状態になる私。



「お……前は、阿呆か! 今すぐ降りろっ」

 言いながら揺すられるけど、更にしがみつく力を強めた今の気分は、子泣きじじいだ。


「降りたらディルクは行っちゃうでしょ?」

「当たり前だろーがっ」

「じゃあ、嫌だよ。一緒に帰るまで離れない」

「こいつ……!」


 腕にすがりついても振り払われるのがオチと、咄嗟に出た行動だったけど。

 我ながらでかしたと思ってる。



「……っ本当にうっとうしいな! これ以上、邪魔すんじゃねーよっ」

 彼は必死に振り落とそうとして暴れる。対する私もそうはさせるかとなおもひっついて、首に腕を巻きつかせた。


「俺がどうしようが……消えようが勝手だろっ!」

「――っ……」


 ……その言葉に、命を粗末にするなとか、世の中には生きたくても生きれない人がいると返すつもりはない。

 人にはそれぞれの事情や思いがあるから。


 だけど、……止める。

 私は頭にリリーの顔を浮かべていた。



「勝手じゃないし、ディルクは帰らなきゃダメだよ。でないと……リリーが同じ思いをする」

 だから、お願い。消えようとしないで――。


 思いながら呟くと、す……っと動きを止めた。



「……だったら、俺は。この……俺の思いは、どうすればいいっていうんだ――?」




 ――届いたのは、見えない傷のつらすぎる痛み。

 私は自然と眉を寄せてゆき、しがみつく手をきゅうっと握らせる。


 同じ痛みはわからないはずだけれど。

 ふっと過ぎる記憶は、それをひりひりと伝えた。


 残った人が、どうしても自分を責めるのは――。



「……大好き、だったからだ……」




 ――気づけば、口をついていた。

 どんなに言葉を紡いでも、どれほど大事だったとしても。

 その思いを届けることは……もう出来ない。


 いなくなった相手に『大好き』と伝えるすべを私は知らなかった。


 行き場をなくした思いは自分に向かって、どんどん溜まって、膨らんで。……心が、苦しくなる。

 伝えられなかった大好きで出来上がるのは後悔。


 懺悔の気持ちは色んな思いを掻き集めて、更に自身を憎ませるんだ――。



 伏せた睫毛がゆらめいた。

 無意識にも涙は(にじ)んでくる。私は……前世で失った家族、うさぎのコタを思い出していた。


 そして、責める思いが過去の闇に身を置かせているディルク。

 もし彼の望むようにさせることが本当であっても。


 そう納得することも――今の私には出来ない。



「私なら……大好きな人は守りたいと思う」

 ――だから間違っていたとしても、どうしても伝えたくなった。


「本当は守って一緒に生きるのが一番なんだけど。極限になったら自分の命に変えても守るし、大好きなほど守れたら嬉しいよ。だからこそ……残されたディルクはご両親のたくさんの好きの表れなんだと思う」


「……想像で、ものを言うなよ」


 挟まれた相づちは正論だけど、一度開いた口は私にまだ言葉を紡がせた。


「きっとこれからも幸せに生きてくれるって信じてるし、そうあって欲しい。だけど悲しいままで自分を責めてたら驚いてしまう。意思と反するから。そんなつもりじゃなかった、って後悔する。せっかく……、守れたのに」

「…………」


「ごめんねって辛くなる。そして、自分を責めるよ」

 (はな)しが的外れでも、悩みの根本的な答えでなくても、どうしても、私は――。



「今を、幸せに生きてくれていたら幸せ。でも後悔すれば後悔させる。だからディルクには――、後悔しないで幸せに向かって生きて欲しい」



 ――生きていて欲しい。

 その思いを強く乗せて、はっきりと言った。



「後悔で自分を責めるのはつらい。苦しいのに幸せに生きるのは、もっとつらいと思う。でも、本当に大好きだったなら、私は、そうする……」


 そうして自分にも、言い聞かせるように告げていた――。



 小さな風にそよぐ森が、差し込む光を優しく揺らす。葉音の奏でが静もる中、私はゆっくりと夜空を見上げていった。


「それでも……俺に差す光なんてない……」


 ぽつ……と紡がれた言葉と(かす)かに残る木の葉の囁きが、溶け合うようにして消えてゆく。

 その流れを見送り、端無(はしな)く詰めた息をはあ……と解放させた。



 ――考えを押しつけるほど、自分が正しいとは思ってない。

 さりとて正直に生きると決めた私は、ディルクが辛いだけで終わるのも嫌で。

 自分の心にしたがって発した。


 過ぎる時間が勝手に癒すことはなくても、生きてるからこそ傷は治せる。たとえ、傷あとが残ったとしても。


 だけどその前に終わらせれば……永遠になくならない傷のままだと思ったからだ。




「……あーっ、もうっ!」


 私は押し寄せて、ぐるぐる巡ろうとする思考を振り払うように声を発した。



 この世界で出会った人たちは、私が今まで経験のなかったいきさつを抱えてる。

 ――ロマンも、多分ラウレンツも、そしてディルクも。


 自分を責めることも、答えが出ないものに対峙して悩みまくることも、考えたくなくても考えてしまうことも……。

 前世で散々してきたから知ってる。


 だけど悪役令嬢になった私は、考えても仕方ないことは考えず、――今をめいっぱい楽しんで生きることにしたんだ。


 それなら、自由に生きると決めた私は今。



 見えないものに思いを馳せるんじゃなくて、目に見えることがすべて――。




「闇は暗い。夜は暗い。それでも今、道が明るく見渡せてる理由がわかる?」

「……月が出てるからだろ。それがどうし……」


 私は唐突に問いかけて、振り向きかけた彼の顔を後ろから両手でがっしりと挟んだ。

 そして、抗議の声を上げさせる()も与えずに続ける。



「そうだよ。でも今日は雲がないから、月だけじゃなくて星もたくさん出てるの!」


 同時に掴んだ顔を頭ごと――ぐりんっ! と上に向けてやった。


 ――彼が一瞬息を飲んだのがわかる。



「いつもより明らかに照されるのは、星たちも光を届けてくれるからなんだよ。どう? この星の感想は!」


「……っ、……綺麗、だ……」

 そして、(かす)かに呟くようにこぼした――。



 ――……私は、その言葉を聞いて、ゆっくりと静かに深呼吸する。



「今が夜で、夜が暗いことには変わらない。……だけどディルクと私は、今ここで同じ光のあたる場所にいるよ」

「………………」


「星は私だけにじゃない。ディルクにも、すべてのものに、ひとしく光を降りそそいでる。そして見上げたものだけが……、


 ――この輝きに気づけるの」



 今日は、夕立のおかげもあって空気が澄み渡る。


 雲が去った夜空にはいつもの輝く月だけじゃなく、それに負けないくらいの光を放つ満天の星が広がっていた。



 私はディルクと同じく夜空を見上げながら、二人を包み込む光に身をゆだねるのだった――。

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