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18 【小話】私と休暇 byヒルダ

 まだ低い日差しが、庭園側にある廊下へと横から流れるように入り込む。

 背の高い窓が連なるように続くそこは柔らかな光に包まれていた。



 その中を私は一人歩きながら、何気なく先ほどの出来事を思い返す――。



「……休暇、ですか?」


 今朝方、旦那様から呼び出された私は、突然の休暇を言い渡されていた。


「ああ。ヒルダはいつも頑張ってくれているからね。たまにはゆっくり自分の時間を楽しむといい」


 そのように(ねぎ)われた上で、毎月きちんといただく十分な給金があるにも関わらず、今日のためだけに仕度金まで用意してくださった。



 ――そんなやりとりを終えて旦那様の執務室を後にした今、晴れて休暇の身となったわけだが。

 急にすることがなくなった私は戸惑っている。


 お嬢様のお世話をする毎日が当たり前すぎて、とくにしたいこともすぐには思いつかなかった。



 これからどうしようかと考えるでもなく、ただ、ぼーっと歩みを進めては窓の外に視線を向ける。


「お嬢様……」

 すでに庭で遊んでいたその人物が目に入り、思わず呟いていた。


 普段は頭を悩ませられるばかりの存在であっても、いざ解放されるとなれば、何だかとても恋しいような気持ちが募る。



「――あ。ヒルダ、おはよーっ!」


 不意にくるっと振り向くお嬢様が、元気に手を振りながら言った。


 いつもなら、大声を出すなんてはしたないとたしなめるところだが、緩く微笑みを返すだけでいる。

 ロマン様とボール遊びを興じながらも、私のわずかな囁きに気づいてくれたことが少々嬉しかったのだ。


 そうした様子の私を眺めたお嬢様は、こてっと首をかしげてからとたとたと駆け寄ってくる。



「どうしたの? 何かあった?」


 開かれた窓越しから、唐突に問われて苦笑した。

 これも最近知るのだが、お嬢様は以外と他人(ひと)の感情の機微をよく感じとる。


 ただ自由を満喫する生き様と勘違えて捉えることが多々あるせいで、あまり活かされてる気がしないのはお嬢様らしいけど――。



 そんなことを思う間も、琥珀の目でじーっと見つめられた私は口を開かせる。


「実は、旦那様から本日休暇をいただいたのです。勿論、ありがたいことですけど……私は時間を持て余すだけなので困ってしまいまして」

「いいじゃないっ」


 事のあらましを告げると、途端に顔を輝かせて言った。悩む私とは裏腹に、お嬢様は笑顔で溢れている。



「やることだったら……。ほら、この間話してたティーテラスにでも行ってみたら?」


 続けてそう勧めるようにしては、いつの間にか側に来ていたロマン様へと話を振った。


「ねえ、ロマ。お父様と城下に行った時に、新しい雑貨店も見かけたんだったよね」

「はい。通りがかっただけですが、女性が何人か出入りして賑わっているようでした」



 ――それはつい最近、お嬢様と王宮に行った日のことだろうと思う。


 ロマン様の相づちを受ければ、「ほらね」とさらに楽しそうな顔を向けてくる。



「ですが……」

「せっかくのおやすみなんだから、思いっきり楽しまなきゃ勿体ないよ!」


 素早く楽しい気持ちへ切り替えられずに渋るも、直後に一刀両断された。


 次いでお嬢様はなおも、他に季節の花が咲く庭園や話題のティーテラスにも併設された小さな庭があるらしいことなどを、楽しそうに教えてくれた。



 もしも私が(やしき)を離れた場合――。


 羽目を外したお嬢様が、また何か仕出かさないかと心配にはなる。

 ……けれど、私のことをひたむきに考えてくれる提案はすごく嬉しかった。


 なぜなら、雑貨店のことは私が可愛い小物を好むと知り。庭園については以前話した「レハール邸に咲く花で癒されている」という内容を覚えてくださってるのだとわかったから。



「そうですよね……。天候にも恵まれていますし、この機会に伺うのは良いかもしれませんね」

「でしょー!」


 だんだんと気持ちがなごんでいき、素直にそう思えていた。

 そして私の返答に、はしゃぐように喜ぶお嬢様の姿がいっそう心を軽くする。



 たまには悪くないかも知れない。


 私は、今日一日ゆっくり休んで英気(えいき)を養い、明日からまたお世話に励もうと決めた。



***



 ――それから、足取りも軽く準備に取り掛かる私は、早々に身仕度を整えた。


 まだ出掛ける前だというのに、お嬢様たちのお土産は何にしよう? なんて、渡されたお金を胸にわくわくと考え始めてもいる。



 そうして向かった玄関先で、他のメイドにお嬢様のお世話についてと、決して目は離さないよう釘をさしていた時だった。



 ――ガシャ――ン……ッ――



「っ!」

 何かの割れる大きな音が響き渡っては、ホールにまで届いた。


 瞬時に踵を返す、私の心臓がどくりと鳴る。



「お嬢様……っ、お坊っちゃま!」


 まるで襲来でも受けるような物音に、何があったかと急いで邸内に戻り、音のした方へと向かう。



「――っ大丈夫ですか!?」


 すぐさまサロンへ駆け込むと同時、叫ぶように呼びかけた。


 必死の私が目にしたのは、手鞠のボールを持つお嬢様の背中と、そこに飾られていたはずのガラス製のオルゴールが無惨に砕けて床に散らばる景色――。


 慌てた心を何とか落ち着かせ、侵入者の形跡はないと見て取る。

 視線を巡らせる限り、お嬢様と隣にいるロマン様が怪我をしている様子もなくほっとした……、のですが。



「お嬢様」

 柔らかな声で静かに紡いだ。


 ――びくっ! ……と肩を揺らせたお嬢様は、ギシギシと動くからくり人形のようにゆっくりと顔だけをこちらに振り返らせる。

 そして目線が合えば、しまったというように「あ……」と小さく声を洩らした。


 その動作を穏やかに頬笑んで眺めていれば、つい油断したのか口端を上げようとする、ところをキッと射竦(いすく)めた。



「今日と言う今日は許しませんっ。今からゆっくりじっくり一日中かけて、淑女としてのマナーを叩き込ませていただきます!」

「ええ――っ!? そんなあっ!」



 私の容赦ない宣告に、顔面蒼白させて悲痛な叫びを上げていた。


 そんな顔をしていても、今回ばかりはダメです。

 ――今日こそはみっちり学んでもらいます! と奮起する私は、すぐに自室へと戻り、いつものメイド服に着替え直した。



***



 そして現在、私は机に向かって懸命にマナーについて学習するお嬢様の目の前にいる。



「きちんと読んでいますか?」

「読んでるよ! ちゃんと読むから、だからヒルダは休暇に……」

「ダメです。ただ読むだけでなく、理解されているかを確かめなくてはなりませんから。それまでお側は離れません」

「うう……」


 恨めしそうに見上げる姿に早く遊びたいのだろうと思うが、私はそしらぬ顔で流した。



 ――実は、根が真面目だったお嬢様が逃げないことは知っている。


 それは、あの魔物に会って気を失われた一件以来、意外にも学習に対する姿勢が今までと違い真摯なものになっていたからだ。


 多少は懲りたのだろうと思う。

 わずかに驚きはしたが、さすが旦那様のお子様だけあって、その芯は真っ直ぐな一面を持ち合わせるのだとすぐに納得している。


 これ以外で私が一つだけ気になった事と言えば、目覚めて以降びっくりするくらいに運動神経が鈍くなられたことだろう。

 自室で奇妙に這いずり廻る姿を目にした時には若干の恐怖を覚え、倒れた時に足でも痛めたのかと医師に訊ねたが、体調は優れているそうだ。


 ダンスに関しての問題は残るけれど、それもレッスンを重ねて何とかすればいい――と深く考えるのはやめた。



 ……ともかく今日は、お仕置きの意味も兼ねてこうしてずっと見張ることを確定してるのだ。


 お嬢様も気づくかも知れないが、貴族社会というのは互いの足を引っ張り合うことが多分にある。


 その中で最近とみに思うのだが、高飛車で我が儘に生きるお嬢様のそれは、他の貴族より真っ直ぐすぎるものに感じる。

 疑うことを知らないようにも見えるのだ。


 この世界は彼女が知るより深いことを、少し長く生きる私の方が知っている。



 元々、アベル王子の第一婚約者候補の形だった。――けれども、ラウレンツ王子から(じか)の申し出により、婚約者となる位置に最も近づいてしまった今となっては……。

 尚更、つけこむ隙は排除しなくてはならないと考えている。


 私としては、すべてはお嬢様のため――と、心を鬼にした今日の行動なのだ。



「――ヒルダ、全部読んだよ!」


 そんなことを考えているうち、読み終わったことを嬉しそうに報告されたので、幾つかの質問を投げかけた。


 それも、真面目に取り組むだけあって難なくすべてを正解させるのは感心に値するが……。



「じゃあ、終わりね」

 言いながら、心底ご機嫌に席を立とうとした机の上に、――ドンッと、私はすかさず数冊の分厚い本を重ねた。


「……え?」

「まだですよ? 学ぶべきことに終わりなど、ないのですから」



 にっこり笑って、言い含めるよう平然と告げる私の言葉を聞き、疑問の声をこぼしていたお嬢様は――……立ち上がりかけた姿勢のまま、口を開けて絶句していた。



***



 それから、本日のティータイムもお預けにするお嬢様は、今も本にかじりついている。


 本当は休憩くらいさせるつもりでいたのだけれど、早く終わらせるためなのか断られてしまっていた。



 先ほどのあまりに唖然とした様子と、今まさに終わらせようと必死な姿に、今日は特別したいことでもあったのだろうかと考え始める。


「お嬢様、今日は何かお約束でもありましたか?」

「ないよ」


 ――ない、そう答えながらも焦りながらこなす様を不思議に思う。


 だけどお仕置きと知り、性格上、投げ出すことが出来ないお嬢様は、その後も素直に私の出した課題をこなし続けるのだった。




 そして、ようやく一通りを終えた頃には日もとっぷりと暮れていた。


 今日は与えた課題が多すぎたかも知れない――。


 いつもならどんな難題を課しても、終えた時には「ほら、出来たよ!」と言わんばかりの自慢気な様子を見せるのに対して、今日は最後あたりで涙目になっていたのだ。


 だからこそのご褒美とばかりに、夕食はお嬢様の好きなものを料理人たちに頼んで出してもらったのだけれど。

 ……うなだれた様子は少しも変わらなかった。



***



 今宵は仕事終わりのティータイムを開かずに自室へ戻った私は、お嬢様のことだけが気がかりだった。

 厳しい罰は初めてでないのに、一体どうしたというのだろう。


 やはり何か事情があったかもしれないと、いてもたってもいられなくなり、お嬢様の部屋に向かいかけた刹那。


 ――コンコン、と扉を叩く小さな音が聞こえて、今時分に何用かと私は廊下へ顔を覗かせた。



 すると、なぜか扉前で立つお嬢様の姿が目に映り、合わせて柔らかい花の香りが部屋の中へと入り込んでくる。


「遅くにごめんね。……入ってもいい?」

「ええ、勿論ですよ」



 今考えていた人物の登場に少しばかり驚いた。

 また、突然の来訪を不思議に思いつつも促すと、お嬢様はティーセットが乗ったワゴンをカラカラと押してくる。


 ――どういうことだろう?

 扉を閉め、歩みを止めたお嬢様を見つめていれば、その目はみるみる潤んできた。



「どうなさったのですか。お嬢様?」


 ただならぬ変化に、私は彼女と目線が合うよう屈みながら一際(ひときわ)優しく声をかけた。


「ごめんなさい、ヒルダ。今日はせっかくのお休みだったのに……私のせいで台無しにしちゃった」

 スカートの裾を握り締め、うつむくお嬢様は絞り出すように言った――。



「……だから、ずっと……」


 思ってもみない言葉を聞いて、呆気に取られる私が最後まで紡げずにいたら。

「もう、お出掛けは出来ないけど……。でも、まだ今日は終わってないから。今からちょっとだけでも休暇にしてもらおうと思って!」


 きゅっと口を引き結んで顔を上げては、もう決定! とばかりに強く宣言する。


 言われて用意されたティーセットに目をやると、花の香りはそこからしているのがわかった。



 ティーポットにはリンゴやベリーのフルーツと一緒に、たくさんの薔薇の花びらが浮かんでいる。


 それを見て、ふと思い起こした――。


 今の季節なら庭園にはたくさんの薔薇が咲いているはず。

 私は本当だったら、今日そこで花の香りを楽しみながらゆったりとしたティータイムを楽しんでいたのかも知れない。


 次いで今日一日のお嬢様の様子を振り返る。そして、現状にすべてを把握した。



 ……本当にもう、このお嬢様は。

 今から休暇と高飛車に決めつけて、思うままの我が儘を通す行動は、いつも想像がつかないほどに――私を思ってくれている――。


 あれほど衝撃を受けていたのは、私が外出を取り止めたせいだったのだ。


 課題を必死に終わらせようとしていたのも、私を休暇に行かせたいからで、それが叶わなくて落ち込んでいたのだとようやくわかる。


 当人である私は休暇のことなどすっかり忘れていたのに……、今もこうしてティータイムの用意をしてくれた。



 すべてが『私のため』と理解するにつれて胸がいっぱいになってゆく。


 私はメイドの仕事が嫌いではなかったが、誰かに仕えることでこんなにも幸せな気持ちになれるとは考えてなかった。

 どこまでも愛らしいお嬢様のメイドになれて、本当に良かった――そう思う私は、心から微笑んだ。




「わかりました、お嬢様。それでは、ヒルダは今から休暇をいただきます」


 休暇の宣言をして、ワゴンを横付けされたテーブルの前に座るとお嬢様は嬉しそうにお茶の用意を始めた。

「……ですが、一つお願いがあります」

「お願い?」


 私の言葉にきょとんとした目を向けてくる姿を愛おしく見て、笑顔でその願い事を口にする。


「ええ。一人では飲みきれませんから、是非お相手をなさっていただきたいのです。お嬢様も私と一緒にティータイムを過ごしてくださいませんか?」

「――うんっ!」



 ぱあっと満面に笑みを広げ、元気に答えるお嬢様は、それはそれは本当に可愛いらしかった。



***



 そして私は休暇という名の、お嬢様とのティータイムを楽しんだ。


 用意された紅茶は本当に美味しい。


 リンゴとベリーの甘酸っぱさが口に広がると同時に、いっぱいの薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。

 染み渡る温かさと味わいに、私は心から癒された。



「ありがとうございます。お嬢様、最高の休暇ですよ」


 本心から告げると、口をつけていたティーカップから顔を上げたお嬢様はえへへと嬉しそうに笑った。

 その笑顔と包まれる香りに、本当に日溜まりの薔薇園いるような幸せな気持ちがする。



 ……もしこの先に何があったとしても、ヒルダは必ずお嬢様の味方でいますから。



 なぜか不意に、そう心に誓いながら、私は二人で送る休暇のひとときを満喫していった――。



***



 迎えた翌日、私は使わなかった仕度金を旦那様へ返しに行くのだが、「次の休暇のために」と受け取ってはもらえなかった。



 旦那様の執務室を後にした私は、嬉しさと幸せな気持ちで心を満たしながら廊下を歩いている。


 それは、お金をいただいたからではない。

 ……さっき旦那様から聞いたのだ。


「ヒルダ。私が話してしまうことは、ティアナには内緒なのだが……」



 今回の休暇をのことは、ティアナの発案なんだ――。



 私は顔をほころばせて、今日一日はお嬢様の自由な日にしよう、なんて考えていた。


 決して、休暇のことや昨夜のティータイムが嬉しかったからではなくて。

 昨日たくさん課題をこなしたので、今日くらいはレッスンをしない日にしても良いかと思っただけ。

 ――そう自分に言い聞かせながらお嬢様の喜ぶ顔を想像しつつ、彼女がいるであろうサロンへと向かった。



「お嬢様……」

 頬笑むままに、たどり着く先で呼び掛けようとしたその時。


 ――ガシャー……ンッ――



 ……まるでデジャブのように聞き知った音が耳に響いた。


 入り口に立つ私が思わず固まっていると、これまた同じくボールを手にするお嬢様と目が合う。



「あの、えっと……」


 床には原型をなくした飾り皿が広がっている。

 私は自然と目が弧を描き、ピキピキと自分の(ひたい)がひくつくのがわかった。



「……お嬢様。昨日のレッスンではご理解いただけなかったようですね?」

「ご、ごめ……」

「問答無用です! 本日のレッスンは昨日の課題すべてのおさらいをいたします。勿論、更に学習していただきますから覚悟なさってくださいっ」



 ――前言撤回、お嬢様に休みなどは必要ありませんでした。


 むしろ休暇の話も、自分が羽根を伸ばしたくての提案だったと思えてくる。



「本当に……私の休暇は当分来そうにないわ」


 呟いて盛大に溜め息を吐く私は、怒りながらも口許が緩んでいたなんて気づきもしなかった。




 その後、邸内の一室では――。


「お嬢様、本当に読んでいますか?」

「読んでるもん!」

「では、きちんと頭に入れてください」

「……はい」



 お仕置きの課題を真面目にこなすティアナと、それをどこか楽しそうに見つめるヒルダの姿があるのだった。

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