五十四 四匹の、夜はすぎゆく
「裾を絡げたときにょ、渡来妖怪どもにょ顔といったら、見もにょだったにゃ。にゃにも履いてにゃいわけ、にゃいじゃにゃい」
「そうかしら? まさか四分一袴を履いているなんて思わないから、驚くわよ」
「さすがお師匠、策士にゃ」
「すごいわねぇ、花江。あの美男子のお弟子になるなんて。あたしなら、目のやり場に困って、教えを受けるどころじゃなくなっちゃうわ」
「ま、お師匠と比べたら、そこらの男どもにょ顔にゃんて、あってもにゃくても同じようにゃもにょよ」
「あら、そこまで言う?」
「弥助さんにゃんて、へまむし入道じゃにゃい」
「ちょっと、花江」
とうに店仕舞いを済ませた〈あわ雪〉にて、乳屋の姉妹が湯のみ片手に盛り上がっている。
お雪の湯のみには湯気の立つ番茶が注がれているが、興奮冷めやらぬ花江の湯のみには冷やし乳。曰く、「草の汁を飲む気が知れない。それも熱いうちになど、正気の沙汰ではない」とのことである。
ひとしきり武勇伝を語り終えると、二人の話はときをさかのぼってゆく。
十歳のときにお雪が花江をはたいたことを謝ると、その二年前にお雪の大事にしていた鞠を隠したことについて花江が謝る。ずっと一つ屋根の下に暮らし、ほとんど同じ物を食べて育ってきた花江とお雪は、同じ思い出を持つ、まさに姉妹であった。
そこへ明日の仕込みを終えたお園が加わると、女三人寄ればなんとやら。十五年分の積もる話に花が咲く。
追儺が縁で居待月を見上げていると、隣の障子が荒々しく開け放たれ、相変わらず小汚い慶吾が現れた。
気づいていないふりをするも無駄のようで、荒法師は狩衣姿の前で仁王立ちになり、ふんぞり返ってこう問うた。
「花魁狐。おんし、殺生石はどがいした。持っとるか?」
「誰が花魁だ、大仏狸。そりゃあね。取り戻さなければ、まろは今宵、小栞城くんだりまで、なにしに出向いたという話になってしまうよ」
「よし。ほいじゃ、寄越せ」
太い眉を吊り上げて言う口振りには、有無を言わさぬ気迫があった。
これが別のことであれば、追儺はいくらでも言い返せただろう。だが、殺生石に関しては強く出られない。暗に狐であることを責められている気がしてならないからだ。狐狸の間を隔てる溝の深さを、改めて思い知らされた心地になる。
追儺は仕方なしに無言で寝間へと入り、袱紗の包みを手に戻った。それを、緋色の双眸で睨み上げながら慶吾に差し出す。
受け取りつつ、慶吾はしかめっ面で言った。
「儂は喜左衛門の名代として、白月紫宸が名代である白月追儺より、殺生石を預かる」
「どうぞ」
「ほいで」すぐさま踵を返した追儺の背に、慶吾は続けた。「儂は喜左衛門の名代として、白月紫宸が名代である白月追儺に、改めて殺生石を託す。紀伊まで頼むぞ」
追儺が振り返ると、袱紗が差し出されていた。怪訝な顔で首をひねれば、慶吾は「ん」と言って、さらに包みを近づける。
「今のことは、必ず兄御に伝えるんじゃぞ。儂も総大将に言う。少しは狐狸の仲もましになるかもしれん」
「そのために?」
「ほうじゃ。儂ゃおんしは好かんが、狐に恨みもつらみもないわい。これで面倒なしがらみが少しでもなくなれば、ありがたいことだと思わんか?」
狐らしい、疑り深いまなざしを向けつつ、追儺は包みに両手を添えた。
どこぞの鼬のような輝きこそないものの、妙に迫力だけはあるどんぐり眼が頷かれ、殺生石は確かに、白月狐の手に戻ってきた。
「我ら封国の鳥獣にとっては厄介物でしかない殺生石も、役に立つことがあるんだね」
「いかにも、いい気味じゃ!」
追儺に得体の知れない薬を塗りたくられたあげく、さらしでがんじがらめにされて寝間に放り込まれた雅寿丸だが、おとなしく寝ているような男ではない。
辺りが静まり返ったころに起きだすと、枕元の吉勝楽喜丸を手に取った。
「今日はおまえたち、大活躍だったなあ。相当打ち合ったが、痛くはなかったか?」
死して刀となった弟たちから、無論、応えはない。それでも雅寿丸は、気にしたふうもなく続ける。
「食み太刀のときな、あれはすまなかったな。なにしろ数が多くて、掛け声が間に合わなかった。気を抜いているときに刀を食ませて、腹でも打ってなければいいんだが。」
妖刀を鞘から抜き、障子の隙間から漏れ入る月光にかざして見る。
「そう言えば、風間のやつが間もなくそっちに行くだろう。一人で寂しいだろうから、反省しているようだったら仲間に入れてやってくれな。次は鎌鼬になれって言ってあるんだ」それから、ふと目を上げて首を捻った。「あいつ、おれよりも大きな図体をしていたんだが、すると一番上の兄になるんだろうか……まあ、いいか」
言いながら、腹に風穴が空いているとはとても思えない様子で立ち上がる。吉勝楽喜丸を鞘に戻し、畳に鐺を突いた。
「鳥獣狼士でなしに、鳥獣判官付介錯人というご大層な役目を仰せつかったんだが、おまえたちどう思う? 風隼村に戻って墓守をするのも悪くはないが、そうしているうちに、同じような目に遭う村が出てくるかもしれん。だが、おれが追儺とつるんで諸国をうろうろすれば、もしかすると何かがどうやらなって、世の中がうまくいくようになるかもしれんらしい。そこでおまえたちに聞きたい、おれはこれからも、鳥獣行者判官付介錯人として旅を続けてもいいだろうか?」
寝間は静まり返っている。中庭の虫の音がするばかりだ。
「よければ右、いかんというなら左な。いくぞ」
雅寿丸は、柄尻に乗せていた手を離す。
鈍色呂塗りの妖刀は、勇ましい音を立てて右へと倒れた。




