五十三 勝負あり
絶叫めいたものはなかった。湿った音を立てて甚蔵の首と右腕が滑り落ち、重心を失った巨躯が傾ぎ、その場へとくずおれる。踏みとどまろうとする足はもはや己の物ではなく、甚蔵は自らが作り出した血溜まりへと身を横たえるほかない。
心の臓は、首と泣き別れだ。しかしそこは人ならぬ身、死ぬまでは多少の猶予がありそうだが、そのときは間もなくである。
慶吾と花江も、それぞれの受け持った小物妖怪どもを蹴散らし、すべてが終わったこの場所へと集まってきた。
「介錯はいるか?」
その場の誰よりも満身創痍の鳥獣行者判官付介錯人(ちょうじゅうぎょうじゃほうがんつきかいしゃくにん)が、身動きの取れぬ筆頭鳥獣惣士に問う。
蔑むでもなく、己の勝利に驕るでもなく、ただ楽になりたいかとだけ訊ねられているのは、窮奇にも知れた。が、知れたところでどの面を下げて「頼む」などと言えようか。
自らの身に起きたことをつかみかねている様子の甚蔵を見下ろし、墨染め袴の介錯人は愛刀を鞘に収めた。
その表情は、秋も終わりだというのに咲き続ける向日葵に似ていた。なかなか見つからなかった言葉がようやく見つかったのか、童顔の男は穏やかに言った。
「そもそもの不幸は、おまえが『人を斬る悪い妖怪』として生まれついてしまったことなのだろう。はじめから悪という……相を背負わされたのは、痛手だな」そして、血塗れの顔に笑みを作る。「次この世に現れるときは、鎌鼬になるといい。どんなことでも楽しいし、なにが起きても嬉しいから、きっと幸せだぞ」
「討ち取った相手に、なにを言っとんのじゃ、おんしは」
呆れた慶吾が言った。いくら恨みっこなしの果し合いとはいえ、これだけ斬られ殴られ食いつかれて、なお相手を気遣えるのがわからない。お人好しにもほどがある。
諸国を渡り歩き、それなりに修羅場を潜り抜けてきた化け狸は、今まで殺し合っていた相手に笑いかけている鼬の化身の行く末が心配になってきた。
「よし、それでは引き上げるとするか」
立っていることさえ不思議なほど傷だらけの雅寿丸が、誰よりも威勢よく叫んだ。
欠けはじめた月の照らす小栞城本丸、剣戟の響きや裂帛の気合はすでになく、いまは虫の音と、依然眠り続ける侍たちの鼾がしじまに響くばかりである。
四匹の物の怪たちは温かな食べ物を、あるいは熱い温泉、氷を落とした冷やし乳をそれぞれの頭へ思い浮かべながら立ち去ろうとした。
仙狐の追儺より早く、鈍な雅寿丸が振り返ったのは、やはり風の妖怪鎌鼬であるがゆえか。
抜刀して防ごうとした墨染め袴の腹を、刃と化した疾風が深々と抉った。
「おんどれぇ!」
慶吾が拳を振り上げ、花江が飛び掛らんと身を低くする。
しかし、どちらも窮奇へとどめを差すことはかなわなかった。追儺が例の、妙な術を使ったためである。
「今ので風間甚蔵は死んだ。骸を切り刻むなど、怨鬼のような所業をしてはならないよ」
その追儺も、窮奇の卑怯な振る舞いに激しないわけではなかったが、そこは鳥獣行者判官。目に見えぬ面をかけて、己が心を宥める。
今度こそ祭りは終わった。追儺に腹の傷の具合を見てもらいながら「いてて」と顔をしかめる雅寿丸の横で、それよりなお痛そうに顔を歪めた慶吾が恐ろしそうにこぼしている。
「どてっ腹に穴空けられとるのに『いてて』て、おんしどういう体をしとんのじゃ……」
「子どものころ、大きな猪に頭突きを食らったときは、牙が腹に風穴を開けてくれてな。さすがにそのときは腸らしきものが――」
「もう言わんでええっちゅうに。しかし、詰めが甘かったのう、すまなんだ」
「気にするな。風間甚蔵があそこまでするとは、誰も思わなかっただろう」
横に立った慶吾と追儺それぞれの目を覗き込み、同意を求める雅寿丸。二人は無言を貫きとおしたが、己の問いが妙な雰囲気の呼び水となったことはさすがに察した鎌鼬、
「……もしかしておれ、あいつに嫌われていたのか?」
そう呟き、三人にため息をつかせたのであった。




