四十八 長いの踊り、白いの奏ず
「曲者だ、者ども出合え」
まるで役立たずになった清輝を尻目にそう叫べば、手下の妖物と惣士とがたちまち駆けつけ、いまだ畳に転がったままの小栞侯を守り固めた。
そこへ――。
「我ら悪成す妖しに非ず」腹から放つ強い声。
「さりとて人の味方でもなし」歌うが如くの玉の声。
「人に罰せぬこの世の闇を」勇ましく弾む御侠な声。
「散らせてみせよう世直し鳥獣――鳥獣行者判官付介錯人(ちょうじゅうぎょうじゃほうがんつきかいしゃくにん)、鎌鼬の雅寿丸」いたずらめいた朗らかな声と共に、いずこからかにょろりと這い出た大鼬が言う。
「鳥獣行者判官、白月追儺」
空から滴り落ちた月の雫が命を得たかの如き白狐が言う。
「狸狐連、喜左衛門一派は三十六の慶吾」
小汚くみすぼらしい毛並みの丸い体へ力を漲らせた禿狸が言う。
「狼士茶人改め、小栞猫頭の花江」
器量もさることながら毛色の混じり具合も美しい三毛猫が言う。
「小栞侯北条清輝、女帝美玉にへつらうため、西の国より血吸い鬼を招こうとしたまでは目を瞑ろう。だがしかし、そのために歳若い娘を集めては生き血を搾り、口封じと己が欲を満たさんがため、その親兄弟にまで手を掛けるとは、許すわけにいかんなあ」
もっともらしくそう言うのは、唐草模様の風呂敷包みを背負った大鼬である。後足で踏ん張って立ち上がるものだから、ただでさえ長い胴がなおさら長く見える。それに加えて、なにもせずともひょうきんな面構えであるため、自らの所業を責め立てられているのはわかるが、込み上げてくる笑いを抑えることのできない侍も幾人かいた。
「おのれ、小癪な小物妖怪風情が、生意気な真似を」
「風間甚蔵」歯軋りする甚蔵へ、雅寿丸は手指を巧みに操って指を差した。「清輝の企みに荷担するのみならず、幾人もの娘たちを食い殺したな。そして娘思いの父親、久兵衛を無残に殺して川へ捨てた。よって……ええと、次はなんだったか?」
この長台詞、たった一刻の猶予では覚えきれなかったらしい。大鼬は右後ろに首を伸ばして、竜笛を咥えた白狐に助けを求める。
白狐は緩く尾を一振りしてから竜笛を足元へ静かに置き、妙音にて罪状を読み上げた。
「鳥獣行者判官が沙汰を言い渡し候。風間甚蔵は、風隼村、宮川村および小栞城下にて数多の人を殺し、又喰らい候はば、無量凶害。吟味の末、極刑が一『死闘』を申し付けべく候」
月夜の静寂に澄み昇る。それがすむと大鼬は再び甚蔵へと向き直り、胸を反らせて続けるのであった。
「よって妖怪どもは、封国鳥獣諸法度に基づき、尋常に勝負。負ければ潔く散れ。ただし、人間については我ら鳥獣、どうこう言わん。邪魔立てすれば怪我の一つもしようが、退くのであれば追わんと約束しよう。今からでもこの場を去れ」
「善玉妖怪気取りが、ごちゃごちゃとやかましいわい。僧都を呼べぃ。おのれら、さっさとこの身のほど知らずどもを斬り殺せ」
侍に引っ立てられ、奥から慌しく三人の僧たちが現れる。南蛮鬼どもが得物を構える。ためらいがちに互いの顔を見合った侍たちも、各々腰の物を抜いて妖物らの輪に加わった。
「長いの」物々しくなった周囲を油断なく見据え、追儺が雅寿丸の横顔に声をかけた。「一曲奏ずる間だけでいいから、持たせることはできるかい? 侍と僧は、まろが引き受ける」
「わかった、任せる。やってみよう」
雅寿丸がそう言うのを合図に、四匹の妖怪たちは宙返りをして人の姿になると、互いの背を守る陣を組んだ。
「ぶち殺せ」
甚蔵の声と共に、渡来妖怪どもと侍たちが殺到した。
心得た様子で、花江と慶吾は手筈どおり、南蛮鬼どもを引きつける役目を請け負った。目にも止まらぬ速さで、一匹の南蛮鬼から血染めの頭巾をかっさらった花江が、御殿の中へ駆け込めば、いきりたった半数が剣を振りかざして後を追う。残った半数は、慶吾がはなくそを丸めて飛ばしてやっただけで造作もなく半狂乱となり、口汚く罵りながら追いかけ回しはじめた。
二尺八寸の大刀吉勝楽喜丸を、居合抜きもかくやの速さで鞘走らせた雅寿丸。いつもの大らかな動きとはまったく異なる的確な足捌きでまず前へ詰め、残りの侍たちを牽制する。
悪玉妖怪どもよりは分別がある、人間の侍、その数、三、四十といったところか。清輝が選りすぐっただけあってか、一様に隙のない正眼に刀を構えている。つい先ほどまで鼬の姿であった男を刀の檻で半円に囲い込み、一寸ずつ間合いを狭めてゆく。
「よし、でははじめるか」
手にした吉勝楽喜丸でさっそく大立ち回りを演ずるかと思いきや、刀を地面に突き立て、雅寿丸は宙返り。再び胴の長い獣の姿へと戻る。無数の目が見守る中心で、雅寿丸はやおら奇怪な挙動に出た。
「くくく、くくくく、くっくっくっく! 鼬の戦踊りだ!」
笑い声のような音を立て、大鼬が跳ね回る。高く跳躍して長い体を捻り、口を大きく開いて首を振る。幾度も飛び跳ね、面妖なほど体を捻じ曲げ、また跳ねる。これは、雅寿丸が本気で戦う前には欠かさない、己を鼓舞する踊りであった。
こうして士気を上げることで、雅寿丸は痛みや恐れと決別し、火の海へも刃の谷へも飛び込んでゆける。
狂おしい動きは、痙攣でもしているかのようで、周りを取り囲む侍たちはあっけにとられ、動けない。だが、それとは逆に、雅寿丸のほうはいよいよ興が乗ってきた様子である。幾度目かに一際高く跳ね上がり、そのついでにとんぼ返りを決め、人の姿へと変じた。
惣士たちは胸の内で、何よりも安堵した。正気の沙汰とは思えぬ動きを見せる相手とは、いかな武士といえど、刃を交える気にはなれなかったからだ。
さて、ようやく落ち着いた雅寿丸は深く腰を沈め、両手で頭上に刀を掲げたまま、
「風隼鎌鼬流、二太刀の構え!」
叫ぶや、両手をゆるやかに体の左右へと下ろしてゆく。すると、雅寿丸の左右それぞれの手に、一振ずつの刀が握られているではないか。左右の刀はそっくりで、右のものがわずかに大きい。あまりにもわずかな差なので、並べて置いて見比べなければわかるまいが。
目の前で起こった出来事を飲み込めず、手妻でも見せられたような顔を並べる侍たちへ、馬手に吉勝、弓手に楽喜の二刀流となった雅寿丸が笑って言う。
「いや、要するに我流なんだがな。ああいうふうに声に出さないことには、弟たちが一振りになるか二振りに分かれるか、わからんだろう」
侍たちが目を点にしているのはべつの理由からなのだが、この鳥獣狼士には考えが及ばなかったらしい。ともかく大男は、我流であるという摩訶不思議な構えをして見せた。
体の左側面を正面にし、足を肩幅より広く開けて立つ。刀ごと右手を振り上げ、頭上で切っ先を正面へ。左手は腹の前を通して後方へ切っ先を向ける。顔だけを曲げて正面を向けば、どうやらそれが雅寿丸の言う「二太刀の構え」であるらしい。手先足先に張り詰めた緊張感は侍たちを圧倒するものであったが、身の丈と釣り合わぬ童顔には、まるきり遊び友だちに向ける類いの笑みが浮かんでいる。
侍たちは見たことのない構えにまず困惑し、次に雅寿丸の浮かべる表情の意味を図りかねて動揺した。
「先ほども言ったが、おれたちの目当てはおまえたちではない。後ろでピイヒャラやっている白い奴の笛が終わる前に、進んでその辺りに寝転がってくれると助かるんだがなあ」
峰打ちするといっても、場合によっては手足の二、三本は折ることになるかもしれない。ゆえに雅寿丸としては、打ち合わずにすめばそれに越したことはないのだ。
――と、左側から、並み居る中では最も若いと思しき侍が、気合もろとも墨染め袴へ鋭く迫った。
「わからず屋のお侍には――食み太刀!」
脳天めがけて振り下ろされた切っ先を、わずかに後退してかわし、左手の楽喜丸の峰で受け、その上から素早く吉勝丸を打ち下ろす。打ち込みをかわされた若侍が刀身を引き寄せる間も与えない。若侍の刀は下段に振り下ろされたまま、上から肉厚い吉勝丸の刃に強打され、鉄が鉄を噛む耳の痛くなる音を響かせたかと思うと、真っ二つに折れてしまった。
「真似するのはやめておけよ。これはそんじょそこらの刀ではできん芸当だからな」
一対一で相手にならぬのなら一斉に。侍としては些か疑問だが、考え方としては間違っていない。前と左右を取り巻く侍たちが、雅寿丸へ次々と攻撃を仕掛けた。
一見隙だらけとも思えた構えが実はそうでないとわかったのは、その直後のこと。馬鹿正直に前から仕掛ければ、刀を弾き飛ばされる。刀をしっかり握っていれば、それごと片手でなぎ倒される。武士としての良心を痛ませつつ後ろに回り込めば、大男が振り向くより早く、後方を睨む楽喜丸の切っ先に阻まれる。卑劣を承知で、無防備に竜笛を奏じる美丈夫へ斬りかかろうとすれば、大男の蹴りがすかさず後ろ頭へ飛んでくる。
いつもの表六玉からは思いもよらぬ身のこなしを見せる雅寿丸だが、さすがに多勢に無勢、まったくの無傷というわけにはゆかない。両手の二刀と片足を使い、三人までなら一度に来られてもどうにかなるが、それ以上になると、諦めて斬撃を食らわなくてはならない。
これまでもしばしば頑健さを証明してきた鎌鼬だけあり、少々斬りつけられたくらいではよろめきさえしないが、体のあちこちから血がしぶき、那智黒の輝く顔には幾筋もの傷が走った。
それでも雅寿丸の顔から笑みは消えず、少々荒っぽいちゃんばらごっこでもしているような具合に見えた。その周りに、使い物にならない刀が山と積まれてゆく。
楽しげに立ち回る雅寿丸の後ろで、追儺は竜笛の歌口へ唇を当てていた。柔らかな旋律が、宵闇と同じ色合いの紗であるかの如く、辺り一帯へ豊かに広がる。刃同士がぶつかり合う殺伐としたこの場にはおよそ似つかわしくない、優美な音色であった。
さして長くはない一曲が終わりに差し掛かるころ、清輝をはじめ、雅寿丸らを取り囲んでいた侍たちと、術で四人を押さえ込もうとしていた僧たちは、たちまちのうちに眠りへと誘われる。手に刀や金剛杵、倍などを持ったまま、一人また一人とその場に崩れ落ち、寝入ってしまった。
「まろはこういう荒っぽいことが好きではないから、あとは見物に回らせてもらうよ」
己の役目は済んだとばかりにぴしゃりと言い切り、追儺はいずこかへと姿を消した。




