四十六 長いの、娘を助く
「オウオユキボウブジカ」
鼬の化け物が、何かを言いながら身をくねらせて跳ね回っている。それは、つい今し方同胞を食い散らされた者にとって、血が凍りつく出来事であった。一人が悲鳴を上げると、波紋のように次々と叫びが上がる。少しでも格子から離れようと、小屋の隅へ我が身を寄せようとする。娘たちは憔悴しきっており、さして大きな騒ぎにはならない。だが――。
「おい、頼む、静かにしてくれ。おれはおまえたちを助けにきたんだ」
今度は、お雪の耳にも意味のある言葉として届いた。そしてその声には聞き覚えがあった。
「もしや……雅寿丸様?」
「おっとすまん、先に名乗ればよかったな。〈あわ雪〉で世話になった鎌鼬の雅寿丸だ」
「まあ、鳥獣さんだったんですね」
一日ですっかり血色が悪くなり、目の下に隈まで拵えたお雪がいうと、雅寿丸は長い爪で首の後ろを掻きつつ頷いた。
「うむ。べつに隠していたわけではないが、話しそびれた」どうもしなくてもひょうきんな顔を精一杯引き締めて、「とにかく詳しい話はあとだ。追儺が見張りをどうにかしてくれている間に、ここから抜け出さないとならん。さて、この格子をどうしたものか」
雅寿丸は、格子の前を行きつ戻りつしながら考えた。力には多少の覚えのある大鼬にとって、引きちぎるのにそれほど苦労はなさそうであったが――後足で立って伸び上がれば、意味のわからない言葉や文様の書き記された紙切れが、そこここに貼り付けられているのがわかる。
「霊符かあ」よせばいいのに格子に触れれば、案の定、痛い目を見ることになるのである。「痛え!」
相当に霊験あらたかな僧の手によるものらしく、三貫目やそこらはありそうな体が木っ端の如く吹き飛んだ。小屋の柱へ頭をしたたか打ちつけて、しばし目を回していた雅寿丸であったが、「よし」と頷くや、次は猛然と地面を掘りだした。
両前足に計十本の長い爪が、硬い土へ深々と突き立てられ、抉る。地面にできた傷はやがて溝になり、窪みになり、穴へと変わってゆく。大鼬は休まず土を掻き、穴へ頭を突っ込み、次に尻まで突っ込み、やがて尾の先すらも見えなくなった。
鼬の姿が土の下へと消えてからも、娘たちは息を潜めて成り行きを見守った。地中からは、頑丈な爪が時折石を引っ掻く音が聞こえてくる。音は格子の真下辺りで最も小さくなり、その後は少しずつ大きくなりながら娘らの囚われている格子内へと近づいてきた。
待つことしばし、娘たちの足元近くで地面が隆起し、すぐに陥没したかと思うと、中から土まみれの人懐こい獣が顔を覗かせた。丸く黒い目を和ませ、向日葵のような笑顔を見せる鼬を、いつしか娘たちは頼もしく思うようになっていた。
「ちと狭いが、辛抱してくれ。なんとかとおれるだろう」
再び顔を引っ込めた雅寿丸に続いてまずお雪が穴を潜り、ほかの娘らもそれに倣った。大きいとはいえ細長い体躯の鼬が、それでも娘たちが潜りやすいようなんとか広げて掘り抜いた穴である。格子の外側へ這い出るころには、みな等しく土まみれとなった。中には舶来物の一張羅を着込んだ娘もあり、抜け出るには見るも無残な姿になる必要があったが、穴の出口を歩き回りながら励ましつつ覗き込んでくる鼬へ、みな口々に礼を述べた。
山で出くわしでもすればまず恐ろしいと思うであろう大鼬だが、よくよく見れば、その黒い目は澄み渡り、ひょうきんな隈取や殿上眉と合わさって、愛嬌のある顔に見えてくる。たちどころに抜け穴を掘り抜いた長い爪と、口の両端から突き出た牙を含めて見ても、悪い物の怪とは思えない。娘たちには鼬の心根のほどが、手に取るように見えたのである。
娘たちがすべて牢を出ると、舫ってあった小舟の前で足を止め、鼬は娘たちに言った。
「一度に一人でも多く乗れるよう工夫してみてくれ。おれが舟を引くので、誰も漕がなくていい。なるべくおとなしくしていれば、舟も引っくり返らんだろうしな。もし落っこちても心配するな、おれは河童の次くらいに泳ぎが達者だ」
鼬の姿でも笑っているに違いない雅寿丸へ、真剣な面持ちで頷いて、娘たちは先を争うこともなく、慎重に小舟へ乗り込んだ。三人も乗れば転覆してしまうであろう木葉舟であったが、娘たちが鼬の言いつけをよく守ったので、四人を一度に運ぶことができた。
鼬は舫い綱を咥えて泳ぎ、空の小舟を引いて島へ戻りを、疲れも見せずに繰り返した。
一人も舟から転がり落ちることなく娘らが池の岸へ集まったころ、ようやくお役目を思い出した侍たちが、三々五々持ち場へ戻りはじめた。そのうちの一人が娘らの姿を目にし、己の失態を悟った。
「娘どもが逃げるぞ。捕らえろ」
「おのれ、鼬公に化かされたか」
化かしたのは狐公だが、侍たちには知る由もない。各々目を血走らせて疾駆し、娘たちへ追い縋ろうとする。
「見逃せ、と言っても無理だろうなあ」
のんきに言いながら、雅寿丸は先陣を切って駆ける侍に飛びつき、腹へ頭突きを食らわせた。「うっ」とうめいて崩れるところへ、二人の侍が追いつき助ける。残りの大勢は雅寿丸と、その先を逃げ惑う娘たちへ殺到した。
三十人は下らぬであろう侍たちを前に、雅寿丸は右へ左へ飛び跳ねながら考えた。
侍の一人にでも突破されてはおおごとだ。娘たちを無事逃がした上でどうにかして侍たちを足止めし、ことの発覚を遅らせることができる策はないものか。
考えごとの苦手な雅寿丸が唸っていると、脇から白い影が躍り出てきた。白月狐の追儺である。足並みを揃えて逃げながら妙案はないかと尋ねると、頼みの綱はつれなく「ない」と言い切った。
「殺すわけにゆかない以上、逃げ切るほかないよ。それより多くを望むなんて欲張りというものさ」
このままでは、遅かれ早かれ追いつかれて一網打尽にされてしまう。
「うまい手を思いついた!」
髭の先まで力を込めて、大鼬の雅寿丸がそう言った。追儺が口を開きかけるのを待たず、急に足を緩めてその場へ留まると、長い首だけをよじって侍たちを振り返った。残すところ二間にまで侍たちが迫ったとき、やおら尻を持ち上げ尾を振り立てると、なんとも喩えようのない音とともに怪しげな煙をひり出した。
「ぐああっ」
「ぬおおっ」
哀れ、小栞の惣士たちは示し合わせたように苦悶の表情を浮かべながら、その場にどうと倒れてゆく。一人として持ちこたえることができなかった。全滅である。
「うはは、鎌鼬も鼬のうちだ。どうだ、結構なもんだろう」
雅寿丸は得意になって飛び上がり、くく、くく、と嬉しそうに笑った。累々と横たわる惣士らに混じって、白い獣が伸びているのに気づくのは、今しばらく先の話である……。




