四十五 鳥小屋にて
お雪は、寒いわけでもないのに、体の震えを止めることができなかった。吐いたら皆の迷惑になるとわかっているため、喉の奥から駆け上ってくるものを必死で押しとどめてはいるが、それも限界になりつつある。
ほかの娘らは、小屋の隅に身を寄せていた。少しでも入り口から遠ざかろうとするように、押し合いへし合いしているのだが、精も根も尽き果て、わずかに身じろぎするしかできない。
お雪だけは、今しがた目の前で起こった出来事の衝撃から立ち直れぬまま、小屋の中央――格子の近くにへたり込んでいた。
小屋に人が入ってくる気配がしたとき、お雪は助かったと思った。しかし、ほかの娘らは一様に俯いて、小刻みに震えている。顔を上げている者は一人としていない。お雪は、己が思い違いをしたのだと、理解しないわけにはいかなかった。
足音がして、二人の人間が小屋に入ってきた。一人はどこぞの寺の僧侶で、もう一人は見上げるほどの背丈の大男だった。大男は紋付を身に着けていたため、かろうじて小栞候に召抱えられている侍だとわかるが、その上に纏う毛皮からは異様な悪臭が漂ってきて、只者ではないと知れた。
留学のためにやってきたはずの己が、なにゆえこのような場所に閉じ込められなければならないのか、問い質す気概は、大男の登場とともに霧散した。ひもじい、水がほしいという願いも、いつの間にか口にしようと思えなくなっていた。
大男は僧侶に格子を開けさせ、娘たちを見回した。手前で不安そうに見上げてくるお雪に目を止め、「新入りか」と問う。お雪が「昨日」とだけ答えると、野太い声で「命拾いだな」とだけ言って、次に近くにいたべつの娘に手を伸ばした。娘の細い首を、大きな手でつかむ。嫌な音がして、それだけでお雪はえずきそうになった。李にでもかぶりつくように、大男は大口を開けて、娘の顔にかじりついた。さらに嫌な音がした。悲鳴を上げる者はいない。目の前のあまりの光景に、喉の奥が絞まって息苦しいくらいなのだ。
お雪は、己の運命を悟らないわけにはいかなかった。騙されたという思いはもちろん、どうにかして助かりたいという気持ちさえいつしかなくなっていることに、気づかない。せめてもう少しましな死に方をしたいと、そればかり考えてしまう。
まばたきもせずに目を見開いていたため、お雪は娘がどのように食われていったか一部始終を見ているはずであったが、おぼろげにしか覚えていない。
ただ、つぶし島田に結われた髪がついたままの頭の皮だけが、無造作に投げ捨てられたのが目に焼きついていた。
僧侶と大男は小屋を出て行ったが、気合の入ったつぶし島田だけは、格子の向こうに今も打ち捨てられたまま。
お雪は、見るともなしにそれを眺めつつ考える。あんな死に方は御免だ。けれども、あんな光景をもう一度見せられることを思えば、食われる当人になってさっさと殺されてしまったほうがいいような気がしてくる。
何にせよ、あの妖怪の腹はとりあえず、満たされたはずだ。「次」が訪れるまでには、まだ少しときがあるだろう。
そう考えたお雪の耳は、迫りつつある足音を再びとらえた。己の甘さ、浅はかさを嘆いてもどうにもならぬ。
今度は、明らかに人のかたちをしていない者であることがうかがえた。人のものよりもやや軽く、そして何より湿った足音であったからだ。まるで、池から這い上がってきたかように、恐らく体から滴り落ちているのであろう水音も混じる。
お雪は、いまだ姿の見えない化け物の姿を思い描こうとして、やめた。足音の主が河童であろうと海坊主であろうと、どの道助かりはしないのだから。
小屋の入り口から、黒っぽい影がぬっと現れた。人ではない、獣の頭だ。鼻先から、やたらと長い胴、そして尾の先まで濡れ鼠である。しかし、鼠ではなさそうだ。口の両端からは、長く鋭い牙が覗いているではないか。
背後で誰かが「鼬の化け物」と囁いた。化け物は格子の中の娘たちを順繰りに見渡した後、手前にいるお雪を見て「くくく……くくく……」と、くぐもった笑い声を漏らした。
お雪は、我が身の最期を悟り、目を閉じた。




